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4-5.そうして誓った

『ルナス白書』

 処刑の当日、ジェイル殿下は威風堂々としておられた。

 確かな足取りで処刑台への階段をのぼられる様は、真の王に相応しいご様子である。

 まさに首を刎ねられる寸前、ジェイル殿下は穏やかに微笑まれた。

 その時、わたしは己の目を疑った。曇天の雲に切れ間が生じ、一条の陽光がジェイル殿下を照らしたのである。

 斬首。アリオン王は転がったジェイル殿下の首に駆け寄ると、人目をはばからず声を上げて泣いた。

 ジェイル殿下の最期の言葉は「空は晴れたか」であったという。


 かような光景を見せられた以上、わたしは■■■■■■■■■■。

 身なりを整えられた私は、その日が来たのだと理解した。


 ルナスには巫女を討つことはならぬ、と、言い含めてある。そして取り替えた子を大切に育てるように――と。

 王の嫡子を取り替えるなど、厳罰は免れない。

 私が処刑を受け入れると決めた以上、皆を助けるには沈黙しか方法が無かった。


 民衆のざわめきが聞こえる。

 湿った空気に、肌寒い風。曇天なのだろうが、私の心は不思議と晴れていた。


(武人として死ねないことに、悔いが無いと言えば嘘になる)


 しかし私の子は生きていた。その子が生きていく国のためなら、これは意味のある死だ。

 我が子は今後、様々なものに縛られるだろう。本来なら背負わなくともよいものを、背負わされることにもなる。

 一方で兄の子について、兄の代わりに“立場に縛られず自由に生きて欲しい”と願うのは、身勝手が過ぎるだろうか?


 繋がれた鎖に誘導されるがまま、処刑台への階段をのぼる。

 一段ごとに、今までの人生が脳裏を過ぎ去っていった。


 思えば、鍛え闘うことに明け暮れた日々だった。旅に出てからは、それこそ何度も死線をくぐったものだ。

 不敗将軍との闘いは、鮮明に思い出せる。互いの全てを出し切った、尋常な果たし合いだった。

 あの闘いで私は確かに掴んだ。それを磨き上げることが出来たのは、クラウディアとの出会いがあったからだろう。

 彼女と過ごした僅かな日々は、今もこの胸に緑の月のごとく輝いていた。


「反逆者ジェイル、言い残すことはあるか」


 断頭台にかけられた私に、最期の時が訪れる。

 その時、目は見えないが兄の視線を感じた。

 今、私と兄は対面している。確かめる術は無いが、私は確信を持って頷いた。


「空は晴れたか」


 笑みが浮かぶ。

 自然にこぼれたそれは、何のしがらみも無かった頃に兄弟でかわしたものと同じだっただろう。

 きっと、私の想いは兄に通じた。

 どうか私の血で国の盤石を築いて欲しい。さすれば思い残すことは何も無い。

 

(ああ、まだ一つ心残りがあるとすれば)


 私の修めた武を、然るべき者に余すところなく伝えたかった。

 綿々と流れる大河のごとく、優れた技を優れた者へ。それは至上の価値があることだ。


(今となっては、叶わぬか)


 視力を失った目に、陽の光を感じる。

 そうして“私”の記憶は絶たれた。


◇ ◇ ◇


 ルナス白書と、その断章。内容を受け止めるには、少しの時間を要した。


 話を整理すると、ルナス白書に書かれていたのは“反逆者とされるジェイル王子は、無実の罪で裁かれた”という内容である。

 そして断章に書かれていたことこそ核心――すなわち“アリオン一世の子と、ジェイル王子の子が取り替えられた”というものだ。


「もうお気づきでしょうが」


 師匠が沈黙を破る。


「ディガルシャ初代国王は、アリオン一世の子なのです」


 つまりオル=ウェルク国とディガルシャ国は、まさしく兄弟国であり――しかも王家の血脈が入れ替わった国なのである。

 ルナス白書だけならまだしも、この断章が明らかになればその影響は計り知れない。


 カーレン家との政争の末にメイスーン家が要職を外れたように、現在のオル=ウェルク国も決して一枚岩ではないのだ。

 ディガルシャ国の強硬派と、オル=ウェルク国の反王政派が結託する材料にもなり得る。


「でも結局、国は割れてしまったんですね」


 しんみりとハルは言う。


「それこそ運命だったのでしょう」


 まつろわぬ民として育てられたアリオン一世の子は、困窮する民のために立ち上がったという。

 皮肉にも彼にはガルシャの技を修めるだけの武才と、生まれ持った華があったと伝えられる。


 自身の生まれの秘密を知ったのは、ディガルシャ建国後のことであったらしい。

 母と思っていたルナスの死後、ルナス白書を見つけたのだとか。それがどれほどの衝撃であったかは、想像に難くない。


「受け継いだ技を、ジェイル王子の血筋へ。某の師はそこに重きを置いておりましたが」


 エンデは違ったのだ。そして邪魔になる者を排除した。


「確かに、エンデの描く絵は筋が通っていると言えるかもしれませんね」


 だが、国を築いたのは今日まで血を流してきた者たちだ。

 エンデの思惑通りに事が進めば、様々なものが踏みにじられるだろう。


「ミナ」


 クロッサに声を掛けられ、我に返る。

 ルナス白書を読み解き、私は今まで知らなかったジェイル王子の記憶に触れた。

 そのことは、何か熱のようなものを胸中に生み出していた。


 その後の出来事を建国史から参照すると、神託の巫女の崩御を発端とした大陸全土の混乱をアリオン一世が治めたとされる。


(ルナス白書の断章にある“血を分けた者”とは、ノランのことだろう)


 おそらく彼女は、巫女を暗殺したのではないだろうか? 名前も出自も消し去り、ただの影として。

 これも想像でしかないが、最終的にアリオン一世は全てに気付いていたのだと思う。

 誰もが皆、歴史という物語の中で役割を演じ、天秤の傾きに均衡をもたらそうとしたのだ。


(血が熱い)


 ジェイル王子が今際の際に願ったことは、どういう経緯であれ私の中に蘇った。

 ならばそれを正しく伝えることが、私の責務だ。受け継いだ者として果たさねばならない。


「師匠、それに皆も」


 これ以上、黙っているつもりはなかった。


「私の中には、ジェイル王子その人の記憶があります」


 理由は分からない。だけどそんなことは些細なことだった。

 大事なのは、私がジェイル王子の想いを受け継いだということだ。


 正直に言えば、まだエンデは怖い。あの男と師匠との立ち合いは、互いの命を奪い得る者同士の戦いだった。

 ディングもそうだ。勝つため――いや、相手の息の根を止めるには何でもする。そういう怖さは、あの男も持ち合わせていた。


 けれど、それが強いということなのだろうか?

 私に人は殺せない。だから、弱い?

 あの時、私は逃げた。エンデに向かって出した目突きは、私の弱さを象徴するものだ。

 覚悟の無い者が、相手の一生を左右するような技を出したのだ。己の中に芽生えた恐怖を打ち消すために。


「私は、勝ちます」


 ジェイル王子の強さは、肉体や技だけではなかった。

 自分の命を取りに来る相手をも飲み込み、殺すのではなく“勝つ”。

 保身ではない、ましてや捨身でもない。倒すとか、倒されるとか、闘士の武勲はそんな言葉で語られるものではない。

 ジェイル王子は生き様を示した――それこそ“真の武人”に相応しい生き様を。


「必ず勝ちます」


 拳を握りしめる。

 私は自分に勝つ。そしてエンデに勝ち、想い受け継がれてきたものを守るのだ。


◆ ◆ ◆


 風のない夜。

 あれから数日して、私はクロッサに呼び出された。理由は聞かされていない。

 初めて立ち合った場所に、彼女はいた。夜の闇に隠れて表情はうかがい知れない。


「ミナ、伝えたいことがある」


 クロッサは私と正対すると、おもむろに構えを取った。


「クロッサ?」

「師匠――ううん、エンデローグはわたしの兄だ」


 腹違いの、と、付け加えたクロッサは、自身の出自について話す。


「わたしは兄と決別すると決めた」


 クロッサの闘気が高まる。

 私は反射的に構えを取った。


「だから兄の望む通りに事を運ばせない」

「それで、どうして私と闘いを?」


 右拳。以前立ち合った時より速いそれを、既のところで躱す。


「ミナはあいつと闘わせない」


 記憶の中に“あの当時”を持つ者同士、どちらに“決着”をつける資格があるか。

 これは、それを証明する闘いだ。

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