1-6.そうして目を付けられた
闘士武勲伝 第四章 二節
何人の挑戦を受けずして、武人を名乗るなかれ
翌朝、私は日の出前に目を覚ました。
身体に染み付いた起床時間だ。
向かいの寝台では、ハルがまだ寝息を立てている。
彼女を起こさぬよう、静かに稽古着に着替えた私は、そっと扉を開けて外に出た。
「うん、いい鍛錬になりそう」
学生寮を出た私は、ひとまず見学も兼ねて学園を一周してみることにした。
軽い準備運動の後、私は走り出す。
春先とはいえ、早朝の空気はまだまだ冷たかった。
走りながら、昨日の出来事を思い出す。
まさかハルが、あのような目に遭っていたとは。
あの後、ハルから話は聞いたが、貴族社会のなんと面倒なことかと、私は嘆息した。
ハルの生家――アレイン家は、元はジュマ国の商家だった。
ジュマ国とオル=ウェルク国の間に交易が生まれたのは、実は彼女の祖父の力によるところが大きいらしい。
しかし排他的なジュマ国は、そんなアレイン家を糾弾した。いわく、売国奴であると。
自らも交易による利を得ているにも関わらず、アレイン家の功績はジュマ国の王侯貴族から反感を買っていたのだ。
ジュマ国に居づらくなったアレイン家は、オル=ウェルク国の伝手を頼って貴族の地位を買い、移住を余儀なくされた。
しかし移住先のオル=ウェルク国でも、異国民が貴族になったということで多くの差別を受けることになったらしい。
「金で地位を買った卑しい移民、ね……」
ハルに投げかけられた罵声を思い出し、胸の辺りがむしゃくしゃする。
王立政府の改革が進んだとはいえ、いまだに貴族社会は保守的だ。かつての家柄、血筋に縛られている。
言いようのない気持ち悪さを振り切るように、私は足を速めた。
「あれは……?」
日が昇り始めたころ、私の前方を同じように走る後ろ姿が見えた。
見覚えのある、赤い髪だ。
「うわっ」
「あら、おはようございます」
追いついたその人物は、昨日散々説教をされたジュディス先生だった。
「お、おはようございます」
無視して走り去るのも感じが悪いので、歩調を合わせて隣を走る。
走り慣れているのか、中々速い歩調ではあった。
「昨日はごめんなさい。早とちりしてしまっていたみたいで」
「えっ? あ、いや、とんでもないです」
意外な謝罪の言葉に、私は面食らった。
これほど素直に謝れる人が、あれほど人の話を聞かないのか。
「でもね、貴女は少し我が強すぎると思うの」
「はぁ……」
と、思った矢先これである。
これならいっそ謝らないでいてくれた方が、まだマシだ。
「それに、違うなら違うと、どうして事情を説明しなかったの」
「何度も説明しようとしましたよね?」
「とにかく!」
ジュディス先生は語気を強める。
「貴女の周りではきっと、色んな揉め事が起きる気がするの」
そうして出てきた言葉に、私はもう笑うしかなかった。
「というわけでミナスティリア・フィナ・カーレンさん、貴女には当面の間、特別指導を行います」
「特別指導とは……どんな?」
「そうねぇ、差し当たって……こういうの!」
咄嗟に身を沈めると、頭上をジュディス先生の脚が通り過ぎた。
横から刈り取るように放たれた、蹴りだ。
「ちょっ、何を!?」
慌てて数歩距離を取る。
走っていた体勢から、体重移動をほとんど感じさせずあの蹴りが出るということは、かなりの手練れだ。
「貴女のお母様、ナイーダ様に憧れて武を志した女子が一定数存在することはご存じかしら?」
「初耳です!」
ジュディス先生は軽く調子を取りながら、左半身に構えている。
腰の辺りでゆらゆらと動く左手は、今にも牽制の突きが飛んできそうだ。
「かく言うわたしもその一人! 今ではいっぱしの武術家、おかげ様で二十代後半独身よ!」
「先生が独身なのは、武術が原因では無いと思うのですが……」
「問答無用!」
一歩踏み込み、左拳が飛んでくる。
一発、二発、三発、躱し、いなし、逸らす。
「せいっ!」
腰を捻り、右拳が放たれる。
真正面、軽く腰を落とし万全の状態の私にとって、それに合わせることは容易だった。
「っ……!?」
ジュディス先生の右拳に平行して、一手速く左拳を突き出す。
いつぞや師匠にされた、後の先の交差法だ。
結果、ジュディス先生の右拳は内側から外に弾かれ、私の左拳が先に当たることになる。
「当てませんよ、先生ですし」
左拳をジュディス先生の鼻先で止め、私は勝負が着いたことを暗に促した。
「流石ね……噂に違わない実力だこと」
「あの、その噂というのは?」
お互いに構えを解き、私は率直な疑問を口にした。
「カーレン家のご令嬢は、闘士武勲伝の再翻案に出てくる女性のアリオン一世のように育てられたという噂」
「つまりは?」
「女だてらに大の男を吹っ飛ばす武術の使い手」
間違ってはいないけれども。
むしろその通りではあるけれども。
「見たところ、貴女も毎朝走っているのでしょう?」
「日課ですけれど……まさか」
「これから毎朝、特別指導を受けに来るように」
どっと全身が疲れるような思いだった。
「あと、機会があればナイーダ様にも会わせてくださいね。あくまで学園の教師として、家庭訪問の一環として!」
「それ、私欲ですよね……」
こうして私は、非常に面倒臭い――もとい面倒見の良い先生に目を付けられることになった。
とはいえ、対人相手の稽古が出来ることは少しだけありがたくもある。
あくまで、少しだけだが。
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