第11話 ディモルフォセカ(2)
「NO86522347が覚醒しましたよ」
トウキは少し憂いを含んだ様子でムラサキに話しかけた。
「こんな形で覚醒するとは考えていませんでした。あまりうまくいったとは言い難いようですね。この先どうするか……これだから人間は予測できない」
ムラサキは顔を顰めた。
「日向瑞樹は日向瑞樹なのですよ。いくら内包しているものがあったとしても、彼女が日向瑞樹として生きてきた時間がなくなる訳ではない」
「あれが使えないのであれば、NO.00153383を利用するしかありませんね。できるなら彼にはまだ手をつけたくなかったのですが……」
「NO.00153383を利用しますか?」
トウキが苦笑する。
「利用しなければならないのならば、なんでも利用します」
ムラサキはトウキを見つめた。
「ムラサキ055からの信号は、あなたに届きましたか?」
「……何を言いたいのです?」
「ムラサキ055が獲得した感情をあなたはキャッチしなかったのですね」
そう、ムラサキ055は感情と呼ぶべきものを獲得したのだ、彼女が消滅する寸前に。それは最後のメッセージとしてメインコンピューターに送られてきた。ムラサキ055の感情覚醒を誘発したのが瑞樹であるらしいということをトウキは感慨深く感じていた。
「無論、信号は届きました。理解不能でした。それだけです」
ムラサキ056は冷たく言い放つ。
「不思議ですね。同じように造られているはずなのに……我々は少しずつ異なっている。僕が僕でしかないように、あなたもあなたでしかない」
「トウキ、理解不能です。もうあなたの出番はありません。セキュリティ部門で任務を遂行することに専念できないのであれば、機能を一時停止させることも可能ですよ?」
「任務を遂行することに専念しましょう」
トウキは穏やかに言った。
人間に個体差があるようにアンドロイドにも個体差があることにトウキは説明しようのない信号を感じていた。マイナスのイメージではなく、プラスの……人間で言うところの喜びに似た信号を。
『アイリス、面白くなりそうだよ。君のあの小さな友達はいつでも僕の神経信号をかき回して、高ぶらせる……』
トウキは誰にも気づかれないように小さく呟いてみた。呼ぶことがなくなって久しいその名前を。今はこの先を見てみたい、トウキはそう判断した。
* * *
エリアEの管理棟の通信用モニターには、いつもなら見られないブラキカムの困惑した顔が映し出されていた。
「何やってんだ?」
ブラキカムは訝しげに問いかける。カナメはモニターの前で工具を使っていた。
「何って、今北極にペグを打ちこんだところさ」
「北極?」
「うん……日本は北半球にあるからね。ほら、できたよ」
カナメは地球玉をペンダントヘッドにしたネックレスを持ち上げて見せた。
「で? なんでモニターごしに話してるんだっけ? 僕たち」
ブラキカムなんて始終顔を合わせているはずなのだ。カナメは頬杖をついてモニターの中のブラキカムに話しかけた。
「それは……だな、お前に直接会って話すと……」
ブラキカムは言い淀んだ。
「話すと?」
カナメは催促する。
「……悪い、そう追及しないでくれ……」
ブラキカムは目をそらして言った。
「なんの話なんだよ」
カナメは少し苛立って言った。
「この前、急患で中断しちまってた話なんだけど……」
ブラキカムは言いにくそうに始めた。
「なんだっけ?」
「ディモルフォセカがガルダに行ったってのは本当なのか?」
ブラキカムの表情が暗い。
「そのことか……ああ、彼女はガルダに行った、そして……死んだ。こんなことで嘘をついたって仕方ないだろう?」
カナメは不思議そうにブラキカムを見つめる。ブラキカムの顔が歪んだ。
「そうだったのか……お前は……どうしてディモルフォセカがガルダに行ったか……知ってるか?」
ブラキカムはいつになく歯切れが悪かった。カナメは片方の眉を上げてブラキカムを見つめ、静かに首を横に振った。
「君は理由を知ってるのか?」
カナメの問いにブラキカムはごくりと唾を飲み込んだ。
「いや……それは……そ、そう言えば、ミズキBは……ディモルフォセカだったか?」
ブラキカムはカナメの目を見ずに問いかける。
「いや……まだはっきりとは分からない」
カナメの言葉にブラキカムはどこかほっとした様子に見えた。
「で? ディムがガルダに行った理由って?」
カナメは身を乗り出す。
「……」
ブラキカムは沈黙した。
「……僕に言えないこと?」
カナメの声が掠れる。
「……」
言うべきかどうか迷っているブラキカムの顔を見れば、それは良くない話なのだと見当がついた。
「いいよ。言わなくて。聞いたところでディムが帰ってくる訳じゃない」
カナメは急に興味が失せたように溜息をついた。
知りたかったことだけど、今はそれを知るのが怖かった。なによりもブラキカムの口から聞くことが怖かった。
「今は知らない方がいいと思う。ただ……ディモルフォセカを……悪く思わないでやってくれ、俺が言えるのはそれだけだ」
ブラキカムがここまで悩んでいる顔を初めて見た気がする。どんな悪い話なのか、そのことを考えるのも怖かった。悪い方へ悪い方へ考えてしまう。心の中のディモルフォセカのイメージが変わってしまうことも許せなかった。
「……瑞樹は医療センターに連れて帰ればいい?」
「瑞樹が落ち着いているなら、医療センターに連れてこなくてもいいよ。そこならミントもコブもいるんだろう?」
「わかった、預かってもらえるか訊いてみるよ」
オフになったモニターの前でカナメも電源が落ちてしまったようにしばらくぼんやりと座っていた。
* * *
「なんですぐに地球に行かないわけぇ?」
アーマルターシュは酩酊状態の一歩手前にあった。
珍しく、いつも一緒にいるラークスパーがいない。カフェテリアのバーカウンターに座ってウェイターに絡んでいた。ウェイターは苦笑いをしている。
「アーマルターシュ? どうしたんだ? ラークスパーは一緒じゃないのか?」
ニシキギが隣の席にやってきた。
「なんで私があんな一緒に酒も飲めない爺と四六時中一緒にいなくちゃいけないわけ?」
アーマルターシュはニシキギを睨みつけた。
「随分飲んでるな」
ニシキギは顔を顰めた。
「私はね、今、すぐにでも地球に行きたいのよ。それだけなの、何が悪いの?」
「太陽光線の問題は聞いたか?」
「遮光グラスに遮光服があるじゃない、何か問題でも?」
「そんなの付けなければならない場所でも行きたいか?」
「行きたいわよ。あんたは行きたくないの? そもそも、どうして私たちにこんなハルの記憶があるのよ。私たちのハルはあんな地球みたいなんじゃなかった。乾いた不毛の砂漠の惑星だったじゃない。私のお祖父ちゃんの代の時だってそうだったのよ。なんでこんな青い水の惑星の記憶があるの? おかしいじゃない。私はね、青いハルの記憶が好きだったわ。泣きたくなるくらい懐かしくて愛おしい。誰がこんな記憶を私に植え付けたの? 地球はハルじゃないわ。私は青いハルが好きだったの。地球なんて嫌い! 大嫌い!」
「……なのに行きたいのか?」
ニシキギは呆れて問う。
「そうよ、悪い?」
泣き出しそうなアーマルターシュの顔を見てニシキギは溜息をついた。
屈折していると思う。俺と同じだ。
「あんたは、ハル脱出前のフォボスで森の民の管理官をしていたと聞いたが……」
「それが何か?」
話題が変わってアーマルターシュは興味を惹かれたようにニシキギを見つめた。
「あそこに連れてこられた森の民は力を使い果たす処分をされたと聞いている」
「それで?」
アーマルターシュは急に不機嫌になって先を促した。
「あそこから逃げだせた森の民っているのか」
「あなた、何を探っているの?」
アーマルターシュは探るように目を細める。
「ちょっとした好奇心だ。森の民のことをあまり良く知らないんでね」
「ソーマって知ってる?」
「ああ、噂ぐらいは」
「あれが作られる前なら、正直な話、逃げられた森の民がいたかもしれないわ。あの頃のフォボスのエリアEはハルから切り離されたばかりで酸素供給能力がすぐに落ちる状態でね。それで、法を犯した森の民の力を使って維持していたんだけど、そうね、力があまりない人や、逆に強すぎてコントロールが強力にできる森の民だったら、植物から力を吸い取られずに生き延びていたかもしれないわ。でもソーマができてから変わった。ソーマは悪魔の種よ。力の強いものであろうと弱いものであろうと、その力の最後の一滴まで絞り取るわ」
「ソーマの種をどうするんだ? 飲むのか?」
「まさか! 掌に載せるだけよ、黒い種をね。今でも記憶にこびり付いてるわ。黒い種を乗せる瞬間の森の民の怯えた顔も、震える命乞いの声も、乗せた時の眩しい光も、絶叫もね。力尽きた森の民の周りで咲くソーマの白い花は夢のように美しいの。力の弱い人で一つか二つ、そうね、一番多く白い種を実らせた人で五つだったかしら」
「ソーマの白い種から作る霊薬は森の民の力をもたらすと聞いたことがある。一般人が使っても力が得られるのか?」
「馬鹿ね! 森の民の力は森の民のものよ。一般人が飲んでも力は得られないわ」
「あんたは飲んだことがあるのか?」
「馬鹿言わないで!」
アーマルターシュはテーブルを叩いて激しく怒った。
「あれは人の命を吸い取ってるのよ。あんなのを飲めるのは、人殺しか気狂いか、元々の力の持ち主だけよ。ものすごい陶酔感とか強壮効果があるとか言って飲みたがる人がいるけど、私に言わせれば頭がイカレてる人たちね」
「なんだか凄そうだな」
ニシキギは苦笑する。
「凄いのよ。私たちは森の民を踏みつけて今ここにいるのよ。それは火星や月の地下に住む為なんかじゃないわ。自然に溢れた第二のハルに降り立つことでしょう? 私はその約束された大地の為に、目も耳も口も塞いでハルの国民を……もう二度と再生されることのない、罪もない人たちまで踏みつけて来たのよ。私は地球を諦めない。そんなの許されるはずがないじゃない!」
「地球人はどうするんだ? 地球人たちにだって罪はないだろう? 全部がとは言わないけどな」
「……そんなの分かってるわ。私は……ただ、自分がしでかしたことの落とし前をつけたいだけなのよ。あなたが地球人の擁護をするなんて思ってなかったわ。ラークスパーにも説教されたし……なんだか私一人が熱くなってるみたい。馬鹿みたいね。酔いが醒めちゃったわ」
アーマルターシュはフラフラと立ち上がるとカフェテリアを出て行った。
アーマルターシュの後ろ姿を見送りながらニシキギは強めに作ってもらった酒をあおった。
――ラークスパーの説教か……。
ニシキギは心の中で呟く。ラークスパーはハル政府が最後に残した良心なのだとニシキギは思っている。
ほとんどのハル人は知らないことだが、彼のアンドロイドとしての役割は導師。どんな状況に陥ろうとも揺るがない、道を説く役割を担っている。
彼の思考はハル国家という大きな回転体の中央に位置する、いわば軸なのだ。だからアーマルターシュの個人的な落とし前などに揺らぐはずがないのだ。
もう二度と、何ものにも(例え天変地異にさえ)脅かされたくはない、だから自らも侵略国家にはならない、ハル政府はそう決めた。それはやむなく母星を追われた人々の祈りだったのかもしれない。その悲痛な祈りでさえ、この国ではアンドロイドが管理している。
ニシキギがそれに気づいたのはハルを脱出する少し前のことだ。ラークスパーはムラサキやトウキに比べると情報を引き出すのが容易だった。
――この国はどこに向かっているのか……。
言いようのない息苦しさにニシキギは残りの酒を一気にあおるとバーカウンターを後にした。
* * *
ディモルフォセカは別名アフリカキンセンカとも呼ばれる南アフリカ原産の一年草だ。強光線を好み、花は直射日光下でしか全開しない。太陽によって開かされる花。この花は他の恒星の光でも開くのだろうか。太陽を他の似たような恒星に入れ替えてみたと仮定する。例えばペカスス座五十一番星とかアンドロメダ座ウプシロン星とかに。科学者は開花するだろうと答えるかもしれない。けれども心情的には、太陽以外の光では咲かないのでは、否、咲かないで欲しいと思ってしまうのは何故だろう
(第11話 ディモルフォセカ 終了)