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2-1.そうして夢を見た

 オル=ウェルク建国記におけるアセス渓谷の戦い。

 大国ガンディールとの戦においても、最も苛烈な戦いであったとされる。

 ルルタイ平原での騎馬戦にて劣勢に追い込まれたアリオン一世は、退却を選ぶ。

 しかし追い込まれた先のアセス渓谷にて、ガンディールの誇る不敗将軍ファデル・デラ・ベルダーの挟撃にあうのだった。

 遠い夢を見ていた。

 どこか懐かしく、それでいて胸を焦がす――果てない夢。

 夢の中で、“私”は一人の武人であった。


「つまりは前門の虎後門の狼というわけですね」

 

 追い込まれたそこは、切り立った崖に囲まれた渓谷であった。

 背後からは敵軍の追っ手三千が迫り、そして正面にはかの不敗将軍ファデル・デラ・ベルダーの率いる精鋭五千が待ち構えている。

 斥候の報告には、さすがの騎士たちも顔に絶望の色を浮かべた。

 当方二千の兵に対して、敵は前後合わせて八千である。


「だがあまりにも出来過ぎている」

「わが軍に、内通者がいるとでも?」


 私はそう思っていた。しかし、それをどうこう言っても仕方がない。私は多くを語らない質であった。


「問題は」


 王がその口を開く。年若くまだ王というほどの威厳は無いが、紛糾していた軍議が静まり返る。


「退却する立場の我々に、前進する以外の活路は無いということです」


 左右の崖はあまりにも険しい。そして私たちは退却戦をしていたのだ。

 追っ手のいる方向へ引き返すことはあり得なかった。


「僭越ながら王よ、あまりにも状況と、相手が悪すぎます」


 事実、前方に待ち構える不敗将軍には幾度も苦渋を飲まされていた。

 万全の状態ですらそうなのだから、退却の最中、兵も馬も疲れ切っているこの状況で勝てる見込みは無い。


「万事休すか……」


 諦めの空気が流れる中、澄んだ声が響き渡った。


「手は一つしかないでしょう」


 声の主――神託の巫女に、一同の視線が集まる。

 面紗に覆われその瞳を窺い知ることは出来ないが、人ならざる威厳を放っているようだった。

 

「巫女よ、何か考えが?」

「不敗将軍の首を取るのです」


 騎士たちの間にざわめきが広がる。

 それは次第に怒りを帯びた嘆きに変わった。


「何を仰るかと思えば!」

「それが出来れば何の苦労もありますまい!」


 はっきりとは口にしないまでも、神託の巫女に向けられる侮蔑。それらを打ち消すように、私は重い口を開いた。


「だが、それしかないであろう」


 騎士たちは皆、口を噤んだ。それしかないことは、誰も痛いほど分かっているのだ。

 だが、それをどうやって為すのか。それだけが問題だった。


「ジェイル、お前ならやれると?」


 王の問いに、私は目で答えた。幾多の苦難を共に乗り越えた兄弟の間に、言葉は必要なかったのだ。


「王、正気ですか!?」

「王子こそが内通者なのでは!?」

「そうだ、首を取るなどと大言を吐いて、ここから逃げるつもりなのだ!!」


 一度生じた疑念は、そう易々と消えない。

 しかしそんな側近たちを、王は一言で納めてしまった。


「ならば巫女に誓いを立てよう」


 神託の巫女には、神から授けられた真眼が宿る。

 その目を前にしては、何人も己を偽ることが出来ないのである。

 それで済むなら、と、私は巫女の前に進み出る。


「王子ジェイル、不敗将軍を討ち取り、帰還すると誓いますか?」

「誓う」


 巫女の目を見据え、私は答えた。

 そこに一切の嘘は無い。


「ここに誓いは立てられました」


 オル=ウェルクの騎士にとって、神託の巫女は“ある意味では”王以上に畏れ多い存在である。

 その巫女に誓いを立てたことで、騎士たちは留飲を下げた。


「それで、方法は?」


 王が改めて私に問う。


「この崖を登り、山間を通って上から仕掛けます」


 単純明快な回答だった。

 この入り組んだ渓谷であろうと、最短距離を行けば自軍より遥かに速く敵陣へ切り込める。


「いかに不敗将軍といえど、頭上から襲われた経験はありますまい」

「しかし、このような切り立った崖を登るのは容易ではありませんぞ」


 口を挟む騎士に、私は答える。


「甲冑を脱げば問題なかろう」

「ではどうやって敵の剣を、矢を防ぐと?」

「躱せばよいだけのこと」


 私の中に一切の揺らぎは存在しなかった。

 あるのは日々の鍛錬に裏打ちされた、確固たる自信。鍛え上げた己が身に対する、絶対的な自負である。


「何を馬鹿な……それでは死にに行くのとどう違う!?」

「王、やはりお改めを!」


 再び紛糾する騎士たちを、今度は王が一喝した。


「王として、わたしはジェイルを信じこの命を託します」


 王に反論する騎士は、一人もいなかった。

 それは王への尊敬からか、それとも己の死を悟ってかは、分からない。

 だが少なくとも、私に死ぬつもりなど毛頭なかった。


「不敗将軍。奴の首を取れば、この場を切り抜けることが出来ましょう」


 私はそう言いながら、重々しい甲冑を外していく。


「しかし相手は精鋭揃い。たとえ首を取ったとて、混乱は一時的なもの」


 甲冑の下から、鍛え上げられた鋼の肉体が現れた。

 外気に晒され、湯気が立ち上る程である。

 それほどまでにこの難局を前にして、私は猛っていた。


「王よ、わき目も振らず進んでください。決して振り返らず」


 ここさえ切り抜ければ、他の十二騎士率いる援軍と合流することが出来る。

 そうすれば戦局は振り出しに戻るのだ。


「ジェイル、お前に多くを語る必要は無いのでしょう」


 王は馬から降り、私の元まで近づいてきた。


「これは兄として言います。必ず戻ると約束しなさい」

「約束します」

「ならば私は決して振り返らず、お前の作る道を行きます」


 兄弟の間に、固い握手が交わされる。

 そこには今生の別れになるかもしれない悲壮感など、欠片もなかった。


「皆よ、よく聞け! これから我が弟にして十二騎士最強のジェイルが道を拓く! ジェイルは必ず不敗将軍を討ち取る、必ずだ!」


 くじけかけていた騎士たちの胸中に、再び火が宿る。


「生きて故郷の地を踏むまで、我らが誓いは戦女神と共にあり!!」


 勇壮な鬨が上がる。

 私はその声を背に、立ちはだかる崖に手を当てた。

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