第13話 星の欠片(2)
カナメがエリアEに行くとミントが泣いていた。ハルがいなくなるのだと言う。
――ハル……懐かしい響きだけれど、誰だ? それは。
カナメはエリアEで瑞樹が行ったと教えられた方に歩いて行った。こっちは、確か湖がある方角だ。しばらくいくと案の定、湖に出た。
人工ジタンの下で湖はきらきら光っていた。その光る湖に誰かが浮かんでいるのが見えて、カナメに戦慄が走る。服が濡れるのにも構わず湖にじゃぶじゃぶと入って行った。
「アイリス? 君っ! 大丈夫か? ……瑞樹?」
瑞樹が顔を上にしてのんびりと浮かんでいた。カナメは呆然と瑞樹を見下ろす。
「よう」
呑気に答える瞳は、瑞樹ではなくあの時の、尋問が終わった時の誰かの目だ。
「君は……誰?」
カナメの問いかけに瑞樹は体を起こして立ち上がった。
「そうだったな、アイリスはこんな風に死んでたんだっけな。脅かして悪かったよ。アイリスは僕のベストハニーだった。ああ、もちろん、君のディムもベストハニーだったよ」
たくさん居たらベストって言わないんだっけ? とハルはブツブツ呟いた。
「僕は、君にお礼を言わなければならないようだ」
カナメは手を差し出した。
「礼には及ばないさ。借りを返しただけだ」
瑞樹の中の人格は鮮やかに笑んだ。
「何のことだ?」
「ハルの地下で不思議な人間が発生していたのは知っていたよ。死んでも生き返って……死ぬ前に若返ることもあったな。僕は不思議な人間ができたんだって面白く見ていた。君以外にも幾人かいた。君の友達にもいたよね、顔の良いお兄ちゃんときれいなお姉ちゃんが」
「イブキとフェリシアのことかい?」
「そんな名前だったかな。君たちが地下でサイコロを振って良い目を出すよりも少し前に、僕も地上でサイコロの良い目を出していた。君たちが森の民と呼んでいる人たちを作り出したんだ。僕がまだ、青くてうっとりと見つめてもらっていた頃の最後の一握りの大地を必死に守ってくれていた。森の民は全部僕のベストハニーだ」
「何を……言ってる?」
「君とディモルフォセカのことは本当に楽しく眺めていたよ。僕のハニーと地下の不思議な人間のカップル……子供ができたらどんなのだろうってワクワクして見てた。だから、僕はディモルフォセカの中に入り込んで脱出しようと考えたんだ」
「馬鹿な……」
「でも、ディムはあっという間に死んでしまった。計算外だったよ。彼女が自分の力以上の力を出してしまったんで、僕は彼女から逃げ出すこともできなかった。げに凄まじきは母の子を思う心ってやつだね」
ハルはクスクス笑った。
「……」
カナメは目を見開く。
「僕は消滅したはずだった。あの時、ディモルフォセカと一緒に……。でも僕はここに居る。何故だ? 僕は考えた。そして結論は一つだと気づいた。君とハニーの子供が地球に着いたんだってね」
「僕とディモルフォセカの子供?」
ハルは頷いた。
「ディモルフォセカに宿っていた胎児の中に、僕の欠片が入っていたんだろう。そして一人の人間の体を支配できるまでに大きくなった。今の僕がそれだ」
ハルはこの世のものとも思われないほどの威厳をもって微笑んだ。
「君は、ハルだと……、自分がハルだと言っているのか?」
「僕がそれ以外を名乗ったことは今までになかったよ。誰も信じてはくれなかったけどね」
ハルの瞳が不思議な瑠璃色を放つ。
「そして、もうこの体に留まれないくらいに大きくなってるんだ。だから僕はもうここを出て行かなきゃならない」
ハルは少し寂しそうに瞬いた。
「……どこに行くの?」
「そうだね、この太陽系は結構面白いところだけど、もう地球にはテラがいるからなー」
「地球にも君みたいなのがいるの?」
「みたいなのってなんだよ」ハルはふふっと笑った。「ハルが二文字だろ、テラって言いやすいからそう呼んでるんだ。地球上には様々な人種がいて、それぞれにそれぞれの地球の呼び名があるんだよね。僕とは大違いだな」
ハルは自嘲気味に笑った。
「生き物を育んでいる惑星には僕みたいなのが必ずいるよ。だからもう一度僕もどこかで生き物を育んでみようと思うんだ。いつか、どこかにいる僕を見つけてくれるかい?」
「火星には住みつかないのかい?」
「あー、君たち本当にこの星に住みつくつもりなの? ここにも既に僕みたいなのがいるよ。でも、僕はあんまり好きじゃないな、趣味が合わなさそうだしね」
「趣味……」
カナメは唖然とする。
「最後にアグニシティにプレゼントを置いて行くよ。後で見に行ってみな。それから、これはお願いなんだけど、もしミントが子供を産んだら、ミントに霊薬ソーマを一滴飲ませてやってくれ。そうすれば寿命を延ばすことができると思うんだ」
ハルは悲しそうに言った。
「それから、これはとても大事なことだ。必ずチビを元に戻してやってくれよ」
「チビ?」
「瑞樹のことだよ。あの子はまだ十七歳なんだ、これからたくさん笑ったり、泣いたり……恋をしたりしなくちゃいけないんだ」
ハルの言葉に聞き覚えがあった。
「ふふ、これは君のセリフだね。君はこう言ってディモルフォセカをフォボスから救い出してくれた。僕はなんでも知ってるんだ。だから君がついた嘘だってちゃんと知ってただろ? だって全部僕の上で起こったことだったからね」
ハルは悪戯っぽくウインクをしてみせた。
カナメはディモルフォセカ・シヌアータが持つ架空の情報をハルがスラスラと話したことを思い出す。
ハルは続けた。
「君が瑞樹から偶然採取した小型大脳コンタクトの機械に入っている彼女の記憶を返してやってくれ」
「瑞樹に記憶を返したら……ディムはどうなる? ディムはあの体にいるんだろう?」
カナメは拳を握り締めた。はっきりと確かめたわけではなかったか、それは確信のようなものだった。
「この体はミズキ・ヒュウガのものだ。元の彼女に戻るだろう。君には辛い事だと思うけど、瑞樹は僕やハニーをここまで連れてきてくれた。彼女の使命はここまでだ。これからは自分の人生をきちんと生きていけるように導いてやってほしい。瑞樹は地球の子だ。この先君たちがどんな生き方を選択するかは分からないが、とにかく瑞樹は地球に帰してやってくれ。テラもそれを望んでいるはずだ」
「……」
カナメはハルの目を見ることができずにそらしてしまう。
「瑞樹は、辛い人生を背負っていたせいで、逆に周りに甘やかされてきたから精神的にひ弱なところがあるんだ。きちんと自分の足で立って生きていけるように君が鍛えてやってくれるといいんだが……ああ、もう限界のようだ」
そう言い残すとハルは両手を広げて顔を上に向けた。
鳥のような形の光が瑞樹の体からフワリと浮き上がるのが見えた。それは天井を貫いてエリアE全体を閃光で満たした瞬間、消え去った。
* * *
「すまない、カナメ……君とディモルフォセカの子供のことは、俺が担当したんだ」
医療センターの片隅で、ブラキカムは項垂れて言った。
「ディモルフォセカがフェリシアに連れられて俺のところに来た時、君たちの赤ん坊はまだ親指くらいの胎児だった。森の民と一般人の子供、しかもディモルフォセカはタイプオリジンだ。彼女はそのことが知れればこの子が生まれる可能性がなくなると言って泣いた。彼女は一度だけでいいからこの子に生まれるチャンスを与えてほしいと俺に懇願した。君に知らせることはできなかった。このことが君の記憶に残れば分解・再生・記憶採取のどれかの時にばれてしまう可能性があったな。フェリシアも同様だったから、それ以上はタッチさせなかった」
ブラキカムは深いため息をついた。
「俺は医師だったから守秘義務があって、これは記憶採取、分解・再生のどの段階にも適用された。だから俺の記憶はタッチされる心配がなかった。例えメインコンピューターでも俺の許可なしに俺の記憶を見ることはできなかっただろう。メインコンピューターの製作者がそういった、いわば安全地帯のような条件をいくつか作ってくれているのは知ってるだろ。俺は胎児の心音を確認してから、取り出して分解した。そしてガルダに乗せたんだ。イブキとフェリシアの養子として。名前はディモルフォセカがカナメと名付けた。男の子だったよ。森の民の検査はしなかった。どこかに記録が残るとまずいからな。本当は陰性であることを確認してディムを安心させてやりたかったんだがな。まあ、こうしておけば、その後の処置を知らなくても、少なくともフェリシアはこの子が誰と誰の子供かがわかると思った。ディモルフォセカにはガルダに乗せたことだけを知らせた。彼女は再生できないことがわかっていたから問題ないはずだった。すまない。そのせいで、ディモルフォセカを死なせることになっちまったんだな」
ブラキカムはさらに深く項垂れた。
「いや……ドクター……力を貸してくれて、ありがとう。感謝するよ」
他に言う言葉をカナメは思いつけなかった。すべてが空っぽになった気分だった。
* * *
親は子供のために何をしてやれるだろうか。
ウミガメは産卵の時に涙を流す。生理的なものだとも苦痛のためだとも言われる。しかし、私は、ウミガメが子供の為に祈って泣いているのではないかと思う。敵に襲われませんように、病気になりませんように、自分の足できちんと立ち上がり生きてゆけますように……子供の成長を見守ることを許されなかった親に唯一できることは、祈ること……それだけだ。
(第13話 星の欠片 終了)