2-2.そうして解き放たれた
オル=ウェルク建国記によると、窮地に陥ったアリオン一世は聖剣を振るい、山を斬り裂いたという。
目の前で起きた奇跡に、不敗将軍ファデル・デラ・ベルダーは戦慄し、オル=ウェルクの騎士たちは戦意を昂揚させた。
そうして圧倒的不利を聖剣の奇跡をもって覆し、アリオン一世は見事不敗将軍を討ち取り、挟撃を突破し生還を果たしたのである。
王の弟という立場、十二騎士としての立場、そういったしがらみを象徴していたのかもしれない。
甲冑から解き放たれた私は、まさしく獣であった。
瞬く間に見上げる程の崖を登り切り、最短距離を最速で駆け抜け、眼下に不敗将軍の軍勢を捉える。
幾度か戦場で相まみえたことはあるが、不敗将軍ほど戦慄を覚える相手は無い。兵を用いる以前に、個としての戦力がすでに図抜けているのだ。
ふと、不敗将軍と目が合った気がした。馬鹿な、と思いながらも、恐らく気付かれた。
なれば先手必勝である。
私は木々の間を抜け、崖から飛び降りた。
「来るぞ」
「は? 来るとは……」
側近が言い終える前に、不敗将軍の軍勢は私の強襲を受けることになる。
飛び降り様、騎士の首を蹴りでへし折りながら私はさらに跳躍した。
「て、敵襲!!」
「なんだあれは!?」
騎馬と騎馬との間を飛び石の如く移りながら、私は不敗将軍に向かって蹴り進んでいく。
剣も槍も、ましてや矢も、私の姿を捉えることさえ出来なかった。
一騎、二騎、三騎、痛みすら感じる間もなく葬り去り、私は颶風となって戦場を駆け抜ける。
「不敗将軍、覚悟!」
馬上から叩き落すよう、右掌を突き出す。
「将軍!」
が、それは横から割り込んだ側近に阻まれた。
不敗将軍の身代わりとなった側近を、地に叩きつけながらその喉に膝を落とす。側近は一撃で絶命した。
「来ると思っていたぞ、ジェイル・アル・ウェルク!」
目の前で側近を屠られたにも拘らず、不敗将軍は裂けるような笑みを浮かべていた。
「しかし文字通り身一つで、まさか空から降って来るとは思わなんだがな」
「その首、取らせて貰う」
側近を仕留めて動きの止まった私に、一本の矢が放たれる。それを私は、無造作に掴んで投げ返した。
「挑戦状といったところか?」
矢は不敗将軍の頬を裂き、射手の喉を貫いた。朱い飛沫が散り、不敗将軍はますますその笑みを吊り上げる。
「お前たち、手出しは無用だ。この男は我が仕留める」
周囲の兵を下がらせると、不敗将軍は私に向かい合った。
一騎討ちである。
こうして一対一で向き合うことは初めてだったが、改めて恐怖に背筋が凍る。逆立つような黄土色の髪に、狼のような薄灰の瞳。馬上ゆえに正確なところは分からないが、身の丈は七尺を超えようという巨大な男である。
「行くぞ!!」
馬を駆り、不敗将軍が突撃してくる。
獲物は長大な槍だ。幾多の兵を突き殺してきた将軍自慢の業物である。流石にこれを受け止めるのは、骨が折れる。
私は跳躍することで、突き出された槍を外す。そして馬上の不敗将軍に一撃を加えようと――身震いした。
「何!?」
馬上にはすでに不敗将軍の姿は無かったのだ。
槍を投げ様に飛び上がっていた不敗将軍は、私の更に上を取っていた。
「死ねぃ!!」
「ぬうっ!!」
抜剣した刃が、頭上から迫る。空中ゆえに身動きを取れない私は、なんとか体を捻って致命傷を避けるほか無かった。
皮一枚を斬らせて、互いに地に足を着ける。私とてただでは上は取らせない。
「……やはり面白い」
交錯する刹那、不敗将軍の左脇下に寸打を与えたのだ。堅牢な甲冑を身に着けていても、脇下は守り切れない。
骨までは折れなかったが、少しは剣を鈍らせることが出来よう。
「どうだジェイルよ、我が軍門に下らぬか」
「世迷い言を」
「我は本気だ。貴公の望むだけ、力を振るえる戦場を与えてやるぞ」
口を動かしながらも、不敗将軍の目には少しの油断も無い。虎視眈々と私の隙を窺っている。
「貴公はまるで野犬よ。何時如何なる時も、牙を剥く相手を探している。違うか?」
「我が拳は王の為に振るう。それを野犬の牙などと、愚弄するつもりか」
安い挑発だが、これ以上は相手に主導権を握らせることになる。
私は地を蹴ると、不敗将軍に肉薄した。
「ぬりゃ!!」
迎撃の剣を身を沈めることでやり過ごし、足払いを仕掛ける。
地を這う如きそれを、不敗将軍は軽く飛び上がることで避けた。
「せあぁ!!」
すかさず足を変え、逆立ちするようにして中空の不敗将軍へ蹴りを追撃する。
「ぐふっ!!」
防御した腕の上から蹴り上げ、吹っ飛ばす。しかし流石は不敗将軍である。
蹴られた反動をもって、後方へ宙返りして着地した。距離が開き、攻防は仕切り直しとなる。
「やはり惜しい……もう一度聞くが、我が軍門に下らぬか」
「くどい」
「そうか……ならば仕方あるまい」
不敗将軍は手にした剣を地に突き刺した。地を揺らす程の衝撃が、その剣の重みを物語る。
「貴公の流儀に合わせてやろう。これは手向けと知れ」
身に纏った甲冑を外していく不敗将軍。その下から、古傷にまみれた肉体が現れる。
「戦いの起源は身に何も纏わぬ素手の殺し合い。ゆえに我も裸の業を練っておる」
裂帛の気合いと共に、不敗将軍が構えを取る。天地に広げられた両掌。右手は顔面を、左手は金的を守る、大蛇の顎が如き構えだった。
元々の巨体が、更に大きく見える程の闘気。
「剣や槍を使うより、強いのでは?」
「我にも立場というものがある」
それは奇妙な共感だった。
戦場において武器も持たず向かい合うという異常な状況で、私は確かに目の前の不敗将軍に親近感すら覚えていたのだ。
高まる殺気が溶け合い、濃密な空間を作り出す。
刹那が永遠に、永遠が刹那にも感じられるような、そこはまさしく立ち合う者だけの間にある聖域であった。
次回投稿は一週間以内。




