第18話 鎮魂歌−レクイエム-(1)
二日後に電気系は完璧に復活したが、瑞樹は見つからないまま三日目が過ぎようとしていた。カナメのハル玉は相変わらずエリアEでのみひっそりと淡く光った。
「カナメ、大丈夫か?」
エリアEにできた穴の中で土を掘り返しているところに、上からコブの野太い声が降ってきた。最初は大勢で捜索してくれていた人たちも三日目ともなると絶望視したようで、一人、また一人と瑞樹を探す人は減っていった。
「もっとはよ来てやれんで悪かったな」
コブはそう言ってカナメの背中を軽く叩いた。
「昨日まではもっとたくさんの人が手伝ってくれていたんだ、だから大丈夫だよ。でも、来てくれてありがとう」
カナメは憔悴しきった様にコブを見上げてそう言うと、黙々と作業を再開した。
「カナメ、お前は少し休憩しろ。顔色が悪いぞ。上でイベリスが心配しちょる。飲み物とかが用意されちょるから、しばらく俺と代われ」
降りてきたコブは有無を言わさずカナメをつまみ上げ立たせると、穴から上がるように押し上げた。
「コブ、おい、ちょっとやめろよ」
「悪いことは言わん、少し休め。この辺を掘ればいいんか?」
コブが指さしたところを見つめて、カナメは弱弱しく頷いた。
「カナメさん!」
イベリスが心配そうに駆け寄ってくる。
「飲み物とか食べ物を用意していますから……」
イベリスは泥だらけで顔色の悪いカナメを引っ張って行った。
イベリスが入れてくれた温かい飲み物を啜りながらカナメは溜息をついた。エリアEは電力が供給されるようになって再び明るく暖かくなっていた。
――少し眩しすぎるかな。俯いて土を掘っていたから気付かなかった。
胸ポケットからサングラスを取り出して掛ける。遮光服も着た方がいいのかもしれないとカナメはぼんやりと思う。幽かな風が耳元を吹き抜けて行く。
「カナメさん……瑞樹は本当にここにいたのかな」
イベリスの言葉にカナメは顔を上げた。
「僕は確かにここで瑞樹を見たと思ったけど……あれは本当に瑞樹だったのかな。なんだか自信がなくなっちゃって……」
「いるんだ……僕にははっきり分かる」
カナメはぽつりと呟いた。
「……なんだか、瑞樹自体が、僕にとっては幻だったみたいで……」
イベリスは大きな溜息をつく。その時だった。
**『「おいで、ぼくと遊ぼう」王子さまは声をかけた。「ぼく、今すごく悲しいんだ……」』
カナメ頭の中にふとそんな言葉が飛びこんできた。驚いて辺りを見回す。言葉は続いた。
**『「きみとは遊べない」キツネが言った。「なついていないから」「なつくってどういうこと?」「ずいぶん忘れられてしまっていることだ」キツネは言った。「それはね、絆を結ぶということだよ」「絆を結ぶ?」「そうとも」とキツネ。「きみはまだ、ぼくにとっては、ほかの十万の男の子となにも変わらない男の子だ。だからぼくは、べつにきみがいなくてもいい。
きみにとってもぼくは、ほかの十万のキツネとなんの変りもない。でも、もしきみがぼくをなつかせたら、ほくらは互いに、なくてはならない存在になる。きみはぼくにとって、世界で一匹だけのキツネになる……」』(**)星の王子さま(サン=テグジュペリ河野万里子訳)より
カナメは言葉が聞こえてくる方にゆっくり歩いて行った。目を瞑り、耳を澄まし、心を集中する。その言葉は一本の小さな苗木から聞こえていた。
「カナメさん? どうしたんですか?」
イベリスが訝しげについてきた。カナメはいきなり膝をつくと苗木の根元を掘り返しはじめる。
「カナメさん?」
大穴からずいぶん離れた場所だ。いきなり掘り始めたカナメをイベリスは心配そうに見つめた。イベリスの心配をよそにカナメは土を掘り進めた。小さな苗木だ、根っこなんてたかが知れているはずだ、しかし、その苗木の根っこはまるで大きな繭のように広がり、何かを包み込んで守っているように見えた。
「イベリス! 手伝ってくれ」
イベリスがカナメの手元を見れば、見たこともないような根っこの繭が顔をのぞかせているのが見えた。根っこが放つ精油のような清涼感のある匂いがあたり一面にたちこめる。
根っこの繭の中に瑞樹は入っていた。大穴からどうやってここに入り込めたのかさっぱりわからなかったが、瑞樹はその中にいて、弱弱しく生命をつないでいた。
「おおぃ、誰か担架を持ってきてくれ。瑞樹が見つかった。生きてるんだ!」
イベリスは声を張り上げた。
瑞樹はイベリスの大声に促されるように目を開いた。カナメの深い緋色の瞳を見て弱弱しく微笑む。
「カナメ……もうこのまま会えないかと思った」
「ディムなんだね?」
「会えて良かった。瑞樹がハルの力を使って火山の噴火を止めたの。ここが噴火口になるところだったから……瑞樹が命がけで守ったの、もう、死ぬんだと思った……」
「ディム、良かった。このまま君を見つけることができなかったら、僕は一生後悔して生きることになっていたよ」
カナメはディモルフォセカを強く抱き締めた。
「カナメ、あの苗木をとって」
瑞樹を包み込んでいた根をもつ苗木を指さした。
「どうするの?」
言いながら手を伸ばすと苗木をディモルフォセカに渡した。
「ありがとう。カナメ……私はここを離れなくてはならないらしいわ」
ディモルフォセカは悲しそうにカナメの瞳を覗き込んだ。
「何故? 助かったのに?」
カナメの声が掠れる。
「私を医療センターじゃなく、あなたの部屋に連れて行って」
ディモルフォセカの声は何かに急きたてられているようだった。
「ディム?」
「そして、瑞樹に記憶を返して」
「そんなこと……そんなことできない……」
「……じゃあ、私たちはこれで死ぬしかないわ」
「どうして? どうしてそうなるんだよ?」
「一つの体に二つの人格は負担なの。瑞樹はもうずっと前から疲弊していたの。私が出て行かなければ、瑞樹は駄目になる」
「僕に君を見捨てて瑞樹を助けろと言ってるのか?」
「カナメ、間違えないで、この体は瑞樹のものなのよ。選択肢は二つなの。瑞樹が生き残るか二人とも駄目になるかよ。私は瑞樹を助けたい、こんな風に……」
ディモルフォセカは苗木を持つ手に力を集中した。
小さな苗木はその枝葉を伸ばして、根っこが自力で土の中に潜っていった。力の放出にディモルフォセカは肩を震わせて喘ぐ。
「瑞樹に根っこを返してあげて、そうすれば私はここから出て行ける。お願いよ」
縋るように見つめられて、カナメは力なく頷いた。
「イベリス、担架はいらない。僕が運ぶよ」
カナメは瑞樹を抱き上げるとエリアEから運び出した。
願いを聞き届けられて安心したのか、ディムは意識を失ってしまった。ディムが体から出ることで果して瑞樹は助かるのか、それさえも危うい状態に見えた。抱きかかえた体の冷たさは、瑞樹の命が依然薄氷の上にあるのだということを告げていた。
「カナメさん? 医療センターはこっちですよ」
イベリスが慌てて追いかけてきて注意する。
「イベリス、ニシキギを呼んできてくれないか? 1125室の僕の部屋に来るように伝えてくれ」
カナメは歩みを緩めずにイベリスに頼んだ。
「ニシキギですか?」
イベリスは怪訝そうに問い返した。
「うん、急いでほしいんだ」
「わかりました」
イベリスは釈然としない様子で、それでも駆け足でニシキギを呼びに行った。
カナメは個室の暖房を最高温度に設定した。瑞樹の土で汚れて湿り気を帯びた衣服を脱がして毛布にくるむと抱きかかえたままベッドに入った。胸のポケットから大脳コンタクトの器械を取り出す。
「ディム、ディム……」
もう一度声が聞きたくて瑞樹の体を揺する。顔は蒼白で唇は紫色になっている。カナメは目を開く気配のない瑞樹の顔を手で擦った。冷たい頬、それはもうタイムリミットを越えているのではないかとぞっとする程で、カナメは息をのむ。
もう一度強く抱きしめてから、器械に記録されている瑞樹の記憶を選び定着モードに設定する。名残惜しそうに瑞樹の顔を見つめることしばし、カナメは意を決したように大脳コンタクトの機械を瑞樹の頭に装着してスイッチを押した。
「……駄目、駄目だよ」
一瞬目を開いて瑞樹がカナメの腕を握り締める。
「ハニーが消えちゃうよ!」
驚いて見返すカナメに静かな声が割って入った。
「いいの、これでいいのよ。ありがとうカナメ……」
「ディム……」
カナメは愛おしそうにディモルフォセカの頬を手で撫でた。
「一つだけ心残りだったのは……最後にあなたに会えなかった事だった。あんなにたくさん迷惑をかけて、守ってもらったのに、私、あなたにお礼を言ってなかったもの。それにあなたの腕の中で死にたかった。やっと願いが叶った……」
ディムは微笑んだ。
「ディム、礼を言うのは僕の方だ。君を守ってるつもりで、本当は君に支えられてたんだ。君に……救われていたのは僕の方だ」
ディモルフォセカは小刻みに震える手を伸ばしてカナメの頬に触れた。
「カナメ……あなたが笑うと私も嬉しい、あなたが悲しい時は、私も悲しい……だから、あなたは、未来へ、行って、そして、幸せに、なって……それが私の、幸せになる。カナメ……未来へ」
ディモルフォセカは未来を指さすように空中に指先を向けた。やがて、その腕はぱさりとベッドのシーツの上に落ちた。
カナメは指が指し示す方をしばし見つめた後、強く、強くディモルフォセカを抱きしめた。
「ディム……君はひどいよ……二度までも僕を置き去りにしておいて……君なしで未来へ行けなんて……君の幸せが僕の幸せだったのに……逆だろ? それじゃあ……」
カナメはディモルフォセカを抱きしめたまま項垂れた。