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第15話 奈落の底の記憶

 エリアGは、瑞樹にとって通い慣れた場所だ。

 エリアEに連れ戻された後、瑞樹はエリアGに現れた。ニシキギは小型シャトルの定期点検と整備を行っている。

「何をしに来た? 俺はもう用済みなんだろう?」

 ニシキギは、瑞樹を眼の端で捉えながらしかめっ面で問いかけた。

「私が来なくなって寂しかった?」

 瑞樹はニシキギを覗き込む。

――この人の瞳は青くて、相変わらず……心惹かれる。どうしてなんだろう……。


 ここに来たのは単なる思いつきだ。

『おい、今日はもう終わりだ。帰るぞ』と不機嫌そうに言う声、ぶっきらぼうに瑞樹に伸ばされた手。曖昧な記憶の中で、彼がかつて瑞樹にぎこちなく見せてくれた優しさ。それだけを頼りに交渉しにきた。

 彼の優しさを利用しようとしていることは自覚している。それでも、どうしてもアグニシティに行きたかった。


「馬鹿馬鹿しい。いなくなってせいせいしてるさ」

 ニシキギは視線をそむけて肩を竦めた。

「相変わらず人けがないね、ここ」

 瑞樹はニシキギの脇に回りこむ。

「人なら奥にたくさんいる。こんな小物は俺一人で十分だ」

 ニシキギは憮然とする。

「ねぇ、私をアグニシティへ連れて行ってくれない?」

 瑞樹はニシキギをにこやかに覗き込んだ。ニシキギは瑞樹を胡散臭そうに見つめ返す。

「なんで俺がお前をアグニシティに連れて行かなきゃならないんだ?」

「なんででも」

 瑞樹は口元だけで笑ってみせる。

「話にならんな」

 ニシキギは再び作業を続ける。


「ねぇ、白いソーマの種って厳しく管理されているんだってね」

 瑞樹はニシキギを覗き込む。

「許可なしに持ち出すことはできないし、数も常に管理されているとか……あなたが持っている分はもう申告したの? ハルからもらった分。それとももう使ってしまった?」

 瑞樹は無邪気そうにニシキギの目を見つめる。

「そんなことを話したら、面倒なことになるのはおまえの方だぞ」

 ニシキギは瑞樹を睨みつけた。

「使ってないの? あれ勝手に使ったら法に触れるの? でも、まだ持ってるんだよね?」

 カマをかけてみる。何が法に触れるかなんて瑞樹は何も知らない。

「……」

 ニシキギは作業をやめて立ち上がった。

「それとも、いつ使おうかって考え中?」

 瑞樹は悪戯っぽくニシキギを見上げる。

「使ってるところを見つかって、どうやって手に入れたか説明するのは大変なんじゃないのかなぁ? あ、まさか、黒い種に変えて、また私に白い種たくさん作らせようとか思ってないよね?」

 自分で思いつく限りの脅しの種を蒔く。優しさを利用し、脅しまでかける。やり方が最低なのは分かっていた。それでも、瑞樹はある意味必死だったのだ。

「何が目的だ?」

「え? 図星?」

「的外れもいいとこだ。面倒なことになるのはおまえの方だと言ってるだろ。目的は?」

「最初に言ったつもりだったんだけどな……私をアグニシティに連れて行って欲しいんだよ。何も難しいことじゃないでしょ?」

 瑞樹は無邪気に微笑んでみせた。

「で? いつ行きたいんだ?」

 ニシキギは溜息をつく。

「今すぐ。当然!」

 瑞樹はニッと笑った。



*   *   *



 火星の軌道からアグニシティまで、小型シャトルを使うと小一時間ほどで到着できる。ニシキギは、シャトルを自動操縦に切り替えるまで一言も口をきかなかった。後部座席で瑞樹は大人しくしている。


「アグニシティで何をするつもりだ?」

 ナンディーとの交信を終了した後、ニシキギが振り返った。

「さて、何をするつもりでしょう?」

 瑞樹はおどけてみせる。

「何もないぜ」

「エリアEがあるんでしょ?」

「エリアEで何をする?」

 ニシキギは操縦席を立って飲み物を用意し始めた。

「火星にすぐに降りないの?」

「タイミングが悪かったな。ナンディーはアグニシティの真裏だった。しばらくは軌道上で待機だ」

 ニシキギは瑞樹にも飲み物を渡して、自分でも飲み始める。

 小型シャトルでは人工重力が働かない。受け取ったチューブ状の飲み物から手を放すと、その辺に勝手に浮かんでいて面白い。

 瑞樹は少しだけ飲み込むとチューブを空中でクルクル回して遊んでいた。

「……ハルとか言うやつや、ディモルフォセカは出てこないのか?」

 ニシキギは探るように低い声で話しかけた。

「ディモルフォセカ? ハニーのこと? 彼女はそのうち出てくると思うよ。私が明け渡したらね」

 この人にハニーを会わせるのは危険だ。心の中で何かが警告する。

 瑞樹はニシキギを鋭く一瞥した。


「ハルは?」

「ハルは……いなくなった」

 一瞬、瑞樹は泣きそうな顔になる。

「いなくなった? あいつ、何者だったんだ?」

「ハルは……ハルだよ。それ以外の何者でもない」

 さっぱり分からないと言うようにニシキギは肩を竦めた。

 少しずつ、瑞樹は意識がぼんやりしてくるのを感じていた。眠りの沼に引きずり込まれるように、意識が遠くなる。

「……あなた、何か入れた?」

 瑞樹は、ぼんやりした意識の中でニシキギを睨みつける。

「何の事かな?」

 ニシキギは意味ありげににやりと笑った。


 瑞樹はずぶずぶと沈んでいくような眠気に必死で耐えていたが、ほどなく意識を手放した。

「……何のつもりなの?」

 瑞樹が意識を失うと同時に、目覚めたのはディモルフォセカ人格だった。弱めの睡眠導入剤で、ほんの少量摂取しただけだったので、人格交代によってすぐに意識を回復できたらしい。ニシキギを睨みつけたディモルフォセカの視線は、次の瞬間小型シャトルの室内をさまよい、瞬間に激しく動揺する。

「ここはどこ? あなたは私をどこに連れていくつもりなの?」

「あんたはディモルフォセカなのか?」

 ニシキギは慎重に確認する。ディモルフォセカはその名に反応した。

「どうして瑞樹はあなたと一緒にいるの?」

「瑞樹に脅されて、あんたをアグニシティに連れていく途中だ。もう一人の人格が何をしているか知らないのか?」

 ディモルフォセカは首を横に振って否定した。

「瑞樹はアグニシティで何をするつもりなの?」

「さあ、訊いたけど答えてくれなかったな」

 ニシキギは高揚していた。十歳の時からずっと追い続けていた人物が目の前にいる。

 ニシキギの脳裏に、アール・ダーのガイアエクスプレスのプラットホームですれ違ったあの日の記憶が呼び覚まされる。


「今からナンディーに帰ることはできますか?」

 ディモルフォセカは、ニシキギの様子には気づく様子もなく問いかけた。

「……帰ることはできるけど帰すつもりはない。瑞樹が出てくれば、また的外れな話で俺を脅すだろうよ。二度手間だ」

「では、カナメに連絡をとらせてください」

「配偶者に助けを求めるわけだ」

 ニシキギは意地の悪そうな笑みを浮かべる。

「いけませんか?」

 ディモルフォセカはニシキギを睨みつけた。

「……あんたさぁ、ディモルフォセカ・オーランティアカなんだろ?」

「……違うことは証明されたんでしょう?」

 ディモルフォセカは用心深くニシキギを見つめた。

「アンドロイドよりもハルが一枚上手だったと……そういうことなんじゃないのか?」

「私は本当にディモルフォセカ・シヌアータだったんです。結婚する前は……」

――この人はハルがここにいたことを知ってる……危険だ。

「それはアール・ダーに行く前の名前だろ」ニシキギは続けた。

「シヌアータ、オーランティアカそしてグラブラ……すべて同一人物だ」

 ニシキギはディモルフォセカを見つめた。

「……違います」

 ディモルフォセカはニシキギから目をそらした。

 この人はアール・ダーのことも何か知っているのかもしれない。アール・ダー村で育ったディモルフォセカ・オーランティアカのことを……。警戒音が心で鳴り響く。

 声が震えていなかっただろうか、鼓動が速くなる。


「違わないさ。俺はあんたを知ってる、あんたがガイアエクスプレスでアール・ダーにやってきた時から知ってるんだ」

 ディモルフォセカは、はっと顔をあげてニシキギを見つめた。

「アール・ダーに……いたの?」

――森の民ではない彼が何故? 旅行者? もしかして、彼も森の民なのだろうか。

「俺は十歳までアール・ダーで育った。森の民の両親の間に生まれたからな。なのに俺は森の民じゃなかった。あんたが乗ってきたガイアエクスプレスに乗って、俺は地下都市に連れて行かれた。あんたとはガイアエクスプレスのホームですれ違ったんだ。あんたは覚えていないだろうな。まだ小さかったし……ひどく泣いていた」


 ディモルフォセカは驚きのあまり何を言っていいのか、言ってはいけないのか思いつけなくて凍りつく。

 ディモルフォセカは、三歳の時に森の民の力を発症してアール・ダー村に移送された。


「……それでも、あんたは俺の顔に見覚えがあるはずなんだがな」

 そう言われて、ディモルフォセカはニシキギの顔を注意深く見つめた。次の瞬間、ゆるやかに昔の記憶が蘇る。

 最初から、私はこの人が怖かった。どうしてかは分からなかったけど、今やっとわかった。

――似ているのだ。彼に……。

 本能的に感じる後ろめたさで怖かったのだと突然気づいて愕然とする。

「……シーカス?」

「やっと思い出したか? 俺と弟は良く似ていると言われていたんだがな……それとも、もう弟のことなんか忘れちまってたか?」

「弟……」

 呆然と呟いて、次の瞬間はっと我に返った。

「私……ごめんなさい。でも、シーカスにとっても自分にとっても納得のできない結婚だと……そう思って……それで……」

――逃げ出したのだ。地下都市へ……。

 ディモルフォセカは俯いていた顔を突然上げた。

「カナメは何も関係ないんです……私の勝手な行動に巻き込まれただけで……だから……」

 カナメを巻き込むわけにはいかない。カナメを自分のせいで危険にさらすこと、それをディモルフォセカは最も恐れていた。

「誤解の無いように言っておくが、俺は別にカナメ・グラブラをどうこうしようなんて思ってないぜ。あんたが森の民じゃなかったとアンドロイドたちが断定した時点でやつはもう安全圏さ。良かったな」

 ニシキギは面白くなさそうに肩を竦めた。

「じゃあ、何故今さらこんな話を?」

――私はどうなるんだろうか。

 ニシキギの意図が分からない。それでも、カナメが巻き込まれないならそれでいい。ディモルフォセカは自分に言い聞かせて落ち着こうと努めた。


「ただ本当のことを知りたかっただけだ。そして、あんたがディモルフォセカなのならば、現実を知っていて欲しいと思った。それだけだ。あんたの名前は、地下都市に向かうガイアエクスプレスの車掌に聞いた。それ以来俺はずっとあんたの情報を集めていた」

「……何のために? 現実って?」

 ディモルフォセカは恐ろしくなる。なにか途方もなく悪いことに巻き込まれている気がする。

「俺はあんたが許せなかった」

 ニシキギは吐き捨てるように言った。

 ディモルフォセカは息をのむ。

――ワタシヲ ユルセナカッタ?

「俺はアール・ダー村が好きだった。光が溢れていて、緑で溢れていて、家族がいて、友人がいて……それが、森の民の能力がないからと地下都市ハデスに引きずり降ろされた。あんたを恨んでいたのは逆恨みだ、自分でも分かっていた。それでも光の中に解放されたあんたの代わりに俺は闇の中に引きずり込まれたんだとそう思わずにはいられなかった」

「それって……」

 それは確かに、間違いなく、逆恨みだ、ディモルフォセカは呆然とする。


「地下都市の人間がアール・ダーの情報を手に入れるのは容易いことだった。逆は全くできなかったのにな。皮肉なことだ。俺はあんたに関するあらゆる情報を引き出した。アール・ダーで起こった出来事は、些細なものでも、かなりな量が中央政府に監視されてた。そのことをあんた知ってたか?」

 ディモルフォセカは首を横に振る。

「あんたが力をコントロールできずに、学校の先生にしょっちゅう居残りをさせられていたことも、アリッサムと比較されていじけていたことも全部知ってる」

 ニシキギは意地悪そうに嗤った。

「……別にいじけてなんていませんでしたよ」

 ディモルフォセカは力なく否定する。

 双子の姉だったアリッサムが強い力の使い手だったのも、力をコントロールできないディモルフォセカが、しょっちゅう先生に叱られていたのも事実ではあった。

 本当の姉妹でないと知ったのはずっと後、逃げ込んだ地下都市でのことだったから、双子なのに何故こんなに力の差があるのかといつも不思議に思っていたのも本当のことだけれど。


「あんたがアール・ダーで楽しんでいればムカついたし、うまく行っていなければいい気味だと思ってた」

「……それって、すっごい性格悪くないですか?」

 ディモルフォセカは腹立たしくて泣きたくなってくる。

「悪いさ、自分でも嫌になった。それでも薄暗がりの地下都市で完璧に周囲から浮いていた俺にとって、あんたは格好の気晴らしだった。いきなり十歳から地下都市の生活をさせられるんだぜ。アール・ダーとは何から何まで違う、家族もいない、友人もなかなかできなかった。天災だ。俺だけに降った天災だと俺は思っていた」

「私にとっても天災だったと思いますよ。小さいうちに親から引き離されて……」

 無駄だろうとは思いつつ反論してみる。

「それでもあんたには養父母と姉弟がいた。引き離されたことだって覚えていなかったんじゃないのか?」

「それは……」

 確かに、地下都市で記憶採取装置を使われるまでオーランティアカが自分の本当の家族だと思っていた。

「そのあんたが、シーカスと結婚すると聞いて俺は驚いたよ。シーカスは俺と違って強い力を持った森の民で性格も良い、まあ顔は俺の方がちょっといいかな? とにかく、あんたみたいなやつと結婚なんてさせられるかって最高に腹が立った」

「結婚してませんよ、ご希望どおり」

 ディモルフォセカは力なく呟く。

「あんたが結婚式の前夜に逃げ出したと聞いた時、俺はピンときた。あんたは地下都市に逃げて来るってな。それから何日もガイアエクスプレスが到着する時間にはハデス駅で……あんたを待ってた」

 ニシキギに睨みつけられてディモルフォセカは首を竦める。

「迎えが来てたなんて知らなかったわ。地下都市では随分ひどい目に遭ったけど、でも……あなたに会ってたら、私はもっとひどい目に遭ってたんでしょうね?」

「……俺にもわからない。あんたに会ったらどうするかなんて何も考えていなかった。会えていたら俺も途方に暮れていただろうな」

「お互い会わなくて良かったわね」

 ディモルフォセカはにっこり笑う。

「あんたは……考えたことなんてなかったんだろうな、あんたがアール・ダー村を出た後にシーカスがどうなったかなんて……」

「どうって……ネモフィラと幸せになったんじゃないの? だって、私はその為に……」

「おめでたいな。世の中そんなに単純だと思うか? ネモフィラと結婚できたのなら既にしていただろうよ。自分の結婚式の前日に花嫁が逃げ出す。当然弟は周囲に冷たい目で見られたことだろう。ネモフィラだって、恋人の結婚式がなくなりましたって言われて、そうですかって、そのまま弟と付き合えたと思うか?」

「それは……」

 自分のことで頭がいっぱいだったのは確かだった。政府と親が勝手に決めたことだ、結婚なんてできないと何の考えもなしに逃げ出した。


「二人が付きあえなくなって、しばらくしてネモフィラは死んだと聞いている。行方不明になったという噂もあるな。元々体の弱い人だったらしいし、真相は分からない。シーカスも色々責任を感じたんだろう、ハル脱出まで独身で通して最期はソーマに力を吸い取られて分解された。シーカスがマルチタイプだったのくらいは知っていたか? 再生できないんだ」

 ディモルフォセカは瞠目する。

――知らなかった。何も知らなかった。

 自分のとった行動が、いつのまにか周囲の人を傷つけていた。オーランティアカの家族だって肩身の狭い思いをしたに違いないのだ。


――じゃあ、私は……どうすれば良かったの?

 こんなに時間も場所も隔たったのに、傷つけ、心配させた人がいる、もっといたのだ、その当時はもっと……。

――私はそんなにひどいことをしていたのだろうか。

 自覚が全くなかったわけじゃないけど、突き付けられた現実に言葉を失う。

――そんなつもりじゃなかった。そんなつもりじゃ……。

 ディモルフォセカは堪えきれずに泣きだした。涙が目の端で丸い水滴を結んで浮遊する。


「私……何も知らなかった。シーカスとネモフィラが別れたことも、ネモフィラが死んだことも……シーカスが再生されないタイプだったことも……何も知らなかった」

 体中ががくがく震えてくる。そんなことになるなんて、これっぽっちも考えていなかった。

「あんたが地下都市で、誰かさんの手厚い庇護の下にあった時、弟は孤独な人生を送っていたというわけだ」

「……ごめんなさい、ごめんなさい、私そんなつもりじゃ……」

 ディモルフォセカはニシキギが怖くて顔をあげることができない。涙があちこちに散乱する。


 ニシキギはディモルフォセカを見下ろしながら小さく溜息をついた。

――こんなに追い詰めるつもりじゃなかった。

 でも、どうしてだろう自分を止められない。弟のことだってそれは弟が選んだ人生なのに……。

――そもそも俺は弟思いの兄じゃなかった。

 力がない自分と並み以上の力を持つ弟。ニシキギだって親の見ていないところで随分いじめたのだ。それが後ろめたくて、森の民のタイプオリジンを再生する方法を開発しようと躍起になっていたのかもしれない。

「泣くな、鬱陶しい」

 予想以上の反応に逆にイライラする。

「ごめんなさい、私はどうすればいい? シーカスとネモフィラはもう再生できないの? 方法はないの?」

「再生してどうする? 相変わらず単純なやつだな。それにシーカスもネモフィラも遺伝子情報は別の船に乗ってた。俺が森の民の家族と同じ船に乗せてもらえると思うか?」

「……じゃあ、どうすればいい? 許してもらおうなんて思わないけれど……何か私にできることがあったら言って……ください」

 ようやくの思いで勇気を振り絞ると、ディモルフォセカは潤んだ瞳でニシキギを見上げた。


 ニシキギはたじろぐ。真実を知りたかったということに嘘はなかったが、半分は瑞樹への鬱憤を晴らす為に持ち出した昔話だ。何かをしてもらおうと思って聞かせた訳じゃない、もう済んだことだと言えばそれで終わりのはずだった……それなのに、どんどん残酷な気持ちが湧き上がってくる。

「……何でもするという意味か?」

 ニシキギは意地悪く微笑む。

「……私にできることならば……」

 ディモルフォセカは怯えた目で見つめ返した。

「じゃあ、ソーマの黒い種を白くしてもらうってのはどうだ?」

 ディモルフォセカは目を見開いた。

「……ソーマの種を持っているの?」

 顔色が蒼白になっていく。

「ああ、持っている」

 ニシキギは口だけで笑った。

「……」

 ディモルフォセカは黒いソーマの種を一度だけその掌に乗せたことがあった。ハルの地下都市ハデスでのことだ。あの時は危ないところでカナメに助けられた。


 力を吸い取られてゆく時のあの激しい苦痛を今でもはっきりと思い出すことができる。激痛とともに冷たい塊が体の中心で大きくなっていって、しまいには息さえできなくなる。ソーマは恐ろしい種だ。だけど……森の民はすべてそうされたのだ。シーカスも……。

「……分かったわ。でも、この体は瑞樹のものだわ。種を乗せて十秒後にはとってもらえますか? それくらい乗せれば白い種が一つか二つ採れると思います。それ以上乗せると……し、死んでしまうこともあるので……」

 声が惨めなくらい震えた。

「分かってる」

 ニシキギはポケットを探りながらディモルフォセカの前に近づいた。ディモルフォセカは震える左手を差し出した。その掌の上に握ったニシキギの右手の拳が近づく、ディモルフォセカは恐ろしさに息を詰め目をつぶった。

 ニシキギはしばらく、そんな様子のディモルフォセカを息を詰めて見つめていたが、ふっと小さく笑うと左手でディモルフォセカの冷たく蒼白になってしまった頬を撫でた。ディモルフォセカはびくりと体を震わせる。

「怖いか?」

 ディモルフォセカは怯えきった瞳でニシキギを見上げた。

「許してやろうか?」

 ニシキギの問いかけにディモルフォセカは小刻みに震えながら小さく頷く。

「……キスしろよ」

 ニシキギの言葉にディモルフォセカは目を見開く。

「……何故?」

 ディモルフォセカは困惑する。

「弟の代りだ。弟と結婚するはずだったんだろ?」

「……できないわ」

 困惑しきった表情でディモルフォセカは言った。

「弟に対する謝罪の気持ちなんか、その程度ということか……」

 不思議なことにニシキギは傷ついているように見えた。


「シーカスが愛しているのはネモフィラだった。私が入り込む余地なんてなかった。それに私にとってシーカスはお兄さんみたいな存在だった。例えシーカスが今ここにいたとしても彼は私を愛さないし、キスして欲しいなんて思わないと思う。彼はそんなことを望まないわ!」

 混乱して早口でまくしたてる。

「シーカスがあんたを愛さないなんて誰にも分かるはずがない、やつはここにいないんだからな。分かっているのはあんたが俺なんかとキスするよりも死んだ方がましだと思っているということだけだ」

「それは……違う……」

「何が違う?」

「それは……」

 ディモルフォセカは再び涙をまき散らし始める。疲労した心がガクガクと震えるようだ。そんなことができる自分ならば、シーカスと偽りの愛を誓うことだってできたはずなのだ。


 次の瞬間ディモルフォセカは意識が途轍もなく強い力で落下させられるのを感じた。意識がくるりと反転する。

「ちょっと! あんた! なんでハニーをこんなに泣かせてんの? いい加減にしないとただじゃ済まないよ!」

 涙に濡れていた瞳に強い光が戻る。虚を突かれたように一瞬ニシキギはぽかんとしているように見えたが、すぐに意地悪そうに笑った。

「家主の登場ってわけだ」

「ハニーをここまで追い詰める権利があなたにあるの?」

 瑞樹は自分の周囲に広がる涙をかき集めながらニシキギを睨みつけた。

「……ハルで俺の弟にした酷い仕打ちを許してほしいと言うから、キスしたら許してやるって言ったのに泣き出したんだ。酷いのはそっちだ」

 ニシキギはしかめっ面で言った。

「……って、なんであんたなんかとキスしなきゃなんない訳?」

 瑞樹は耳まで真っ赤になる。

「心配するな。ディモルフォセカは俺の弟との結婚が嫌で命を張ってまで逃げ出した女だぜ、そんなに気安く俺なんかに口づけするわけないだろ? そう言えば、お前が出てくると思ったんだ。それに……ここまで連れてきてやった俺に感謝のキスくらいしなきゃならないのは、むしろお前の方じゃないか?」

 真っ赤になっている瑞樹をニヤニヤ見つめながらニシキギは言った。突然、操縦席の方から呼音がしているのに気づく。

「なに?」

 瑞樹はびくりと小さく飛び上がった。

「アグニシティからの着陸許可だ、座席に座って安全ベルトを装着しておけ」

 ニシキギは肩を竦めると操縦席に戻った。


 座席に座って瑞樹は深い溜息をついた。

――私の中にいるディモルフォセカという女性は……一体どういう人なんだろ。

 ニシキギの弟との結婚を命がけで蹴ったなんて……よっぽど嫌だったんだろうと推測する。

――あ、もしかしたらお兄さんが厭で逃げたしたのかも……。

 ここまで考えると、再び盛大に溜息をついた。




*   *   * 



あまねく照らす太陽の光は地球上に生命をもたらした。そのことを太陽は知っているだろうか。答えは否だろう。人も同じだ。何気なくとった行動や発した言葉が、周りにどのような影響を与えたかなんてすべてを知ることはできない。良い影響も悪い影響も及ぼしているんだろうと思う。太陽が温かい光と同時に有害な紫外線をももたらすように



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