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第18話 鎮魂歌 -レクイエム-(2)

「おい、俺に用があるってなんだ? 瑞樹が見つかったって本当なのか?」

 ニシキギがノックとともに部屋に入ってきた。ベッドの中のカナメと瑞樹を見つめてニシキギは固まる。

「瑞樹……」

 ニシキギは絶句する。瑞樹を抱きしめて俯いていたカナメが震えながらニシキギを見上げた。涙に濡れたカナメの顔をみてニシキギは凍りつく。

「力を貸してくれ」

 瑞樹の頭には大脳コンタクトの器械が取り付けられていて、ニシキギはディモルフォセカが去ってしまったらしいことを察知した。悲痛な顔をしてニシキギはカナメの傍に来る。イベリスも続いた。

「ディモルフォセカは逝ったのか?」

 ニシキギの問いにカナメは小さく頷いた。

「で?」

「君が持っているソーマの白い種を分けて欲しいんだ。持っているんだろう?」

 カナメはニシキギを見上げた。

「低体温症だな」

 ニシキギは瑞樹の紫色になってしまっている唇に触れた。

「ニシキギさん、ソーマの白い種を持っているんですか? どうして……」

 イベリスが驚いてニシキギを見つめる。

「こいつにそんなもの飲ませて大丈夫なのか?」

 イベリスの問いには答えず、そう問いながらニシキギはポケットから透明なピルケースに入った種をとりだした。

「ディムはこれで命をとりとめたことがあるんだ。瑞樹が大丈夫かと訊かれると断言はできないけど、このままだと彼女は死んでしまう」

 手も足も氷のように冷たい。指先ほどの体温が中心部まで広がれば体の機能は停止してしまうだろう。

「おい、お前霊薬ソーマを飲んだことがあるんだろ? 作ってくれよ」

 ニシキギはソーマの白い種をイベリスに渡した。

「作ったことはないんですけど……」

 イベリスは困惑気味に言った。

「強めのアルコールに溶かすだけだよ。メムシンあたりがいいだろう。ほんの少しの量でいいんだ」

 カナメが言うと、イベリスはキッチンへと向かった。

「足先や手先をマッサージした方がいい」

 ニシキギはベッドの上に上がり込むと、瑞樹の足先を掴み擦り始めた。

「慣れているんだね」

「昔、俺の弟がよく低体温症になってた。突然動けなくなるんだ。そんなになるまで力を使わなければいいのにと思っていたが、あれは、もう……宿命だな」

 ニシキギは思い出す。三つ年下のシーカスは力を自在に使える森の民で、そうであるのに、力を必要としている植物を見ると力を差し出してしまうのだ。自分の限界も考えずに……。

『兄さん、動けない……助けて』

 ニシキギを呼ぶシーカスの幼い声が聞こえた気がした。その度に手足を赤くなるまでマッサージして、家までおぶって帰った。


 カナメが瑞樹の手先を擦っていると、イベリスがソーマのグラスを手にしたまま、ぼんやりした表情で立ち尽くしているのが目に入った。カナメの目線に気づいて、ニシキギも振り返って首をかしげる。

「イベリス? できた?」

 カナメは怪訝そうに声をかけた。イベリスははっと我に返ったように頷くとグラスを差し出した。

「スプーンもいるな」

「元妻だったんだし、口移しで飲ませれば?」

 ニシキギがニヤニヤしながら言う。

「霊薬ソーマを普通の人間は一滴でも口にしてはいけない」

 カナメはいたって真面目な顔で言った。

「森の民の命だからか?」

 アーマルターシュがそんなことを言っていたのを思い出す。

「それもある」

 イベリスからスプーンを受け取りながらカナメはそう言うと、ニシキギを脅かすように見つめた。

「理性を司る脳の機能がぶっ飛ぶんだ。ソーマは自覚しないまま理性で抑えつけていた感情や欲望を引きずり出す。もし君がどうしても試してみたいと言うんなら止めないけど、その時は自分の部屋に鍵をかけて、自分をどこかに拘束してから試すことを勧めるよ。そして君に殺人願望とか物騒な欲望がないことを祈るね」

「な、なんか凄そうだな」

 ニシキギは怖気づいたように呟いた。

「凄いんだよ、あ、瑞樹の脚を抑えてて」

 カナメは瑞樹の口をこじ開けるとソーマをスプーンで流しこんだ。ソーマが流れ込んだ途端に瑞樹はぴくりと体を震わせて目を開いた。だが、その瞳には何物も映っていないように虚ろだ。

 カナメは慌てて瑞樹を抑えつけたが、それ以上暴れる様子もなく再びぐったりと力が抜け瞳は再び閉じられた。

「大丈夫そうだ。全部飲ませよう」

 カナメは残りのソーマも次々とスプーンで流しこんだ。

「あんた、ソーマを口にしたことがあるんだ。そうだろ?」

「ディムの時にね……。知らなかったから、ソーマがそんなものだって……」

「で? どうなったんだ?」

 ニシキギは興味津津な風情で乗り出したが、カナメは肩をすくめて「ノーコメント」と言っただけだった。

「ソーマを飲んだ時って、ものすごい高揚感と陶酔感がありますよ。僕は森の民だから違うんだろうけど。普通の人が飲んだ時と違うなんて思ってもみなかった」

 イベリスは呟いた。

「こいつはどうなんだろうな」

 ニシキギは瑞樹を見下ろした。高揚している様子も陶酔している様子もなく、欲望をかなえる為に暴れだす様子もなく、安らかに眠っているように見える。

「さあね、地球人だから……また別なのかも」

 カナメは肩を竦めた。

「しかも、自分が作り出したソーマの種だ。そこもまた違うのかもしれんな」

 ニシキギは考え込むように言った。

「このソーマの種は瑞樹が作ったんですか?」

 イベリスが驚いて聞き返した。

「瑞樹っていうより、ハルが作ったという方が正確だがな」

 ニシキギは苦笑いをしながら言った。

「……ハル?」

 益々わからないという風にイベリスは首を傾げる。

「あれは本当にハルだったんだな」

 ニシキギはカナメを見つめて言った。

「そうだよ。無論、誰も信じないけどね」

「あんたは信じてるんだろ?」

 ニシキギはにやりと笑って言った。


 瑞樹はソーマが効いたのか、唇も桜色になって、頬にもほのかに血の色が戻ってきていた。

「イベリス、ちょっと代わってくれ」

 ニシキギはベッドから降りて用足しに出かけた。

 分解しておいてくれと渡されたグラスをダストシュートの前まで持ってきて、しばし躊躇する。自分にはどんな潜在願望があるのだろう、知りたいような知りたくないような複雑な気分だ。とりあえず今はやめておいた方がよさそうだとダストシュートに放り込んだ。

 なにせ、ソーマの白い種はまだ二つもあるのだ。


 用を足して再び戻って来てはっと立ち止まる。さっきイベリスがぼんやり立ち止まっていたのも調度このあたりだとふと気づいた。

「なるほど、なかなか刺激的な構図だな」

 言ってイベリスの背中をポンと叩くと、イベリスは真っ赤になった。毛布からはみ出した瑞樹の白い手足がやけに艶めかしくてイベリスはさらに赤くなる。

「?」

 カナメが不思議そうな顔で二人を交互に見つめた。




*   *   *

 


 記憶は走馬灯そうまとうのように瑞樹の頭の中を廻った。


 初めての遊園地、乗せられた子供用のたわいのないジェットコースター。カタカタと音をたてながらゆっくり上るにつれて高まる不安、コースターの上で瑞樹は後悔していた。

――なんで乗ってしまったんだろ。

 角度を変えて、まさに降りようとする瞬間、瑞樹の恐怖も頂点に達する。とっさに目をつぶって母の体に顔を埋める。母が来ていたブラウスを透して伝わってくる母の匂いに心を落ち着かせて顔を上げた刹那、風と一体になっていた。


 花火! すぐ傍で打ち上げられて夜空に花開く大型の打ち上げ花火。

――どおん!

 光に遅れて夜空に轟く雷鳴にも似た炸裂音。ちょっと怖くて耳を塞いで目を見張る。

 三人で浴衣を着た。瑞樹は朝顔、皐月ちゃんは紫陽花あじさい、正樹ちゃんは蜻蛉とんぼの柄の浴衣ゆかたを着て、赤とピンクと青いほわほわの兵児帯へこおびが揺れる。

 金魚みたいだ、正樹ちゃんが言うのでみんなで金魚の真似をした。


 こんな楽しい記憶ばかりじゃないけれど、これが私の記憶。私が今まで生きてきた軌跡。私が私である証。これが、私の根っこだった。

 死ぬ前に、人は今まで生きてきた人生を走馬灯のように見ることがあると、よく言うけれど、私は今、生きるために、今までの私のささやかな人生を巡っていた。

 

 私が生まれたのは三月の終りに近い、よく晴れたお昼間だったと母はよく話してくれた。病院に駆け付けた父の手には淡い黄色の花をたくさんつけたヒュウガミズキ。

[庭にたくさん咲いていたんだ、昨日までは気付かなかったんだけど……]

 父は照れ臭そうに見えたと母は言った。

[春が来たのね]

 初めての出産の後で弱っていて、授乳やおむつ換えやこれからの育児のことを考えて少しだけ途方にくれていたけれど、その黄色い花を見たらぱあっと明るい気持ちになって、俄然がぜん勇気が湧いてきたのだと母は笑って話してくれた。

 ハルを運んできた娘だからヒュウガ・ミズキ、苗字とぴったり合うとその場で私の名前が決定したのだと父と母は声をそろえて言った。


 ハル……ハル……切ないその響きを、瑞樹は何度も何度も呟いてみる。


 記憶は、瑞樹の目の前をその速度を増しながら疾走していった。息もつかせぬ速度で今に近づいていく。



 どこか遠いところで雨音がした。ピチョン、ピチョン……

――あれは雨の音?


 瑞樹は音のする方へ歩き出す。


 雨が降っていた。

 海に、大地に、植物に、動物に、人に、すべてのものに雨はわけ隔てなく等しく降り注ぐ。濡れていない物は何もないびしょ濡れのこの世界を、瑞樹は一人静かに見下ろしていた。

 雨は少し白っぽいようで、虹色のようで、煌めいていて、その中に命を内包しているのを瑞樹は理解する。


――降り注ぐ雨が命を育むんだ。どうしてそんな当たり前のことを今まで気付かなかったんだろ。

 瑞樹は呆然と呟く。


 瑞樹は地球を抱きしめた。ふと前方に目をやれば同じような青い惑星が浮かんでいる。瑞樹は宙を蹴りその惑星にも手を伸ばす。

 右手には地球、左手にはハルをしっかりと掴んで抱きしめた。

――つかまえた! これは私のだ。欲張りと言われたって構わない、この二つは私のだ。もう離さない……。

 

 涙が零れ落ちる。

 涙は白銀色の滴になって地球にハルに降りかかる。涙は地上に落ちて雨に変わり、その海の上に幾重にも虹をかけた。



 瑞樹はベッドの上で目を覚ました。背後に規則正しい寝息。振り向かなくても分かっている。愛しい人の温もりだ。

 涙が流れて仕方がなかった。ハルもディモルフォセカも行ってしまって、瑞樹が一人残された。

 ハルも地球も抱きしめたまま……瑞樹は存在した。

 

 涙が鼻を横切りシーツの上にぼたぼたと零れ落ちた。止めようとしても嗚咽を止められない。


「目が……覚めた?」

 背後でカナメが起き上った。瑞樹は振り向いてその顔を見つめる。

「どうして……私に記憶を返してしまったの?」

 哀しい気持ちで問いかけた。

「記憶が戻って良かったよ。君はミズキ・ヒュウガだから……これで良かったんだ」

 カナメは静かに目だけで微笑んで、瑞樹の髪をそっと撫でた。

「……」

 ミズキ・ヒュウガに戻れた安堵感よりも二人を失った喪失感の方が大きかった。しばらくはこの空虚さと闘わなければならないんだろうと、止まらない嗚咽を懸命に抑えつけながら絶望的な気持ちでそう思う。


 なぜならば……瑞樹はもう日向瑞樹でさえなかったのだ。


 その気持ちをどう表現したらいいのかわからないまま瑞樹は口をつぐむ。この焼けつくようなカナメへの想いも心の奥底に沈めたまま、これから一人で生きていかなければならないのかと思うと途方にくれた。



*  *  *


嬉しかったことよりも、怖かったり悲しかったりした記憶の方がより強く長く残るのはどうしてだろう。眺めがいいからと座らされた遊覧船の船端で怖くて固まっていたことや、知らない小母さんにいきなりきつく注意されて悲しくて泣きたくなったことなんかを、いつまでもいつまでも覚えている。生きていくうちに、人は心の中に一つ一つ看板を立てていくからなのかもしれない。「危険につき立ち入り禁止」と


(第18話 鎮魂歌 -レクイエム- 終了)

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