第4話 心の扉を開ける鍵(2)
「」は日本語、[]はハル語、『』は脳内共通語です。
メインデッキとのモニター会議が終わって、管理棟を出たばかりのコブは久しぶりにカナメに出会った。
[カナメ?]
驚きの表情が、すぐに痛ましいものを見るような顔になる。
[ちゃんと食べちょるんか? 髪でも切ってこざっぱりすりゃ、ちっとは元気が出ると思うんじゃけど……]
コブは、短く切ったごわごわの髪をぼりぼり掻いた。
[今、食糧を少しばかり分けてもらった]
カナメは低い声で答えると、立ち止まる様子もなく森の中に引き返し始めた。
[やっぱりまだここにおるんか? 今メインデッキと会議が終わったばっかりじゃが、今回見つけた新しい惑星はハルに良う似ちょるという話じゃったぞ。ただ残念ながら先住民がおるき、どうするか悩んじょるようじゃ。中央に戻らんのか?]
[僕には関係ないからね。先住民がいるんなら、仲良く一緒に住むか、無理やり強奪するか、別の惑星を探すかどれかだろ]
どれにも興味がない。
我々は起源の惑星を捨てたのだ。捨てたのはそれだけではない、その上にいたはずのたくさんの動物も植物も人の想いも、すべて捨ててきてしまった。今さら新しい惑星で新しい生活をやり直すだけの気力が彼にはなかった。
[カナメ……今度の惑星はハルに似ているだけじゃねぇんだ。先住民もハル人にそっくりなんだそうじゃ]
立ち去ろうと背を向けたカナメが立ち止まる。
[気にならんか?]
[何が?]
深い紅の瞳が睨みつける。
[ブラキカムっちゅう医者を知っちょるか? 彼は生物の進化についてもよう知っちょってな、違う環境の惑星で生を受けて進化した生き物は、姿形が全く異なることが普通なんだそうじゃ。進化していく過程で取捨選択されていく訳じゃから、同じ選択をする確率はものすご低くなるんじゃと、もしかしたら、爬虫類が進化して文明を持っちょってもおかしくねぇんじゃちほざいとった。服着てコンピューターに向かっちょるトカゲとか想像でくるか? わしには考えられんけんがな]
コブは小さく笑った。
[他の船が着いてたかもしれないって考えている訳だね?]
コブの話は長い。要点よりもそこに至る過程が長すぎるのだ。カナメはうんざりして言った。
そんなことがあるわけがないとカナメは溜息を吐く。他の船が着いていれば、それなりの痕跡があるはずなのだ。それが船の発見ではなく先住民との共通点をあげつらうのであれば、それは見つかっていない証拠ではないか。
同時に六隻の船がハルを脱出した。最初は通信をとりつつ同じ航路をとっていたはずなのだが、結局、この船一隻だけになってしまった。たとえ多少の時期をずらして、その惑星に着いたとして、先に到着した船が見つからない訳がない。
[そう考えるのが自然じゃち、ブラキカムは言っちょる]
[先住民が同じハル人なら、なんの問題もないじゃないか]
[それが、ハルの船が着いたち、証拠の物も無けりゃ、人の中の記憶にも無いんじゃち]
予想どおりだ、カナメは心の中で溜息をつく。
[もう先住民の記憶採取をしているのか?]
コブは頷いた。
――ならば既にその惑星に、相当近付いているのに違いない。
[じゃあ、ハル人じゃないんだろ]
カナメは興味を失ったように立ち去りかけて、ふと思い出したように振り向いた。
[そう言えば、エリアEに変な女の子がいるよね。あれ誰?]
[分からん。ムラサキが連れてきた。面倒見てくれち言われちょるけど、言葉が通じんき、わしも事情はよう知らん。瑞樹ちゅう名前らしい。森の中でムラサキからの頼まれごとをしちょるようじゃ。気にせんでいいき]
ムラサキと聞いて、明らかにカナメの機嫌が悪くなったのに気づいて、コブは首をすくめながらぼそぼそ言った。そうとだけ言うとカナメは森の中に戻って行った。
カナメのムラサキ嫌いはハルにいた頃からの事だ。ハル脱出の時にも、ガルダを守るためにとったムラサキの行動が、カナメをひどく怒らせた。
ガルダは脱出した六隻の船のうちの一つだ。
悪い人じゃないんじゃが……とコブはいつもムラサキを庇ってきたが、今回の件ではムラサキを庇えば庇う程、カナメの態度を悪化させてしまうようなので、それもやめた。
コブは一人盛大な溜息をつく。
カナメは一人になると、さっきコブが説明しようとしていたことに思いを馳せた。
――他の船が先に着く。そんなことがあり得るだろうか? 今近づいている惑星はハルにそっくりだと言う。昔のハルか、末期のハルか、どちらに似ているのか、名前は……
そんなことさえ聞いていなかった。
――聞いてどうする? 新しい惑星なんて糞くらえだ。
一人毒づく。
――大事なものを全部失くしたのに。新しい惑星なんていらない。イラナイ。
* * *
この前とは別の湖のほとりに来た。さっき管理棟で手に入れた食べ物を無造作に口に放り込む。食べなければいいのにと思う。そうすれば終わりにできるのに、なのに体が要求する。腹が立つ。食べれば食べるほど敗北感で惨めな気分になった。おまえはそうまでして生きていたいのかと。
背後でガサガサと木を揺さぶる音がした。カナメはハッとして振り返る。奥の方のポモナの木がゆさゆさと揺れるのが見えた。
「なんで、こんな高いところにしか実がついてないんだろ。あーん、採れない。アレオーレ採ってきてよ」
『採ってきてよ』
『採ってきてよ』
アレオーレは嬉しそうに繰り返す。
「役にたたないなぁ」と瑞樹が言えば、
『役に立たたないなぁ』
『役に立たたないなぁ』とアレオーレも繰り返す。
「しょーがない、登るか」
瑞樹は枝にぶら下がるように手を掛けて登り始める。
『しょーがない、登るか』
『しょーがない、登るか』
パタパタと瑞樹の頭の周りを飛び回る。
「あー、後ちょっと……」
『あー、後ちょっと』
『あー、後ちょっと』
伸ばした手がフルフル震える。ようやく紅く熟れた実の一つに手が届いた。力を込めて引っ張ると紅いモモほどの大きさの実はポトリと手の中に落ちてきた。
やったーと思った瞬間、バランスが崩れた。
「きゃー」
下草になっている低木の上にズササと落っこちる。バキバキと枝の折れる音がして、それきり沈黙した。
アレオーレは、しばらくその周りを所在無げにクルクル回っていたが、カナメがいることに気づいてパタパタとカナメに近寄った。
『瑞樹、落ちた』
『瑞樹、落ちた』
繰り返す。
[そのようだね]
カナメは肩を竦める。
『瑞樹、死んじゃった?』
『瑞樹、死んじゃった?』
アレオーレが、あんまりうるさいので、カナメは渋々生死確認をすることにした。背中から仰向けに落ちたらしい、顔に栗色の髪がかかって表情は見えないが、唸り声が聞こえた。
[大丈夫だ。生きてる]
アレオーレにそう言うと、アレオーレは嬉しそうにまた羽ばたいた。
『瑞樹、生きてる』
『瑞樹、生きてる』
[アレオーレ、お前、この女がそんなに気に入ったのか?]
『瑞樹、好き』
『瑞樹、好き……一緒』
繰り返す。
[何が一緒なんだ?]
『ディモルフォセカ、アイリス、一緒』
アレオーレはそう一言言うと、瑞樹の頭の周りでまたパタパタと飛び回っている。
カナメは息が一瞬止まってしまったかと思う。ディモルフォセカの名前を今まで口にしなかったし、誰もカナメに聞かせなかった。だけど、忘れようとしても忘れられない、その名前……
――アイリスも一緒と言うことは、森の民ということなのだろうか? いや、待てよ。言葉が通じないのはハル人じゃないということか。まさか、新惑星の人間? コブはなんと言っていた? その惑星の先住民はハル人にそっくりだと……そう言ってなかったか?