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第4話 心の扉を開ける鍵(4)

 ハルの宇宙船ナンディーは月に着陸していた。月の南極付近、永久影の中に船はひっそりと隠れていた。ここならば地球の月探査衛星の目もかわせるし凍りついた水もある。


「なぁ、イベリス、あの地球人の女の子が消えたって聞いたか?」

 ニシキギは氷を切り出しながら宇宙服の中からくぐもった声で訊いた。

「ええ、聞きましたよ」

 宇宙服の中は適温に保たれているとは言え、氷を切り出す作業で汗だくだ。温度調節機能が労働で生じる温度変化についてこれないのだ。だからと言って宇宙服を脱ぐわけにはいかない、空気も薄いし、外はマイナス二百度だ、一瞬で凍ってしまう。

「どこに行ったんだろうな」

「さあ、ナンディーの中にいるんだろうから、そのうち見つかるでしょ?」

 イベリスはこのニシキギという人物があまり好きではない。薄い金髪に冷たい青い目をしていて、どことなく寒々とした印象を受けるし、周囲の人からもあまりいい噂を聞いたことがない。

 自分の気に入らない者を排除するのに手段を選ばないとか、配偶者をとっかえひっかえしているとか……確かめたわけではないが。


 宇宙船の中は目覚めさせられている人が少ないせいで、慢性的な人手不足となっていた。氷の切り出しという極めて不本意な肉体労働に選ばれたのも運が悪かったが、ニシキギと一緒というのもイベリスにとっては運の悪いことのてんこもりだ。


「君、本当に知らないのか?」

 疑り深そうにニシキギはイベリスを覗き込んだ。

「本当に知りませんよ」

 汗が背中を流れていくのがわかる。早いところ切り上げてシャワーを浴びたいところだ。

「君、森の民だって本当なのか?」

 イベリスはびくりと手を止めた。

「そんなことを聞いてどうするんですか?」

 表情が強張っている。

「そんな怖い顔をするなよ。単なる好奇心だ。俺の周りにはいなかったからな」

 ニシキギは片方の口の端を持ち上げて笑った。

「僕はリセプタータイプなので、今は森の民ではありません」

 イベリスは呟くように答えた。


 森の民には力を使えるタイプが三通りあって、それぞれ『オリジンタイプ』、『マルチタ

イプ』、『リセプタータイプ』と呼ばれる。

 オリジンタイプは植物を操る力を持っているものの自分の意志では力を出せないタイプで、植物からの要求で力は勝手に消費される。よってこのタイプはしばしば傀儡と揶揄されることがある。

 マルチタイプは力の源でありなおかつ自在に自分の意志で力を使えるタイプで、リセプタータイプはオリジンタイプもしくはマルチタイプの力を被曝することによって力が使えるようになるタイプだ。


 ハルを脱出する際、人類は一旦すべてが遺伝子情報と記憶情報のみを残して、分子レベルまで分解された。その後、必要な人間が必要なだけ再生される。今回も必要とされる人員が再生された。

 その中に、森の民のオリジンタイプとマルチタイプは含まれていない。そして今後、この二つのタイプが再生される予定はない。何故なら、この二つのタイプは再生できないからだ。再生してもすぐに死んでしまう、力を数時間で使い果たして。


 力を被曝しないイベリスには森の民としての能力はない。今回イベリスが再生されたのは森の民の力が必要になりそうだった為だが、まだ呼び出しを受けていなかった。呼び出されれば、ある方法を使って力を被曝させられるはずだ。


 ソーマは魔薬だとイベリスは思う。ソーマのマーブル色をした種を、ある液体に入れると溶解して乳白色の霊薬ソーマができあがる。それを飲むとイベリスのようなリセプタータイプの森の民は力が使えるようになる。

 ソーマを飲んだ時の高揚感と恍惚感を、イベリスは忘れることができない。前回力を使うために飲んだ時はそのままフラフラとエリアEを歩き回ったことまでを覚えている。

 力を使い果たしてしまうまでイベリスは何かに憑かれたように歩き回った。そしてエリアEの森は元気を取り戻し、イベリスは再び分解された。


 ソーマの白い種には森の民の力が吸収されている。

 ソーマの種は二種類ある。黒曜石のように黒いものと、大理石のように白いものと。

 黒い種は森の民の力を吸い取る力を持っていて、黒い種に森の民が触れると地上に落ち、白い花が咲く。白い花は白い種を結ぶ。力の強い人で4,5粒、弱い人なら1,2粒の白い種を実らせることができる。つまり森の民は黒い種を手にした瞬間に命を吸い取られてしまうのだ。一方、白い種は地に蒔けば青い花を咲かせ、たくさんの黒い種を結ぶ。


 ハルを脱出する前にソーマの黒い種は森の民の命をすべて吸い取った。

 一体、いくつの白いソーマの種があるのか、イベリスたち森の民は知らされていない。 

 ソーマの種を使う時に感じる嫌悪感や後ろめたさは、これに由来している。「共食い」そんな言葉がイベリスを苦しめる。リセプタータイプならばまだ救いがあった。再生ができる。

 その他のタイプは、力を吸い取られるだけ吸い取られて再生ができない。救いがない。どうして森の民だけがこんな辛い立場に置かれるのかイベリスは納得がいかなかった。


 イベリスはこれまでエリアEの植物への力の注入の為に二回再生された。そして用が済めば再び分解される。人をなんだと思ってるのかと言いたいところだが、エリアEはこの船のバイオラングだ。エリアEがダメになれば自分の身だって危ういのだ。仕方がないことだと今では諦めている。今のところ用が無いから氷の切り出しなんかを手伝わされている。これも仕方がないことだと溜息をついてやり過ごす。


「なぁ、君、ディモルフォセカ・オーランティアカって知ってるか?」

 イベリスの溜息などお構いなしでニシキギはしゃべり続ける。

「ディモルフォセカなんて名前、珍しいと思うんだが、森の民にはよくある名前なのか?」

「あまり聞きませんね」

 イベリスが知っている近所のお姉ちゃんがディモルフォセカだった。それ以外は知らない。そしてそのディモルフォセカはオーランティアカ家の二女だった。

「じゃあ、その子のこと知らないか?」

「知ってますよ。なんでディムのことを知りたいんですか?」

 イベリスは怪訝そうにニシキギを見上げた。ニシキギは背の高い男で一九〇センチはある。恐らく他人を見上げたことなど滅多にないだろう。

「どんな子だった?」

「いい人でしたよ。優しくて。他人のことばかり心配してる人だった」

 イベリスは用心深く答える。

 ディムには、小さい頃よく面倒を見てもらった。姉御肌的な人ではなかったが、思いやりが深く、人の痛みをよく分かってくれる人だった。ニシキギなどの口からその名が出たことにさえ嫌悪感を感じてしまう。

「でも、法を破って地下都市に潜入したって聞いたぜ?」

 ニシキギは意地悪そうに笑った。


 ハルでは森の民はアール・ダー村から勝手に出てはいけないことになっていた。地下都市に勝手に行くこと、それは即ち法に触れることになるのだった。

「事情があったんですよ……」

 怒りで声が少し震えてしまった。イベリスがディムの行動の肩を持ってしまうのには訳があった。

「行方不明なんだって?」

「フォボスで死んだって聞いてます。行方不明だって言う噂も聞きますけど……フォボスで母が一緒だったって言ってましたから」

 イベリスはだんだん不機嫌になってくる。

「君のお母さんが?」

 ニシキギは手を休めてイベリスを見つめた。

「ええ、母は……フォボスで死にましたから」

 この話をするのは本当に嫌だ。

 母はフォボスで死んだ。刑罰を受けた為だ。母も、ディムだってハル政府の制度の犠牲になったんだとイベリスは思っている。母のやったことは確かに許されないことだけど、大人になった今、イベリスは母を責める言葉を思いつかない。気持ちが分かるからだ。


 当時、大半の者がそうであったように、イベリスの父と母も政府が決めた夫婦だった。イベリスが初等部に入った年、母は自殺しようとして誤って父を殺してしまった。


 母から取り上げようとした包丁が父の命を奪ったらしいと後で母方の叔父から聞いた。事件はイベリスが初等部に行っている間に起きた。帰って来たイベリスが見たものは、リビングに広がる夥しい父親の血と……その中で、逃げもせず泣きもせず真白な顔で震えていた母の顔だった。

 普段なら父親とイベリスの為においしい料理を作っているはずの包丁が父の胸に深々と刺さっていた。

 母は絶望したのだ、父に離婚を切り出されて。

 あの日の事を思い出すと今でもイベリスは頭の中が真っ白になる。


 不機嫌な顔で黙々と氷を切り出し始めたイベリスにニシキギはそれ以上のことを訊かなかった。ニシキギはディモルフォセカ・オーランティアカとカナメの配偶者ディモルフォセカ・グラブラが同一人物ではないかと疑っていた。

 

 イベリスの証言を聞いてなお、ニシキギはその疑いを晴らす気にはならない。ハル政府の下では、森の民と一般人が婚姻することは禁止されていた。ニシキギにとってディモルフォセカ・オーランティアカは、彼の人生のターニングポイントにたまたま居合わせた人間だった。もっとも彼女はそのことを認識しているはずはないのだが、それでもニシキギにとっては心に刻みつけられた痣ように消すことができない人物だった。

 そして、そのディモルフォセカの情報があのカナメの弱みを握る為の材料になるかもしれないと気付いた時、それを利用する場面を想像してニシキギは高揚した。

 今はまだいい、カナメは使い物にならない。このままの状態が続くのならば特に利用価値のない情報だ。ニシキギは薄く笑うと作業を続けた。


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