第13話 星の欠片(1)
カナメはナンディーの奥に設置されている小部屋にいた。
連行された時に殴られたせいで口の中が切れていて、しょっぱい鉄錆の味がする。その小部屋には鉄格子のついた小窓と簡素なベッド、隅にあまり役には立ちそうもない目隠しのついた排泄用スペースがあった。
事情を知らない地球人が見ても、それは牢屋だろうと思うに違いなかった。
「お前みたいなエリートは、目の届かない所で何をしてたかわからんな! え? そうだろうが! 俺の親父はそりゃ毒にも薬にもならん平凡なやつだったさ。だけど、ずっと政府の為に真面目に働いてたんだ。それが……それが、たった半日だ。たった半日、事故に遭って死ぬのが早かっただけだ……なのに再生されないと言われたんだ。あんたの父親だったら、ちょこっと口きいて、死んだのが半日遅かったってことにできるんだろうさ。森の民の配偶者を一般人だと偽り続けられたようにな!」
カナメを小突きまわして牢の中に蹴りいれたその男は牢のカギをかけた後で、そう毒づいた。誰がどのようにして公安にそのことを知らせたのかさっぱり分からなかった。瑞樹がディモルフォセカだったのならまだしも、彼女は記憶すら取り戻していない。
考えられるのは、ニシキギが感づいていたか、ブラキカムの記憶がなんらかの原因で漏洩したか……。
「おまえなんざ、分解されて二度と再生されない犯罪者リストに載りゃいいんだ。さんざんいい思いをしてやりたいようにやってきたんだろうが! 自分が造ったあの忌まわしい機械で粉々になれ!」
牢の見張りになっていた男はカナメを見るたびにそう言った。
一日一回取り調べを受けた。尋問官は概ね、規律に従って粛々と尋問を行ったが、中には暴力をふるう者もいた。明かりの乏しい牢の中にいると、もう何もかもがどうでもいいかなと思えてくる。
そもそも半永久再生権など自分には必要がなかったのだ。
どうして今自分が踏みとどまっているのかといえば、瑞樹を地球に帰していないこと、約束を果たしていないこと、それだけだった。
羽が折れて井戸に落ちた病んだ小鳥……そんなイメージを抱いていた瑞樹をあのままにしておけない、それだけが今のカナメを支えていた。
カナメの尋問が続いているということは、具体的な証拠がないということだ。自白すれば罪は確定し、処罰がくだされるだろう。自分が拘束もしくは分解されてしまえば、瑞樹は地球へ帰る道を失う。
記憶を戻して、あの青い地球に帰して……そうしたら自分は心おきなく永遠の不帰路に向える。
あの瑞樹の惨めなイメージを知っているのは自分だけなのだ。本人でさえそれを忘れている。
「ディモルフォセカ……」
カナメは小さな声で呼んでみる。
――君がここにいなくて良かった、本当に良かった……。
心の中で呟く。ディモルフォセカはカナメの身を案じてばかりいた。自分のせいでカナメが悪い立場に陥っているのではないか、危険なことをしているのではないか、人の心配ばかりして……。
「君がいなくて良かったなんて思ったのは初めてだ」
暗い小部屋に横たわったままカナメは虚空に手を伸ばす。
――僕は君をきちんと照らしていたかい? あのハルの暗闇の中で、僕は君の光になれていたかな……。
涙が溢れた。何百年生きていようと変わらない。
――僕は僕のままで、意気地無しで、イブキがディムが……必要だ。どうか僕に勇気をくれないか。もう一度だけ……瑞樹との約束を果たすまで……。
* * *
その日の尋問官は明らかにやりにくそうなようすだった。
「カナメさん、私もこんなことを毎日毎日、細々聞き出すのは本意ではないんですがね、今日は、あなたの配偶者の件で進展がありましてね。証人になれるって人物が現れたんですよ」
「証人?」
――何の証人だ?
カナメは首を傾げる。
「ええ。それで、再度あなたの配偶者の確認をしますので、正直に答えてください。何度も繰り返すようですが、きちんと偽りなく正確に答えてください」
「分かりました」
カナメは薄く笑った。
職務とはいえ、根気のいる仕事だなと感心する。彼からはもう三度も尋問を受けている。尋問の内容はほぼ一緒だった。そのかわり、カナメの些細な言い方の変化や違いを丹念に突いてくる。地味な、しかし重要な作業なのだ。
「ディモルフォセカ・グラブラと言うのがあなたの配偶者ですな」
「はい」
カナメは素直に答える。何故か今日は尋問官の方がうろたえている気がする。
「旧姓は?」
「シヌアータ」
「シヌアータ家はナンディーには乗っていませんね」
尋問官はコンピューターを叩きながら再度確認する。
「シヌアータ家はアイラヴィータに乗っていました」
「おかしいですね、大抵家族は固めて乗る様にしていたと思いますが……」
尋問官は探るような目でカナメを見た。
「そうですね。もっとも彼女と結婚したのがハル脱出間際でしたから……」
「なるほど。で? 当人は乗船している訳ですな」
「いいえ、乗っていません。彼女は……死にましたから」
「どこで死にましたか?」
「ガルダの事故の救援に行きました。そして戻ってこれなかった」
「どうしてガルダの事故に彼女を行かせたんですか?」
これにはカナメは返答せず、首を横に振った。
「きちんと答えてもらえますか?」
「何度も説明するようですが、僕が行けと言ったわけではありません。彼女は植物学者で……エリアEの植物に詳しかったので、自分で確かめたいと思ったのかもしれません、あくまでも僕の推測ですが。彼女はナンディーに戻ってこれると思っていたんです。救援に向かった誰もがそう思って出発したんですよ」
「それは……そうでしょうね」
尋問官は小さくため息をついた。
「では、最後にもう一度訊きます。ディモルフォセカ・グラブラはディモルフォセカ・オーランティアカと同一人物であるという通報だったのですが……認めますか?」
「否定します」
「わかりました。私の尋問はこれで終わりです。後はラークスパー教授が奥で待っています」
いつもよりも、あっけなく終わった尋問にカナメは肩透かしをくらったような気分で立ち上がった。奥の部屋には数名の人が待機しているようでざわめいた気配があった。
ラークスパー教授を中心にしてムラサキ、トウキが座っている。アンドロイド尋問か、こっちが本番って訳だ、カナメは納得する。心の中を見透かす能力を持つムラサキとトウキがチラリとカナメを目で追った。そして後ろの席には幾人かの傍聴人がいた。証人席に座っている瑞樹を見てカナメは目を見開く。
――髪の毛が……いやそれよりも……瑞樹が証人?
「カナメ……そこに座って、そう。傍聴人は静粛に願うよ」
背後のドアが閉められた。
「さて、私たちの前で嘘は一切まかり通らないことを説明しておくよ。嘘、偽りのないように証人は証言を行うように。証言中はムラサキおよびトウキによってスキャンさせてもらう。スキャン中、疑わしい事実が発覚すれば、君も罪に問われることになることを覚えておいてくれたまえ。ミズキ・ヒュウガ、君は地球人だということになっているが間違いはないかね」
瑞樹は明らかに動揺しているように見えた。硬直したまましゃべらない。
「ハル語をしゃべれると言ってなかったか?」
ラークスパー教授はムラサキを振り返った。
「は、はい、間違いありません」
瑞樹は何かに急かされたように返事をした。
「よろしい、よろしい」
ラークスパー教授は微笑んだ。
「君は人格を二つ持っていると聞いたのだが、今はそのどちらかね」
「あの……私はヒュウガ・ミズキで……その……もう一つの人格というのは……」
部屋の中の誰もが息をのんで瑞樹を見つめる。
「誰なのかわかりません」
場内に溜息がもれる。
カナメは瑞樹の言葉を聞きながら違和感を覚える。
――瑞樹は……瑞樹なんだろうか。
エリアEで最後に抱きしめた瑞樹は自分のことさえ良く分かっていない様子だったのに。
「もう一人に代わることはできるのかね?」
「代わり方がわかりません」
瑞樹は消え入りそうな声でしゃべった。傍聴席にいるニシキギが舌打ちをする。
「心を静めていなさい。ムラサキにもう一人を引き上げさせてみよう」
瑞樹は怯えたようにラークスパー教授を見つめた。カナメはその様子を緊張の面持ちで見つめる。
『心を鎮めなさい、瑞樹。恐ろしいことは何もありませんから……』
頭の中にムラサキの甘やかな声が広がる。
瑞樹はあっという間に自分の意識をもぎ取られていくのを感じた、代わりに誰かが浮上していくのが見える。
――誰? ハル? ハニー?
「君の名前は?」
ラークスパー教授が穏やかに問いただした。
「私は……」場内に緊張が走る。「ディモルフォセカ・グラブラです」
場内がどよめいた。ニシキギが唇の片方を持ち上げて笑ったのが見えた。カナメは唾をごくりと飲みこむ。
――もう一つの人格は、やはりディムだったのか……。
「君の旧姓はオーランティアカで間違いないかね」
「私の旧姓はディモルフォセカ・シヌアータです」
「君はアール・ダー村で育ったのでは?」
穏やかな、だが偽りを見のがさない冷徹なラークスパーの尋問にカナメは心の中で覚悟を決めて目を閉じた。
ディモルフォセカには地下都市で育った記憶がない。ラークスパーの言う通り彼女はアール・ダー村で育ったからだ。
フォボスから救い出すために自分の籍に入れた時、カナメはコンピューターを操作してディモルフォセカ・シヌアータという人物を作り出した。これはディモルフォセカの生まれながらの姓ではあったが、森の民の力が発症して抹消されていたデータで、ほとんどがでっち上げでできた記録をディモルフォセカ・シヌアータという人物は持っていた。
コンピューターに出てくるその人物のデータは、本物のディモルフォセカでさえ知らない。たとえ知っていたとしても、アイデンティティ(自己同一性)は破綻している。はずが……。
「私は地下都市ハデス居住地区エリアC9897に住んでいました。父の名前はエニシダ、母の名前はロザ……」
ディモルフォセカ・グラブラだと名乗った瑞樹は、ラークスパー教授のその後の質問に澱みなく答えた。
地下都市での暮らし、父のこと母のこと友達の名前、地下都市での職種、カナメとどうやって出会ったかまでカナメが作り上げたデータの人物そのものであるようにすらすらと問題なく答えた。その裏付けがコンピューター上で確認されて行く。
場内で一番あっけにとられたのはカナメだった。
――誰だ? これは?
その気持ちを気づかれないようにひたすら心にシールドを張る。
「スキャンの結果、ディモルフォセカ・グラブラとディモルフォセカ・シヌアータの間に人格における同一性が認められました」
トウキが静かに言い、ムラサキがそれに同意した。
「ふむ、カナメ、残念だが、これは再生の時に君の配偶者の記憶が紛れ込んだとしか考えられんね。君の奥さんはガルダの救援で亡くなったとか」
「……はい」
「辛いことを何度も聞いてすまなかったね」ラークスパー教授は机をコンと叩くと「ディモルフォセカ・オーランティアカとディモルフォセカ・グラブラは別人であると確認した。よってディモルフォセカ・グラブラ、旧姓ディモルフォセカ・シヌアータは森の民ではなかったと断定する。以上だ」
呆然と座り込んだままのカナメの肩を幾人かがポンポンと叩いて行った。困惑気味のコブが、それでもホッとした様子でカナメの肩をバシンと叩いて行った。
瑞樹がラークスパーに肩を抱かれて連れてゆかれる。カナメの目の前を通過した時、それまで怯えていた瑞樹の表情が一変して不敵に笑うのをカナメは見た。大胆にもラークスパーの傍らで小さく親指を立ててガッツポーズまでしている。
カナメはあっけにとられてそれを見送ると、自分も退廷しようとした。
ニシキギがひどく怒ったように瑞樹を睨みつけているのが見えた。
* * *
「ハル、大丈夫だったの?」
ミントが瑞樹を見つけると駆け寄って飛びついてきた。
「良かった、良かった! もう戻ってこないんじゃないかって心配したのよ」
「ミント、こらこら、ぶら下がるなよ」
ミントはハルの背中から抱きついてぶら下がる。そんなミントを前に回して抱きしめた。
「……これで本当にお別れだ」
ハルはミントの瞳を見つめた。深い翠色の瞳が心なしかいつもより青みがかって見える。
「え?」
「もう少ししたらカナメが来る。彼にもお別れを言わなくちゃな」
「もう会えないの?」
ミントは涙ぐんだ。
「いつまでも君たちのことを見守っているよ。きっとまたどこかで会えるよ。チビのことを頼むね」
「チビ?」
「瑞樹Aのことさ」
ハルはにやりと笑った。
久しぶりに牢の外に出たカナメが公安の出口に向かう細い薄暗い廊下をとぼとぼと歩いていると、廊下の途中に項垂れたままぶるぶると震えている男が立っていた。カナメはふと立ち止まる。
「君……」
男は顔を上げた。
「お……俺は、罰せられますか?」
牢に入れられる時にカナメをひどく殴りつけた男だった。
暴力を許す気にはならなかったが、自分だって許される立場ではないのだということはカナメが一番よく知っていた。
「暴力が生み出すのは、痛みだけじゃない。憎しみや恨みや、さまざまな負の感情を生み出すよ。罪人に優しくしろなんて言うつもりはないけどね」
「す、すみませんでした」
男は深々と頭を下げた。
頭を下げなければならないのは自分の方なのだ。カナメは眉間に皺を寄せる。
「君……名前は?」
男は哀れな様子で顔を上げた。
「……タクサス・カスピダタと言います」
声が震えている。
「良く覚えておくよ。君と君の父上の無念の思いも……しっかり受け取った。ハルはこれから変わっていかなければならない。エクソダスが成功すれば、君たち親子の無念を晴らせる日がいつか来るかもしれない。断定はできないけど、君の父上の遺伝子情報は残っているはずだからね」
カナメの言葉にタクサスは驚いたように顔を上げた。
「しかし、犯罪者であれば削除されていることもある」
「父は……父はそんな人間ではありません」
タクサスは首をぶんぶんと振った。
「なら、この船のメインコンピューターに残っているだろう。家族はまとめてあるから。では、僕はそんな日が来るように努力すると約束しよう。だから君も約束してくれないか? 人としてなすべきことをすると」
タクサスは深く深く頭を下げたまま泣き崩れた。