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第3話 エリアE(2)

「」は日本語、『』は脳内共通言語、つまり言語が違っていても意味が通じる言葉という設定です。

『瑞樹、瑞樹、起きてください。瑞樹』

 誰かが瑞樹を揺さぶって名前を呼んでいた。ゆっくりと目を開ける。辺りは光が落ちて暗くなっていた。淡い電灯が部屋を薄暗く照らしている。

――なんだ、やっぱり夢だったんだ。ちゃんと言葉分かるよ。誰の声だっけ?

 はっと我に返って体を起こす。目に飛び込んできた風景は、瑞樹の部屋ではない。

――夢じゃない?

 再び途方に暮れる。

『瑞樹、大丈夫ですか? コブから連絡を受けて来ました。起こしたくはなかったのですが、私はあまり長い時間ここにいる訳にはいかないのです』

 艶のある黒髪を髷にして結い紫色の奇麗な石のついた髪留めをさし、髪留め以上に鮮やかな紫色の瞳をした美しい女の人が、心配そうに瑞樹を覗き込んでいた。

「あなたは誰?」

『ムラサキと人は呼びます』

「……あの水槽みたいな所から私をここまで運んでくれたのはあなた? 違うよね、いくらなんでもそれは無茶よね。でもあなたの声が聞こえた。運ばれてた時に話しかけてくれた?」

『私が運んだのです、瑞樹。なんでもないことなのです』

 ムラサキは微笑した。

「見かけによらず力持ちなんですね」

 瑞樹は目を丸くする。そしてふと気づく。さっきからムラサキは口を開いていない。

「あの……私、あなたの言葉が分かるって思ってましたけど、あなたしゃべってます? あれ、私、変なこと言ってます……よね」

『私は言語を使って話しているわけではないのですよ。さっきからあなたの脳に直接コンタクトしています。だから私は、日本語をしゃべっている訳ではないのです』

「冗談……ですよね?」

――でも……彼女の言葉を、私は耳で聞いているのではないかもしれない。その証拠にムラサキさんの唇は、ちっとも動いていない。

 疑問だらけの頭を抱え込む。

「ここはどこなんですか? 私は何でこんなところにいるのか、思い出せないんです。知ってるなら教えてもらえませんか? 私どうにかなりそうなんですけど……」

 瑞樹は、縋りつくようにムラサキを見つめた。

『私の左胸には認識番号があります』

 そう言って、ムラサキは美しい胸元を少しはだけさせて、十桁以上はあろうかという文字の刻まれた白い肌を見せた。

『この番号は私自身を示すものです。どんな姿をしていようとこの番号が付いていればそれが私なのです。それが鳥であっても植物であっても、この番号があれば、それは私なのです』

「はあ」

――この国の人は、こんな番号を皆に振ってるのだろうか?

 背筋がぞくっとする。

『私は、あなたにあなたである認識番号を認めることができました』

 ムラサキはにっこり笑った。

『あなたは、間違いなくあなたなのです』

「はあ」

――さっぱり分からない。

 質問に答えてないじゃんと言いたいところだが、言ってることがあまりにも分からなかったので、とりあえず言われたことを考えてみた。

 自分が自分以外のものであればいい、と思ったことがないと言えば嘘になる。

 実はあなたは貴族のお嬢様でしたとか、実はあなたの検査結果は別人のものでしたとか、自分に都合のいいたわいのない空想。

 あなたは、実は別人でしたと言われることを期待していた訳ではなかったけど、間違いなくあなたですと言われても少しも嬉しくない。

「私は、私以外の人間だと思ったことはないですよ。私には、そんな番号どこにも付いてないし……」

『そうではないのです』

 そう言って、少し困ったようにムラサキは笑った。

『あなたに番号が付いているのではありません。でも私には解るのです。あなたが内包しているものが私には解るのです。だからあなたが必要なのです。あなたが解決してくれると私はすぐに解ったのです』

 ムラサキの縋るような目が、瑞樹に注がれる。

「あなたの言ってること、さっぱり分かりませんよ。あの、お願いです。私を元の場所に戻してくれませんか? 父も母もきっと心配してると思うし……私、これは会ったばっかりの人にあんまり言いたくないことなんですけど……もう長くは生きてられないんです。骨肉腫が左腕にできてて、手術する予定だったんです。だから、私、少しでも長い時間、両親の側に居てあげたいんです。お願いです。ここがどこかなんて、もうどうでもいいです。もし、あなたが誘拐したんだって言うなら、それも許します。とにかく家に帰らせてください。私は、ここに居ても何の役にもたたないで死ぬだけだと思います」

 瑞樹は、涙ながらに懇願する。

『私は、あなたに助けて欲しいのです』

 ムラサキは少し困った顔になる。

「だから、助けて欲しいのは私の方なんですけど……」

 瑞樹は途方に暮れる。

『あなたにならできると思って、連れて来たのです。確かに、あなたに頼むのは、虫がよすぎると言われたら、私には返す言葉がないのですが……』

 

――この人、どうなってるんだろ、話がかみ合わないし、サッパリ言いたいことが分からないし……虫がよすぎるってなんのこと? 私が助けることができることってなんだろ。それが解決したらいいんだろうか? 帰してもらえるんだろうか。

「つまり、私があなたを助ければ、元の場所に戻してくれるんですね?」

 瑞樹は諦めたように言った。

『そうです』

 ムラサキは安堵したように微笑んだ。

「で、何をしたらいいんですか?」

『ですから、助けて欲しいのです』

 瑞樹は眉間に人差し指を当てて唸った。心の中で呟く。

――だーかーらー。

「……何が問題なんですか?」

 瑞樹は辛抱強く聞いた。

『それが、解らないのです』

「はい? 何が問題かあなたに分からないことを、どうやって私は解決すればいいんですか?」

『それはあなたが見つけ出さなければならないことだからです』

「ちょ、ちょっと、待ってよ。普通は問題があって、それを解いて解決で万々歳でしょ? 問題も分からずにその問題を解けて言われたって、そんなのできないでしょ? ふつーは……」

『問題は、あなたにしか解らないのです』

「じゃあ、何ですか? 私はこの訳わからない、文字も読めない、言葉も分からない、どこかも分からないこの場所で、問題を見つけ出して、それを解決しなければならないと、あなたはそう言ってるんですか?」

『そうです。解ってもらえましたか』

 ムラサキは鮮やかに微笑んだ。

――いや、分かってないし……

 瑞樹は心の中で呆然と呟く。

 呆然とし過ぎて言葉もでない。ムラサキは心底ホッとしたらしく、満面の笑みを浮かべている。

「その問題も答えもこの森にあるんですか?」

 それくらいは教えてもらわないと。

『そうです。あなたはやっぱりあなたです。ちゃんと解っているのだわ』

 ムラサキは嬉しそうだ。ちっとも嬉しくない瑞樹は溜息をついた。

「分かりました……いや分かってないけど、やってみます。その前に、あなた、痛み止めとか持ってます?」

 さっきから左腕が針で突かれているようにちくちくと痛んでいた。タイムリミットまで、そんなに時間はなさそうだ。自分はこのヘンテコな場所に来てから、どれくらいの時間を過ごしているんだろうか。こんな痛みは前にはなかった。症状が進んでいると言うことなんだろうか。途端に気分がめり込んでいく。

『腕が痛むのですか?』

 ムラサキは眉を顰めた。

「ええ。本当に、私はもう長いことないですよ。問題が解けないで、そこらで死んでたら、せめて、死体くらいは家に帰してもらえるんでしょうね」

 皮肉を込めて、瑞樹はムラサキを睨みつけた。

『死体になったら帰っても意味がないでしょう? それに、協力してくれて成果があれば、私もあなたを助けることができるかもしれませんよ。こんな風にね』

 ムラサキが瑞樹の左腕に手を乗せると、腕がふわりと温かくなった。

『痛みを感じている神経だけを麻痺させておきました。これでもう痛くないはずです』

「麻痺させたって……」

『痛みを感じている部分だけです。普通に動かせるでしょう?』

 確かに痛みは嘘のように消えたが、腕を動かすことには何の支障もない。

「腫瘍もこんな風に無くせるの?」

『今の状況では無理です。だから協力して欲しいのです』

「あなた何者?」

 瑞樹の問いにムラサキは小さく笑って答えなかった。


『ここはエリアEと呼ばれている場所です。ここは隔壁で囲まれています。隔壁の外へは決して出ないでください。それ以外は自由です。ここにいる緑の肌をした人たちがエリアEの管理をしています。彼らは善良で、忍耐強いのですが、多少排他的なところがあります。何か必要なことがあったら、この管理棟に来て私にコンタクトを取った方がいいでしょう』

――排他的って……

 瑞樹は戸惑う。

――それは外国人に対してということだろうか、それとも肌の色の違う人種に対してという意味だろうか……それとも他に何か自分に異分子としての理由があるのだろうか。緑色の肌の人間……そんな人種が世界のどこかにいただろうか。

 ムラサキは、考え込む瑞樹を無視して説明を続けた。

『食事もこの場所で摂れます。モルキュラーオーブン(分子オーブン)という機械にナンバーを入れると食べ物が出てきます。これがメニューです』

 メニューを見たが、さっぱり分からない。大体の食べ物のカテゴリーをムラサキは教えてくれた。飲み物なのか食べ物なのか、極めて大雑把にだけれど。


『残ったものや使った食器は、ここのダストシュートにすべて放り込んでください。ただし、必要なものを放り込まないように気をつけてください。一度入れると取り戻せません。くれぐれも手を突っ込んだりして、間違えて入れたものを取り出そうなどと考えてはいけませんよ』

「手を突っ込んだらどうなるんですか?」

 何気なくダストシュートの入口を指でついて覗き込もうとしながら、瑞樹が訊いた。

『手も分子レベルまで分解されます』

――ひぇー恐ろしい機械ではないか!

 瑞樹は弾かれたように指を引っ込めた。

――そんな恐ろしい機械が、世界のどこかに……否、地球上に存在しただろうか。

 疑問とその回答案が緩慢な速度で瑞樹を追いつめる。

「万が一間違えて、大事なものを落としてしまったら、どうすればいいんですか?」

『あきらめることですね。あきらめて新しいものを手に入れることです』

 ムラサキはふわりと微笑んだ。


 瑞樹は訊きたくて、でも怖くて訊けなかったことを聞くことにした。今訊かなければもう聞くことができないかもしれない。

「ここは……日本ではないですよね」

 ムラサキは肯定した。

「まさかとは思いますが……地球でもない?」

 ムラサキは今度は悲しそうに肯定した。

「ここはどこなんですか?」

 ムラサキは答えない。

「私……もしかして、もう死んでしまったんじゃないですか?」

 怖かった。この問いにもムラサキは頷くだろうとそう思っていたから。だが、ムラサキは首を横に振った。



* * *



人は大事なものを失くした時、どのような行動をとるのだろうか。嘆き悲しむか、

諦めるか、代わりの物で満足するか、見つかる当てがないのにずっと探し続けるのか。

その人にその行動をさせるもの、あるいは行動させないものはなんだろうか。環境? 性格? 遺伝子? あるいは……自分でさえ覚えていない遥か遠くからの記憶の欠片だろうか。



(第3話エリアE 終了)



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