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第11話 ディモルフォセカ(1)

「出会ったころのお前は手負いの獣みたいだったよなぁ」

 イブキが苦笑交じりに言った。

 高等部に入ってしばらくしてカナメはイブキと仲良くなった。それまでは二人とも反目し合っていた仲だったのだ。

「よくもまあここまで手なずけたものだと思うぜ」

「手なずけたのは僕の方だと思うよ。君が散歩をねだる子犬みたいに僕に付き纏うものだから、ついつい仏心を出しちゃったんだ。僕の一生の不覚かもしれない」

 カナメが笑って言い返す。


「カナメ……事情が変わった。Dポイントじゃなく、Eポイントだ。そこで待ってる」

 イブキがにやりと自信ありげに微笑んだ。

「え? どこだって? Eポイント? どこだよ、それ」

 カナメは自分の声で目覚めた。

 隣の座席の人が何事かとカナメを見つめたので、咳払いをしてごまかす。


 カナメは火星の地下都市アグニシティに向かう小型シャトルに乗っていた。到着するまでの僅かな時間に浅い夢を見た、イブキの夢だ。絶望感と焦燥感と不安が渦巻くハルの地下都市で、カナメにとってイブキは闇の中に灯った明りだった。イブキがいればなんとかなる、そう思っていたのかもしれない。

――イブキはどうだっただろうか。


 火星の地下に建設しているのはアグニという地下都市だ。火星の重力は地球の半分、つまり惑星ハルの半分以下しかない。これでも他の惑星や衛星に比べればましな方なのだ。それに火星には鉄鉱石が豊富にあった。地下都市を造る際に鉄鉱石をふんだんに使った結果、アグニシティは鋼鉄都市のような雰囲気に仕上がっていた。

「どうです? カナメさん。広い割にセレーネよりもピッチが速いでしょう?」

 アグニシティの建設の指揮をとっていたアオギリが声を掛けてきた。彼は大きな建造物を造るのを得意としている。

「そうだね」

 宇宙服の中からカナメは嬉しそうに見渡した。

「セレーネの五倍はありますよ。エリアEもたっぷりスペースをとりました。今はまだ何も植えてないのでまだバイオラングとして機能していませんけどね」

「ファームの民をすぐに派遣できるようにするよ」

「分解再生装置は治ったんですか?」

「ああ」

 すべての分解再生装置を修理し終わっていた。

「そいつぁ良かった。そうだこれ……ここを掘っている時に見つけたんですけど」

 アオギリは掌に青緑色の小石をいくつか乗せて見せた。

「なんだろう……ターコイズ?」

「おそらくそうでしょうね。ここは鉄分を多く含む土壌なので緑色のものが多いんですけど、これを見てくださいよ」

 アオギリが取り出したもう一つの石は奇麗な水色をしていた。水色の石にところどころ小さく茶色や緑色が入っている球形で地球に良く似ていた。

「これは……」

 カナメは息を呑む。

「そっくりでしょう?ハルに」とアオギリが、

「そっくりだ、地球に」とカナメが同時に言った。

「なんですか? カナメさんはもう既に地球に心が移っちゃったんですね」

 アオギリは泣く真似をしてみせた。

「ごめんよ。ここ数日、毎日のようにセレーネで地球ばかり見ていたもんだから」

 カナメは謝る。

「やめてくださいよ。カナメさんは簡単に謝り過ぎです」

 アオギリは本気で怒っているようだった。

「どうかした?」

 カナメはポカンとして訊き返す。

「ニシキギなんかに土下座なんてする必要なんてないんですよ。頭にくるんでやめてください」

「みんな知ってるんだね」

 カナメは苦笑した。


  ニシキギは仕事仲間にかなり嫌われているらしく、例の話を聞いた人からかなりの数の苦情を既に受けていた。

「あいつは根性がひねくれてるんですよ」

「ふぅん。ね、ところでさ。その青い石、僕にくれない?」

「ええ? カナメさん、まさかこの丸い石のことじゃないですよねぇ」

 アオギリは口元をひくつかせながら問いかけた。

「うん、それのことだよ」

 カナメは邪気なく微笑む。

「これは……ちょっと……」

 断るのも大人げない気がすると思いつつ、アオギリは口ごもった。

 惑星ハルに良く似たターコイズ、自分でも気づかないうちに気に入っていたらしいと今さら気づく。

「そうか……じゃ、そっちの緑色のはもらえる?」

 カナメは拘る様子もなく続けた。

「こっちなら全部あげますよ」

 アオギリはホッとして答える。やっぱりカナメさんの方が大人だと頭が下がる。

「ありがとう」

 カナメは破顔した。



 カナメはナンディーに戻ると、自室で緑色のターコイズを小型の分解再生装置に放り込んだ。小型のこの装置はハルで作ったものだ。イブキとどちらがより小さく作れるか競争した。カナメはふと、さっきのアオギリの様子を思い出して含み笑いをする。

――悪いことをしてしまったな。

 彼があんなにあの青い石を気に入っていることに気づいてやれなかった。

 子供が大事な宝物を取り上げられそうになったときの切羽詰まった顔だった。そして溜息を吐く。

――誰もが恋しいのだ、ハルが……僕たちの起源の惑星。


 装置の取り出し口を開くと完璧に青く丸いターコイズが出てきた。

「問題は……陸地がないってことだな」

 その青い丸い石は地球というよりも海王星のように見えた。カナメはもう一度装置に放り込んだ。何度もやり直して、成分を調整して、白と茶色と緑が混ざった丸い青いターコイズを作り出した。



* * * 


 

「エリアEで崖から落っこちた?」

 ブラキカムはミントに聞き返した。瑞樹は医療センターにいて治療を受けていた。左手頸を捻挫していた。前の傷も癒えていないのに……。傷だらけの瑞樹をブラキカムは痛々しい気持ちで見つめる。

「彼女は何かを探しているのよ。エリアE中を探してて、見ている方が辛くなるくらいなんです」

 ミントの方が泣きそうな顔をしていた。当の瑞樹は痛そうな素振りを見せていない。

「痛みを感じていないの?」

 カナメが後ろから話しかけた。

「おお、カナメ、アグニシティから帰ったのか?」

 ブラキカムが振り返った。

「いや、痛みは感じているよ。心配ない。さっきまでは痛がってた。人格交代して静かになったんだ」

「人格交代……で? 誰になったのかな?」

「ミズキAだ。彼女は痛みをあまり感じないらしい。言葉もほとんどしゃべらない、あ、ミント、もういいよ。ミズキAだからもうエリアEには行かないだろう」

 可哀そうだがミズキAの時は鍵のついた部屋に入れてもらうようにしていた。

「わかりました。じゃあ、瑞樹をよろしくお願いします」

 ミントは悲しそうに言った。

「あ、ミント、後からエリアEに行くよ。コブに伝えておいて」

 カナメはミントに声をかけた。

「分かりました」

 ミントはにっこり笑って出て行った。


「いい子だよな。ほんとにコブの子孫なのか?」

 ブラキカムが後ろでニコニコしている。

「コブもいいやつだよ」

 カナメは呆れたように言った。

「ところで、何か用か?」

 ブラキカムは笑顔を張り付けたまま問いかけた。

「君にじゃないよ、こっち」

 カナメはぼんやりと座っている瑞樹をみつめた。

「もう、そろそろ部屋に入れておかないと、エリアGに行っちまうぞ」

「たぶん、もう大丈夫だろう。これがあればね……」

 カナメは瑞樹に近寄るとターコイズの球を見せた。

「君が探しているのはこれじゃないの?」

 カナメが瑞樹の掌に球を乗せると、瑞樹は目を見開いてそれを見つめた。

「……」

 言葉もないまま見つめ続ける。

「地球に似てるだろ?」

 瑞樹の見開いた瞳から大粒の涙が溢れだした。青い球を握りしめてカナメを見つめる。

「そうか! 瑞樹は地球を探していたんだ」

 ブラキカムが叫んだ。

「じゃあ、ニシキギの顔ばかり見てたのは……」

「彼の瞳はブルーだからね」

 カナメが続けた。

「じゃあ、ミズキBが探してるのは?」

 ブラキカムは期待を込めてカナメを見つめる。

「それは……分からない」

 ブラキカムはカナメの言葉にがっくりと項垂れた。

 

「カナメ! 待っちょったぞ」

 コブは管理棟の前で嬉しそうに手を振った。

「ミズキBも一緒に来たんか」

 コブはちょっと困った顔をした。

「今はまだミズキAみたいだよ」

 カナメは笑った。

「ミズキAの方がここに来るなんぞ初めてじゃねーか?」

 ミズキAは地球玉を握りしめたまま黙ってカナメに付いてきていた。

「ミズキBが何を探しているのか知りたくてね、連れてきたんだ。エリアEに連れてくれば交代すると思ってたんだけど……代わらないね」

「その為にここに来たんか?」

「いや、それだけじゃないよ。アグニシティがそろそろ始動する。そこでファームの民の出番と言う訳だ」

「分解再生装置は直ったんか?」

「ああ、直ったよ。広さはセレーネの五倍だそうだ。何人くらい必要だ?」

「そうじゃの……少し考えさせてくれるか?」

「もちろんさ、人選は任せるよ」

 カナメは瑞樹がふらふらと歩き出したのを横目に見ながら返事をする。

「交代したらしい、じゃ、後で」

 カナメは瑞樹の後を追って森の中に入って行った。


 瑞樹は木の一本一本に触れながら森の中に進んでいく。触れられた木から木特有の芳しい香りがたちこめる。目の前で明らかに様子を変えていく木々を感じながら、カナメの確信は深まっていった。いつの間にかアレオーレが二人の周りを飛び回っていた。いつもなら騒ぎながらついてくるのに、アレオーレはただひたすら黙ったまま付いてきた。

「アレオーレ? 今日は随分静かだね」

 カナメはアレオーレに話しかけた。

 瑞樹がぴたりと立ち止まる。

『ミズキ、ディモルフォセカ』

 アレオーレは哀しそうに繰り返した。

 アレオーレの声に瑞樹が振り向いた。カナメを見つめる。

「ディム? 君はディモルフォセカなんだろう?」

 瑞樹は表情のないまま長い間カナメを見つめ続けた。

「……」

 ミズキBは何もしゃべらない。

「……ディモルフォセカ?」

 カナメはミズキBの瞳を覗き込んだ。ミズキBもカナメを見つめ返す。

「……ナン……ディーに……帰らなきゃ……」

 混乱したようにミズキBが呟く。

「……そう、君はナンディーに帰ってくると約束した。だから、僕はずっと待ってた。ずっと待ってたよ」

 カナメは瑞樹の頬に手を伸ばして、冷えた頬を柔らかく包んだ。カナメの手の上からミズキBの小さくて冷たい手が重なる。地球玉が地面に転がった。

「冷たい手……君はいつも冷たい手をしていたね」

 カナメは微笑むとミズキBを引き寄せて抱きしめた。ディモルフォセカの深い翠色の瞳がカナメを見つめる。カナメは躊躇いがちに口づけた。そして、ついばむように何度も。


 瑞樹の中で様々な場面がスライドショーのようにフラッシュバックする。

 赤いジタン、黄色い太陽、薄紫色の空、抜けるような青い空、明るい二つの月といびつな月、菜の花畑に浮かぶ……ただ一つの月……漠然としたつかみどころのない記憶、記憶、記憶……。

 瑞樹は何一つ体系づけてうまく思い出せないまま記憶の渦に閉じ込められてしまう。

 あまりの激しさに眩暈がして、ミズキBは意識を手放した。


 カナメは口づけている瑞樹がビクリと体を硬くしたことに気がついた。はっとして抱きしめていた腕を緩めて見つめる。瑞樹は硬直したように体を硬くして目を見開いていた。

「……ごめん、忘れてた、ごめんよ、君は瑞樹なんだった」

 カナメは瑞樹をそっと離した。

[ぁ!]

 瑞樹は掌の中が空っぽになっていることに気づくと動揺して小さく叫んだ。慌ててカナメの腕からするりと抜けると、しゃがみこんで地面を探す。

「ここにあるよ。ほら」

 カナメは瑞樹に地球玉を手渡した。瑞樹はしっかりと握りしめてぺたりと座りこんだ。小刻みに震えているのがわかる。カナメも目線を合わせてしゃがみこんだ。

「管理棟へ行こう、地球に鎖をつけてあげるよ……もう君から逃げ出さないように」

 瑞樹はカナメを途方に暮れた様子で見つめた。

「……もう何もしないよ、ごめん」

 緋色のカナメの瞳が悲しげに瑞樹を見つめた。


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