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3-4.そうして契りを交わした

右拳を左掌で包んだ後、開手して両肘を引き、左手は胸に、右手はみぞおちに当てて、頭を下げる。


――ガルシャの民が最上級の敬意を示す所作――

 重苦しい沈黙を破ったのは、クラウディアだった。不敗将軍の散り様を聞いた彼女は、目を伏せたまま噛みしめるように言葉を紡ぐ。


「立派な、最期だったのだな」


 その一言は、私の心まで救ってくれたのだと思う。胸を圧し潰そうとしていた重りが軽くなるのを感じた。

 不敗将軍は誇りある最期だったのだ。それは直接立ち合った私が誰よりも理解しているはず。

 同時に、私は自身の成すべきことが何であるか、おぼろげながら見えてきていた。


 クラウディアの傷がいくらか癒えるまで、しばらくの時を共に過ごした。

 すぐに動けないほどの重症だったこともあるが、それ以上に私が彼女を引き留めたのだ。

 傷が癒えるまで、クラウディアはいつも私の鍛練を見学した。彼女は何も教えなかったが、動きに不味いところがあると指摘だけはしてくれた。

 私が断片的にとはいえ会得したガルシャの技――それが歪んだ形で伝わるのを嫌ったのだろう。


 転機が訪れたのは、クラウディアが私の対練に付き合えるほど回復した頃だ。

 私の屋敷を、王の使者が訪れた。


「ジェイル様、今こそ殿下のお力が必要なのです」


 私が軍を離れる前、王は絶対的優勢になりつつあると思えた。だが、そこは大国ガンディールである。

 ガンディールが誇る八大公の総力を挙げて当方の戦力を分断し、包囲網を構築したのだ。まさしく王は四方を敵に囲まれ、絶体絶命であるという。


「何卒、今一度その聖拳を振るってくだされ」


 王のために、と、使者は言う。

 私の心は決まっていた。


「なんと……それでは謀叛を疑われますぞ!」

「私に他意は無い」


 私の意思が硬いと見るや、使者は一日だけ時間を置きたい、と、その場は退いた。


「本気なのか!?」


 食って掛かったのは、意外にもクラウディアだった。


「本気だ」

「馬鹿げている。我らのことならもう良い。真の武人と尋常に立ち合い敗れたのだ、あのお方も本望だっただろう」


 私が軍に戻るにあたって出した条件――それは、不敗将軍の名誉回復である。

 これだけは、私が果たさねばならぬことだ。


「そなたは以前、責務という言葉を使ったな」

「お前とは立場が違う!」

「違わない」


 私はクラウディアを見据えて告げた。


「私は不敗将軍を手に掛けた。これは私の成すべき責務なのだ」


 そうして翌朝、出征が決まった。

 私はクラウディアに、発つことを告げなかった。最低限の従者だけを引き連れ、未明に屋敷を出たのだ。

 にもかかわらず、クラウディアは私の前に現れた。

 戸惑う私に向かって、彼女は見慣れない所作で一礼する。後で聞けばガルシャの民の作法だという。


「わたしも行くぞ」


 クラウディアはそう言うと、私の隣に立った。旅支度を抜かりなく整えている。


「危険だ」


 これから向かうは、全てが多勢に無勢の死地である。生き延びられる保証は無い。

 しかし私の心配を、クラウディアは笑い飛ばした。


「わたしはガルシャの民だぞ。戦場に骨を埋める覚悟は出来ているさ」


 それに――と、クラウディアは付け加える。


「ジェイル。お前があのお方の汚名をそそぐのを、わたしには見届ける責務がある」

「責務……責務か。まったく、重い言葉だな」


 私とクラウディアは、どちらともなく笑った。彼女の笑顔を見るのは初めてだった。


◆ ◆ ◆


 それからの出来事は、あまりに多すぎて語り尽くせない。

 私は各地に散らばった十二騎士の軍勢と合流しつつ、ガンディール八大公を各個撃破した。


 その最中、ガンディール国内にも不敗将軍を疎む声が少なからずあったことを知った。戦果によって将軍まで上り詰めた彼を、目障りに思っていた者もいたのだ。

 まさしく不敗であることで、彼の将軍はガルシャの民を守っていたのである。それが敗れたとなると、後は言わずもがなだ。

 クラウディアが言うには、ガルシャの民は不敗将軍の死後、散り散りに隠れ住んでいるらしい。


 とはいえ、私の成すことは変わらない。戦場を駆け抜け、あらゆる敵に勝利し続けた。

 いくつもの戦場を越えた私は、いつしかアリオン一世の聖拳にして、不敗将軍の再来と称されたのだった。

 そして八大公を全滅させ――ついには王の凱旋を成し遂げたのである。

 その傍らには、いつもクラウディアがいた。彼女がいなければ、私は闘い抜くことが出来なかったであろう。


 八大公を失ったガンディールは、とうとう滅ぼされることになる。

 こうして大陸中央部の平定を成し遂げた王は、改めてオル=ウェルク国の建国を宣言したのだった。


「戴冠式に出なくて良かったのか?」


 ひとり黄昏れる私に、クラウディアが問い掛ける。神託の巫女より冠を戴く式典は、類を見ないほど贅を尽くしたものだった。


「あのような華やかな場所、私は場違いだ」

「何を言う。お前こそこの戦争一番の功労者ではないか」


 私は首を振った。功労者は王である。王のもとで力を一つに結集したからこそ、我々は勝利出来たのだ。


「政、というやつか」

「しがらみだな」


 クラウディアが盃を差し出す。私は受け取ると、一口に飲み干した。


「王は約束を守っただろう」

「違うな。ジェイル、お前が責務を果たしたのだ」

「物は言い様……か」


 クラウディアはくつくつと笑うと、私の返杯を飲み干す。


「ところで、これからどうするのだ?」


 私は少し思案して、前々から考えていたことを口にした。


「まずは都を離れ、民と共に畑を耕しながら……ゆっくりと武に向き合いたい。そしていずれは伝えるべき者に、身に付けた技を伝えたいと思う」


 王のもとで、新たな国を作る。そこに私の居場所は無いように思えた。もっとも、私もそんなことに興味は無い。

 ただ、これまで磨いた武芸の数々を、私だけで終わらせるのは惜しく思えた。この武技で生き抜いてきた以上、それを次代に伝えることは道理のように感じられたのだ。


「地に足を付け、民と共に、武に生きる……か。お前らしいな」


 クラウディアはしみじみと呟く。

 私は改めてクラウディアと、正面から向かい合った。


「そなたも共に来てくれぬか?」


 真っ直ぐに瞳を見据え、胸の内を伝える。私はクラウディアを好いていた。これから先も、彼女と一緒に歩んでいきたいと思うほどに。


「……断る理由も無い」

「では」


 はにかんだように笑むと、クラウディアは右手を差し出した。


「ただしこの一手、お前が勝ったならな」

「ふっ……ならば負けられぬ」


 差し出された手に、己の右手を掛け合わせる。


「いざ!」

「来い!」


 結果、私はクラウディアを妻に生まれ育った故郷へ帰還することとなった。

 奇しくも出会った時と同じく、緑の月が空に輝き、ロサーラの花が咲く季節のことだった。

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