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第6話 漸進(2)

 伸び放題だった髪を切って髭を剃ったので首から上がすうすうして心細い。カナメは周囲の軽い驚きと戸惑いと複雑な表情に迎えられた。可笑しなことに一番カナメの復帰を喜んでいたのはマダム・ムラサキのように見えた。アンドロイドでも上辺だけでなく、心から喜ぶことがあるのだろうかと考えてカナメは複雑な気持ちになった。


 カナメが想像していたよりも状況は進展していないように見えた。宇宙船ナンディーが月の南極の永久影に着陸していることと水の補給をしたこと以外に目立った動きがないようだ。


「カナメ、待っていたよ」

 ラークスパー教授が穏やかに言った。

「実は再生装置が故障中でね。仕事を増やしたいところだが人手不足だ。ニシキギが見てくれてはいるんだが、今ひとつはかばかしくない。すぐにでも君に見てもらいたいんだが」

 作業の遅れの理由はそれかとカナメはすぐに思い当たった。

「分かりました」

  イブキが作った装置だ。一筋縄ではいかないんでしょう、あいつの凝り性が発揮された逸品ですからねとラークスパー教授には言っておいた。


 ニシキギ……聞いたことがない名前だ。自分からすれば随分若い者なんだろうと想像する。カナメはハルを脱出する時、既に三百歳を超えていた。イブキも同様だ。


 カナメとイブキはその昔、天童と呼ばれた。あるいはイブキは守護神ヴィシュヌ、カナメは破壊神シヴァと呼ばれていたこともある。カナメは幼いころから物を分解することに取りつかれていた。およそ人の想像のつかないものを想像のつかないレベルまで分解して周囲を驚かせた。その結果付けられた不本意な仇名だ。


 最終的にカナメは人間さえをも分子レベルまで分解する装置を開発した。イブキも似たような状況で、その結果、再生装置を開発した。だから分解再生装置は二人の共同開発装置なのだった。ハルの人々はその装置を使ってすべての物を分解再生することで、狭い地下都市の中で究極のリサイクル生活を営むことになった。ゴミという言葉のない生活だ。それは宇宙船ナンディーの中でも活かされている。

 そして、その当然の結果として、カナメもイブキも自ら開発した装置を使って分解再生を繰り返し、ハルを脱出した時には三百歳というおよそ人とは思われない長い年月を生きることになってしまっていた。


 ハルを脱出する時、カナメはイブキと別の船に乗るように割り当てられていた。分解再生装置を船でも使用する以上、その開発者が固まって同じ船に乗ることができないのは最初からわかっていたことではあったが、イブキを失ったことはカナメにとっては大きな痛手だった。しかも、イブキの乗った宇宙船ガルダはハル脱出直後から行方不明になってしまった。


 その時失ったのはイブキだけではない。そのことを思い出すことがカナメには苦痛だった。苦い気分で分解再生装置を修理しているエリアGへ向かう。


 ニシキギと思しき人物が分解再生装置の内部に潜り込んで点検をしていた。

「どう? 治りそう?」

 カナメは装置の中を覗き込みながら問いかけた。潜り込んでいた人物が聞きなれない声に訝しげな表情で顔を出した。

「あんた誰だ?」

 眉間に皺を寄せて青い瞳が冷たく睨み返す。白っぽい金の髪を見ながらカナメは二、三回くらい再生した人物だろうと推測する。原因はまだ分かっていないのだが、分解再生を繰り返すと色素が抜けてしまうのだ。カナメも今でこそ銀髪に紅い瞳になってしまったが、元々は黒髪と濃茶の瞳を持っていた。

「カナメ・グラブラだ。君はニシキギ? だよね」

 カナメは手を差し出した。ニシキギは一瞬ポカンとした顔をしたが、再びしかつめらしい顔になって手は出さなかった。

 

 あまり愛想のいい人物ではないらしいと感じてカナメは嬉しくなる。自分があまり人付き合いのいい方でないので、賑やかな人付き合いのいい人だと合わせるのに疲れ果ててしまうのだ。

「今までどこで何をしていたのか知らんが、人は足りている。あんたの仕事はないよ」

 ニシキギはそう言ったが、エリアGは閑散としていて、人が足りているようには見えない。

「そう?」

 カナメは辺りを見回す。

「もうじき、この装置は修理完了する。そうなればすぐにでも人手は足りるようになるのだ」

 ニシキギはムキになって言い返す。

「そっか、じゃ、言葉に甘えて違うことをさせてもらうよ」

 カナメはクルリと向きを変えると部屋から出て行こうとしている。ニシキギはあっけにとられた。

――拘りが……無さすぎないか? 自分が開発した装置だろうが! と言いたいのをニシキギはぐっと堪える。


「あ、そうそう、その装置、故障と関係ない所をいじるとトラップが発動することがあるから気を付けた方がいいよ」

 カナメの声がドア付近で響いた時、パチンと何かが挟まる音がしてニシキギの呻き声がした。

「なんなんだよ、これは!」

 ニシキギの毒づく声が聞こえる。これで三回目だった。

「助けた方がいい?」

 戻ってきたカナメが手を伸ばすとニシキギが仏頂面でその手をとった。

「イブキの細工だよ、それ。僕を睨むなよ」

 カナメは肩を竦める。


 ニシキギの話を聞いてみると再生装置はかなり深刻な状態のようだった。全部で十台ある装置のすべてで同様の故障が起こっているらしい。再生しても意識が戻らないのだと言う。

「何人意識が戻ってないんだ?」

 カナメがニシキギに訊いた。

「二十人、最初の十人が意識を回復できないことを担当者が気づかないまま次を開始してしまったんだ」

 ニシキギが忌々しそうに言った。

「その人達、どうしてる?」

「医療センターに置いてある」

 置いてあるって、死体じゃあるまいしとカナメは苦笑するが、ニシキギはほとんど同じようなものだと冷たく言い放った。

「もう一度分解した方がいいかもしれない」

「俺もそう思っているが、今はドクターが管理している」

「ブラキカム?」

 ニシキギは頷いた。



*   *   *



 医療センターはエリアHにある。医療センターは他のエリアよりも人が多くて活気がある。カナメはブラキカムを探した。

「カナメさん!カナメさんじゃないですか?」

 どこからか聞きなれた声がする。

「イベリスじゃないか」

 イベリスはカナメの所に走ってきた。

「戻ってきたんですね」

 ニコニコと笑う顔が人懐っこい人柄を表している。イベリスとカナメはフォボスで初めて会った。イベリスはリセプタータイプの森の民だ。森の民だが技術系に強いのでフォボスでは助手のように働いてくれた。フォボスは表向きハルの第三衛星ということになっていたが、正確には巨大人工衛星だ、もっと正確に言えばフォボス自体が脱出するための宇宙船の組み立てドックになっていた。

「君は今ここで働いているの?」

「エリアEに呼び出されるまでですけど。今はドクターブラキカムの手伝いをしています」

「そっか。ブラキカムを探しているんだけど、どこにいるか知ってる?」

「もちろん、今からこれを持って行くところです」

とイベリスは医療器具を持ち上げて見せた。


「カナメ!」

 ブラキカムはカナメをがっしりと抱きしめた。

「ブラキカム、やめてくれよ」

 自分にこんな暑苦しい出迎えをしてくれるのは今では彼とコブぐらいだなとカナメは苦笑する。もっともブラキカムはコブと違って背がカナメよりもかなり低いのでしがみついてるという感じだけど、それがコブだと抱きかかえられているような形になる。ブラキカムもカナメやイブキと同じくらい長い人生を送っている一人だ。


「そうか……やっぱりもう一度分解するしかないか。分解しないで何とかしてやりたかったんだが……」

 ブラキカムは難しい顔をして言った。

「それから、もう一つ頼みがあるんだけど」

 こっちが本題だとでも言うようにカナメが身を乗り出した。

「なんだ? ややこしいことはごめんだぜ」

「エリアEで診てもらいたい患者がいるんだ」

「ファームの民か? 彼らのことは彼らの医者に任せた方がいいぜ。体の造りが微妙に違う」

「地球人だ」

 声を低くしてカナメが囁くと、聞いた途端にブラキカムもイベリスも目を丸くして椅子を倒して立ち上がった。

「エリアEにいるのか?」

 二人とも同時に叫ぶ。周りの喧騒が一瞬静まって、三人を注目した。

「声を小さくしてくれよ。彼女はどういう状況にいるんだ?」

「治療水槽をぶっこわして逃亡中だ」

 ブラキカムが声を低めて説明する。

「彼女が壊したことになってるのか?」

 カナメは呆然と呟く。

「あの子が壊したなんて誰も思ってないさ。誰かが連れ出したに決まってる。だけど、誰も

連れ出した人間を見ていない。彼女も見つからなかった…もしかして、お前が連れ出したのか?」

 ブラキカムは急にカナメに視線を合わせる。

「まさか!」

「だろうな」

 ブラキカムは溜息をつく。


 ムラサキたちだ、カナメは合点する。ファームの民以外で接触を持っていたのはムラサキとトウキだけだった。しかし、訳が分からない。何のために?


「で? 診察って?」

 ブラキカムは疲れたようにカナメを見上げた。

「彼女の記憶を覗いた。腫瘍摘出手術をする直前にここに来てしまったらしいんだ。一体どういうやり方で地球人の記憶採取をしてるんだ?」

 カナメの口調が非難めく。

「彼女のは全くの事故さ。あんなに傷つけて採取した地球人は他にいないよ。普通は記憶を採取したらすぐに戻してる」

 ブラキカムは言い訳をするように言った。

「とにかく、後どのくらい彼女に時間があるのか知りたい。それまでに家に帰してやるって約束しちゃったんだ。その為の診察だ」

「またまた、ややこしい人間に関わってるな」

 ブラキカムは力なく笑う。

「……またって……そうだね」

 カナメは一瞬目を見開いた後、淡く笑った。


 それまで黙ってブラキカムとカナメのやりとりを聞いていたイベリスが口を開いた。

「あの、彼女はエリアEにいて何ともないんですか?」

「?」

 カナメとブラキカムがイベリスを見つめる。

「彼女は森の民だって感じたんだけど……違ったのかな」

 最後は呟きになる。

「そう言えば、瑞樹は植物と話せるみたいだよ」

 カナメの何気ない一言にブラキカムもイベリスも驚いた。

「まさか! 植物と話せる森の民なんていませんよ。少なくとも僕は話せない」

 イベリスが否定する。

「僕は植物と話せる森の民を知っていたよ」

 カナメは溜息とともに言った。

「まさか……」

「アール・ダーの学校で先生が植物と話せることなどないんだと教えていたことも知ってる。でも、それでも、その人は植物と意志の疎通をはかれてた」

 僕も少しなら理解できるという言葉は呑み込む。

「まさか……」

 イベリスは凍りついたように黙り込んだ。一人だけ、植物と話せると言い張っていた人を知っていたからだ。



* * *



 ウィンウィンと低音の稼働音だけが響く薄暗い部屋の中でムラサキは静かに目を閉じて佇んでいた。そこにコツコツと規則正しい軽快な足音が近づいてきてムラサキの前で止まった。

「どうでしたか? 驚いたのではありませんか?」

 ムラサキは物憂げに眼を開けると近づいてきた人物に静かに話しかけた。

「あれは誰ですか? あれは……」

 トウキは表情の薄い顔に淡い動揺を刷いていた。

「あれを見て人間はどうしてNO86522347であると分からないのか私は不思議でなりません」

「別人なのには違いありませんよ。しかし……あれは誰なんだろう。NO86522347に限りなくそっくりで……面白いことに、力が解放されないように仕組まれてありましたよ。あれは自分でやったのかな、それとも生まれつきなのかな」

 トウキは見たこともない生き物を見たかのように呟いた。

「力は解放されたのですね?」

 ムラサキの言葉にトウキは頷いた。

「このことはラークスパーには?」

 トウキはムラサキを見つめた。

「もちろん伝わっています」

 ムラサキは心得顔で頷いた。

「どうするつもりですか? 地球を……地球人を……」

「無論、どうもしません。我々は我々の子供たちを新天地に導く、その使命を果たすために存在するのです。それはいつまでにとも、どこでとも、どのようにしてとも限定されていないのです。人は死に、文明はいつか滅びるものです。それまで待つもよし、自ら手を下すもよし。選択肢は無限です」

「私が言っているのはそのことではありません。もし地球人が同朋であるとするならば、どのように対応するつもりかと訊いているのですよ。もし彼女がNO86522347であるのならば、新天地に導く我々の子供たちの中に彼女も含まれるはずではありませんか? ほかの地球人はどうなのですか?」


「トウキ……あなたはアンドロイドでありながら、人間の感情を過剰に理解する存在なのだということを忘れないでください。以前のような過ちを犯すことがないようにしてもらいたいのです。正直に言うと、私はあなたを起動することには反対だったのです。あなたの役目はほぼ終了です。もし今後、あなたから我々の計画を阻むような言動を感知した場合には直ちに機能停止させる準備があります」

「……」

 トウキは無表情のまま口を噤んだ。

「では、セキュリティセクトに戻り、自らの使命を遂行してください」

「……了解しました」


 トウキ型アンドロイドはセキュリティ部門を担当している為、人の痛みを感じる機能が強化されて搭載されている。人が痛みを感じていれば救出して痛みを取り除く作業を最優先する。痛みを感じさせる事象が起こると予測される場合には、それを取り除くか、その状況下から対象を退避させる行動をとるように設定されている。


 時として人は涙を流す。つまり泣くという行為を行う。これも痛みを感じている場合があり、この傾向は年齢が低くなるほど顕著になり、年齢が高くなるにつれ痛みで泣くことは少なくなるが、無論、大人も涙を流す場合がある。この場合の問題は、痛み以外で人が泣くことだ。


 アンドロイドが作られた当初、人間のボディガードとして使用する為にトウキ型のうち幾体かは人の感情を理解する機能を搭載された。更にその内の一体のトウキが、ある特殊な能力を獲得したのはハル滅亡の遥か以前のことだ。そのトウキは森の民の能力を感知し、それをコントロールすることができた。



*   *   *


  

関数f(x)=1/xのグラフを学校で習った時、初めて漸近線と言う言葉を覚えた。限りなくある数値に近づく曲線。先生がチョークで描いた曲線が黒板を突き抜けてどこまでも、どこまでも突き進み、様々な障害や悪条件に屈せずに、勇ましく逞しく進んでいく、そんな一途な曲線のイメージが頭の中に浮かんだ。例えその数値に辿り着けないことが分かっていても漸近線は諦めない。自分もそうありたいと思う


(第6話 漸進 終了)


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