第7話 散りゆくものとは知りながら(2)
ガルダにぶつかった隕石は、ガルダが飛び立つ直前までレーダーに引っ掛からなかった。どこから飛んで来たのか、どのくらいの大きさだったのか、さっぱりわからないまま警報は鳴り響いた。
急速な減圧と気温低下。隔壁が降りて遮断されたのはエリアEだった。急激な減圧に船外へ吸い出される者、気を失う者、その他のエリアでも衝撃による死傷者が多数出た。エリアEの処置が終わって隔壁が上がったころには、ほとんどの植物が凍死寸前だった。
その頃ナンディーのエリアEにいたディモルフォセカは植物たちの異変を感じ取っていた。ナンディーの植物たちに動揺が走る。どの船にもあるエリアEの植物は元が一つの木だったものが多い。離れていても自分の分身の異変に気付くことが出来たのかもしれない。
「何かあったのかしら?」
ディモルフォセカはガルダのエリアEで事故があったらしいという情報をコブから聞いた。ディモルフォセカは真っ青になった。ガクガク震えてくるのを抑えられない。何もかも放り出して、ガルダに向って発進しようとしている救援隊の中に紛れた。
「ディモルフォセカ? そこで何をしてる?」
カナメはナンディーのメインデッキから救援隊に細かい指示を出していたが、救援隊に紛れているディモルフォセカに気がついた。
「エリアEなんでしょ? ちょっと行ってくる」
「駄目だ! 邪魔になるだけだ。行くんじゃない!」
「……ごめん、必ず帰るから」
ディモルフォセカはカナメの制止を振り切って小型輸送船に乗り込んだ。
そして、それがカナメとの別れになってしまった。
ガルダのエリアEの被害は想像を超えていた。バイオラングとしての機能はほぼ壊滅的で、ファームの民の半数以上が船外に吸い出されて行方不明となり、船内に留まれた者も負傷者よりも死者の方が多い状態だ。ディモルフォセカの力くらいではどうしようもないように見えた。
それだけでも最悪の事態だったのに操舵にも衝撃の影響が出ていた。
「このままじゃ、ジタンにつっこんじまう」
先に飛び立っていた五隻の宇宙船が息を飲んで見守る中、ガルダはゆっくりとジタンの中心に進路を変えていた。
「イブキ! 舵をきるんだ」
カナメはモニターで警告する。
「わかってるさ。今修理中だ」
ガルダから聞こえてくるイブキの声は落ち着いているように聞こえた。カナメは少し安心する。
「イブキ、エリアEの様子はどうなんだ?」
「今フェリシアに行ってもらってる。すぐに状況がわかるだろう」
言い終わらないうちにフェリシアの声が割って入った。
「イブキ、エリアEは想像以上に悪いわ。分解している森の民を全部再生して起こしても駄目かもしれない。その前に酸素不足になるわ」
フェリシアの声は震えていた。
フェリシアの言葉が終らないうちにエリアE内に酸素低下の警告音が鳴り始め、棚という棚から緊急用の酸素マスクがぶら下がってきた。しかし次の瞬間、フェリシアの声のトーンが変った。
「ディモルフォセカ? あなたどうしてここに?」
「フェリシア、私、やってみる。私でできない分は他の森の民を起こしてください。応急処置くらいしかできないかもしれない」
ディモルフォセカの声は少し震えていた。
「ディム?」
フェリシアの持っているレシーバーからカナメの声が聞こえた。酸素低下でぼんやりしたディモルフォセカの頭にカナメの声がひどく遠くに聞こえた。
「大丈夫、私はやれる。私が守る」
ディモルフォセカは小さく何度も呟いた。
「だめ……危険よ、あなた力をコントロールできないんでしょ! もうこの船は駄目よ、避難するしかないのよ!」
フェリシアの泣きそうな声が響きわたる。
「ダメ! ガルダを見捨てないで! 私が何とかするから! 絶対何とかするから!」
ディモルフォセカの意志の強さを表すような力強い声が響き渡る。
ディモルフォセカはものすごい勢いで体中の力が吸い取られるのを感じていた。木や草が呻いていた。癒す力を求めて目に見えない触手をディモルフォセカに伸ばしてくるのがわかる。
――大丈夫、まだ、死んではいない。だから……大丈夫。
「お願い神様、ハルの神様、私に力をかして」
ディモルフォセカは植物たちから伸びる触手を渾身の力を込めて一旦ぐっと押しとどめた。やがてディモルフォセカの体全体が白い光で包まれる。風も吹いていないのに栗色の髪が逆巻いてうねる。止めようと手を伸ばしたフェリシアの指先が弾き返された。
ディモルフォセカはゆっくりと一歩前へすすんだ。二歩三歩、エリアEの中を光の塊が移動していく。
それはほんの数十分のことだったけど、フェリシアには何時間もたったように感じられた。光の塊はその大きさを徐々に小さくしながらエリアEの隅々を照らして行った。ディモルフォセカはフェリシアの元までゆっくりと歩いて近づいてきた。光はほぼ消滅していて、ディモルフォセカの顔の青白さが際立つ。
「私にできるのはここまで……ここまでみたい」
ディモルフォセカは、ふわりとほほ笑んでから倒れこんだ。
「ディム……ディム!」
ディモルフォセカはフェリシアの震える細い声を不思議な思いで聞いていた。
――なんで泣いてるの?
痛みも苦しさも無かった、むしろとても安らかで静謐な闇に閉ざされていく。
「もう大丈夫。ナンディーに帰らなきゃ……」
ディモルフォセカの体は氷のように冷たくて、脈は凍りついて行くかのように幽かになり、やがてフェリシアの腕の中で静かに途絶えた。
一方、エリアEの植物はかろうじてその命脈をつないだように見えた。凍死を免れた木の枝からは瑞々しい葉が萌出て、根の残った草は新芽を吹いた。
イブキとフェリシアからの連絡をじりじりした思いで待っていたカナメはモニターの前で歩きまわっていた。
「カナメ、良い知らせと悪い知らせだ。悪い方は二つもあるぜ」
憔悴しきった顔のイブキがモニターに現れた。
「まず良い知らせだ。エリアEが復活した。ディモルフォセカのお陰だ。酸素濃度は徐々に回復している。悪い知らせは……すまない。ディモルフォセカが……死んだ」
カナメは瞠目する。
――嘘だろ……。
「森の民全員がかかっても無理なはずだったらしいんだ、一人で飛び込んで行くなんて……無茶な。カナメすまない」
イブキは唇を噛みしめる。
「ディムを分解するぞ。でも俺が絶対完璧に再生してやるからな、約束する。それから悪いニュースのもう一つだ……」
イブキは沈痛な面持ちでカナメを見詰めた。
「ここで一旦、ガルダはワープドライブモードに移行する」
「何を言ってるんだ?」
カナメは信じられないと眼を見開く。
「舵の復旧が間に合わない。ジタンにぶつかる前にワープする」
「危険だ! ジタン系内でワープするなんて……」
「じゃあ、ジタンに突っ込むか? どっちにしたって危険なんだよ、カナメ。そこで、君たちまで巻き込むわけにはいかない、他の五隻はなるべく全速力で圏外に避難してくれ。ディムが守ってくれた船だ。今度は俺が守って見せるさ。Dポイントで合流する予定だ。俺を信じろよ」
不敵な微笑みを浮かべた後、イブキは全艦放送に切り替えた。
「宇宙船ガルダより全艦に告ぐ、本船は只今よりワープ体制に入る。ジタン、ハルの重力圏でのワープの為、他船への影響を考え三十分の猶予を設けた。その間に全速力でジタン系外へと退避願いたい。以上」
この放送がイブキとの別れになった。ガルダはジタンにぶつかることはなかったが、そのまま行方知れずとなってしまった。Dポイントにガルダは現れなかったのだ。いつまで待っても。カナメは僅かな時間に配偶者も親友も同時に失ってしまった。
ディモルフォセカにガルダのエリアEの窮状を知らせるようにコブに仕向けたのがムラサキだった。ディモルフォセカにしかガルダを救えないとコブを焚きつけたらしい。事実その通りだったのかもしれない。が、そのことを後から知らされてカナメは愕然とした。
ムラサキはディモルフォセカが森の民であることを知っていたのだ。知っていて放置し、いざと言う時の切り札として利用したのだとカナメはその時気づいた。腹立たしかった。何よりも、自分が何もできなかったことが腹立たしかった。
* * *
意識があるということはどういうことだろうか。(*)脳の中で神経ネットワークの上を信号が走ることだと定義するとパソコンもサーモスタットも意識をもつことになるらしい。重力相互作用でつながっていることを考えると地球と太陽だって微弱ながら意識があるということになるそうだ。カンブリア時代に地球は何を考えていただろうか、恐竜時代には、産業革命の時代には……。絶滅した動物や植物を思い出すことはあるのだろうか。もし、失ったものを地球が悲しんでいるとしたら、それはとても切ないことだ。
(*) 脳のからくり 竹内 薫 茂木健一郎 著 参照