3-8.そうして到着した
ディガルシャ国南端に位置する商都バウザー。オル=ウェルク国をはじめとする周辺諸国との行き来にも便利な要地にあり、文字通り盛んな商いによって発展してきた都市である。
バウザーを取り囲む東西に類を見ない立派な城郭は、かつてメナン国の辺境伯から「まるで戦の砦だ」と批難された。
それに対して当時家督を継いだばかりの若き領主スナージク・ベオ・グラッフは「家の財産を守らぬ主人がどこにいる?」と、一刀両断したのはあまりにも有名な話である。ディガルシャ国における尚武の気風を表す出来事としても、語り継がれていくことであろう。
――『ディガルシャ国を歩く』より抜粋――
ディガルシャ国へ向かう馬車の中は、どこか緊張感を欠いていた。郊外へ出るにつれて舗装されていない道も多くなり、時折がたがたと車内が揺れる。
「お前、覚えてるか? 兄貴の外套を気に入って寝台に持ち込んだはいいが、そこでおねしょしやがったこと」
「や、やめろよ叔父さん」
「こっそり処理してやったのに、結局ばれて俺のほうが怒られちまった」
セルバンが幼かった頃の話を、ディングは面白おかしく話して聞かせた。
和気あいあい――そんな雰囲気の旅が始まって、すでに二日が経つ。
ディングはエンデからの“招待状”を渡すために、私に接触したのだという。なお、手合わせを挑んできたのは完全に自身の興味本位だ。
「しっかし王位継承権から遠いとはいえ、一国の王子ともなるとこんな良い馬車を用意してくれるんだな」
私達は今、エンデの用意した馬車に乗っている。オル=ウェルクとの国境にほど近い、ディガルシャの商都バウザーで開かれる晩餐会――それへの招待が、エンデの誘いだった。
「今更だけど、ワタシも来て良かったのかな?」
ハルが不安そうに尋ねる。馬車に乗り合わせているのは、私、師匠、ハル、セルバン、それとディングの五人だ。
クロッサは公演で不在。ジュディス先生も心配してくれたが、仕事の都合で不参加である。
そんなわけで私は、師匠の他に居合わせたハルとセルバンを連れ立って、誘いに応じたのだった。
「招待状には“ご学友ともお誘い合わせの上”と書いてあったから」
「でも……」
「オル=ウェルク国とジュマ国の交易を開くのに貢献したアレイン家だ。気後れするような立場じゃ無いだろ」
私とハルは、信じられないものを見るようにセルバンを注視する。以前の彼からは絶対に出ないであろう台詞だった。
「どこか具合でも悪いのですか?」
「悪くねえよ」
そっぽを向くセルバン。彼自身が変わったのか、それとも元来はこういう性格だったのだろうか。
「不肖の甥が面倒かけているみたいだな」
「だから、やめろって!」
ディングとセルバンの関係は、歳の離れた兄弟のようにも見える。メイスーン家の事情をよく知らないが、かつては悪い関係ではなかったのだろう。
「ところでお主、今まで何をやっておったのだ」
「しばらくは傭兵稼業に専念していた。研究費用を稼がないといけないんでね」
実際、ディングは見た目通り傭兵としても日銭を稼いでいた。
ディガルシャ国は隣国のメナンと戦争の真っ最中であり、ここ最近仕事は多いのだという。
「オル=ウェルクみたいな辺境の魔物狩りよりは、よっぽど面白いぜ」
「目的は別でしょうに。貴方はルナス白書についてやけに詳しい……いや、詳しすぎる」
私の詰問を、ディングはへらへらと受け流す。傭兵稼業は建前で、ディガルシャ国内部へ入り込むことがこの男の目的だったはずだ。現にエンデから手紙を託されている。
「ご想像にお任せしますよ、お嬢様」
「……もういいです」
私は頬杖をついて、馬車の外を見やった。彼方にはジェイル王子が不敗将軍と闘ったアセス渓谷がある。
「落ち着かない様子ですな」
師匠が独り言のように呟く。私は馬車の外を見ながら答えた。
「罠かもしれないことは、分かっています」
「しかしまずは飛び込んでみる。お嬢様のそういう気質は良いところですな」
師匠は面白そうに笑う。私ひとりだったら、どうだっただろう? 傍に師匠とハル、一応セルバンも――居てくれるのは、心強かった。
◆ ◆ ◆
馬車による数日間の旅は、大きな問題もなく終わった。宿場町に立ち寄りながら、徐々に様変わりしていく風景を楽しむ余裕すらあったほどだ。
朝日に照らされたディガルシャの商都バウザーは、さすがの貫禄だった。巨大な城壁に囲まれ、正門には商人と思しき馬車が列を成している。
商都とはいうが、実際は最前線の砦にもなるのだろう。充実した軍備がそこかしこに見られた。
「じゃあ、また夜に会おう」
ディングは私たちを宿となる領主の屋敷まで案内すると、片手を上げて去って行った。晩餐会は今夜開かれる。
ゆっくり町中の観光でもしたいところだが、実際そんな暇は無かった。
領主への儀礼的な挨拶の後は、商都の有力者たちと昼食を兼ねた懇親会。彼らは身分的には平民のため、晩餐会には参加しない。それでもこうやって支配階級と食事をともにさせるのは、エンデの方針だという。
その後、商都の概要とざっくりした案内を領主から直々に受ける。商都バウザーの領主スナージクは、六十歳を越えているとは思えないほどはつらつとしていた。
ようやくお茶で一息つくや否や、待ち構えていたような使用人たちによって身だしなみを整えさせられる。自前の物は持って来ていたが、驚くほど上質な生地のひらひらした礼服が用意されていた。
「こんなの初めて着る」
ハルには薄緑色の礼服が用意されていた。髪も見事に結わえ上げられ、見惚れるほど綺麗だ。
「似合ってる、綺麗」
「ミナも、流石って感じ。可愛い」
私には濃い青の礼服が用意された。髪を結わえたうえに背中が大きく開いているので落ち着かないが、可愛いと言われて悪い気はしない。
「準備でき……たか」
待ち合いの小広間に現れた私とハルを見て、セルバンは言葉を失った。呆けたような表情で、ぽかん、という擬音がよく似合う。
彼も黒を基調とした礼服に身を包み、それなりの見栄えになっているのだが台無しだ。
「ほれ、気の利いた台詞くらい言わんか」
「べ、別に俺は何でも」
師匠にどやされ、セルバンは慌てる。やはり体調でも悪いのだろうか。
「お嬢様、それにハル殿もお似合いですな」
「ありがとうございます」
ハルと揃ってお辞儀をする。
だが、師匠は唸るように腕を組んだ。
「しかしあやつめ、濃い青を用意するとは」
「この色が、どうかしたのですか?」
ディガルシャ国の魔石を思わせる鮮やかな青は、華やかだが派手過ぎない。個人的には好みの色だった。
師匠は言うべきか悩んでいたようだが、やがて重い口を開く。
「ディガルシャ国では一般に“婚姻を申し入れる”色でございます」
「聞くんじゃありませんでした」
私は複雑な気分になった。
「お師匠様、もしかしてこれを着てたら……ミナ、脱いで!」
「ハル!?」
「それを着ているからといって、婚姻を受けたことにはなりませぬよ」
気が動転して私の礼服を脱がそうとするハルを、師匠は穏やかになだめる。
「けど対外的には、はっきりするよな。王子はカーレン家の令嬢を妻に考えているって」
セルバンは食いしばるように言った。なるほど、意外と私のことを心配してくれているようだ。
「いざという時は、貴方に婚約者のふりをして貰いましょうか」
「なっ!?」
「駄目よそんなの!」
セルバンと、おまけにハルも赤面する。冗談を真に受けられては、ばつが悪いというものだ。
「まあ……セルバンが私に勝つなんて今の時点で無いでしょうから、この手は使えませんね」
どこか悔しそうなセルバンと、ほっとしたようなハルは対照的だった。
「青春ですなぁ」
しみじみと呟く師匠は、なんとなく老け込んで見える。
そうこうしている間に晩餐会の時刻が訪れた。




