0-1.そうして父と母は出会った
~オル=ウェルク建国記~
第一章 第一節
彼の勇壮なるアリオン一世は枯れゆく祖国の土を救うため、神託の巫女と、忠義の騎士たる弟と共に旅立った。
生命の母たる世界樹の枝を求め、果てしない旅路を歩み出したのである。
戦女神はこれを祝福し、彼の王に聖剣を授けた。
創造神が聖杯をかき混ぜた槍より打ち出されたその剣は、王の行く道を照らす一条の光となったのである。
それ自体はよくある話だと思う、それ自体は。
それを語るために、まずは私――ミナスティリア・フィナ・カーレンの生い立ちについて話したいと思う。
私の父であるウォルター・アル・カーレンは、闘士武勲伝が流行する最中――当時六歳の時分、幼いながらも熱烈な愛好家だったらしい。
闘士武勲伝というのは、劇作家ライアス・ブラウンが遡ること二十五年前に書いた戯曲だ。
題材は特に珍しくなく、建国の勇士として知られるアリオン一世の半生を描いたものである。
建国記としてもまとめられているそれは、この騎士の国オル=ウェルクに生まれた者なら誰でも諳じるような物語だ。
だが闘士武勲伝は、劇作家ライアスによる大胆な翻案がなされており、それが当時の男の子たちの心を鷲掴みにしたのだった。
その翻案とは「アリオン一世が携えたという聖剣とは、彼の勇士自身の聖拳――修めた“武術”のことだったのだ!」というものである。
要はアリオン一世が聖剣を振るって起こしたとされる奇跡・伝説・偉業の数々が、実はその身ひとつで成されたものである、という翻案だった。
「己の腕を振るだけで、まるで剣を振るったかのように木を斬り倒した」という逸話から着想を得たのだという。
闘士武勲伝によると、アリオン一世が戦女神から授かったとされる聖剣は、遠い異国の武人に師事した武術であり、八匹の邪龍を討伐したという偉業も、八人の恐るべき武術の使い手たる魔人達を己の五体のみを用いて打ち倒した――ということになるのである。
さて、やんごとなき家柄に生まれた私の父は、気弱というか臆病な質で、あまり人と打ち解けることが出来ない性格であったという。
身体も病弱で、使用人にすら陰口を叩かれるほどだったそうだ。
そんな彼が闘士武勲伝に魅せられたのは、多分に憧れの要素が強かったのだろう。
時は流れて、父が二十一歳の時である。
相変わらず人付き合いの苦手な父は、やんごとなき家柄にも関わらず未だに婚約者もいなかった。
縁談自体は多かったのだが、やれ病だ何だのと理由を付けては断り、逃げ続けていたのだ。
しかし二十一歳の秋、ついに転機が訪れる。
三男坊だった父は、それまで縁談をのらりくらりとかわし続けることも許されていた(というよりも諦められていた)のだが、長男・次男の相次ぐ戦死・病死により 次期当主のお鉢が回ってきたのだった。
ついにどうにもならない状況に陥ったのである。
そして父は、曰く運命の出会いをしたという。
折しも世間は闘士武勲伝が再び流行する最中で、当時最も人気があったとされる二枚目役者ロシュヒ・カジォがアリオン一世を演じることもあって女性人気も大いに高まっていた頃だ。
お忍びで観劇に訪れた父は、そこで母であるナイーダ・フィナ・ローエンスと出会ったのである。
観劇を終えて貴賓席から出て行こうとする時、父は落雷にでも打たれたかのような衝撃を受けたという。
階下の一般客席に、母の姿を見つけたのである。
普段の父からは想像もつかないが、この時ばかりは勇気を振り絞り、一般客席まで駆け下って母に声を掛けたのだという。
さて、私の母もさるやんごとなき家柄に生まれたのだが、少しばかり風変わりなご令嬢であった。
幼い頃から武術百般を好み、常に動き回っていないと気が済まないような質だったらしい。
祖父母はそんな母を“戦女神様の生まれ変わりのようだ”と微笑ましく見ていたそうだが――それは年頃の娘になっても変わらなかった。
暇さえあれば武術の稽古をし、領地内の視察と称しては辺境に繰り出し、最前線で魔物と戦う。
まさしく戦女神のようになってしまった娘は、二十歳を過ぎても婚約者すら見つからず、ついに二十三歳を迎えてしまったのだった。
やんごとなき家柄的には、つまり行き遅れてしまったわけである。
母の名誉のために言っておくが、黙っていれば器量も良く、もちろん縁談はいくつもあった。
しかし口を開けば武術談義、しまいに「では、ひとつ立ち合ってみましょう」とくるものだから、縁談はことごとくお断りされてしまったのである。
そんな武人の母と、ひょろひょろの父。
傍目にはとてもつり合いが取れるように思えないが、そんな二人を繋ぐものがあった。
それこそが闘士武勲伝である。
そもそも母が武術百般にのめり込むようになったのは、生来の気質もさることながら闘士武勲伝によるところが大きいらしい。
二人は初対面ながらも観劇の感想を大いに語らい、同意し、あるいは討論したという。
こうして変わり者同士が出会い、その一年後、当時としてはあり得ないくらい珍しい恋愛結婚という形で縁談がまとまったのである。
まあ、家柄的にはほぼ同格であり、両家とも行き遅れた息子・娘に頭を悩ませていたところだったので、渡りに船という感じだったらしいのだが。
その後、意外に政治的才覚を発揮した父の力もあってカーレン家は益々の栄成を遂げ、母が二十五の歳に兄が、その三年後に私が生まれ、結果的には収まるところに収まったのである。