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第19話 地球へ(1)

「ねぇ、アグニシティにあの地球人が来てるって聞いたんだけど、どこなの?」

 地震の救援で駆けつけてくれた人の中に一際目立つ金髪の騒々しい美女が一人紛れ込んでいた。

「アーマルターシュ、地球人に何の用だ?」

 ニシキギは眉間に皺を寄せる。

「情報が必要だからに決まってるでしょ? 地球に行くことになったのよ!」

「地球に?」

 ニシキギはぽかんとする。ラークスパーの説教はどうしたんだ?

「ほどほどの島を買い取って、そこを足掛かりに地下都市を造るのよ。ああ、そうだ。アオギリにも会わなきゃいけないわ。で? その地球人ってどこにいるのよ」

「騒々しいやつだな」

 ニシキギは倒れたスチールを片づけながら舌打ちした。

「まずは後片付けを手伝ったらどうだ? その為に来たんだろう?」

 そうニシキギが毒づいたところに瑞樹がやってきた。

「あの、ニシキギ? コブがエリアEで呼んでるけど……」

 アーマルターシュは瑞樹を見ると親しげに近寄ってきた。

「あなたー、ナンディーに帰りたいって言ってた子でしょ? アグニシティに来ていたの? 災難だったわね。私のこと覚えてる?」

 瑞樹は記憶の糸を慌ててたどる。これはディムの記憶だったかな。

「えっと……地球に行きたがっていた人……かな?」

 瑞樹の答えにニシキギの目が細くなる。

「そうよ! 地球に行けることになったのよ、堂々とね」

 アーマルターシュは胸を張った。

「私はアーマルターシュ、あなたは?」

「私は、瑞樹ですけど……」

「瑞樹は何が得意分野なの? これだけ早く目覚めさせられてるってことは何か特殊な能力があるんでしょ?」

 アーマルターシュはわくわくした顔で瑞樹を見つめた。

「いや、あの、私、目覚めさせられたわけじゃないので……」

「何言ってるの?」

 アーマルターシュのテンションがやや落ちた。

「こいつがお前の探している地球人だ」

 ニシキギが割って入った。

「って、何言ってんのよ、あなた地球を知らなかったじゃないの! しかも治療水槽にいたのはこんな子じゃなかったわよ……」

 アーマルターシュは瑞樹が分解再生されていることを知らない様子だった。

「あの時は、記憶をなくしてたんで……」

 アーマルターシュの勢いに押されて小さくなる。

「なんですって? で? 記憶は戻ったの?」

「ええ、はあ、まあ、一応」

「瑞樹! 色々教えてほしいことがあるのよ、あなたを探していたの!」

 アーマルターシュのテンションの高さに瑞樹はアップアップしてくる。ニシキギは溜息をつきながら逃げるように出て行った。


「私たちは地球にも地下都市を造りたいと思っているの、アグニシティよりも大きな地下都市よ。もちろん、地球にある既存の国とはトラブりたくないから、異質な文化に寛容な国の近くがいいとは思ってるのよ。それで、アブナイ国、例えばすぐ他の国を欲しがる国とか、異質なものは排除したがる国とかなにかと他国に干渉したがる国とかを教えてよ。あと、島の買い方と、それから……」


 アーマルターシュの質問は難問奇問で、受験用の勉強しかしていない日本の高校生に太刀打ちできるものは一つもなかった。

「あのあの、通貨は国によって色々なので……」

 瑞樹はしどろもどろに答える。

「私たちは通貨なんて持ってないわ。通貨を使わずに島を手に入れたいのよ!」

「それなら、今は金とかプラチナとかの価値が上がってるって、ニュースで言ってたような気がするんで、そのようなものを用意したらいいんではないかと……」

「金とかプラチナかぁ、そうね、拾ってきてもらうわ」

「拾ってきてもらう?」

 瑞樹は鳩に豆鉄砲状態になる。

「前に、カナメがマンガン鉱を小惑星帯で見つけたって言ってたわ。金とかプラチナとかその他の金目の物を拾ってきてもらうことにしましょう」

 アーマルターシュは非の打ちどころのない美しさで微笑んだ。

「はあ……」

 海賊船の船長みたいだ。瑞樹はあっけにとられる。


 瑞樹の知識不足はあっと言う間に露呈され、あなた役に立たないわね、いいわ、この前採取したヨーロッパの学者の記憶を見るからとか、あの政治家が詳しいからその人の記憶を見るわとか言われ、あっと言う間に瑞樹はアーマルターシュの使いぱしりに降格された。


 そんな人たちの記憶を採取してるのなら、なにも私に訊く事ないじゃんと絡んでみたけど、アーマルターシュは瑞樹のことを鼻でせせら笑っただけだった。でも、ある意味、アーマルターシュにこき使われることは瑞樹にとってはありがたいことに違いなかったのだ。


 何も考えずに体を動かしていれば泣かずに済む。ここにこうしている自分のことを何も考えずに済む。ひどく慌ただしくてひどく安らかな喧噪の中で、アグニシティの復興は急ピッチで進んだ。


「瑞樹、足元、気をつけて! ほら手を」

 イベリスはとても優しい良い人だ。

 この人も私と同様、アーマルターシュにこき使われている一人だ。この優しさに付け込まれるんだろうなと瑞樹は考える。


 ナンディーに帰還するシャトルに乗り込みながら、瑞樹はカナメを目で追う。あれから、記憶を返してくれたあの日から、カナメと話す機会が全くなかった。お互いに忙しかったのもあるし、もうこれで自分はこの人と繋がりが、少なくとも表面的には無くなったのだと思うと、話しかけるのに気おくれがした。


「瑞樹、ベルトを締めて。できる?」

 瑞樹は少々あきれてイベリスに頷く。ベルトぐらいしめられますよ、子供じゃあるまいし……。

 隣にイベリスが座って通路を挟んだ隣にニシキギが座って、その隣にカナメが座っていた。小型のシャトルは満員で、空調が追い付かなくてむっとしている。


 ほどなくして、シャトルは開口したアグニシティの出口から飛び出した。瑞樹は窓際の席で外の景色を凝視する。火星地表上にナスカの地上絵のような進入口。初めて見た時と同じだ。ナスカの地上絵も、もしかしたら本当に宇宙人が描いたのかもしれないとふと思う。


「ねぇ、イベリス、何か飲み物取ってきてよ」

 安定飛行に入ってすぐ、後ろの席に座っていたアーマルターシュがイベリスの座席をつついた。はいはい、と言いながらイベリスが席を立つ。

「瑞樹も何か飲む?」

 瑞樹は窓の外を覗きこんだまま首を横に振った。

「俺の分を頼むよ、イベリス」

 隣のニシキギが顔に乗せていた読み物もとらずに手を挙げた。

「了解」

 イベリスは気持ちの良い返事を残して前方に泳ぐように進んだ。イベリスが去って空いた席にニシキギが移ってきた。

「おい」

 窓を覗き込んでいた瑞樹にニシキギが話しかけてくる。

「お前、記憶は本当に全部戻ったのか?」

 ニシキギの声がすぐ隣で聞こえて、瑞樹はびっくりして振り返った。ニシキギの肩越しにカナメが目を閉じて眠っているのが見える。

「うん、たぶん……」

「いつの記憶から戻ってる?」

 ニシキギの問いに瑞樹は固まった。

「いつって……なんで……」

 瑞樹はうろたえる。

「地球にいた頃の記憶は戻ってるのか?」

 瑞樹は首を縦に振って肯定する。

「もっと前は?」

「……あの?」

 この人は……気付いている?

「質問に答えろ」

 ニシキギは不機嫌そうに言った。瑞樹はニシキギの顔を見つめたまま固まってしまう。


 この人は……あの時、ガイアエクスプレスの地下都市の駅で、ずっと待っていてくれたのだ。アール・ダー村を飛び出して、いつ着くかわからない私を……いや、違う、それは私ではない。ディモルフォセカを待っていたのだ。


 私は、この人とディモルフォセカが会えなかった理由を知っていた。


 初めて乗ったガイアエクスプレスはひどく揺れて、具合が悪くなった。荷物用の貨車だったのが悪かったのかもしれない、それで、とても具合が悪くなった。ハデス駅に着いた時ディモルフォセカはふらふらで立ち上がることもできなくて、折り返し始めた列車から慌てて転がり落ちるように下車した。頭をしたたかに打ちつけて、その場でしばらく気を失っていたのだ。

 もし、あの時ディモルフォセカの具合が悪くならずに普通に列車から降りていたら、彼女はこの人に会っていたに違いなかった。

 どうしたかったかとディモルフォセカに聞けば、別にあの時この人にどうしても会いたかったわけではないと言うに違いなかったけれど……あの光に満ちたアール・ダーを追われた彼が、自分の為に時間を割いてくれていたということを、彼女は切なく申し訳なく思っているに違いないと、私は確信できた。

 自分のことであるかのように……。


「……ごめんね」

 涙が溢れた。

「……何を謝ってるんだ、お前は?」

 ニシキギの声が掠れた。

「……投げ飛ばして、ごめんなさい」

 嘘をついた。ニシキギは一瞬むっとした顔をした。

「……謝らなければならないようなことはするな」

 瑞樹はうん、うんと泣きながら頷いた。

 強情な奴、と舌打ちするような声が聞こえたと思った、びっくりして顔を上げると、ニシキギは瑞樹の目の端で結んだ涙を自分の唇で吸い取った。

「な、なにするの?」

 弾かれたように瑞樹は体を引いて窓に頭をぶつける。

「鬱陶しいから、泣くな」

 ニシキギは不機嫌に言った。 不機嫌な声とは不調和な心の中を見通すようなニシキギの瞳に瑞樹は竦んでしまう。ニシキギは無言でもう一方の涙も唇で吸い取る。

「やめて」

 瑞樹は弱弱しく抗議する。

「やめて欲しかったら泣かないことだな」

 ニシキギは意地悪そうに笑うと自分の席に戻った。

 入れ替わるようにしてイベリスが戻ってくる。アーマルターシュとニシキギに飲み物を渡すと自分の席に着く。

「瑞樹? 泣いてる? どうしたの?」

 イベリスは驚いて瑞樹を見つめた。瑞樹の周りに透明な水球が散らばっている。瑞樹は慌ててそれをかき集めて、ハンカチで吸い取った。涙をかき集めるのってなんだかすごくまぬけだと瑞樹は思う。

「なんでもない」

 瑞樹は窓にもたれて目を閉じた。

 イベリスがアーマルターシュに何があったのか聞いているのが聞こえた。アーマルターシはニシキギが泣かしたらしいと興味なさそうに言っていた。


 カナメは閉じていた目を薄く開いて隣のニシキギをちらりと見た。カナメは心の中で溜息をつく、そうだよな、こいつの方が僕よりもずっと前からディモルフォセカのことを知っていたんだよな。そして地下都市の暗闇の中で待ち続けていた。

 イベリスに問われて、なんでもないと目を赤くして小さく笑ってみせる瑞樹の横顔をカナメは見つめる。

 あの顔で、あの声で……でも別人で……。カナメは溜息をついた。


 ナンディーに戻ってからは、あっという間に地球に帰る日取りが決まった。アーマルターシュがブルドーザーのように諸々の作業を片づけて行ったので、地球に行く日程はものすごいスピードで固められていった。

「お前、本当に地球に帰っちまうのか?」

 ナンディーに戻ってからニシキギは幾度となく瑞樹に問いかけた。しかめっ面で。

 戻ったって苦労するだけなのにとニシキギは言った。帰っても自分のことを日向瑞樹だと誰も認めてくれないかもしれない、事態は簡単ではない、それは確かなことなので瑞樹は否定はしないが、このまま両親に会わずにいるのは、もっと考えられないことだった。


 地球に帰る、それはすごく安堵感を覚えることだったけど、ナンディーを去る寂寥感はそれに勝るとも劣らないもので、瑞樹は忙しい作業のふとした合間に憂鬱になることから逃れられないでいた。

「瑞樹、また戻ってきてよ。絶対だからね」

 ミントが涙を浮かべて言った。

「うん、絶対また来るよ」

 どうしたら戻れるかなんてさっぱりわからなかったけれど、でもその気持ちに嘘はなかったので断言する。

 気分が沈むとついつい何もかも放り出してエリアEに来てしまう。ここは穏やかで、光に溢れていて、温かい。アール・ダーとも地球とも何かが決定的に違うと思いながらも、ここもやはり心安らぐ場所だと改めて思う。アレオーレがクルクルと纏わりついて来る。

『瑞樹、瑞樹』

 歌うように呼びかけられてすっかり嬉しくなる。

 この子も地球では生きていけないのだ。この子はハルの子で、太陽の強い光を浴びて暮らせない。


 湖に行ってみた。初めてアレオーレと会った湖。あの時は混乱していたなぁと思う。今も混乱しているけれど……。あの頃の混乱が、見ず知らずの家に上がり込んでしまった時の混乱だとしたら、今の混乱は散らかった自分の家で片付けなければならない物の多さに途方に暮れている時の混乱だと思う。どちらにしても、どこから手をつけたらいいのかわからないというのが共通している。


 ムラサキさんはあれから瑞樹に話しかけてこない。この前なんて、まるで知らない人のように挨拶をされた。やっぱりムラサキさんは別人になってしまったのだと思う。

 問題がなんだったのか、その問題は解決したのか、それが訊きたかったのだけど……なんのことですか? と美しい瞳で覗きこまれて、結局それ以上何も訊けなかった。


 私は一体誰なんだろう。

 日向瑞樹ではなく、ディモルフォセカでもなく、地球とハルと二つの惑星を抱いていて……。自分にとっての問題はまさにそれで……。混乱する。

 このまま地球に帰って、自分は生きていけるのだろうか。姿だってこんなに変わってしまって……。ママもパパも自分が瑞樹だと気づいてくれるだろうか。


 ブラキカムは瑞樹に元の姿に戻すことができないと言った。でも、もし、元に戻すから分解すると言われたとしても、それを瑞樹が受け入れる気になるかどうかは極めて不透明で……。限りなく否定的だ。なのに瑞樹がそんな気持ちでいることは知らずに、ブラキカムはすごく申し訳なさそうに謝った。


 私の外側、私の内側……私の内側を見せることはできない。大切なことは目に見えない……唐突に、そんなフレーズが思い浮かんだ。


(**)それから王子さまは、キツネのところに戻った。

「さようなら」キツネが言った。「じゃあ秘密を教えるよ。とてもかんたんなことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」

「いちばんたいせつなことは、目に見えない」忘れないでいるために、王子さまはくり返した。

「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」

「ぼくが、バラのために費やした時間……」忘れないでいるために、王子さまはくり返した。

「人間たちは、こういう心理を忘れてしまった」キツネは言った。「でも、永遠に責任を持つんだ。きみは、きみのバラに、責任がある……」

「ぼくは、ぼくのバラに、責任がある……」忘れないでいるために、王子さまはくり返した(**)

(**)星の王子さま(サン=テグジュペリ著河野万里子訳)より


 瑞樹は大好きだった「星の王子さま」の一番好きな場面を暗唱した。母が何度も何度も繰り返し読んでくれた物語。これが、こんなに泣ける、心にしみる話だったなんて思わなかった。ただ王子さまのかわいいイラストと真実を探求する王子さまのひたむきさが、なんとなく気に入っていた。


 ディモルフォセカが費やしてきた時間、日向瑞樹が費やしてきた時間、二人の費やしてきた膨大な時間が私を形作る。ならば、私はどこにも行けないんじゃないだろうか、ハルにとどまれず、地球にとどまれず、二つの惑星の間で揺れている。こんな重い現実に、責任をどうやって持てばいいのか……。途方に暮れる。



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