第9話 再生不良(1)
ブラキカムはエリアGにやってきていた。ニシキギは肩が外れていてかなりの重症だ。聞けば地球人の女の子にやられたという。そんな馬鹿なと思いつつ、傷害事件であるので事情を聴くためにカナメを訪ねることにしたのだった。
カナメはムラサキを修理中だった。
「カナメ、なんだ? ムラサキは壊れちまったのか?」
「ニシキギが壊したんだ。僕じゃないからね」
カナメは防護服と防護面をつけているので声がくぐもっている。
「そんなこと調べに来たんじゃない。ニシキギのことだ」
「ああ、彼はどうだった?」
手元の器具が火花を散らす。
「右腕脱臼だ。やつは地球人の女がこんなことしたって喚いてたけど、あの子にそんなことできるわけないだろ? 状況を聞きたいと思ってね」
ブラキカムの言葉にカナメは表情を曇らせた。
「彼女は面倒な立場になりそうかい?」
カナメは顔を顰める。
「お前まであの子がやったって言ってるのか?」
ブラキカムは呆けた顔をした。
「他にも目撃者がいるかもしれない。ニシキギを運んでもらうのに助けを呼んだらすぐに何人か来たからね」
「なんてこった」
「状況は悪そうだね」
カナメは防護面を上にあげて、心配そうにブラキカムを見つめた。
「彼女に直接会って話そう。どこにいる?」
「その辺で待っててくれって言ってあるけど、見なかった?」
「ちょっと見てくるわ」
ブラキカムはエリアGの入口付近を見に行って、その隅に蹲っている瑞樹を見つけた。 こんな小さい子があんな大きな男を投げ飛ばして、脱臼させられるもんかなと思う。それほど瑞樹は小さく、頼りなく座っていた。
「なあ、瑞樹、ちょっと聞きたいんだけど……瑞樹?」
ブラキカムが瑞樹の肩に手をかけると、瑞樹の体はグラリと傾いてそのまま床の上に転がった。
「……瑞樹? 瑞樹!」
ブラキカムは慌てて瑞樹の呼吸と脈を確認する。
「どうした? ブラキカム」
カナメが防護面を外して近づいてきた。瑞樹が倒れているのが見えて、カナメは小走りになる。
「瑞樹? どうした?」
「……死んでる」
ブラキカムはカナメを見上げた。
「何を冗談言ってるんだよ? さっきまでぴんぴんしてて、ニシキギを投げ飛ばしたんだぞ。ここまでムラサキだって運んで……そんな……何の前触れもなく、こんな急に……」
―― 前触れ?
カナメは突然思い出す。
――さっき瑞樹は何と言った?
ありがとうと、地球に帰そうとしていたことへの感謝を……そして、縋りつくような瑞樹の目を思い出す。あの時、どうして気づいてやれなかったんだろう。別れの言葉を言っていたのに……。カナメは呆然と瑞樹を抱き上げた。まだ微かに温かかい。
突然カナメは瑞樹の亡骸を担いでエリアGを後にした。
再生を目的とするならば生きている内に分解する方が望ましい。死後八時間以内なら再生可能だが、時間が経てば経つほど色素定着や記憶等が不安定になり再生不良になりがちだ。
瑞樹を一刻も早く分解する必要があった。
「おい、カナメ、どうするつもりだ?」
「分解する」
「再生装置が壊れてるぜ、それに許可なく地球人を分解再生してもいいのか?」
「再生装置はすぐに直す。人一人の命を救う為の許可ってなんだ? そんなものが必要だという政府ならば、そんな政府こそ必要がないんだ」
カナメは吐き捨てるように言った。大股で歩いて行くカナメを少々太り気味のブラキカムが息を切らしながら小走りで追いかけた。
「カナメさん! このムラサキはどうするんですか?」
背後から呼び止める声がする。
「新しいの入れといて!」
カナメは怒鳴り返した。
人を再生する条件の四番目。再生する為の社会的理由があること……。
これは非常に曖昧で、同時に非常に残酷な条件でもある。
ハル脱出時に生存していたほとんどの者が、ハルを脱出し新天地に移住するという理由で再生することが認められた。すなわちエクソダスを成功させる為という社会的理由があると定義されたからだ。
三百年にもわたる長い間、カナメやイブキが再生され続けたのは科学技術への貢献という社会的理由が認められた為だった。しかし、ハル脱出直前のある時点までは、乳飲み子を抱えた母親にさえこの理由が求められたのだ。ハル脱出計画実行以前に病死したり事故死したりした場合、いくら本人が望もうと親族が望もうと、この四番目の条件をクリアできなければ再生は認められなかった。
どのような境遇の子供でも、ハル政府が全面的に責任を持って養育することを保証していたのがその理由だ。その保証の存在が、子供のために母親が、もしくは父親が必要だと考えることを、社会的な必要ではなく個人的な必要だと定義づけてしまうのだ。結果、社会的な貢献をしていると認められた親は再生され、認められない親は再生されない。ある意味とんでもなく不公平な条件であると言えるのだ。
しかもそれを認める理由も認めない理由も流動的で曖昧で不透明なのだ。この条件が設定された本来の理由……それを知っている者はごくごく僅かで、しかもハル政府の極秘事項に分類されているので、知っていてもそれを口にすることはできない仕組みになっている。
カナメにとって、その理由も再生される条件も取るに足らないくだらないことだと考えはするが、ある意味仕方がないことだとも思われた。
その理由とは、要するに、地下都市の生活を脱出まで無事に継続させ、エクソダスを成功させる、その為に貢献できるかどうかなのだ。貢献できないものまでをも際限なく再生するには地下都市は狭すぎた。
このエクソダスが成功すれば、いずれ大きくその仕組みを変える必要が出てくることは目に見えている。エクソダスの為に開発された諸々の装置やシステムはいずれ大きな社会的障害になってくるだろう。
しかし、何はともあれ、今この地球人を死なせることが、ハル政府の計画にマイナスに働くだろうという事を証明しさえすれば、四番目の条件をクリアできることをカナメは知っていた。今はそれだけで十分だった。
「おい、ニシキギ、この子を訴えるつもりはあるか?」
カナメは医療センターに瑞樹を担ぎこむなり、肩を固定してもらっているニシキギの前に立った。ニシキギは怪訝そうに見上げた。
「そうだな。肩の脱臼なんて重症だからな。仕事をできなくなった分の補償と謝罪をしてもらわないとな」
ニシキギはむっとした顔で言った。
「ところで、そいつどうしたんだ? 俺を投げ飛ばして具合が悪くなったのか?」
「僕が彼女の代わりに補償するよ」
「あんたが俺の分まで仕事をすると言うことか? それじゃ、あまりにも当たり前すぎるな。そんなにその女の代りに何かしたいと言うなら、今ここで土下座でもしてもらおうか?」
ニシキギは唇を片方だけあげて意地悪そうに笑った。
周囲の誰もが手を止め息を潜めて二人のやりとりを見守っている。
「……」
カナメは無言でニシキギを見つめた。
「ニシキギ、いい加減にしろよ。瑞樹は……」
ブラキカムが口を挟んだのをカナメは仕草で止めた。
「この子持っといて」
カナメは瑞樹をブラキカムに渡すと膝をついた。両手を床につき頭を下げる。
「すまなかった。瑞樹を許してやってくれ」
みな一様に驚いて息を呑む気配がしたが、一番驚いていたのは当の本人のニシキギだった。張り付いたような作り笑いが消えて唇を歪める。
「どうしてこんな地球人の為にそんなことまでするんだ? あんたには誇りというものがないのか?」
ニシキギの言葉は静かだったが怒気を含んでいた。
「瑞樹に地球へ帰してやると約束した。再生できたとして地球へ帰れないような罰を受けてしまえば意味がない。僕にとっては約束を守ることの方が大事だ」
カナメは立ち上がると、ブラキカムに渡していた瑞樹を抱き上げる。
「再生? そいつどうしたんだ?」
ニシキギの問いにブラキカムが静かに首を振った。
「そんな……」
絶句するニシキギを後に、カナメは医療センターの奥にある分解再生装置へ瑞樹を運んで行った。
瑞樹の体はゆっくりと時間をかけて分解され、分解装置の中に吸収されて行く。分解装置はハルを脱出して以後カナメがバージョンアップさせていた。以前は一年分の記憶を採取するのに八時間もの長い間、記憶採取装置を装着して採取しなければならなかったが、カナメは記憶採取を分解装置に組み込んで分解しながら記憶を採取できるようにしていた。このやり方ならば、分解する直前までの記憶を残すことができる。ただし、分解に多少時間がかかるというデメリットはあった。
「完全に死んでしまってからでも記憶採取ができるのか?」
いつのまにか治療を終えたニシキギが後ろに立っていた。
「完璧な記憶は取れないかもしれない。分からない」
カナメは振り向きもせず答えた。
「……さっきは……すまなかった」
ニシキギは呟くように謝罪した。
「こいつが死んだのは……俺のせいかな……」
ニシキギは消え入りそうな声で言った。
「いや、そうじゃない。瑞樹は……もうずっと前から具合が悪かったんだ。もう長く生きられないことを知ってたから……僕が無理をさせたんだ。自分のした約束を守る為にね。だから、君のせいじゃない」
カナメは苦い薬を飲み込むように息を呑みこみながら続けた。
「それに……瑞樹は確かにやり過ぎたよ。滅茶苦茶なやつだ」
カナメは苦笑する。
「滅茶苦茶だけど憎めない……というところか?」
ニシキギもクスリと笑う。
「投げ飛ばされた君がそう言うんなら、そうなんだろう」
カナメは失笑した。
「遺伝子をいじる必要があるとドクターが言ってたが……」
「うん、これからシステムを設計してみるよ。時間が掛るかもしれないけどね」
「……俺が設計したものを使ってみてはもらえないだろうか?」
「?」
カナメはニシキギを見つめた。
「俺は……森の民のタイプオリジンを再生する研究をしていた」
カナメは目を見開く。
「遺伝子ではないと分かっていたけど、遺伝子をいじることで、別のルートで再生できるんじゃないかとずっと考えてた。多少見た目が変わっても中身がその人であればいいと俺は考えていて、それを……イブキさんに叱られた。その時に作っていたものだ」
「君は……イブキと一緒に仕事をしていたんだね」
いつだったか、森の民のタイプオリジンを再生することにひどく熱心なやつがいるとイブキが言っていたことがあった。彼だったのかもしれないとカナメはふと思い出した。
「俺はイブキさんのようになりたくてこの分野に進んだんだ」
「そっか、じゃあ、ガルダに乗れなくて残念だったな」
「いや、俺はナンディーに乗ることを希望した。イブキさんは二人いらない。俺はいずれイブキさんを追い越して破壊神シヴァと対決するんだと、そう考えてた。それが目標だったからな」
ニシキギはカナメを真っ直ぐ見つめた。
「おいおい、破壊神シヴァって誰の事だよ」
カナメは眉を顰める。
「……だから俺はあんたに頭なんて下げてほしくなかった」
「君がしろって言ったんだろう?」
カナメは呆れて絶句する。
「手を出して」
「?」
カナメは言われるままに手を出した。
ニシキギはカナメの手の甲に記号の羅列を書き込む。
「これがシステムのIDとパスワードだ」
言い残すとニシキギは踵を返して立ち去った。