第9話 再生不良(3)
月の地下都市セレーネは小ぢんまりしてはいるが、ナンディーと同じ機能を持っており、広さはその三倍程度ある。太陽光のお陰で電力にはことかかないが、重力がハルの六分の一しかないため、長い間滞在すると骨密度が低下する恐れがあった。
セレーネにもバイオラングであるエリアEがあったが、同じ植物を植えてもナンディーのものと比べると明らかに骨格が細く広い葉をつけ別の植物のようになった。
「コブ、そろそろ引き上げよう。ナンディーは火星の軌道に入ったんだろう? 向こうでも仕事はたくさんありそうだよ」
カナメはセレーネのエリアEで働いていたコブを呼びにきた。
ナンディーは火星には着陸しない。月からの脱出速度が2.38km/Sであるのに対し、火星ではその倍以上の5.02km/S必要だ。ナンディーはもともとハルの軌道上で造られた船で、着陸することを想定されていない大型船なのだ。火星の重力下でこの速度を維持することは不可能だ。よってナンディーは火星の軌道上にいるほかなかった。
「こっちの作業は楽じゃったな。ここの重力になれてしもうたら、ナンディーに帰った時の体の重さが嫌になるじゃろうよ」
ナンディーは現在地球の重力1Gに調節されているはずだ。
「仕方がないよ」
カナメは苦笑いしながらコブを促した。
「ここは誰が残るんか?」
「トウキ達と数名のファームの民だ。ファームの民は一か月毎に交代だ。それ以上は体に良くない」
「アンドロイド任せっちゅうわけか」
「……仕方ないだろ」
「さっきから、お前は仕方ないばかり言っちょるようじゃな」
コブは渋い顔で言った。
「だって……仕方ないだろ」
「世の中は仕方がないことばかりじゃ。ファームの民が地球で生きられんちわかっても、それも仕方ないことじゃ」
コブは怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。
「地球にはそのうち日帰りの旅行ででも行くといいよ」
カナメの言葉にコブは怒ったようにカナメを睨みつけた。
「火星もいい所だよ。たぶんね」
カナメは肩をすくめると小型艇へと乗り込んだ。
瑞樹を分解してから一か月はとうに経っていた。遺伝子を少々いじる必要があるからとブラキカムとニシキギに任せてきたが彼らから何の連絡もない。もう再生ができていてもいい頃なんだけど、とカナメは思いを巡らす。
月から地球は目と鼻の先だ、なのに脱出艇に乗ることをあんなに嫌がっていたんだから、火星から帰れと言ったら絶対乗らないと怒りまくるだろうなとぼんやり思う。
「カナメ……瑞樹が死んだち噂で聞いたんじゃけど、あれは本当のことなんか?」
「ああ」
コブが息を呑む気配がする。
「だから分解した。そろそろ再生されてる頃なんだけど……」
コブが安堵の息を吐く。
「あの子は不思議な子じゃな。森の民ではないんじゃろうけど、それに似た種類の子なんじゃないかち、よく思いよった。あの子が歩いて回るようになってからエリアEの植物が少しずつ元気になってきちょる」
コブは目を細めて呟いた。
それは薄い膜を剥がして行くような幽かな変化だったが、少しずつカメラのピントを合わせて行くように植物たちの生気が鮮やかになって行くようだったとコブは語った。イベリスに力を使ってもらう予定だったのが延び延びになっていて、それでも今ナンディーのエリアEは森の民の力が必要ないくらいまで回復しているのだと言う。
ついさっき、セレーネのエリアEで霊薬ソーマを使って力を被曝した森の民が植物たちに力を使ったばかりだ。その森の民は死ぬ直前で分解された。
「あの光景は何度見ても嫌なもんじゃ」
コブは顔を曇らせた。
今回イベリスを使わなかったのはブラキカムが反対したからだった。イベリスは今やブラキカムの有能な助手として必要な人間になっていた。
「やぁ、イベリス、ブラキカムはいるかな?」
カナメはナンディーに到着し次第、医療センターに立ち寄った。イベリスはぎょっとする。
「カナメさん! 帰ったんですね」
笑顔が強張っている。
「ち、ちょっと待っててくださいね。い、今ドクターを呼んで来ますから」
イベリスはあたふたと奥へ走って行った。
「なんだ? あれ」
カナメは一人呟くと勝手に奥へすたすたと入って行った。未処理のファイルを持っていたので分解しておこうと奥の部屋に入って行く。勝手知ったるブラキカムの物置だ。
でもそこには見慣れないパーテーションがあって部屋が区切られていた。不思議に思って、ファイルをダストシュートに突っ込むとそっと中を覗き込んだ。
誰かがベッドに横たわっている。患者だったのかと納得して引き返そうとした瞬間、カナメはその場に釘付けになった。
「ディモルフォセカ?」
どうしてここに? という疑問が頭の中でグルグルする。引き寄せられるようにベッドの側まで近寄った。顔を覗き込んだ瞬間後ろで声がした。
「カナメ!」
ブラキカムが立ち竦んでいた。その後ろにはイベリスがいて同様に凍りついている。
「ブラキカム、これは……どういうことだ?」
何故ディモルフォセカがここに? と言い掛けたカナメをブラキカムが遮った。
「カナメ……落ち着いて聞いてくれ。これはミズキ・ヒュウガだ。どうしてこうなったか俺にも分からない。イベリスによるとハルで森の民だったディモルフォセカ・オーランティアカにそっくりなんだそうだ。俺は似ているのは外見だけだと思うんだ。それでもう一度やり直そうと考えたんだが、そのディモルフォセカはタイプオリジンだったらしくて、イベリスがこの子が森の民タイプオリジンなんじゃないかって心配してて、それで……」
「検査を……してるのか?」
カナメの問いにブラキカムはこくこくと首を縦に振った。
「……信じられない」
――いくら遺伝子を多少いじったからってここまで面変わりするものか。しかもディモルフォセカにそっくりなんて……。
カナメは混乱したまま医療センターを後にした。
「カナメさん、随分動揺してましたよね。あんなに動揺するなんて思ってませんでした。やっぱりドクターの言ったとおり、隠しておくべきでしたね。もっと僕が気を付けるべきでした」
「いや、いいんだ。これで良かったんだよ……たぶん」
ブラキカムはすごく疲れているように見えた。
* * *
適者生存という言葉がある。かつてダーウィンが導き出した考え方だが、最近の学説ではそれが少々違っているのらしい。不適者脱落ということなのだそうだ。つまり適でも不適でもない者も生き残れるのだ。我々人類は脳を進化させ、結果、人々を病気や怪我から救うために医学を発達させてきた。それはつまり、この適でもなく不適でもない範囲を広げてきたということになるのではないだろうか。本来ならば淘汰されている遺伝子が生き残れるようにしてきたと言えるのではないだろうか。医学は我々人類をどこに導くのだろうか、脆弱な種としての未来なのか、更なる多様性を秘めた種としての未来なのか。それを知るためにはまだまだ時間がかかりそうだ
(第9話 再生不良 終了)