第10話 ミズキA、ミズキB(1)
――ハル脱出の時、どうしてディモルフォセカはガルダに行ってしまったのか。
いくらエリアEがメインの事故だったとはいえ、自分の制止を振り切ってまで行ってしまったディモルフォセカの強い意志が、カナメは未だに納得できない。
森の民ならガルダにだっていた。確かにディモルフォセカは強い力を持っていた森の民だったけど、彼女一人でどうにかできるような状況ではなかったはずなのだ。
――なのに彼女はたった一人でどうにかしてしまって……たった一人で逝ってしまった。
釈然としない思い。
こんなことを言うのは、人として許されないことと分かっているけれど、彼女にはガルダに行って欲しくなかった。ほかの方法でガルダを助けることはできたかもしれない。分解されていない者なら全員。時間が許す限り情報を転送すれば、分解されている者でも少なくても半数くらいなら他の船に乗り換えることができただろう。
――イブキとこんな風に別れることも免れたかもしれない。否、なんてひどい考えだ。
自分勝手すぎるとカナメは自嘲する。しかし……とカナメは思う。森の民タイプオリジンは再生されない。いつかは彼女と別れなくてはならないことは分かっていた。
――ただ一度きりの命……。
それは覚悟していたことだった。だけど……こんな形で彼女がいなくなることも、イブキまで同時に失うことも全く想定していなかった。突然ぽっかり空いてしまった胸の奥の空洞は何を以ってしても埋めることができなかった。
――あんなに似ているんだ、あの子に訊いたら何か理由を聞けるんじゃないだろうか?
ふと湧きあがった思いつきに、カナメは抗う術を持たなかった。
医療センターはいつ行っても人で溢れている。スタッフの一人が話しかけてきた。
「あら? カナメさん? 具合でも悪いんですか?」
彼女は太い腕をヒラヒラさせながらニコニコと近づいてきた。彼女の悩みはもう少し痩せること。医療センターのスタッフなら誰でも知っている悩みだ。その明るい悩みそのままに人の良い人懐っこい笑顔だ。
「あの……ちょっと重力になれなくて。さっき月から戻ってきたばかりでね」
「ああ! それなら良い薬がありますよ。今ブラキカムは出張サービス中でいないんだけど、大丈夫、私が処方できます〉
彼女はいそいそと引出しから重力酔いの薬を取り出した。
「ありがとう」
カナメは鮮やかなオレンジ色の錠剤の薬をもらった。
「ここで飲んで行きます?」
「ちょっと奥の部屋を借りるよ。薬剤過敏症気味なんで、飲んでから少しここで様子を見たいんだ」
「いいですよ。パーテーションの奥は入らないでくださいね。患者さんが休んでいるから。何か異常があったら大声で呼んでください」
「ありがとう」
カナメは愛想よくにっこり笑うと奥の部屋へ歩いて行った。
さっき見た時と同じように、瑞樹はパーテーションの奥で静かに眠っていた。静かに歩み寄る。
「……ねぇ」
ひっそりと話しかける。
「ディムなんだろう? ディモルフォセカ?」
カナメはそっと頬を指先で撫でた。
「ディム……教えてくれないか? 理由が知りたいんだ……」
手のひらで頬を撫でる。
「何故ガルダに行った? フェリシアの為? エリアEの植物が心配だった? それとも……イブキの為?」
髪の毛を漉くように撫でる。柔らかい栗色の髪が指に纏わり付く。カナメは唇を噛んだ。
「……ディム」
カナメの指先が瑞樹の頬を伝って唇に触れる。
温かくて柔らかい。昔のままのディモルフォセカ……。
カナメは愛おしそうに指を唇に這わせる。
「何をしている?」
突然パーテーションの脇から声がしてニシキギが入ってきた。びくりとしてカナメは手を引っ込めた。
「……」
気まずい雰囲気が漂う。
「こいつが誰かに似ているのか?」
ニシキギは探るようにカナメを見つめた。
「……いや」
ニシキギから目をそらしてカナメは小さく呟いた。
「イベリスによると、この顔はディモルフォセカ・オーランティアカにそっくりなんだそうだ。彼女は森の民タイプオリジンだった。あんたはその森の民を知っていたのか?」
「……」
カナメはそらしていた視線をニシキギに戻した。
「ディモルフォセカなんて名前、森の民でも珍しい名前だそうだ。イベリスがそう言っていた。そう言えば、あんたの奥さんもディモルフォセカという名前だとか、奇遇だな。グラブラ夫人はいつ再生されるんだい?」
ニシキギは片眉を上げた。
「……君はディモルフォセカ・オーランティアカを知っていた?」
カナメは静かに訊いた。
「……いや……それが何か?」
「いや……ならいいんだ。僕の妻は再生されない。ガルダで死んだから……」
カナメはそう言うとさっさと医療センターから出て行った。絶句したニシキギを置き去りにして。
森の民はハルの地上に残った唯一の森アール・ダー村で、一般人とファームの民は地下都市ハデスで暮らしていた。その三つの種族は厳密に区分けされていて、お互いに交わることがなかった。
地下都市で森の民の力を持つことが発覚したものは、幼少期ならばアール・ダー村に連れて行かれ、そこで養父母に養育された。物心ついた年齢であればフォボスに連れて行かれて処分された。森の民に地下都市の生活を知らせることが一切禁じられていたからだ。
森の民と一般人が結婚することは当然許されていなかった。それはファームの民も同様だった。遺伝子を管理すること、それが当時ハル政府の方針だったからだ。三つの種族が交わることなくそれぞれで進化する。それがハル政府の望んだことだった。
否、奇麗事を言うのはよそう。
森の民は、ハル政府から捨てられた人たちだったのだ。
遺伝子的に弱く病みがちですぐに死んだ。政府はそんな人たちを姥捨て山のようにアール・ダー村に隔離した。ジタンの光線と熱は日増しに強くなっていき、アール・ダー村が消滅するのは時間の問題だと考えられていた。平たく言えば、体が丈夫でない病気がちな人が定員オーバー気味の地下都市を追い出されたというのが真実だった。
彼らはアール・ダーの森を守ることで生き延びた。森を守る力こそ、彼らが手にした唯一にして強大な力だった。故に彼らは「森の民」と呼ばれる。今にして考えれば、ハル政府のとった人種隔離政策が森の民の力を生じさせたのかもしれないが、それはあくまでも結果論に過ぎない。背景はともかく、森の民の力がなかったら、我々ハル人はエクソダスもできないまま、ハルと一緒に滅亡していただろう。
地下都市の科学力と森の民の力は車軸の両輪だった。どちらが欠けても我々は滅びていた。