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第8話 月に死す(1)

「で? これは何ですか?」

 エリアEはあんなに光に溢れているのに、他のエリアは薄暗い。ほかのエリアは全部こんな風に薄暗いんだろうか。なんだか気が滅入る。

「脱出艇」

 カナメはさらりと答えたが、それはどう見ても魚雷のように見えた。今からこれに乗って敵艦にぶつかって行くんだと言われたら、それは恐ろしい事だけど、本当のことだと信じられる物体に見える。

「まさか、これで地球に帰れとか言うんじゃないですよね」

 不吉なものを見るように中を覗き込む。

「そうだよ」

 カナメはにっこり笑った。

「冗談言わないでくださいよ。こんなんで地球まで帰れるわけないじゃないですか」

 声を張り上げる。こんなのに乗り込んで、空気がないどころか上も下もない宇宙空間を漂うだなんて狂気の沙汰だ。

「帰れるよ。ちゃんとコンピューター制御されてるから目標地点に十メートル程の誤差で着く。多少時間がかかるかもしれないけど、その間は快適に過ごせるようになってる」


 乗せてしまえば、後は運次第だ。正直なところ、地球に着くまでに瑞樹が生きていられるかどうかの保証はない。だが、もし三か月もつのならば、無事両親に会うことができるだろう。ブラキカムは悲観的だったが、瑞樹があまりにも元気そうなので、大丈夫な気がカナメにはしていた。


「嘘だぁ! 絶対信じないもんね。私こんなのには絶対乗らないからね」

 瑞樹はカナメの手を振り切って逃げ出した。

「あ、おい、待てったら」

 カナメは瑞樹が走って逃げた方に走りだしたが、瑞樹が急に立ち止まったので危うく躓きそうになる。

「おい、急に止まるなよ。踏んづけちまうかと思った」

 カナメは瑞樹の視線を辿る。そこにはニシキギが立っていた。

「おやおや、その地球人を逃がしたのはあんただったのか? 仕事はろくにしないのに、そういうことはするんだな」

 ニシキギは勝ち誇ったように言った。

「知り合い?」

 瑞樹は振り返ってカナメを見上げた。

「まあね」

 知っていることは知っていたのでそう答える。

「おい、どうしてこいつはハルの言葉をしゃべってるんだ?」

 ニシキギは驚いて瑞樹を見つめた後、カナメを睨みつけた。

「……私、しゃべってたらまずかった?」

 瑞樹は不安そうにカナメを見上げる。

「構わないさ」

「仕事してないって……もしかして、私のせい?」

「いや。だってこいつが人は足りているから手伝わなくていいって言ったんだよ」

 カナメは悪びれる様子もなく言った。

「他の仕事があると言ってなかったか? 地球人と遊ぶことが仕事なのか?」

「遊んでいるように見えた?」

 カナメはちょっと困ったように笑う。

「見えるな」

「遊んでるんじゃないよ。この人は私をこんな恐ろしい魚雷の中に押し込めようとしてるんだよ。そんなの遊びでやられたらかなわないし……」

 言った後、瑞樹は急にはっとした顔になってカナメを見つめる。

「これって、遊び? 悪い冗談なの?」

「だからー、これは脱出艇であって魚雷なんかじゃないんだって。遊びでも冗談でもないよ」

 カナメは弱りきった顔をする。

「この地球人を帰すつもりなのか? こんな脱出艇が地球上で見つかったら、我々の存在が分かってしまうだろうが。しかもこいつはこんなに流暢にハル語をしゃべってる。そんなやつが地球で誰にどんな情報を漏らすのか考えないのか?」

 ニシキギは顔を顰める。

「存在が分かっちゃまずかった?」

 カナメは苦笑する。

「当然だろう?」

 ニシキギは呆れたようにカナメを見つめる。カナメは困ったようにニシキギを見つめた。

「ニシキギ、考えすぎだよ。この子が何をしゃべったからって、一体何人の地球人がそれを信じると思うんだ? それに脱出艇は身元が分からないようにハルの情報は何も記載されていないものを使うし……」

 ところがカナメの言葉に返答したのはニシキギではなく、ムラサキだった。

『ダメです。その子を帰してはいけません』

 突然頭の中で声が響く。三人とも後ろを振り返った。ムラサキは廊下の壁を伝いながらヨロヨロと歩いてきた。

「ムラサキさん?」

 瑞樹はムラサキの様子がおかしいことに気づいて駆け寄る。ムラサキの肩に手をかけようとした瑞樹の手をカナメが掴んで止めた。

「触っちゃだめだ。マダム・ムラサキ、あなたいじられましたね」

『私に触ってはいけませんよ、瑞樹。感電します』

 ムラサキの体は小刻みに震えていて、時々電気が放電するようなバチバチという音がした。

「なんで? 誰がこんなことを……」

 膝をついてしまったムラサキの前で瑞樹も同じように膝をつく。

「もしかして君がやった?」

 カナメはニシキギを振り返った。ムラサキの様子を冷ややかな目で眺めていたニシキギがニヤリと笑う。

「なんで? なんでこんなひどいことをするの?」

 瑞樹がニシキギを睨みつける。

「ちょっと情報をもらおうとしただけだ」

 ニシキギは憮然とする。

「情報を無理矢理取り出そうとするとセキュリティが発動するんだ」

 カナメが説明する。

「よく知っているようだな」

 ニシキギは不愉快そうだ。

『あなたにも、こんな風に良く故障させられましたものね』

 ムラサキはカナメを見上げて微笑んだ。

「僕はこんなひどい目に遭わせてませんよ。あなたはあっと言う間に機能停止してたでしょう?」

 カナメは心外そうに弁解する。

「……もしかして、あなたの方が悪者と違う?」

 瑞樹は呆然とカナメを見上げる。

『カナメ、瑞樹をそんな脱出艇に乗せてはいけません。取り返しがつかなくなります』

「私、こんなのに乗りませんからご心配なく」

「あのなー、地球に帰りたいって泣いたのは君だろ」

『帰してはいけません。まだこの子の仕事は終わっていません』

「あの……私、あの問題も解答もさっぱり駄目です。わかりません。この魚雷以外の帰り方があったら帰りたいって思います。あなたとの約束は破ってしまうことになってしまいますけど、どうか許してくださいね」

 瑞樹は済まなさそうにムラサキを覗き込んだ。

『瑞樹、帰らないでください。お願いです』

 言葉はぶれたように響いて、よく聞き取れなかったが強い意志が伝わってくる。

「もうそろそろ駄目かな?」

 ニシキギはまるで天気の話でもするかのように呟いた。

「ちょっと、あんた、あんたがムラサキさんをこんな風にしたんでしょ? 何とかしなさいよ」

 瑞樹はニシキギの腕をつかんだ。気のせいか瑞樹がニシキギに触れた瞬間、ニシキギが目を見開いた気がして瑞樹は手を離す。


「瑞樹、ムラサキはもう駄目だよ」

 カナメがのんびりとした声でニシキギに同調する。

「どういうこと?」

「中身をお取り換えってことだ。人間じゃないんだから死ぬわけじゃない」

 ニシキギはこれっぽっちも罪悪感を持っていない様子だった。

「よ、よく分かんないけど……それって、中身取り替えたら、別人になるってことなんじゃないの?」

「記憶はそのまま保存されているから同じようなのがまた現われるだけだ。別人じゃない別物だ。機械なんだからな」

 ニシキギは肩を竦めた。

「でもっ! 別物でも別人でもどうでもいいんだけど、私が言いたいのはそんなことじゃなくて……私はムラサキさんに別物になって欲しくないの。同じ種類の電化製品買ったって癖あったり、壊れやすかったり、長持ちしたりするじゃない! ムラサキさんには今のこのままのムラサキさんでいて欲しいの!」

 詭弁だ、滅茶苦茶だ。自分でもそう思う。それでも……今、このムラサキさんを失えば、自分は地球へ帰る手がかりを一つ失ってしまうんじゃないか……そんな気がしたのだ。


「ハルの技術のことは地球人には分らないだろうな」

 ニシキギの顔には侮蔑の色がありありと浮かんでいた。

「なによ! 地球人だからって馬鹿にすることないでしょう?」

 瑞樹はニシキギに掴みかかった。


 カナメはその様子を横眼で見ながら溜息をつくとムラサキに話しかけた。

「機能停止させるよ」

『カナメ……』音声がぶれてもうほとんど聞き取れない。『瑞樹は……なのです。……しては……ない……』音声が途切れてしまう。


 カナメは仕方なく靴の先でムラサキの背中のある部分を思いっきり蹴った。帯電していたムラサキの体がシンと静まり動かなくなった。背後ではまだ瑞樹とニシキギの争っている声がする。何を子供相手にと思ったところで、ドサッと体が床に叩きつけられる音がしてカナメは驚いて振り返った。

 そこには床の上にばったりと倒れたニシキギがいた。

「瑞樹?」

「どんな物にだって魂が宿ってる。だから大事にしなきゃいけないの! 言葉をしゃべれる機械だったら尚のこと、絶対に、私が保証するよ。心を持ってる!」

 瑞樹はニシキギの腕を絞め上げながらそう言った。

「やめなさい! やめるんだ」

 カナメはニシキギから瑞樹を引き剥がした。ニシキギは床に倒れたまま呻いている。騒ぎを聞きつけた人が何人か集まってきた。カナメは瑞樹を捕まえたまま叫んだ。

「おい! 誰かニシキギを医療センターへ連れて行ってやってくれ!」

 まだジタバタしている瑞樹には低い声で囁く。

「ムラサキを運ぶから手伝いなさい。修理しなくてもいいのか?」

 大人しくなって解放された瑞樹は、ムラサキの倒れているところへ走り寄る。


 瑞樹はムラサキの腕をとると肩に手を回し立たせようとする。ずしりと重い。こんなに華奢なのにこんなに重い。やっぱり人じゃないんだと実感する。反対側のムラサキの肩をカナメが担いだ。

「こんな風に運ばなくてもいいんだよ。人間じゃないんだし」とカナメは言ったが、瑞樹は下ろさなかった。口を真一文字に結び頑なな表情でムラサキを運ぶ瑞樹を見て、カナメはため息をつく。


「君、強いんだね。ニシキギを投げ飛ばしちゃうなんて……」

 カナメは恐ろしげに瑞樹をチラリとみた。

「……小さい頃からじいちゃんに武道やらされたの。女だからこそ、自分の身は自分で守れなきゃダメだって……」

 瑞樹の声は微かに震えていて、抑えているのは怒りよりも悲しみなのだとカナメは気づいた。たかがアンドロイドだ、ハル人ならば悲しんだりしない。


 地球人とハル人の間にある意識の差を肌で感じる。この他にもたくさんあるであろう意識の差。

――どうするつもりなんだろう……ハル人は……どうするだろうか……地球人は。


「……僕のテントに忍び込んだ時、どうして僕にもあの技を使わなかったの? そうすれば、逃げられてたじゃないか」

 カナメはふと思い出して口にした。

「あの時のことはもう言わないで。良心の呵責で体動かなかったんだよ。自分が悪いことをしてるって分かってるのに、その上、人まで傷つけられないよ」

 瑞樹は弱弱しく呟いた。

 良心の呵責があって本当に良かったとカナメは胸を撫で下す。

「そこを曲がったところにエリアGがあるから……そこで修理してみるよ」

「うん」

 瑞樹が返事をして頷いた時、ムラサキを支えている方の肩がミシリと軋しんだ気がした。それきり腕の感覚が消えて、肩から手先まですべてが動かなくなった。

 ――折れた? 支えただけで……折れた……。

 瑞樹は頭の中が真っ白になる。


「おーい、誰か手伝ってくれ」

 カナメが声をかけるとエリアGにいた人が何人か集まってきた。ムラサキはその人達によって奥に運び込まれていった。

「おい、泣くなよ。なんとかしてみるから」

 瑞樹は震えながら顔を上げる。いつのまにか涙が零れていた。カナメが怪訝そうに覗き込んでいる。

「カナメ……私……」

 頭が混乱していて何を話したらいいのか瑞樹には分からない。縋りつくような目をしているだろうと瑞樹は自分で思う。

「駄目でも、ムラサキはまた復活するんだ。そんな情けない顔するなよ」

 カナメは優しく笑った。その優しい笑顔に心が静まって行く。

 奥へ立ち去りかけるカナメを呼び止めた。

「カナメ」

 カナメが何事かと振り向く。

「カナメ……ありがとうね。私のこと、地球に帰してくれようとして、本当にありがとう……ムラサキさんのことお願いします」

 カナメは一瞬不思議そうな顔をした後、頷いてにっこり笑った。

「終わるまで、その辺で待ってて」

 そう言い残すと立ち去った。


 瑞樹はエリアGの隅っこの壁にもたれて、そのままズルズルと崩れ落ちた。

[やっぱり最後は地球で死にたかったなぁ……]

 涙がハラハラと落ちる。

――日本人なら畳の上で死にたいってお年寄りは言うらしいけど、私は地球の上にさえいないんだね。青い、青い地球の上で死にたかったな。

[もっとも、地球にいたらそんなこと考えもしなかったよ。これで良かったのかも……ね]

――パパとママは、私が死んでしまったといつかは諦めるんだろうか、それともいつまでも待ち続けてしまうんだろうか……。

 どちらでも切なく、寂しく、申しわけなかった。どこも痛いところはなかったけど、呼吸が苦しかった。視界が暗く狭くなっていく。

[……パパ、ママ、ごめんね。最後に一目会いたかったよ]

 瑞樹はそのまま意識を失った。


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