第16話 今は亡き惑星(ほし)の光跡(2)
覚醒したディモルフォセカ人格は、あたりを見渡してくすりと笑む。目の前には、あたり一面草原が広がっている。
――瑞樹は本当に諦めない性質なのだ。
ディモルフォセカは嬉しくなる。
根っこを失くして尚、光を求めて力強く枝を伸ばし、支えをつかみ取ろうとするその力を彼女は心から頼もしいと思う。
そんな彼女だったからこそ自分はここまでこられたのだと確信する。彼女と話してみたいと思う、そして自分から解放してやりたいとも。そうしたら自分はどうなってしまうのだろう。消えてしまうのだろうか。
大切なものを失ってしまうことは、とても辛くて悲しいことだ。それが自分自身の命だったら耐えられないくらいに辛い。何故なら、すべてを失わなくてはならないからだ。自分が大事にしていたすべてのものを。
それでも……人生には、すべてを失っても守らなくてはならないものが確かにあると思う。少なくともディモルフォセカにはあった。
――私たちの子供、カナメは……地球に無事に着いたのだろうか。
「瑞樹? 何をしているの?」
真上でカナメの声がした。
相変わらずこの人はタイミングよく現れる。びっくりするくらいのタイミングでいつも私を危機から助け出してくれた。
「ねぇ、カナメ、本当は瑞樹を元に戻す方法を知っているんでしょ?」
静かに問いかける。
「ディモルフォセカなんだね」
カナメは僅かに微笑んだ。
「それをすると私は消えるの?」
ディモルフォセカは真っ直ぐにカナメを見つめた。
「……元に戻す方法はまだわからないよ」
カナメは目をそらす。
「……ねぇ、カナメ、あなたはハルで私にたくさん嘘をついたでしょ」
ディモルフォセカは膝を抱えて座りこむと遠くを見つめた。
「嘘? ……そうだったっけ?」
カナメも横に座る。
「だって、すぐ分かるもの」
ディモルフォセカは小さく笑う。
――カナメが嘘をつく時の癖。言ったあと、必ず目をそらす。
「あなたは私を守る為にたくさんの嘘をついてくれた。だから、あなたが嘘をつくと私はこれは危険なことなんだって理解した。今も……そうなのね」
「ディム……僕は……」
カナメは悲しそうに顔を歪めると、ディモルフォセカの頭を抱えるようにして抱きしめた。
「瑞樹を元に戻してあげたいの。そして彼女自身の人生をきちんと歩いて行けるようにしてあげてよ」
「……君を失うことになっても?」
カナメは痛みを堪えているように顔を顰めた。
「やっぱりそうなのね。瑞樹に記憶が戻ると私は消えてしまうんだ」
「……わからない。ハルはそうなるだろうって言っていた」
「ねぇ、カナメ……私もあなたに内緒にしていたことがあるわ」
ディモルフォセカは寂しそうに微笑んだ。
「ブラキカムにあなたにも言ってはいけない、それは誰にとっても危険なことだからと念を押されて……あなたに一番に話したい事だったのに、一番話してはいけないことだった」
ディモルフォセカはカナメの胸に頭を寄せた。
「それは……子供のこと?」
カナメの言葉にディモルフォセカは目を見開く。
「どうして知ってるの?」
「ハルから聞いた。その後ブラキカムに確認した。僕たちの子はガルダに乗せられていて、無事どこかに着いて再生されていれば、イブキとフェリシアの養子になっているそうだ。君がガルダに飛んで行った理由が今になってやっとわかったよ」
カナメはディモルフォセカの髪を撫でた。
「二人の養子に? そうだったんだ。知らなかった……」
ディモルフォセカは目だけでふわりと笑った。
「あの子……無事に着いたのかな。きっと着いたのよね。だって、ここにハルがいたんだもの。きっと地球に着いていたんだわ」
涙が一筋ひっそりと零れた。
「ハルもそう言っていた」
「だったら、なおさら瑞樹を解放してあげなくちゃ」
「どうしてそうなるんだよ?」
「リレーだから……」
カナメは府に落ちないという顔をした。
「リレーは次の走者にバトンを渡すでしょ? 次の走者は私じゃない、瑞樹だわ」
「リレーじゃないかもしれないよ。例えば……ただの駆けっこかもしれない。誰が一位になるかなんて誰もわからない」
「そんなこと本気で思ってない癖に……」
ディモルフォセカはクスクス笑った。
「生き物は何でもリレーをしてる。次の世代にバトンを渡すために。私はもうバトンを持っていない。もう渡しちゃったんだから」
ディモルフォセカはカナメを真っ直ぐ見つめる。カナメはディモルフォセカを抱きしめた。
「もう少し……もう少しだけ待ってくれないか? 時間が欲しいんだ」
カナメの悲しげな声が耳元で響いた。
瑞樹はエリアEで座っている自分に気がついた。すとんと意識が戻ってくる感じ。ファームの民が休憩に入っているのが遠くに見えた。誰かが傍にいた気配があったが、今は誰もいない。
随分長い夢を見ていたような気がする。こんな風に人格が入れ替わりながら自分とディモルフォセカは生きてゆくんだろうか、半分の人生を…それともどちらかが消える時が来るのだろうか。瑞樹は途方に暮れる。
ハルも見つけられず、記憶もない自分の方が消えるのだろうと瑞樹はぼんやりと考える。
その時だった、瑞樹の指の先にあった小さな苗木が小さな声で語り始めた。もちろん声ではない、幽かな風にも溶けてしまいそうなくらいの、小さなため息のような想いが頭の中に響いてくる。
とめどなく溢れるお互いへの愛情を基調にして、別れてしまった悲しみ、こんな形で出会ってしまった哀しみ、失ってしまった過去への哀惜、瑞樹への慈愛までをも含めて、ディモルフォセカのカナメの想いが伝わってくる。
瑞樹は身動き一つできなくなった。息をつめて耳を澄ます、悲しい哀しいその物語を全身で聞くために。
「おい、お前、いつまでここに居るつもりなんだ?」
背後から声がして、物語はぷつりと途切れた。
「!」
瑞樹は驚いて振り返る。
立っていたのはニシキギだった。瑞樹は凍りついたようにニシキギを見つめる。
「どうしたんだ?」
ニシキギは怪訝そうに瑞樹を見つめる。瑞樹はふと我に返ったように力なく首を振った。
「俺はナンディーに帰るぞ、もう二度と俺を脅かして何かしてもらおうなんて考えるなよ。もう何もしてやらんからな。ソーマで脅かしたって無駄だからな」
ニシキギはガミガミと言った。
「もう何も頼まないよ、もう何もないもん」
いきなり現実に引き戻されて、瑞樹は脱力して小さく呟く。
「何かあっても頼むな」
「もう頼まない。ごめん、脅かしたりして……ありがとう、ここへ連れてきてくれて……」
瑞樹は弱弱しく微笑んだ。
「で? お前の目的は果たせたのか?」
ニシキギの問いに瑞樹は首を横に振った。
「でも、もういい。もういいんだー」
「……お前、地球に帰るのか?」
「私が帰るところは本当に地球なのかな。違う気がするんだよね。だって地球のどこに帰ればいいの? 誰に会えばいいんだろう。ねぇ、私はどうして記憶がないのかな。知ってる?」
瑞樹はニシキギを見つめた。
「それは、お前が一度死んだからだ」
ニシキギは片眉をあげて言った。
「一度……死んだ」
不可解な言葉だったので復唱してみる。
「お前は病気で一度死んだ。それを分解して再生したんだが、その時に記憶をうまく採取できなかったらしい」
「分解……再生……記憶採取……」
瑞樹には自分の過去の記憶が一切といっていいほどなかったが、例えば、右利きであるとか食べ物の好みであるとか服の着方とか生きて行くために必要なことはきちんと覚えていた。言語についても、ここで話している言葉をもう一つの別な言語で言おうとすれば言えることもわかっている。
もう一つの言語……これが自分の出自を証明してくれるのだろうとも薄々感じている。それらのことと同様に、一度死んだものは二度と生き返らないのだということが自分の中の常識であることを瑞樹は記憶していた。
「私……死んだの?」
途方に暮れるとしか表現できない。ニシキギは不思議そうな顔で頷いた。
「……じゃあ……じゃあ、私は……誰?」
途方に暮れたままニシキギを見上げる。
「お前はミズキ・ヒュウガだ」
「ディモルフォセカじゃないの? だって、私は死んだんでしょう?」
「ディモルフォセカだって死んでる」
「それって……」
瑞樹は混乱した目でニシキギを見つめた。
「そういう言い方をするなら、ハルの人間はみんな一度死んでる。俺もカナメも……」
「……」
瑞樹は絶句した。
「だが、俺たちは生きている。動けるし考えるし腹も減る、そういう状態を生きていると言うのではないのか?」
「そう……だね。でも、そういうことがここでの常識なのなら……私は生きていてはいけないんじゃないかな……」
瑞樹は観念したように薄く笑うと膝を抱えて俯いた。
「なんでそうなるんだ?」
「私の中の認識では一度死んだら生き返らないということになってる。たぶん、私のいた世界はそうだったんだと思う。それに、ディモルフォセカには守るべきものがあるけど、私には何もない。記憶がないんだから……そうであるならば、この世界で生きるべきなのは、ディモルフォセカの方だよね」
それきり黙りこむ。
「……」
ニシキギはしばらく黙って立っていたが、そのまま何も言わずに立ち去った。
* * *
地球上に暮らしているすべてのものは地球の法則に従って生きている。二十四時間たてば一日が終わるとか、地軸の傾きのせいで季節があるとか、太陽は東から昇って西に沈むとか、数多ある地球の法則の中に、死んだものは生き返らないということは含まれているのだろうか。どこか別の世界では、死んでも生き返ったり、死なない世界というものがあったりするのだろうか。そもそも生きているとはどういうことなのか、何の為に生物は存在するのだろうか、この手の疑問は考えれば考えるほど分からなくなる。
(第16話 今は亡き惑星の光跡 終了)