番外編 ニシキギの地球訪問
「おかえりなさいませーご主人さま!」
黒っぽいワンピースにフリルのついた白いエプロン、茶色い髪に、やけに大きな目をパチパチとさせた女の子がにっこり笑ってそう言った。
ニシキギは唖然とすると、一旦ドアを出て店の看板を確認してから、その女の子と再び対峙した。
「ご主人さま、日本語は話せますか? Speak Japanese?」
女の子は不安そうな顔でそう言った。
「話せる」
日本語の疑問形と英語の命令形に目を白黒させながら、ニシキギはポツリと言った。
「ああー良かった。日本語が通じなかったら別の人を呼んでこなければならなかったのです。ご主人さまが日本語できて良かったですぅ。早速、ご案内いたしますね」
女の子はメニューを準備するといそいそと客席へとニシキギを案内した。
「ご主人さまはどちらからいらしたのですか?」
「ハルだ」
「ハル? それは北欧の方の国ですか?」
一瞬、張り付いたような商業スマイルが払拭されて、きょとんとした無防備な顔が現れた。瑞樹と同じくらいか、もう少し上か…。普通にしていれば、愛らしい。
「まあ、そんなところだ」
?マークを頭の上に三つくらい付けた様子で首を傾げる彼女に、ニシキギは小さく笑んだ。
* * *
「だって……瑞樹の様子を見に行きたいって言ったのは君だろ?」
カナメは紅い瞳を悪戯っぽく輝かせながらそう言った。
「だからって、なんでそんな所に寄り道してから行かなきゃならないんだ?」
「郷に入らば、郷に従えって言うだろ? 地球のことを知り、日本のことを知らなければ、瑞樹が大丈夫かどうかなんて分からないじゃないか。大丈夫そうに見えたって、瑞樹は辛いと感じているかもしれないし、逆に大変な目に遭っているように見えても、それが瑞樹の国では当たり前のことかもしれないだろ?」
カナメはもっともらしくしかめっ面をして説明する。
「なんで食事をとるところまで指定してる?」
ニシキギはカナメから手渡された計画書を睨みつける。
「評判の店らしいんだ」カナメはにやりと笑った。「小型の分解再生装置を渡すから、サンプルを採取してきて欲しいんだけど」
「勝手にサンプルを採ってもいいものなのか?」
胡散臭そうにニシキギは眉間に皺を寄せた。
「確認してから採取してくれ」
「デザートまで注文しなきゃならない理由は?」
「理由はない。君に任せるよ。でも瑞樹が食べたい時にここでも食べられたら安心すると思うんだけど……」
カナメはニシキギをちらりと見つめる。そんな様子のカナメを見てニシキギは顔をしかめた。
――こいつ……二言目には瑞樹だったらとか、瑞樹が喜ぶとか、瑞樹が悲しむとか、言いやがって。
ニシキギは心の中で悪態をついた。
――この男を、見かけどおりの年齢だと思って話していると痛い目にあう。
ニシキギはこっそりため息をつく。
カナメの分解再生回数は九回だと聞いている。全部が全部、寿命まで生きたとは言えないだろうが、人の寿命のほぼ九倍を生きているという計算になる。どうみても二十代後半にしか見えない彼だが、その深い緋色の瞳がその長い年月を生きてきた証だ。
つまり、平たく言えば、老獪な爺であるのだが……。なんなんだ? この子供みたいな瞳の輝きは!
ニシキギは盛大に溜息をつくとカナメの計画書に同意した。
ニシキギがこの計画書どおりに実行しないのならば、イベリスを代わりに行かせるとカナメが涼やかに宣言したからだ。
当然のことながら、老獪な爺は人の足元を見るのがうまい。
* * *
「じゃあ、ご主人さまもご一緒に言ってくださいね。ハイ、まっぜ、まぜ〜」
ニシキギの目の前でメイド姿の女の子は『まぜまぜお月見ナポリタン』を混ぜ始めた。
ニシキギは眉間を指でつまんで溜息をつく。
瑞樹が住んでいる街まで行くのに便利だからと、秋葉原でトウキと別れた。カナメから預かった貴金属の塊を質屋に持っていくと、かなり良い値がついた。
「これはどこで購入したものですか?」
頭の禿げあがったオヤジは目を見張って言った。
「質は申し分ないプラチナですな。デザインも変わっていて素晴らしい」
カナメから預かったプラチナは、ハンサ鳥をモチーフにした彫刻が施されたペンダントヘッドになっていた。その彫刻はカナメが施したものだ。
「アステロイドベルトで拾ったものだ。その彫刻は、カナメ……俺の知り合いが施した。品質には問題はないはずだ。デザインのことはどうでもいい。で? いくらで買い取れる?」
「アステロイドベルト? これ拾ったんですか?」
オヤジは胡散臭そうにニシキギを見上げる。
「違法なことはしていない。原石の中から取り出したものだ」
ニシキギは無表情に説明する。
火星と木星の間に広がっている小惑星体、アステロイドベルトの石の中から、分解再生装置を使って、純粋なプラチナを取り出した。純度には自信がある。
「そのカナメとおっしゃる方が細工師ですか? あなたのお友達?」
「詐欺師? 確かにカナメは詐欺師と呼んでも差し支えないかもしれない。ほぼ、そのようなものだ」
「詐欺師ではなくて、細工師ですよ」
オヤジは苦笑する。
「カナメ・P・グラブラは、単なる主席エンジニアだ。細工師ではない」
ニシキギはうんざりしたように言った。
「……はぁ、アステロイドベルトって、ロシアかどこかの街ですか?」
不安そうな表情はそのままだったが、オヤジがそのプラチナをニシキギにつき返すことはなかった。
「ここからは遠く離れた場所だ。ロシアよりも遠い」
「そ、そうですか……」
オヤジはニシキギの答えに黙りこんで、鑑定を始めた。
そしてオヤジから提示された金額は、相当なもので、桁が一つ間違っているんじゃないかと思われるものだった。これなら食事をして電車代を払っても、使っていないくらいの現金が手元に残るだろう。
ニシキギは食事代を支払うと外に出た。外の冷たい風が心地よい。
『チョコっとクマたんケーキ』まで食べたので少し具合が悪かったからだ。ニシキギは甘いものがあまり好きではない。瑞樹なら喜んで食べそうな代物で、今からここに来て代わりに食べてくれと連絡したい衝動をぐっと抑えて食べた。
なぜなら、彼女を呼び出したのでは意味がないからだ。普段の彼女の様子を見ることが目的なのだから。
カナメから渡された計画書には、まだいくつかのミッションが書かれていた。
「お客様、プレゼントですか?」
店員が躊躇いがちにニシキギに話しかけてきた。
「俺が自分の為にこんなものを買うと思うか?」
ニシキギの流暢な日本語に店員は一瞬ほっとした顔をしたが、ニシキギの眉間の皺を見て店員は表情をこわばらせた。
「お子様へのプレゼントですか?」
「子供? 俺には子供はいない……と思う」
「はぁ」
妙齢の店員は、更に表情をこわばらせる。
「友人の友人の孫の結婚の祝いだ」
「友人の友人の孫……の結婚……」
一体、何歳の友人なのかと店員は首を傾げたが、ニシキギのしかめっ面を一瞥して追及を諦めた。
「ご結婚のお祝いなら、新郎新婦、対にしてお求めになられる方が多いようですよ?」
店員は営業スマイルを貼りつけて説明を始めた。
* * *
「ミントが結婚するんだ。そのお祝いを買ってきてもらいたいんだけど」
ミントはファームの民コブの孫にあたる。瑞樹が宇宙船ナンディーにいたとき、何かと世話をしてくれた瑞樹の一番の友人だ。
「こんなのじゃないといけないのか?」
「何かほかにいいものがあれば、それでもいいよ。君のセンスに任せるけど……ミントは瑞樹と仲が良かったからね、瑞樹が喜びそうなものならミントも喜ぶんじゃないかと思ったんだ」
「こんなものを瑞樹は喜ぶのか?」
ニシキギはインターネットの画面を覗き込んで顔をしかめた。
カナメは地球のインターネットにアクセスできるように、いち早くシステムを組んでいた。
「似たようなやつを持っているみたいだったよ」
「なんでそんなことまで知ってる?」
ニシキギは胡散臭げにカナメを見つめたが、戻って来たのは悪戯っぽいニヤニヤ笑いだけだった。
* * *
「これがいい、これにしよう」
「こ、これでございますね」
ニシキギが選んだ二つの毛皮に店員は顔を引きつらせた。
カナメが指定した店は、ぬいぐるみを店頭で作ることが売りのぬいぐるみ専門店で、クマやウサギや犬などのかわいらしいぬいぐるみの皮が店先に並んでいる。その中で、ニシキギが選んだのは、カエルとトリケラトプスのぬいぐるみ皮だった。
どちらも緑色だというところがぴったりだとニシキギは思う。
ファームの民は皮膚に葉緑体を持っていて緑色の肌を持っているからだ。ミントの相手もファームの民だ。
「では、綿を入れますので、こちらへおいでください」
ニシキギが足でパッドを踏むと、カエルとトリケラトプスの皮の中に綿が送り込まれる。
「そこのハートを一つ選んで、手で挟んでお願い事をしてくださいね」
店員が恐る恐るニシキギに言う。
「願いごと?」
ニシキギは眉間に皺を寄せる。
「……はい」
店員は叱られたように頷いた。
* * *
宇宙船ナンディーのコントロールルームで、カナメは笑いを噛みしめていた。
「ニシキギは地球に行ってるんだって?」
背後から声がして、カナメはクルリと椅子を回転させて振り向いた。
「ブラキカム、珍しいね、こんな所にくるなんて。何か用?」
ブラキカムは医師なので、大抵エリアHの医療センターにいる。ブラキカムもカナメと同様、分解再生を繰り返していて、長い人生を送っている一人だ。
「いや、用はないさ。ニシキギが地球に行ってるって噂を聞いたんで情報を仕入れに来ただけだ。あいつが単独で地球に行くとは思わなかった。どうやって行かせたんだ?」
「行かせたも何も、自分で行きたいって言ったんだよ」
「あいつがねぇ……。瑞樹の為に?」
「そ、瑞樹の為にね」
カナメはにやりと笑う。
「で? あいつ、もう会えたのか?」
「まだみたいだね」
カナメはモニターを覗き込んで笑う。
「……おまえ、何かしただろ」
ブラキカムはカナメを睨んだ。
「用事をいくつか頼んだだけだよ。日本に人を送り込むのは初めてだったから、調査を兼ねてね」
「なんの用事を頼んだんだか……。あんまりあいつを苛めるなよ。せっかく自分以外の他人を思いやるようになってきたところなんだからな」
ブラキカムは不満そうに文句を言った。
「ずいぶんニシキギを庇うんだな」
カナメは肩を竦める。
「あいつがいくつか、おまえ知ってるか?」
「さあ……再生、二、三回ってところ?」
薄い金髪と薄青い瞳の色から判断する。分解再生すると色素が抜けてしまうのだ。
「……あいつはエクソダスの時に初めて分解されたんだ」
ブラキカムの言葉にカナメは目を見張った。
「ほとんど実年齢と見かけが同じだということか?」
カナメは呆然とブラキカムを見つめた。
「やっぱり誤解してただろ、あいつは見かけよりもずっと若いし、経験が少ないんだ。おまえが本気で苛めたら潰れちまう。俺はそれを心配してるんだ……って、おい聞いてるのか?」
カナメは眉間を指でつまんで肩を震わせていた。
「そんな若かったんだー、失敗したー」
カナメはクスクス笑いながら言った。
「おいっ! 何をさせたんだよ」
「楽しませただけかもしれない」
カナメは一人笑い転げている。
ブラキカムは不審げに首を傾げた。
「そんな若いんなら、もう手加減はしないさ。僕がそんなに簡単に瑞樹を手放すと思うかい?」
カナメは意味ありげにブラキカムを見つめると、再び椅子を回転させてモニターに向かった。
「……」
ブラキカムはやれやれと言いたげに肩を竦めるとコントロールルームを後にした。
* * *
夕日が西の空を赤く染める頃、ニシキギはようやく瑞樹の住んでいる街に辿り着いた。カナメに頼まれた荷物で両手がふさがっている。
身長が高く、薄い金色の髪のニシキギは電車の中でも、街を歩いていてもとにかく目立つ存在だった。
遮光のサングラスをかけているので、更に怪しさまで醸し出している。そのうえ、この大荷物だ。すれ違うほとんどの人が振り返ってニシキギを見つめた。
日向の表札が掛っている家を見つけたのは、空の赤が薄れて薄紫色になってきた頃だった。
「瑞樹、夕刊を取ってきてくれない?」
女の人の声がした。
「ええー、やだー、今ブラッディーマリーの録画予約してるんだもん」
聞き慣れた瑞樹の声が聞こえる。
「もう、役に立たないわねぇ」
ドアが開く音がして、中から黒髪の女性が出てきた。ニシキギはその女性を見て凍りつく。瑞樹?
その女性は、立ち止まっているニシキギを見つめて、一瞬目を見張ったが、軽く会釈をすると郵便受けから新聞を取り出して、そそくさと家の中に入って行った。
ニシキギはしばらく呆然立ち尽くしていた。その女性が分解再生される前の瑞樹にそっくりだったからだ。黒い漆黒の瞳。ニシキギは心の中に明るい日が射した気がした。
その時、突然家の中から声が聞こえた。
「瑞樹、最近変な人が多いから気をつけなさいね。さっき、家の前に怪しげな外国人が立ち止まっていたのよー」
「怪しげな外国人? へーえ、この辺の人かな? どんな人?」
「すごく背が高い人で、金髪でね。スパイ映画とかに出てくるような怪しげなサングラスをかけた人ー」
「へー、怪しいねー」
「でしょー」
リビングの窓が開いていたのか、会話が丸聞こえだ。
ニシキギはがっくりと肩を落とすとトウキと待ち合わせをしている場所へと歩き始めた。待ち合わせの時間が迫っていたからだ。
* * *
カナメはニシキギが持って帰った緑色のぬいぐるみ二体を手に苦笑していた。トリケラトプスは純白のブーケをかぶり純白のドレスを着せられていて、カエルは黒いタキシードを着せられている。
二体のぬいぐるみには<それぞれ出生証明書なるものがついていて、それぞれに名前と作成年月日と願い事が記入されていた。
トリケラトプスには「ミント、幸せな結婚生活を送れますように」
カエルには「セージ、結婚生活がうまくいきますように。行かない場合は、逃げ出される前に解決の糸口を見つけられますように」と書かれていた。
おわり
番外編を書いてみました。あまり深く考えずに読んでください。あは(^^ゞ 招夏