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2-8.そうして掛け合わせた

拝啓 初夏の風に肌も汗ばむ頃となりました。この度は丁寧なお手紙をいただき、まことに感謝申し上げます。御母堂の私兵団は士気が高く、某も指導に熱が入り、若返るような思いでございます。


 さて、過日のお手紙について、そのクロサンドラ殿の師について思い当たるのは一人しかおりませぬ。

 と、言うよりも、某が武術の手ほどきをしたのは、お嬢様を除けばその者しかいないのです。

 もっとも、一般に師弟といえる関係ではございませんでした。某がまだディガルシャ国の軍に居りました頃、軍務の合間にわずかばかり武術指南を致したまでの次第です。


 彼の者は、危険な男です。本来なら武術を学ばせてはいけないほどに。

 しかし強い。持って生まれた身体の強靭さに加えて、たぐい稀な天稟を持っております。事実、某が決して教えはしなかった技の数々を、彼の者は垣間見ただけで体得してしまったのですから。


 クロサンドラ殿が本当にその者の弟子かは、判断が付きませぬ。ですが、もしそうであるならば、かかわり合いになるべきではございません。


 努々無茶はなさらぬよう、どうかお願い申し上げます。


                    敬具


  新暦三十九年 ユネンの月 二十四日


            ハガード・ミズリジル


 ミナスティリア・フィナ・カーレン様

 双方が右手右足を前に出し、前手の手首と手首を掛け合わせる。古流に則った立ち合い方法は、師匠との修行で稽古として行ったものと同じだ。


「はっ!?」


 風が頬をかすめる。掛け合わせた右手を、左手で押し下げながらの右拳。

 クロサンドラの初手は、意識する間も無いほど速く眼前に迫った。

 反射的に動いた左手でそれを受け、間髪入れず正拳に変化させる。受即攻の、鼻っ柱を狙った一撃だ。

 クロサンドラはそれを深く腰を落としながら左腕で受け外し、私の懐に踏み込む。


(やられるっ!)


 こちらも腰を深く落とし、右手でクロサンドラの身体を抑えながら右前蹴りを放つ。

 しかしそれは空振りした。クロサンドラは私の右手に押されるまま半身になり、蹴りを避けたのだ。


「くっ!」


 右脚を掴まれ、そのまま押し倒されそうになる。咄嗟に左脚を跳ね上げ、側面からクロサンドラの頭に蹴りを見舞った。


(これも避けるかっ)


 クロサンドラはまるで分かっていたかのように、上体を逸らして躱した。

 距離が離れ、仕切り直しになる。


「っ!」


 右足首に鈍痛。左の蹴りを避ける際に、クロサンドラが捻ったのだ。壊されてはいないが、動きを制限されるには十分に思えた。


「もう一度」


 クロサンドラは再び右腕を前に差し出した。無表情で感情が読み取れない。

 私を試しているのか、それとも別の思惑があるのか。


「面白い」


 先の一合はクロサンドラに軍配が上がったが、まだ勝負は決していない。

 もう一度、お互いの手首を掛け合わせて向かい合う。


(今度はこちらからっ)


 クロサンドラの右腕を、内から左小手で押し退けながらの右裏拳打ち。

 左手の受けに阻まれるが、拳を翻して右脇腹を狙う。


「ちっ」


 クロサンドラの右腕に阻まれる。だが一連の攻防で顔面が空いた。


「はっ!」


 一歩踏み込みながら左正拳をねじ込む。右足首に痛みが走るも、好機は逃せない。


(届かないっ)


 クロサンドラの奥脚による蹴りが、私の前進を止めたのだ。

 それでも私の踏み込みが予想以上に速かったのだろう。威力の乗り切らない蹴りで、負傷は無い。


「もう一度、付き合ってくださる?」


 右腕を差し出す。こちらとて、やられっぱなしは性に合わない。


「次は無い」


 クロサンドラはわずかに笑みを浮かべた。はじめて引き出せた表情に胸が弾む。


「そんな顔も出来るんだ」

「……うるさい」


 そうして改めて手首を掛け合わせた。先ほどよりもクロサンドラの顔がよく見える。

 隠し切れない高揚に、私は嬉しくなった。


(やっとまともに、私を見たな)


 呼吸を読むことに意識を集中していく。世界に二人だけでいるような錯覚。周囲の音が消え去り、全身全霊をただ眼前の相手に捧げる。


(闘うことは、究極の献身なのかもしれない)


 拳が視界すれすれを通り過ぎる。

 右拳、左拳、内から、外から、中足、膝、肘。

 目まぐるしい打突の応酬は、さながら音楽のようだ。

 クロサンドラの拍子が変わると、私もそれに付いていく。私の拍子に、今度はクロサンドラが応える。

 相手の拍子を崩そうと、手を変え品を変え、攻防が連続していく。


「「せあっ!」」


 同時に放たれた渾身の正拳は、互いの掌に阻まれた。同時にたたらを踏み、掛け合わせた手が離れる。


「これで……少しは見直して貰えた?」

「見くびっていたことは、認める」


 そこに傲りは一切無い。まさしく武人といえる気質の持ち主だ。


「だから本気でいく」


 クロサンドラはそう言うと、はじめて構えを見せた。天地に広げられた両掌。右手は顔面を、左手は下腹部を守る、大蛇の顎を思わせる構え。

 ジェイル王子の夢で見た、不敗将軍の構えと生き写しだった。


「ならば私も、本気で応える」


 私は右足を半歩踏み出し、軽く腰を落とした自然体で正対した。クロサンドラのひりつくような闘気が肌を刺す。


「いざ」

「尋常に」


 どちらともなく、距離を詰める。これはわずかな間合いを取り合う闘いだ。それこそ足指一本分の差が勝負を分ける。


「しっ!」


 先手を打ったのは私だ。瞬の入身で右拳を突き出す。


(これは)


 空を打った。そう錯覚するほど抵抗無く、拳を取られる――この技を“私”は知っている。


「なっ!?」


 クロサンドラが驚愕する。私は流れに逆らわず、腕を捻られる方向へ正転して関節技から逃れた。


「ここっ!」


 すかさず間合いを詰め、追撃の左拳を放つ。それをクロサンドラは間合いを外して避けた。


「……どうして」


 クロサンドラの瞳に憎悪が浮かぶ。途端に、先のやり取りは公平でないように思えた。


「嘘だと思ってくれて構わないけれど、私はその技を夢で見たことがある」


 はぐらかしていると思われかねない私の答えだったが、クロサンドラは意外にも受け入れた。


「そう。そういうこと」


 構えを取り直す。刹那、クロサンドラが目の前に現れた。遠い間合いを瞬時に詰め、距離感を狂わす歩法だ。


「くっ」


 苦し紛れに出した拳を、クロサンドラは緩やかな動きで躱す。

 二の手、三の手と、繰り出す私の拳はすり抜けるように当たらない。

 それは風にたゆたう花弁か、流水に浮く落葉を捉えようとするのに似ている。


(これはまるで――)


 舞踊だ。

 私は理解した。夢に見た不敗将軍の柔らかな手は、完全ではなかったのだ。

 この動き、クロサンドラの舞うような動きこそが、完成形に近いのだろう。


「くあっ!」


 突き出した左拳の勢いを利用され、投げられる。柔らかい土の上といえど、呼吸が浅くなった。

 距離感を置いて、クロサンドラを観察する。構えを解き、自然体で立っている姿に隙は無い。


(何をやっているんだ、私は)


 両手で自分の頬を叩き、気を取り直す。いつの間にか己をジェイル王子、クロサンドラを不敗将軍に重ねていたが、今闘っているのは私自身だ。


「闘士武勲伝 第十五章 六節」


 一節を読み上げ、気合を入れる。


「越えるべきを超えてこその闘いだ」


 私は、私の力でクロサンドラに勝つのだ。

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