3-5.そうして原点にかえった
神託の巫女より王冠を授かったアリオン一世は、オル=ウェルク国の建国を宣言した。
それは大国ガンディールによる支配の終焉を意味し、大陸に生きる民たちは自由と解放に歓喜した。
彼の王の聖剣は、絶対的な平和をもたらしたのである。
――オル=ウェルク建国記より抜粋――
初めて垣間見た記憶。
ジェイル王子の持ち合わせていた意外と人間らしい一面は、“私”――ミナスティリア・フィナ・カーレンにとって新鮮だった。
同時に怖さも感じる。それは己の中で違う誰かの記憶が増えていくことへの恐怖でもあった。
あのクラウディアが、クロッサの夢に登場する“彼女”なのだろう。エンデが言っていたこととも繋がる。
あまりに多くのことが、集まり過ぎているように思えた。まるで見えない糸に操られているかのような空恐ろしさである。
私は“私自身の意志”で生きていると言えるのだろうか。
それにしてもオル=ウェルク国の成り立ちは、建国記のそれと大きく異なるようだ。ライアス・ブラウンが建国記の翻案として『闘士武勲伝』を書いたというのは、本当のことなのだろうか?
何か引っ掛かるものを感じたが、今の私にはその輪郭までは浮かばなかった。
◆ ◆ ◆
その日の組手は、珍しく師匠から褒められた。
「お嬢様、腕を上げましたな」
本来なら喜ぶべきところだが、実はすっきりしないものがある。
夢の中で私は、洗練されたクラウディアの技を知った。それを現実に落とし込むことで、確かに私の技量は増しているのだろう。
いわば他人の知り得ない武技を、私は文字通り体験することで身に付けてきたのだ。それはある意味、ずるいことではないだろうか? これは真の意味で、私の実力だと言えるのだろうか。
「師匠、お話ししたいことがあります」
対練の後で、私は師匠に時間を作って貰うようお願いした。
時刻は昼下り。軽食を出す店で、久しぶりに師匠と二人きりになる。
「美味い茶を出す店でしてな。宿からも近いので、よく寄らせて貰っております」
円卓に置かれた茶は、確かに良い香りがした。心のざわつきを沈めてくれるような、落ち着いた匂いが鼻腔を満たす。
少し暗めの赤銅色をした液面は、私の顔を映していた。
「こちらの茶菓子も美味いですぞ」
「師匠」
私の様子を感じ取ると、師匠は居住まいを正す。相変わらず背筋の伸びた、良い姿勢だ。
「実は、私の中には……ジェイル王子の記憶があるようなのです」
周りに聞かれないよう声をひそめて言ったそれを、師匠はあっさりと受け入れた。
「驚かないのですね」
「ま、そのような気はしておりました」
前例――クロッサのこともある、と、師匠は言葉を補う。
「して、それが何か?」
「私は卑怯ではないでしょうか」
私の思うことを、師匠は静かに聞いてくれた。物心ついた頃からジェイル王子の記憶があったこと、それゆえ最初から達人の修練三十年分に匹敵する技量があったこと――。
師匠は荒唐無稽とも取られかねない私の話に、ただ耳を傾けてくれた。身じろぎもせず、真剣に。
やがて全てを聞き終えた師匠は、想像に反してあっけらかんと言った。
「お嬢様の杞憂でございますな」
「とりこし苦労であると?」
師匠は茶を一口飲むと、深くうなずく。
「たとえば優れた兵法書があるとしましょう。書かれている通りに事を運べば、誰しもが戦に勝てるようなものです」
ここで言う兵法書とは、私の持つジェイル王子の記憶のことだろう。
「しかし兵法を運用するのは人。如何に優れた兵法書であろうと、それを扱う者が暗ければ意味を成しません」
「それは詭弁ではありませんか」
私の反論を師匠はさえぎった。
「お嬢様は確かに、他の者が知り得ぬ秘伝を体験しておられる。他者と比べて優位であるのは間違い無いでしょう」
ですが、と、師匠は続ける。
「それを体現なさっているのは、間違いなくご自身の努力と才覚によるものです」
「私自身の……」
「まずはそこをご理解されない限り、あやつには勝てませんぞ」
師匠は茶菓子を口に放り込むと、さも美味しそうに破顔した。ラムツ麦の粉を練って焼き上げた、香ばしい菓子だ。
「あの小僧、セルバンといいましたか」
「セルバンが何か?」
師匠はおかしそうに笑う。
「本気で強くなりたいと申すので、かなり厳しく絞り上げておりますがな」
セルバンの課せられている体力増強の訓練が思い浮かぶ。量だけで言えば、私と遜色ないほどだった。
「文句ばかり垂れるわりに、しっかりと某の言い付けは守るのです。意外と、将来はひとかどの武人になるかもしれませんな」
確かにセルバンは日々努力を続けていた。文句こそ多いが、鍛練に取り組むさまは真摯そのものだ。その点は私も認めている。
「正しい力は、正しい姿勢、正しい心から生まれるもの。お嬢様ご自身がどうあるか、それが肝要でございます」
私は思わずはっとした。武術における心技体――もっとも大切なことを見失っていたと、気付かされたからだ。
「某に言わせれば、お嬢様の悩みは思い上がりも甚だしい。修行が足りぬ証拠ですな」
「……私は気付かぬうちに、己が特別であると勘違いしていたのですね」
恥ずかしさを隠すように、私は茶を口に運ぶ。甘さの中に存在する、わずかな渋味。これも調和である。
言ってみれば私の悩みは、持てる者が持たざる者を憐れむような、一方的で自分本位の悩みだったのだ。
それは尋常に立ち合い、技を比べた師匠やクロッサに対しても失礼なことだった。
「少しは迷いが晴れたましたかな?」
「やっぱり、師匠は師匠です」
私と師匠は笑い合うと、しばしのあいだ茶と菓子を楽しんだ。
◆ ◆ ◆
別れ際、師匠は「いずれ某が武を学んだ師のことを詳しくお話し致します」と、言い残した。
師匠に掛けて貰った言葉で、ジェイル王子の記憶を辿ることへの恐怖は和らいでいる。身に付けた武術の源流を知ることについて、今は前向きに考えることが出来た。
「私自身がどうあるか、か」
口に出すと、より身に染みる気がする。
考えてみれば、クロッサとの立ち合いもそうだったではないか。私は、私なのだ。
「カーレン家のご令嬢だな?」
寮までの帰り道、私は不躾に呼び止められた。大通りを抜けてちょうど人気の少なくなる辺りである。
振り向くと、そこには見知らぬ男が立っていた。
短く刈り込まれた黒髪に、修羅場をくぐってきたと分かる目付き。動きを妨げないように作られた軽装の鎧は、正規兵士のそれでは無い。
いかにも傭兵といった風貌の男だった。
「そちらは?」
「確かめたいことがある。手合わせ願おうか」
男は刃渡り二尺三寸ほどの、幅広の両刃剣を鞘から引き抜く。
(どこの誰かは知らないが、出来る)
男の放つ闘気は、かなりの腕前を物語っていた。
頭の中が戦闘に備えた思考に切り替わる。私は気取られないように息を吐くと、軽く右足を前に出して正対した。




