2-10.そうして邂逅した
ジェイル王子の消息については諸説ある。その中には、処刑を免れたジェイル王子は北に渡り、ガンディール国の残党と合流して後のディガルシャ国の礎を築いた――などという説もある。
あくまで先人の抱いた浪漫のような説だが、私はそこに魅力を感じずにはいられなかった。
異様な存在感のある男だった。にもかかわらず、今の今まで存在に気付けなかった。
身の丈が六尺はある、大柄な男。衣服の上からも、その発達した筋肉が分かる。
「誰……ですか?」
「オレのことは、そうだな。エンデでいい」
男――エンデは、まるで感情が読み取れない目をして言った。薄灰の瞳は造り物のように生気が無い。
年の頃は二十前後。死人の如き白い肌に、黄土色の髪。身にまとう衣類の生地感からして、高い身分であることが見て取れる。
「……師匠」
クロッサは怯えた表情でエンデを見ていた。では、この男が我が師ハガードの弟子――私の兄弟子なのか。
「情けない顔だな」
エンデはクロッサの前に近づくと、その頬を容赦なく叩いた。口の端から血を飛ばしたクロッサは、力なくうなだれる。
「何をするっ!」
「おっと、カーレン家のご令嬢は他人の師弟関係に口を出すのかな?」
射すくめるような殺気。間違いなくあの時、早朝の自主鍛錬中に感じたものだった。あれはクロッサではなかったのだ。
「私のことを……?」
「悪いが監視させてもらっていた」
背筋に悪寒が走る。
見られていた? いつから?
「あの四対一の立ち回りからな」
私の心を読んだかのように、エンデは言った。
四対一の立ち回りとは、セルバンとその一味がハルを取り囲んだ一件だ。あれから私は、この男に監視されていたのか。
「ま、四六時中ってわけじゃあない。ほとんどは配下に監視させていた」
エンデは冗談っぽく「オレは忙しいんでな」と、付け加えた。
「何が、目的だ」
「好いた相手を見るのに目的が必要か?」
「はぁっ……!?」
何を言っているのだ、この男は。まるで読めない。今のも本心ではないだろう。
「すまない、からかい過ぎた。だが好いているのは本当のことだ」
エンデは薄ら笑いを浮かべると、私を上から下まで舐め回すように見た。蛇のように這う視線に、怖気がする。
「オレは強い者が好きだからな。それにカーレン家のご令嬢なんていう、強さに見合った血統もお持ちだ」
本能的に直感した。この男は危険だ。私は身構えるように、左腕を持ち上げた。
「まともに構えも取れないほど、痛めつけられたか。弟子の評価を見直すべきかな」
間合いに入った。私は一歩踏み込んで左拳を繰り出す。
「ぐっ!」
「いい突きだ。ますます気に入った」
岩を叩いたような感触。それほどまでにエンデの腹筋は堅かった。
いくら体力を使い果たしているとはいえ、防御すらされないのは屈辱である。
「師匠……それ以上は」
クロッサが間に入ろうとする。おずおずと自信の無い様は、闘っていた時とは別人のようだ。
「お前がオレ意見するとはな」
言うが否や、刈り取るような蹴りがクロッサを襲う。横から脚を蹴られたクロッサは、文字通り半回転した。
「ぶぐぅっ!」
宙に浮いたクロッサの腹に、恐るべき拳打が突き刺さる。あまりの衝撃に一間ほど吹き飛ばされたクロッサは、そのまま地面に倒れ伏して動かなくなった。
「なっ……!?」
一瞬の出来事を理解するのに、私は時間を要した。そして理解する頃には、恐怖に襲われた。
「怖がるなよ、お嬢様。心配しなくてもお前にこんなことはしない」
エンデはそう言うと、私の顎をくいと持ち上げた。思わず身震いする。彫刻のように整った顔は、人間では無い印象を私に与えた。
「近く正式に求婚させてもらう。お前より強い男だ、文句は無いだろう?」
エンデは私の額に口づけると、背を向けて歩き出した。
「ま、待てっ」
「言っただろう、オレは忙しいんだ」
後ろ手を振って、エンデは去って行く。
「逃げるなっ!」
私の足は動かない。もう、自分でも分かっていた。私は見逃してもらったのだ。
「逃げるなぁっ……!!」
エンデの高笑いが遠ざかる。後に残されたのは、私の虚勢だけだった。
◆ ◆ ◆
今まで、誰かを怖いと思ったことなど無かった。エンデと名乗ったあの男――認めよう、私はやつの底知れなさに恐怖を感じている。
「ん……」
「クロッサ!」
クロッサが目を覚ます。エンデが去った後、私はクロッサを抱えて学園の医務室に運び込んだのだ。
学生の急病にも対応できるよう、医務室には休日でも校医が駐在している。
「ここ、は……?」
「大丈夫!? 気分は悪くない!?」
矢継ぎ早に質問していると、校医が飛んできて私をたしなめた。
「……心配かけた」
「いいえ、意識を取り戻して良かった」
お互い、横並びの寝台に寝かされている。私もクロッサとの立ち合いで、結構な負傷をしているのだ。
「……っと」
「ん……」
言葉を探し合う。何から聞けばいいのか、それとも話せばいいのか、考えあぐねているうちに意外な来客があった。
「お嬢様、ご無事ですか!」
「師匠!?」
医務室に飛び込んで来たのは、師匠ことハガード・ミズリジルだった。
「おじいちゃん」
「お主……クロッサか?」
「師匠……!?」
おじいちゃん? 師匠が?
理解が追いつかない私に、師匠が問い掛ける。
「その様子、あやつと会うたのですな。某の手紙は届くのが遅かったか……」
「手紙? それより師匠、どうにも事情が。あの男、エンデは本当に私の兄弟子なのですか? それに、クロッサとはどのような」
椅子を近くまで持ってくると、師匠はそれに腰掛けた。
「エンデ、やはりそうか。何から話せばよいか……あやつはお嬢様に何と?」
「近く、正式に求婚すると」
師匠は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「まずは、あやつの素性についてお話し致しましょう」
そうして師匠から語られたのは、思いもよらない身分だった。
「あやつの名はエンデローグ・オズ・ディガルシャ。ディガルシャ国の第十三王子にございます」
まさか、北の王子だったとは。だがそれで腑に落ちた部分もある。カーレン家はオル=ウェルク国において、王族を除けば序列第二位ともいえる家柄である。
しかし一国の王子をあやつ呼ばわりとは、師匠の方にも何か因縁がありそうだった。
「つまりあの男は、私というよりカーレン家の身分が目当てなのですね。しかし父上と母上がそんなことをお認めになるとは思えませんが」
「そのことなのですが……」
師匠が気まずそうに口ごもる。こんな態度の師匠を見るのは、はじめてだ。その理由はすぐに分かった。
「……もう一度言っていただいても?」
「“ミナスティリア・フィナ・カーレンと立ち合い勝利した者を、彼の者の伴侶とする”――正式に公示されたお嬢様の婚姻条件にございます」
目眩がした。誕生会の席でわずらわしい申し出を断るために言ったことが、私の預かり知らぬところで約束事になっていたのだ。
「この条件なら当面安心だと、お二方とも納得されておったのですが……まさか他国の王子が目をつけるとは思いもよらなんだでしょうな」
父上と母上の無駄にいい笑顔が思い浮かぶ。
「では、近いうちにあの男と立ち合い、私が敗れれば婚姻が成立するのですね?」
「そうなりますな」
問題は、それがいつかだ。今の私では、万全の状態であったとしてもあの男には勝てないだろう。
けれど、やつと婚姻してお飾りのように扱われるなんてまっぴらごめんだ。
「“ただし彼の者が成人の儀を迎えてからとする”――少なくとも、時間はまだあります」
成人の儀が執り行われるまでには、半年以上ある。それまでにあの男を倒せるまでの力を付ければ良いのだ。
「師匠、修行に付き合ってくださいますか?」
「どれほどお役に立てるかは、分かりませんが」
「クロッサのことも説明してくださいね。“おじいちゃん”」
師匠が狼狽する。気になることはまだまだあるが、やるべきことは分かっていた。
見逃された借りは、必ず返す。私は決意に拳を握りしめた。




