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3-1.そうして気付いた

 運命はいつも、音も無く動き出す。一体どこですれ違ってしまったのか、それすら最早分からなかった。

 一方を立てれば、もう一方が立たない。それ自体はよくあることである。

 現実の物事は、重りの見える天秤のように分かりやすく均衡が取れるとは限らない。それが人と人の関係なら、なおさらだ。

 許してくれとは言わない。だがせめて安らかでいて欲しいと願うのは、身勝手だろうか……。


――擦り切れた手記より抜粋――

 夏の虫が鳴いている。王立学園が夏休みに入って、一週間が経った。

 オル=ウェルク国の夏は、比較的過ごしやすいと言われている。もっとも私自身は他国で過ごしたことはないので、実際のところは分からない。


「今日はミナより早く起きれたわ」


 自慢げに笑うハル。この頃は体力も付いてきたし、それに武術の覚えも早い。

 ハルが学んでいるのは、オル=ウェルク騎士団の正規課目である武術だ。指導するジュディス先生も、筋が良いと褒めていた。

 早朝の学園内を、私とハルは連れ立って走っていた。


「この時間帯でも暑くなってきたね」

「ほんと、だけどジュマより蒸し暑くないから助かる」


 学園生の夏の過ごし方は、二つに分かれる。実家に帰るか、学園に残るかだ。その中でわたしとハルは後者であった。


「ワタシの家は、そんなに余裕があるわけじゃないから」


 ハルはそう言ったが、おそらく私に合わせてくれたのだろう。

 ハルをはじめとする同好会の各員には、私を取り巻く事情について簡単に説明している。

 私はクロッサが王都にいるうちに、可能な限り彼女と手を合わせておきたかった。実家へ帰っている暇など無いのだ。


「今日はクロッサが来てくれる日ね」

「二人の対練を見てると、ワタシなんか気が遠くなっちゃう」


 屋内運動場まで走った私たちは、思い思いに柔軟体操をする。

 この場所は、ジュディス先生が夏のあいだ使えるようにと借りてくれた施設だ。十五人くらいなら存分に身体を動かしても余裕がありそうな広さである。


「ハルも筋が良いから、何かのきっかけで伸びると思うけれど」

「うーん、全然そんな気がしない……でも、ミナがそう言ってくれるなら頑張れそうかな」


 私は型を、ハルは基本動作の練習をしていると、表から声が聞こえてきた。


「遅いぞ小僧!」

「遅い」

「あっ……あんたらがっ……速すぎるんだよっ!」


 入口に顔を出すと、余裕綽々な様子の師匠にクロッサ、息切れしながら倒れ込むセルバンがいた。


「おはようございます、師匠」

「これはお嬢様、遅れて申し訳ございませんでしたな」


 師匠は息一つ切らしていなかった。

 セルバンも居るので幾分かゆっくり走って来たのだろうが、私と同じくらい走れるクロッサと併走してこれなのだから恐れ入る。


「……師匠は、おいくつでしたか?」

「ほっほっ、某の歳など、どうでもよいでしょう」


 カーレン家で師事していた頃より、心なしか若々しく見えた。母の私兵団はさぞかし強靭になったことだろう。

 母に事情を説明した師匠はしばらく私の修行に付き合うことを許され、王都に宿をとって滞在している。


「クロッサもおはよう」

「ん」


 クロッサは片手を軽く上げて応えた。

 劇団員と庭師の仕事、その合間をぬってクロッサは私の鍛練に付き合ってくれている。実力の伯仲している彼女との対練は、得る物も大きかった。


「じゃあ早速……」

「俺には挨拶無しかよ!」


 セルバンが飛び起きる。この男も何故か実家へ帰らず学園に残り、しかも真面目に鍛練に顔を出していた。


「ああ、居たんですね」

「俺にだけ余所余所しくないか……?」

「自分の胸に聞きなさい」


 セルバンは言葉を飲み込み、うなだれた。

 正直に言うと、彼の努力自体は認めている。口で言うのは簡単だが、毎日鍛練を続けるというのは生半可なことではない。


「おはよう、セルバン」

「お、おう……おはよう」


 ハルが自然にセルバンと挨拶を交わすようになったのは、いつからだっただろう。セルバンはまだ負い目を感じているようだが、私もそろそろ彼を許して良いのかもしれない。


「どれ、準備体操代わりに一つ揉んであげましょう。かかってきなさい」

「目が怖ぇんだけど……」


 セルバンが思いのほか鋭い突きを放つようになっていたのには、少々驚かされた。もっとも、私との実力差は歴然としていたのだが。


◆ ◆ ◆


 クロッサに来てもらう日は、実戦形式の対練が中心となる。師匠とクロッサ、それぞれと代わる代わる手合わせし続けるのだ。

 ほとんど休みなく行うので、ハルとセルバンからは信じられないといった目で見られている。


「皆さん、今日も精が出ますね!」


 時刻も昼に差し掛かろうかという頃、ジュディス先生が運動場に顔を出した。


「これはジュディス殿、お世話になっております」

「いえいえ、本当はこちらで面倒見るところ、むしろお礼を言わなければ」


 ジュディス先生は色々と仕事が立て込んでいるとのことで、夏の間は隔日での参加となっている。それでも時間を作っては、こうして様子を見に来てくれるのだ。

 ハルが「夏休みなのに」と言うと、「先生は皆さんがお休みでもお仕事なんですよ……」と、虚しさに満ちた表情で答えていた。


「ではお嬢様、今日はこれくらいにしておきましょうか」

「師匠、クロッサ、ありがとうございました」


 師匠とクロッサに一礼する。振り向くと、セルバンは体力を使い果たしてひっくり返っていた。


「なんじゃ、情けないのう」

「情けない」

「ぜぇ……ぜぇ……っ」


 師匠とクロッサが煽るのにも答えられない。セルバンは徹底的に体力増強の鍛練をさせられていた。

 私も昔やった鍛練(今も継続している)だが、あれは確かにつらい。


「あの、お師匠様」

「何ですかな?」


 ハルが師匠に質問をする。こうした光景も、見慣れたものになりつつあった。


(同好会なんて――最初はそう思ったけれど)


「たまには皆でお昼でもどうですか? 先生、いいお店を知ってるんですよ」


 ジュディス先生の提案に、一同が賛成する。


「ミナ、置いて行くよ!」


 先に歩き出していたハルが、私を呼んだ。

 皆が私の方を見ている。


「ごめん、すぐ行く」


 今、気付いた。私は――この空間が好きだ。

 これが永遠に続くものではないと分かっていながら、私は“いつまでも”と、願わずにはいられなかった。

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