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2-4.そうして予感した

 アセス渓谷にてアリオン一世が不敗将軍を破った後、弟のジェイル王子はしばらく戦場から離れたという。

 歴史学者はこの時から謀反の準備を進めていたのだと言うが、果たしてそうだろうか?

 我々は“聖剣に刃こぼれが生じた”という初版の記述を、軽く考えてはいないだろうか。

 目を覚ますとそこはアセス渓谷ではなく、いつも通りの寮室だった。

 “私”がミナスティリア・フィナ・カーレンであることも変わらない。なのに、ジェイル王子が掴んだ手応えは私にも鮮明に残っていた。

 あの感覚は、私も知っている。師匠との修行で確かに掴んだ感覚だ。

 時間はいつも通りの早朝。ハルのすやすやという寝息が、かすかに聞こえる。

 ジェイル王子の夢を見るのは久しぶりだった。ここまではっきりと夢を体験したのは、ひょっとすると初めてかもしれない。


「どうして」


 いつの間にか流れていた涙を拭う。ジェイル王子の孤独が、まるで自分のものと感じられていた。

 ある時期までのジェイル王子の記憶を受け継いでいる私だが、これまで彼の感情に共感することは無かった。

 己の強さにしか興味のない、文字通りの求道者。その印象が揺らいだことに少なからず戸惑う。


「ふあ……もう朝?」


 ハルが寝ぼけまなこで呟く。起こしてしまったようで、申し訳ないことをした。


「今日は特別指導も休みだから、まだ寝ててもいいよ」

「そっか……おやすみ……」


 再びハルは眠ったようだ。一方の私は、もう一度床に入る気分にはなれなかった。


◆ ◆ ◆


 早朝の学園内を、いつも通りに走る。今日は休日ということもあって、普段なら目にする使用人たちの姿もまばらだった。

 ジュディス先生もいないので、私は遠慮なく自分の調子で走る。


「はっ、はっ」


 おおよそ一里走った頃だろうか。私は気配を感じていた。

 何者かが間隔を詰めぬように、私と同じ調子で少し後ろを走っているのだ。


(面白い)


 今の私の調子は、ジュディス先生ですら遅れるほどの速さだ。それについて来れるとはただ者ではない。

 私はもう少し調子を上げてみた。それでも気配は途絶えず、同じように調子を上げてついて来る。


(どこまでついて来れるか、試してみよう)


 私は調子を落とさず、普段の周回路を駆ける。早朝の澄んだ空気は、あの夢の寂しさをいくらか慰めてくれた。

 そうして、もう一里ほど走った時だった。背後の気配が不意に消えたのである。


「っ!?」


 即座に振り返るが、そこには並木道が続くだけで、人影は見つからなかった。

 断じて気のせいではない。先刻まで私の後ろを誰かが走っていたのは確かだ。


「消えた?」


 気を尖らせて周囲の様子を探ってみるが、やはり誰もいない。

 学園の敷地内ということは、同じ生徒か、教師か、あるいは使用人か。はたまたそれ以外かもしれない。

 だが、気配が消える前に感じたあれは――殺気だ。敵意と言い換えてもいい。


(何者かは分からないけれど)


 挑んでくるのならば、受けて立つまでだ。

 まだ見ぬ強者の気配に、私は不気味さ以上に期待を覚えていた。


◆ ◆ ◆


 普段より多くの鍛練をこなしてから寮室に戻ると、ハルがお冠だった。


「今日はみんなで闘士武勲伝の公演を見に行くって言ってたでしょう!?」

「っ! そうだった!」


 今日は件の武術同好会で、闘士武勲伝の復活公演を見に行く約束をしていた。

 時刻を確認すると、まもなく出発しなければならない刻限だ。


「ええっと、着替えと、身だしなみと、それから」

「全部用意しといたから、急いで!」


 ハルに促されるがまま外出の準備を整え、私たちは大急ぎで寮室を飛び出した。

 少なくとも、私はまだ孤独ではない。


 学園の正門には、すでにジュディス先生の姿があった。それと、セルバンの姿も。


「時間ぴったりですね。でも待ち合わせというのは、約束の刻限より早く来るべきであって……」

「先生、公演に遅れてしまいますっ」


 くどくどと説教を始めたジュディス先生を、ハルがなだめてくれる。


「それもそうですね。何せ今日は」


 待望の復活公演!

 私とハル、ジュディス先生は声を揃えて言った。

 闘士武勲伝は、演目としては珍しいものではない。しかし今回の公演は“主演出来るものがいない”という理由で長らく封じられていた、再翻案の方である。

 アリオン一世は実は女性だった――という筋書きの、私が五歳の頃に流行った舞台だ。


「主演のルウェティア・ジーンは、西方で行われた武術大会の優勝者だとか」

「先生としては、いつかナイーダ様が演じてくれればと思っていたのだけれど……」

「あの母に演劇が出来る繊細さはありませんよ」


 母に聞かれたなら、雷が落ちそうである。劇場までの道中、私たちは思い思いに観劇への期待を口にしていた。

 セルバンはさすがにこの会話へは加わりづらそうだ。手持ち無沙汰な様子で歩いている。


「そんなに面白いのかよ、闘士武勲伝ってのは」


 ぼそりとセルバンが呟いたのを、私たちは聞き逃さなかった。


「逆に問いますが、セルバン君は闘士武勲伝に触れたことが無いのですか?」

「全然っす。親が厳しくて」


 ジュディス先生の問いかけに、セルバンはぶっきらぼうに答えた。

 ジュディス先生の声に熱が入る。


「それは大変、大変な損失ですよ! でも安心してください、今日はこの作品の魅力を先生がたっぷりと教えてあげます!」

「まずは原典から読むべきですよね」

「ワタシとしは副読本を読ませて、興味の出た章から読ませてみるのが……」


 結局、劇場に到着するまでセルバンへの布教は続いたのであった。

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