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幕間−セルバン・ガリア・メイスーン−

運命の流転は、少年に決意を促した。

 何も出来なかった。俺は師匠の代わりにあの男へ立ち向かうことも出来なかったし、叔父さんの気に呑まれてあいつを庇うことも出来なかった。


 何が強くなりたい、だ。何がカーレン家には負けない、だ。

 結局のところ、俺は親父と同じだった。自分の実力に気付かないで、実力以上のものを求め――届かないから、他に責任を求める。

 そうして俺は最初から冷めた態度で、色々なものを諦めるようになっていった。


 今なら分かる。メイスーン家が要職を外れたのは、王立政府批判とも取られかねない説を唱えたディング叔父さんのせいじゃない。

 単にカーレン家との政争に敗れたまでのことだ。そこから俺自身も目を背けていた。


 それに引き換え、あいつは強かった。自信に満ちていた。そのあいつが、今は脆く崩れそうに見える。

 俺はどうして強くなりたいと思ったのだろう? どうしてこんなにも苦しい思いをして、毎日鍛えているのだろう?

 自問自答するが、答えは出ない。


 あの日からいくらか時は流れ、王立学園は新学期を迎えていた。

 あいつは変わらず特別指導に顔を出しているが、どこか身が入っていないように思える。

 決定的に違うのは、対練をしなくなったところだ。

 商都バウザーから戻って最初の稽古、あいつはクロッサと手合わせしようとして――出来なかった。

 相手と対峙すると、身体が動かなくなるのだ。エンデローグはそこまであいつの心を傷付けていた。


 ここでも、俺は何も出来なかった。励ますことも、せめて声を掛けることも、何一つ出来なかった。


 学園の食堂で、あいつはハル以外の同級生と談笑していた。今までは武術一辺倒で、同室のハル以外とはろくに話してもいなかっただろうに。

 その姿はあまりにも普通の女の子で、俺はどうしていいのか分からなくなった。


「全ては本人が乗り越えるべきこと」


 師匠はそう言って、特別に何かしようとはしなかった。傷が治るまで無理が出来ないということで、ここ最近はもっぱら指示を飛ばすだけだ。


「わたしはミナを待つだけ」


 それはクロッサも同じだった。たまに来れる日は俺の対練に付き合ってくれる(いつもぼこぼこにされるのだが)が、あいつには普段通り接している。


 ハルだけは、明らかにあいつに気を遣っていた。なるべく怖いことを思い出させないように、努めて武術以外の話題を振っている。


「このままで、良いような気もするの」

「良くはねぇだろ。あんなのは、あいつじゃない」


 俺の反論に、ハルは首を横に振る。


「そうじゃなくて、あんな人と闘ったらミナも」


 お師匠様みたいに――ハルは言葉を飲み込んだ。そこには二つの不安が含まれる。

 師匠はあの時、エンデローグの命を取るつもりだった。あいつもそうなってしまわないか、という不安。

 そして師匠は命こそ落とさなかったが、浅くない傷を負った。あいつもそんな目にあわないか、という不安。


「だったら、ミナはもう闘うことから離れてもいいんじゃないかなって」

「それじゃエンデローグの思うつぼだ」


 ハルは考え込み、やがて意を決したように言った。


「あの人が追い掛けて来れないような、遠い国へ逃げるとか」

「なんだそりゃ」

「ほら、ワタシの家なら交易路もたくさん持ってるし、ミナを隠して海の向こうの……そのまた向こうまでだって行けるでしょう?」


 予想もしていなかった答え。真剣に話すハルを見ていると、俺は笑ってしまった。


「ちょっと、なんで笑うの」

「何でもねぇよ」


 ハルは頬を膨らませて詰問してくるが、俺は笑いを堪えきれなかった。

 悩む必要などなかったのだ。俺は、俺に出来ることをすればいい。

 そんな単純で、最も大事なことを教えてもらった気がした。


◆ ◆ ◆


 俺の申し出に、師匠は苦い顔をした。何を馬鹿げたことを言っているんだ、と、諫めるような声音が混じる。


「はっきり言って、小僧には無理だ。天稟が違いすぎる」

「もう、やる前から諦めたくねぇんだ」


 師匠は腕を組み、鋭い眼光で俺を睨みつけた。傷が完治していないとはいえ、その闘気はいまだ一級品だ。

 俺は呑まれそうになる自分を奮い立たせる。


「俺を、エンデローグに勝てるようにしてください」


 真正面から師匠の視線を受け止め、俺は決意を口にした。

 肌を震わす闘気が津波のようにぶつかってくるが、一歩たりとも引くものか。ここで負けるようではあの男に勝てるわけがない。


「三日会わざれば何とやら……か」


 不意に師匠の気が緩む。途端、俺の身体からは汗が吹き出た。じわじわと手足の感覚が戻り、やっと深い呼吸が出来る。

 師匠は穏やかな目で俺を見据えていたが、やがて重々しい口を開いた。


「生半可ではないぞ」

「望むところです」


 それは師事することを認められたということ。正式にガルシャの技を教わるということだ。

 その日から、今までの厳しい鍛練でさえ遊びだったと思えるような特訓が始まった。


◆ ◆ ◆


 学園の授業以外の時間は、全て鍛練に使う。それでもエンデローグには届かないだろう、と、師匠は断言した。

 だけど俺は諦めるつもりなんてなかったし、本当の意味で“変わる”には今しかないと思っている。


 早朝の特別指導には、俺が一番乗りするようになった。師匠が来るまでの間にも、自主鍛練を行うのだ。

 徹底した体力増強と、技術の練磨。それらを両輪に己を鍛え上げていく。師匠は武術における心技体だと言った。


「貴重なことを学べると思います。頑張ってくださいね!」


 ジュディス先生は(自分が教えることがなくなって)少し寂しそうだったが、俺を後押ししてくれた。


「手加減しない」


 クロッサの言葉は嘘では無かった。今までの対練は、俺が思っていた以上に手心を加えてくれていたのだ。


「無理してない?」


 ハルは俺を心配してくれた。俺は酷い言葉で、幾度も彼女の心を傷付けてきた筈なのに。本当に頭が上がらない思いだ。


 そんなある朝、特別指導の集合場所にあいつがいた。


「どうしてそんなに頑張るんですか」


 本当に分からない、といった風だ。俺は少し考えて問い返した。


「お前は何で頑張れていたんだよ」

「私は……」


 言葉を詰まらせる。以前なら「理由なんてありません」とか「強さを求めるのに理由が必要ですか」とか、そんな答えが返ってきた筈だ。


「俺はエンデローグに勝ちたい」


 あの男の名前を聞いた途端、身体を強張らせたのが分かった。


「無理、ですよ」

「やってみなきゃ分からねぇだろ」


 俺は拳を握り締める。


「ミナ」

「えっ……」


 突き出した拳を、眼前で止める。以前ならこんな突きは外され、手痛い反撃を受けていただろう。


「俺が一本取ったな」

「何の冗談ですか」


 拳を納め、俺はミナと向き合う。


「これで俺はミナスティリア・フィナ・カーレンから一本取った男だ」

「だから何を……」


 呆れた様子のミナに、俺は言葉をぶつける。


「エンデローグじゃない。俺が先約だからな」

「んなっ!?」


 俺は、俺に出来ることをする。エンデローグの思い通りにはさせない。


「ど、どういう意味ですか」

「『闘士武勲伝』にもあるだろ、己の頭で――」

「“己の頭で考え、己の心に従う”――第五章の一節ですね」


 そう言って、ミナは笑った。

 それは取り繕うような笑みではない。心からの笑顔のような気がした。

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