3-3.そうして明かされた
勇猛で知られるガルシャの民は、何よりも強さと名誉を重んじる。大国ガンディールの侵略戦争において、もっとも激しく抵抗したのがガルシャの民であった。
当初は孤軍奮闘していたガルシャの民だったが、やがて呼応するように各地で先住民族の蜂起が相次いだ。
ガンディールは各地での紛争を終結させるまでに十年もの時を要し、ガルシャの民は実質的に北伐政策を遅らせた要因であるとされている。
――ガンディール戦記より引用――
戦場で命を奪ってきたことなど、いくらでもあった。私も命を取られる覚悟で闘ってきたし、それは敵も同じだっただろう。
しかし私は打てなかった。打てば倒せる好機だったというのに。
(これが、迷いか)
翌晩、私は無心に武術の型を繰り返していた。酒を飲む気にもなれない。
「今宵こそ、その息の根を止めてやる」
「今一度、参る」
その晩も現れた外套の者に――私はまたしても敗北した。肝心なところで拳が、足が止まってしまうのだ。
「何故だ……何故、打たない」
「分からぬ」
苛立たしげに舌打ちすると、外套の者は音も無く姿を消した。
一人きりで、欠け行く緑の月を眺める。月に照らされたあの花はなんと言ったか――兄上ならすぐに答えてくれるのだろうが、私には思い出せなかった。
その翌晩、そのまた翌晩も外套の者は現れ、その度に私は無様に敗れ去った。
幾日もの夜が過ぎ、あれだけ煌々と輝いていた緑の月があとわずかまで欠けた頃。
「また、明日だ」
言い残して去ろうとする外套の者に、私は問い掛けた。
「何故、殺さぬ。私はお前の仇だろうに」
私に引導を渡す機会はいくらでもあった。だというのに外套の者は「また明日」と、それを先延ばしにし続けている。
「それは、わたしにも分からぬ」
わずかになった緑の月を見上げ、外套の者は呟いた。
「ただ……どうしてか、お前の目があのお方と重なるのだ」
「不敗将軍と……」
彼の将軍は、私の手に掛かる前に笑った。あの時の瞳は、得も言われぬ寂しさと、それを満たした充足感を物語っていた。
「だが、これも明日で終わりだ」
「待て、不敗将軍は……!」
闇夜には花の香りだけが漂っている。私は胸を突き動かすような熱を感じた。
新月の夜だった。
外套の者は、手に一振りの剣を持って現れた。
鞘から抜かれたそれは、刃渡り二尺足らずの小振りな両刃剣である。
唯一の明かりであった燭台が倒され、辺りは真の闇にとざされた。
「っ!」
最早、言葉も無かった。
身を屈めた頭上を、致命の刃が通り過ぎる。
剣を持たれて理解した。あの舞うような動きは、武器を持って完成するのだ。
首、股、胴、急所から急所へ、吸い付くように剣が踊る。
「くっ」
ほとんど直感頼りに、私は紙一重で剣舞を躱し続ける。毎夜手合わせをした動きが、脳裏に鮮やかなほど浮かび上がっていた。
「まだ迷うか!」
「うおおっ!」
頭頂に向かい真っ直ぐに振り下ろされた剣。右にも左にも、ましてや後ろにも避けられぬそれを、深く前に踏み込んで受ける。
(私は――!)
不敗将軍との闘いで掴んだ手応えが蘇る。まるで相手の力の流れが見えるかのような感覚。
振り下ろされた手元よりなお深く入り込み、腕を取って剣を奪う。
「はっ!」
剣を奪った一連の動きは止まることなく、流水のごとく脇下への抜き打ちに連なる。剣に生々しい感触。肉を裂き、返り血が飛ぶ。
これ以上無い、空手奪刀の一撃だった。
「……見事、なり」
外套の者が倒れ伏す。足元にはおびただしい血だまり。夜の闇が、血の匂いと荒々しい息づかいで満ちていく。
「待て……」
外套の者は答えない。致命傷だ。このまま捨て置けば、この者は絶命するだろう。
「死なせん……死なせんぞっ!」
血まみれの身体を抱え上げる。存外、軽く柔らかい感触に驚いた。
そうして私は己の命を狙った相手を助けるため、屋敷のある集落までの道を全速力で走った――。
◆ ◆ ◆
薬膳料理を運ぶ手を、思わず滑らせそうになる。彼の者の目が、薄ぼんやりと開かれていたのだ。
あの新月の夜から、すでに四日が経っていた。
「目を覚ましてくれたか」
「ここは……」
外套をまとっていた者は、私の姿を認識した途端に身を跳ね起こした。
「あぐっ」
「無理をするな、傷が開く」
脇腹を抑え、苦痛で歪んだ顔に向かって忠告する。私は薬膳料理を脇机に置くと、椅子に腰掛けた。
「あの状況で、身を捻って急所を外していたとは流石だな」
「ふん……斬られたのなら意味は無い」
「しかし、そなたが女だとは思わなんだ」
“彼女”は己が身に何もまとっていないことに気付くと、慌てて胸元を隠した。
「治療をするため、止む無くな」
すまぬ、と、頭を下げる。少しして、鈴のような声が聞こえた。
「クラウディアだ」
なに? と、聞き返す私に、彼女は語気を強めて言う。
「クラウディア、わたしの名だ」
彼女――クラウディアは、私を睨み付けて名乗った。
「名を聞いたのを、覚えておったのか」
そっぽを向くクラウディア。その白い頬はわずかに赤みがさし、黄土色の髪が幽かに揺れる。
「その髪は……」
私の問いに、クラウディアは下唇を噛んだ。
「不敗将軍――ファデル・デラ・ベルダーは、我らガルシャの民の英雄だった」
聞いたことがあった。大国ガンディールに征服された先住民族のうち、もっとも彼の国を苦しめた部族。
代々一族の者のみに伝わる武術は天下無双と称され、ガルシャの民は老若男女を問わず強者揃いだという。
「不敗将軍が元は征服された一部族の出身だと、噂だけは耳にしたことがあるが……」
「あのお方はガンディールに搾取されるを良しとせず、一族のために闘い、我らの誇りを守ってくださったのだ」
クラウディアが拳を握りしめる。
「それを貴様らは……!! あれが誇り高きガルシャの獅子に対する仕打ちか!?」
「……返す言葉も無い」
我が陣営は、彼の不敗将軍が如何に矮小で取るに足らない相手だったかと、散々に吹聴している。
それによってガンディールの国力が相当に衰えており、近い将来には当方に打倒されるという印象操作が成立していたのだ。
侵略戦争によって領土を拡大してきたガンディールである。実際に寝返る者が出てくるなど、この情報戦は無視出来ないほどに効力を発揮していた。
「尋常な闘いで命を落とすのは仕方の無いこと。しかし武人の誇りまで奪われる謂れは無いっ!」
クラウディアの目から涙が溢れる。如何に彼女が不敗将軍を無念に思っているか、痛いほど伝わってきた。
「それで、私を倒しに来たのか」
「わたしは族長の娘だ。一族の汚名をそそぐ責務がある」
責務、という言葉をクラウディアは使った。それを聞いて、私は自分自身を恥じた。
ならば私の責務は何だ。あの尊敬すべき武人を倒した者として、果たすべき責務が私にはある。
そこから目を背け、あまつさえ田舎に逃げ帰るとは言語道断ではないか。
「クラウディア、そなたには聞いて欲しい。不敗将軍と私の闘い……その全てを」
今も鮮烈に残るあの闘いを、私は初めて自分以外の誰かに語って聞かせた。




