1-4.そうして入学式を迎えた
闘士武勲伝 第三章 五節
時として誇りは、命より重い
思えば大変な不安の中、その時を迎えたのだろう。
私はその事に、気付いていなかった。
「ちょっと、もう少し早く歩かないと遅れるわよ」
「ま、まだ心の準備が……」
入学式の会場である礼拝堂を目指す私とハルの歩幅は、対照的であった。
焦れたようにハルが急かすも、私の歩みは中々捗らない。
入学式の刻限は間近に迫っており、他の学生の姿は疎らである。
少なくとも新入生は皆、礼拝堂に行ってしまったようだ。
「まったく、怖いのはこっちの方だっての」
「な、何か?」
「何でもない!」
濃く伸びた木陰に隠れて、ハルの表情はよく見えなかった。
「ほら、早く行くよ」
「待って、置いていかないで!」
ハルの背中を追いかけ、私はようやく礼拝堂に辿り着いた。
◆ ◆ ◆
抜けるように高い天井だった。
さる名工の手によるステンドグラスは、十四翼の創造神を描いたものだ。
フォレス教の創世記を表したそれは、オル=ウェルク建国時にイル=ラセア国から贈られたのだという。
「っ……」
礼拝堂に入るなり、私は先に着席していた新入生の視線を一身に浴びた。
あちこちから囁き声が、ひそひそと上がる。
「あれがカーレン家の……」
「噂より華奢なんだ」
席順は特に決まっていないとのことで、私はハルと空いた席を探した。
しかし、その間も視線と囁き声は絶え間なく注ぎ、居心地の悪さは拭えない。
やがて中ほどに空席を見つけた私は、ハルと二人でそこに座ることにした。
「うっ!」
短い悲鳴に振り向くと、ハルが何かに躓いて転びそうになっていた。
慌ててその体を支えるも、迂闊な私はようやく気付いた。
礼拝堂に入ってからは、私がハルを先導していたのだ。
「あ、ありがとう」
消え入りそうな声。ハルの表情は、明らかに青ざめている。
「大丈夫? 体調でも悪いのでは……」
「な、なんでもないから」
一抹の不安がまとわりつく中、私とハルは着席して開式を待つことにした。
が、その間もハルは身体を小さくして俯いている。
とても先ほどまでの彼女とは思えない。
「……金で地位を買った卑しい移民が」
その理由は、すぐに分かった。
私自身に向けられる目線に気を取られていたが、ハルに向けられるそれは悪意に満ちたものだった。
「移民風情が貴族を名乗るなんてね」
「ここでもカーレン家に媚を売って、浅ましい」
私は世間知らずだった。
そして、何にも気づいていなかったのだ。
何故、ハルが故郷のことを言い淀んだのか。
何故、ハルが怖いと言ったのか。
自分のことばかりで聞き逃していたそれらは、どれもハルの置かれる状況を示すものだった。
「ハル」
私は初めて、彼女を愛称で呼んだ。
微かにハルの長い耳が動いた。
ジュマ国の民は総じて耳が利くと言うが、どれほどの悪意ある囁きをぶつけられたのだろう。
「ゆっくり呼吸をして、胸を張って、背筋を伸ばして」
少し強引に、ハルの細い身体を抱き寄せ、優しく背中を擦る。
震えが少しずつ収まっていくのが分かった。
「ちょ、ちょっと……」
戸惑うハルは、私の手から逃れようとする。が、それは許さない。
「真っ直ぐ前を向いていて」
「何を……」
その時、私は背後から何かが飛んでくるのを感じ取った。
ハルの背中を擦っていた掌を翻し、飛んできた何かを掴む。
「えっ……!?」
背後で驚くような声が聞こえる。
掴み取った物は、どうやら観音折の入学式次第を乱雑に丸めた紙屑のようだった。
当たったところで、怪我はすまい。
怪我はすまいが、どれだけそれがハルの尊厳を侮辱するものか。
ましてや上流階級の子女ともあろう者が、こんな低俗な真似をするのか。
「今の者、起立しなさい」
私は立ち上がると、振り返って紙屑を投げつけた者を睨み付けた。
先ほどの声と飛んできた方向から、誰が投げつけたのか私には分かっていた。
「もう一度言います。これを投げた者、起立しなさい」
私が睨み付けている相手は、紺色の礼服に身を包んだ男子だ。
青み掛かった黒髪に、金色の瞳は恐怖ともつかない感情に染められている。
その顔にはどこかで見覚えがあった。ということは、相応の地位にある家柄の子息だろう。
「今すぐ立て!」
私の声に、男子は針に刺されたかのように飛び起きた。
集まる視線に、ばつの悪そうな表情を浮かべている。
「名乗りなさい」
「せ、セルバン・ガリア・メイスーン」
羞恥によるものか、セルバンは自信無さげに貴族の名乗りを上げた。
メイスーン家といえば、一時は父とその地位を争った程の名家だ。
道理で見覚えがあった訳だが、そんな名家の子息ともあろうものが何と情けない。
私はつかつかと、セルバンの前まで歩み寄った。
気圧されてか、彼は目を合わそうともしない。
「どういう意図でこれを投げつけたのか、そんなことは問いません」
ただ、と、私は付け加える。
「私の“大切な友人”に、二度と同じようなことをしてみなさい」
私は立ち合いの如く、セルバンを真っ直ぐ見据えた。
「私は貴方を決して許しません」
手に持った紙屑を突き返すと、セルバンは何も言えずに椅子へ尻もちをついた。
礼拝堂は水を打ったように静まり返り、囁き声一つ聞こえない。
「こ、こんな真似をして! 妾腹でその地位を得たカーレン家が!」
踵を返して席に戻ろうとする私の背中に、罵声が飛ばされた。
セルバンが悔し紛れに放った言葉だったが、聞き捨てならなかった。
――カーレン家が今の地位にあるのは、父・ウォルターが現王と腹違いの兄弟であるからだ。
そんな根も葉もない噂があることは知っていたが、私だけではなく父のことまで侮辱するとは。
「何を馬鹿なことを! 我が家名を愚弄するつもりですか!」
振り返り、セルバンに再び詰め寄ろうとした。
「これは、一体何事ですか!?」
鋭い声が礼拝堂の入り口から上がる。
学園の教師陣だろう、気付けば開式の時刻を迎えていたのだった。




