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第3話 エリアE(1)

[]は日本語、「」はハル語の設定にしてあります

 瑞樹の水槽の前に黒い人影が立ったのは、随分時間が経ってからのことだった。


 火傷は、ほとんど癒えている。覚醒していられる時間が徐々に延びていた。

 その人影は、手に持っていた金属の棒のようなもので瑞樹の水槽を叩き割った。トロリと流れ出す透明な液体。飛び散るガラスの破片。

 いきなり外へ出された瑞樹は、あまりの苦しさにのた打ち回った。

――苦しい、息が、息ができない!

 肺からすべての液体が出て空気と入れ替わるまでの間、地獄のような苦しみが瑞樹を襲った。何度も激しく咳きこんで、やっと楽に息ができるようになった途端、瑞樹は何か袋のようなものに入れられて部屋を出た。


 寒くてガタガタ震えながら、瑞樹は何が起こっているのか懸命に考えようとする。その時、頭の中に声が響いた。

『静かに。声を出さないで。私はあなたに危害を加えません』

 冷静な声だったが、とても甘やかなその声は耳に心地よかったし、きちんと意味が分かる。

――日本語……だよねぇ。女性のような気がするんだけど。

 しかし、瑞樹を軽々と運んでいるからには、男性なのか怪力女なのか。


 運ばれている間、聞き慣れない言語の会話が何度か聞こえた。瑞樹を抱えている人と誰かが話している声。

――何語なんだろう……。

 ドサリと降ろされた場所は、明るい日差しが溢れていた。緩められた袋の口から顔を出すと、サングラスを掛けた黒尽くめの人が、深い緑色の肌を持った大きな人と会話をしていた。


「コブ、この子をしばらくエリアEで預かって貰えますか。理由は言えないのですが」

「マダム、そりゃ誰かね?」

 ムラサキは黙ったままだ。

「一度あんたに言わなならんち思っちょったが……カナメはわしの手に負えん。ここから出るつもりもなけりゃ、わしと話す気もおこらんらしい。そげな状態で、また得体のしれんこげな子供を連れてきて、どげするつもりかね?」

「コブ、お願いしましたよ。この子が落ち着いた頃に、また説明に来ます」

 無表情のままムラサキは言った。

「マダムの頼みち言うんならしょーがねーけど……マダムは一度メインコンピューターにオーバーホールしてもらった方がいいち思うよ。カナメが変になってしもうてから、マダムもなんか様子がおかしいき」

 男は肩をすくめた。

「私なら心配無用です。この子は光を浴びても大丈夫なはずですから、普通の服を着せてやってください。それから、この子は言葉を話せません」

「知恵遅れかね?」

 コブが目を見開いた。

「そうではありません。言語が異なるのです」

「言語が……異なる?」

 コブは怪訝そうな顔で繰り返した。

「申し訳ないけど、今は説明できないのよ、コブ。時間がないから。では頼みます。このエリア以外には出さないで貰えますか?」

「ああ、わかった」

 コブは困り果てた顔をしてムラサキを見送った。


 そこは見渡す限り木々が鬱蒼と茂っていた。どこかで水が流れる音がする。深緑色の肌を持つ人が瑞樹に何か話しかけてきた。

「わしはコブち言うんじゃ。コブち呼んじょくれ。あんたは何て名かね? 名前も言えんかね」

 コブは何度も自分を指してコブと言った。名前だろうと瑞樹は判断する。

[……ミズキ]

 同じように自分を指した。コブは分かったと頷いた。頷くのはどこの国でも肯定の意味なんだろうかと疑問に思いながら瑞樹も頷いた。コブということが分かったしるしに。


「ところで、瑞樹、なしてそげなズタ袋にいつまでも入っちょるんかね?」

 コブは瑞樹が入っている袋を指さして首を傾げた。瑞樹には、なんだかよく分からないので、首をかしげていると、コブが突然大股で近寄ってきて袋から瑞樹を引っぱり出そうとした。

[きゃーぁぁぁ]

 森の中に瑞樹の悲鳴が響き渡る。コブは熱く焼けた火箸でも触ったかのように後ろに飛び退くと、大きな手のひらで自分のおでこをバチンと叩いた。

「忘れちょった。服を着せてくれちムラサキに頼まれちょったんじゃった」

 コブはあたふたとどこからか服を持ってきた。白い上下に分かれた服で、ちょっとブカブカしているけれど、肌触りがサラリとしていて気持ちがいい。薄い生地なのらしく、光が透けて来るようだ。これは肌着を着けていないと拙いだろう。

[あの……下着はないの?]

 しゃがみこんだまま、コブを見上げた。コブは首を傾げる。

[し・た・ぎ、これじゃ丸見えじゃない!]

 必死に服をつまんで指を透かして見せる。

「ああ、下に着るもんか? 忘れちょった。こりゃ、誰か女のもんに頼んだ方が良さそうじゃのう」

 コブは女性を連れてきた。萌黄色の肌で丸い大きなライトブラウンアイの奇麗な娘だ。瑞樹と同じくらいの年だろうか。しゃがみこんでいる瑞樹を見て、驚いたように口をポカンと開けたが、すぐに自分の体で瑞樹を隠すようにして建物の中へ連れて行ってくれた。


「私は」と娘は自分を指差した「ミント」これを何度か繰り返す。瑞樹も同様に自己紹介をする。

 オレンジ色のビビットカラーのビキニのような下着を付けると肝心なところは隠れるけどシースルーで体の線がばっちり見える。

――なんだ? この服。前にチビT着て臍出ししてたら、はしたないとママにひどく怒られたことがあるけど、これを見たらママはなんて言うかな。


「あなた、おなかが空いている?」

 ミントは胃の辺りを指し示す。

「何か食べたい?」

 何かを口に入れる真似をする。

 そう言えば意識が戻ってから何も口にしていない。おなかが空いているのかいないのか自分で判断できないくらいだ。何か口に入れればわかるかもしれないと、とりあえず頷いた。ボリュームがあるものを出されたら困るなと思いつつ待っていると、ミントは湯気がほっこり上がったスープを持ってきてくれた。

[ありがとう]

 ありがたく口にする。

[ミントは食べないの?]

 ミントを指さしてから食べるジェスチャーをする。

「私は食べないのよ。ファームの民だから」

 首を横に振って否定した。

「ファームの民が食事を摂らないことを知らないなんて、あなた何者?」

 不思議そうに興味深そうにミントは瑞樹を見つめた。

 何を言っているのかわからない瑞樹は、首を傾げたが、とりあえずスープを飲み始めた。

 そのスープは飲めば飲むほどお腹がすいた。最後の一滴まで飲もうとスプーンで集めているとミントが何やら話しかけてきた。

「まだお腹すいてる? もっと食べたい?」

 もっと食べたいかと聞いているようだったので、瑞樹は勢い込んで頷いた。ミントは軽く笑うと、食べ終わった皿を下げて部屋の隅にあるごみ入れの入口のような所に皿ごと放り込んだ。

――えっ? 皿ごと入れるの? 割れちゃう……。

 瑞樹は驚いて目を見開いたが、別に皿が割れる音はしない。皿もスプーンも吸い込まれるように静かに消えていった。


 次にミントは、その横にある四角い電子レンジみたいな形の機械を操作して待つことしばし、呼音がした。中からトレイを取り出すとその上には丸いパンのようなものにペースト状のものが添えられた皿が出てきた。紅茶のような色をした飲み物も付いている。丸いパンのようなものは実際パンだった。真ん中から二つに割るとほかほかと湯気がたって焼きたてみたいだ。ペーストは甘い蜜の味がする。紅茶のようなものは紅茶より刺激の少ないハーブティーのような味がした。


 あの電子レンジみたいなものの中から、違う種類の食べ物がそれぞれに適切な温度で出てきたのが不思議だった。ペーストはほどよく冷えていてパンはホカホカで、飲み物は熱すぎず冷たすぎずの適温だ。

――あれは電子レンジじゃないのかな?何も入っていなかったはずのレンジの中から手品のように食べ物が出てきた。あんなのうちにも一台欲しいかも。

 などと思いつつパンを平らげる。

 最初に見た時はちょっと少ないなと思ったけど、小ぶりなパンを二つ食べたところで満腹になった。

「もっと食べたい?」と聞くミントに首を振って否定した。


[ここどこ? 私、家に帰らないと……パパもママも心配するし……]

 ここと指し示して、その後のことをジェスチャーで伝えるのに困ってしまった。ミントは首をかしげてしばらく瑞樹を見ていたが、瑞樹の手をとるとこう言った。

「来て、あなたは森を見たいんじゃないの?」

 もしかしたら分かってくれたのかもしれない、と瑞樹は嬉しくなってミントに引っ張られるまま付いて行った。建物の中にあるエレベーターに乗り込むとミントは最上階のボタンを押した。瑞樹は、エレベーター内に書いてあるはずの、行く先階の表示やエレベーターを作ったであろう会社やメンテナンス会社の名前を探したが、どこにも書いていない。それどころか行く先階の数字すら瑞樹には読めなかった。

――何語だろうか? 数字は世界各国共通のはずじゃなかったかな?

 英国では一回をグランド階、二階から一階とカウントするんだぞ、と以前正樹ちゃんが言ってたことがあるけど、なにこれ、どの文字も読めないよ。


 瑞樹がパニックの手前まで行ったところで、エレベーターは最上階へ着いた。一歩外に出るとそこは眩しい光で満ちていた。展望台のような造りになっているらしく、三百六十度の景色を見ることができた。ガラスを張っていない展望台には、植物たちが発散する濃密な空気と湿気が満ち溢れていた。そこは緑のジャングルのど真ん中だった。


 遠くに隔壁のような白い壁が見えるが、それ以外は辺り一面森で、棟の前方二か所に小さな湖が見えた。

「あなたがいるのはエリアEよ。わかる?」

 ミントが瑞樹を優しく覗き込んだ。

[ここ、どこ? 太陽は? あれ太陽じゃないよね?]

 瑞樹は、太陽と比べるとあまりにも小さな光源を指さす。

[ここどこ? あなたたち何者なの? 私、なんでこんなところにいるの? 家に帰りたい。帰して? 帰してよ……]

 涙が溢れて止まらなかった。

――そうだ、思い出した。すごく寒い日だったじゃない。冬だったはずだ、日本は今冬だ、ここはどこなんだろう? 私はどうしちゃったんだろう。

[帰りたいよ。夢なら醒めて。私、家に帰りたい……]

 瑞樹は蹲ったまま泣いて、泣いて、ショックと疲れで意識を失ってしまった。


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