3-6.そうして学んだ
オル=ウェルク国における正規兵の武装は、基本的には甲冑と刺突剣の組み合わせである。だがこの刺突剣は儀礼的な側面も多分にあり、実際の戦場で主力となるのは槍であった。
建国記にある十二騎士がひとり、ブランドン・シャンカウなどが槍の名手として知られている。
一方で比較的小振りな両刃剣を扱うのは、傭兵に多く見られた。甲冑など持たない彼らは、機動力と攻撃力を両立させる必要があった。そのため、軽装の鎧と両手で扱う剣技が発展していったのである。
――オル=ウェルク傭兵の歴史より抜粋――
男は私の目のあたりに剣先を向け、中段に構えた。盾を持たないからか、両手持ちだ。
命を奪いうる武器を前にするのは、私としては初めての経験だった。刃物のもつ鈍い輝きは、実際に相対すると想像以上の圧力を与えてくる。
(呑まれるものか)
わずかの息づかいも逃さないよう、男の動きを注視する。剣に惑わされてはいけない。あくまで相手の身体との間隔を測るのだ。
「ふんっ」
素早い踏み込みからの初太刀。袈裟に振り下ろされた剣を、大きく距離を取って避ける。
対武器は中途半端な間合いにいることが最も危険だ。
「おおっ!」
返す水平斬りから、真っ向の振り下ろし。恐怖にさえ呑まれなければ、敵の動き出す“起こり”は見える。
剣撃を躱しながら、私は街路樹の近くまで移動した。遮へい物を置くことで、相手の次の動きを制限するのだ。
「ちっ」
一瞬だが男の動きが鈍る。それを見逃す手は無い――私は間合いを一気に詰めた。
次の手を出させないよう、腕を抑え込みながら首筋へ手刀を飛ばす。いかに屈強な男であっても、この急所を打たれるとひとたまりもない。
「〜〜っ」
意識を分断された男は、糸の切れたあやつり人形のように崩れ落ちた。
「いったい何者……?」
剣を拾い上げてみる。業物のようだが、紋章などは見当たらない。改めて男の装束を観察してみても、所属をあらわす物は無いようだ。
まったく出自の分からない刺客に、私は怖さよりも興味をそそられた。
「う……」
ほどなくして男が目を覚ました。状況を飲み込んだ様子の男に、私は剣を突き付けて問いただす。
「何が目的か、洗いざらい吐きなさい」
厳しい口調の私に向かって、男は不敵に笑った。獣のような笑みだ。
「噂に違わぬ強さ、技は間違いなく伝承されているようだな。だが甘い」
男は私の心理を見抜いていた。
「お嬢様は戦場で人を斬ったことなど無いだろう?」
「なにっ!?」
目に強い刺激。何かの粉末が眼前で弾けたのだ。そういう目くらましの道具があると、本で読んだことがあった。
「くっ!」
追撃に備え、男の気配を探る。しかし一向に次の攻撃が来ない。
「逃げられた、のか」
涙が粉末を洗い流し、いくらか視界が回復する頃には――男の姿はすでに無かった。
結局、男の目的は分からずじまいだった。
いくつもの戦場を渡り歩いてきた人物なのは間違い無いだろう。もっとも、そのような相手から狙われる理由は思い当たらないのだが。
「それにしても……これ、どうしよう?」
手元に残った剣をどう扱ったものか。私は頭を悩ました。
◆ ◆ ◆
翌日になっても、ハルは怒っていた。襲撃を受けた件について私が憲兵に届け出るなどせず、あまつさえ剣を寮に持ち帰ってきたからだ。
ハルは「万が一のことがあったらどうするの!」と、本物の剣よりずっと怖い剣幕で私に詰め寄った。心配させてしまったことは申し訳ないが、少し嬉しくも感じる。
「とにかく、お師匠様に剣を見てもらおう」
屋内運動場へ向かう道すがら、ハルはそう言った。ちなみに件の剣は、布に包んで彼女が持っている。万が一教師にでも見られたら厄介だ。
「いくら強くたって、ミナは女の子なんだから」
「ごめんなさい……でも」
「でもじゃないの!」
くどくどとハルの説教は続く。こうなるともう、私は彼女に頭が上がらない。
「あー、仲良し小好しのところすまんな」
茶化すような台詞。他でもない、昨日の男が再び姿を見せたのだった。
「貴方は……!」
ハルを後ろにやって、男と対峙する。飄々とした様子で、私とハルを値踏みするように見ていた。
「そう警戒するな。別に取って食ったりはせんさ」
「ミナ、この人は……?」
私は、この男が昨日の刺客だと説明した。ハルの身体が強張る。
「とりあえず剣を返して貰おうか。公爵令嬢様と違って、こちとら金が無いんだ」
「いちいち突っかかる言い方をしますね」
男は鼻で笑った。癪に障る態度だ。
「剣は返しません。少なくとも貴方がどこの誰で、何が目的なのかを話さない限り」
「そうか……だったら、力尽くだな」
両手を顎の辺りまで引き上げ、男は構えた。拳は軽く握り、ゆらゆらと調子を取りながら私との距離を測っている。
「ハル、離れていて」
私は両腕をだらりと下げたまま、わずかに腰を落とした。如何様な変化にも対応できる構えだ。
「しっ!」
二発、三発と、目にも留まらぬ速さの突きが襲いかかる。私はそれを紙一重で避けた。
(なるほど、動きの“起こり”を分からなくさせるために調子を取っているのか)
動きの中に動きを隠してしまう、理にかなった技術だった。
「でも見える!」
突きにきた相手の腕を、受けをもって弾き飛ばしながら近接する。普段ならここで寸打を食らわせ、勝負を決めるのだが――
「やはり甘いな」
「くあっ!?」
男は私の髪を掴み、力任せに引っ張った。それにより一瞬だが判断力を奪われる。
「おらよっ!」
「かはっ」
体勢を崩されたところに、男の拳がまともに入った。みぞおちを打たれ、焼けるような苦痛が喉元まで込み上がる。
「もう一発だ」
「もうやめてっ!」
ハルの悲鳴が聞こえた。私は髪を掴まれたまま引き起こされ、顔面に拳を見舞われる。なんとか腕でかばったものの、耳鳴りがした。
(よく、分かった)
甘いと言われたわけを理解した。勝つためには何でもやる、そういった貪欲さが私には足りなかったのだ。
「そろそろ、降参、するか?」
男は連続して、容赦なく拳を叩きつけてくる。もはや勝ったと言わんばかりだ。
(……ふざけるな)
腹の底から怒りがわき出る。それでいて頭は冷静だった。
男は私を見くびっている。何不自由なく育ったご令嬢には、こんな泥臭い闘いはできないだろう、と。ならば、思い知らせてやる。
「んっ!?」
私は髪を掴む手を上から押さえつけ、自分の頭に密着させた。そして固定した男の腕――その肘を、下からかち上げる。
みしり、と、筋骨の軋む感触がした。髪を掴む力が緩む。私は男の指を取った。
「ぎゃっ!」
へし折れるかというほど、指関節をきつく極めてやる。男の体勢を下へ上へ操り、重心をぐらつかせた。
「ぐあっ!」
伸びた膝を踏み折るように蹴たぐる。男は尻餅をついて、私を見上げた。
「待て! 降参、降参だっ!!」
男は両手を挙げて“参った”の格好を取る。
「どこの誰かは存じませんが、この度は勉強になりました」
私は穏やかに笑ってみせた。男の顔色がみるみる青ざめていく。
「せあっ!」
「ぶげっ」
渾身の正拳突きを、男の顔面に叩き込む。
背中に後頭部が付くかというくらい首がそり返り、次いでがっくりと力を失いうなだれ、男はそのまま前のめりに倒れ伏した。
「うん、すっきりした」
「流石に……やりすぎ?」
ハルが引きつった顔で、私と男を交互に見比べる。男はぴくりとも動かず、失神していた。
「師匠のところへ連れて行こう」
目覚めた時に抵抗されないよう、男の衣服を拘束具のように結び合わせる。しかしながら――この男は本当に、何者なのだろうか。