[ⅩⅩⅠ]天空の鬼嫁①
「笑いごとじゃないぞ。激情の赴くままに死体蹴りとか、残酷すぎるだろ。泣きたいのはこっちだっての、残虐超人め」
むくれるエニシに指摘され、リージュは己が頬をぬらしていることに気づいた。もはや自分でも、喜怒哀楽のどれに端を発するのか分からない。
『エニシさんの言う通りです。笑いごとでは済まされませんよ』
鼓膜を震わせるのでなく、頭の中でダイレクトに響く声音。こんな芸当ができる存在の心当たりなど、リージュは一つしかない。
「いつぞやの駆け出し女神か。地上へみだりに干渉するのは『放任』を国是とする天上界において、ご法度だろう」
『緊急時は、その限りでありません。念には念を入れて十重二十重の傍受対策を施した秘匿回線を用いておりますし、いずれ所定の手続きも通すつもりです』
要は事後報告か。新人のくせに危ない橋を渡る。
「いったいなんの用だ。まさかおまえ、エニシの動向を逐一モニタリングしていたわけじゃあるまいな」
『ち、逐一なものですか。日中から就寝までにかけ、合算しても数時間程度でしょう。本業をこなしつつ、合間合間の息抜きがてらですし』
わりかし網羅しているじゃないか。リージュはあきれ返った。
「ストーカーの鏡だな。そこまで人間の男にご執心とは、先輩の神が嘆くのではないか」
『お黙りなさい。女神の愛は均等です。加えて私は、諏訪エニシ単体を注視していたわけではありません。あなたも含めた、相乗効果を危険視していたのです』
「我を危険視だと?」
『ええ。そして尻尾をつかむべく、あなたにまつわる情報をしらみ潰しに当たり、ついに発見しました。禁断の【思考兵器プロジェクト】。並びにナノブレイカーの魔神化に伴う暴発の顛末を』
プロジェクト名のみなら「口からでまかせ」としらを切り通すこともできた。されど兄が魔神と化したことに言及する時点で、ハッタリではない。
「どちらも極秘事項だぞ。おまえごときひよっこが、のぞけるたぐいの情報深度ではないはず」
『えっへん。私をなめないでください。ハッキングくらいお手の物。のぞき見は、得意中の得意ですからね』
むしろゆがんだパッションに悪寒がする。何が彼女を楽園追放と背中合わせの背徳行為へ駆り出すのだろう。どの道リージュは、ニキを『人畜無害』から『要注意女神』筆頭に引き上げることにしたが。
『得られたデータから、真意を逆算してもみましたし。あなたは魔界に墜ちた同胞を奪還したかったんじゃないですか。ただしノーマルの進化形態では頓挫する公算が大。なんせ魔剣は一足飛びの特進を果たしている。「蛇の道はヘビ」とでも申しましょうか、あなたは家族に倣い、血塗られた邪道を模索した。私の推理、いかがでしょう』
リージュは唇を噛む。独特な倫理観の無鉄砲娘のくせに頭は切れるなんて、とんだピーキー仕様だ。天帝の気まぐれなパラメーター配分に、悪意すら感じる。
『だんまり、か。真相はヤブの中となってしまいました。残念です。盗み取った情報のため、証拠能力なしなのが玉にキズですね』
残念なのは一面お花畑な、おまえの脳内だろうに。エニシとは別次元で、油断も隙もあったもんじゃない。
『虎視眈々と見守るほかないとじくじたる思いでしたが、まんまと馬脚を現しましたね。お手柄です、エニシさん。さすがは私の見込んだ殿方』
「あのー」エニシが挙手する。「専門用語のオンパレードについていけなくて割りこむタイミング逸してたんだけど、訂正してくれないかな。今の流れだと、まるで俺が君とグルみたいじゃん。リージュへのストーキングは、ニキの独断専行だろ」
『だから私はつけ回してなどいません!』
女神ニキが語気を強めた。お冠モードかもしれない。
『ごほん。いいですか、エニシさん。女神である私は天界の規定により、地上の森羅万象へアクティブかつ恣意的に関与できません。しかし我々の先駆けたる勇者が熱望すれば神の知恵を貸したり、天啓をもたらすことはできます』
「なんだかごり押し臭がするのは、俺の気のせいかな」
エニシの読みは的中している。女神はグレーゾーンな力技を強要してくるに違いない。リージュとエニシの組み合わせを不安視する、憂慮の裏返しかもしれないが。
『ノープロブレムです。エニシさんは私の後方支援を切望されますよね』
「あっさり頼ると、のちのち闇金融ばりに利子が膨れ上がりそうで辞退したい、というのが率直な所感だけど」
エニシはなけなしの反抗をした。野生の嗅覚で、ニキからにおいたつ不穏当な気配を察知したのだろう。
『嫌だなぁ。女神の恵みは無利子無担保が原則ですよ。「耳そろえて返せや。さもなくば内臓売らんかい、ワレ」などと催促するわけないじゃありませんか』
このやさぐれ女神、腹がダークマター級に真っ黒じゃなかろうか。慕われる男はハゲそうだ、とリージュはエニシの毛根を気遣った。
「ただより高いものはない、が俺んちの家訓で」
『エニシさん、私の手助けが〝ひ・つ・よ・う〟ですよね』
「はい……ぜひともお願いします」
ニキのいてつく波動に、エニシは白旗をあげた。
『うふふ、正直さは美徳ですよ。では仮のお話をしましょう。あなたは目の前にいる武器の化身によって、殺されかけました。それは揺るぎない事実。もし不信感を覚えてマインドイーターを手放すというなら、私どもは万全のサポートをいたします』
「具体的には?」
『聖剣や神槍のオリジナルを託すことも、やぶさかではありません。デスサイズの野望を未然防止したのは、それほどの功績なので、上司も却下したりしないでしょう』
なんという穴だらけな道筋だろう。了解も取らずに話を進めるなんて。ニキの上長の血圧が上昇する姿が、リージュには想像できた。
「つーか俺、イミテーションをなすりつけられかけたことが、そこはかとなくショックなんだけど」
『ドンマイです。武具でなく特殊能力でも、あなたの要望を最大限かなえましょう。エニシさんは、それだけのことを達成しました』
「ちなみに君に引き渡した場合、リージュはどうなるんだ」
『極寒の牢獄に永久隔離されます。デスサイズのみならず、グロウアップウェポンは一網打尽にしてみせましょう』
エニシがリージュを一瞥する。
「一網打尽って、物騒だな」
『いいえ。真に物騒なのは、そこにいる大鎌です。何食わぬ顔で持ち主の命を狙い、あまつさえ魔神を目指すなど言語道断。私は女の勘でマークしていましたが、いかんせん物証がありません。そこをエニシさんが見事裏をとってくれたのです。素晴らしい。グッジョブでした』
エニシは褒められ慣れていないせいか、バツが悪そうだった。
「殺人が道義にもとるのは分かるけど、魔神になるのも同等にいけないことなのか」
『さもありなん、です。「魔に墜ちる」も同然ですから。魔神化は極めて純度の高い力を得ることができますけど、コントロール不能ならば元の木阿弥。いずれ天界の転覆を図る勢力の手先となるのは、火を見るより明らかでしょう。闇に葬りたくなる黒歴史もありますし。ともかく我らを敵視していることが、はっきりしました』
ニキの語る『黒歴史』という単語が、リージュのかんに障った。兄を冒涜する者は、女神とて容赦しない。
「敵視しているとも。兄がなぜ魔神となったか、検証しようともしないで。天界の主観で書かれた紙っぺらを盗み見たくらいで熟知した気になる、おまえらの無能さには辟易する。自分たちが『正義の主導者』と妄信する兵隊アリども。固定観念を唾棄する我が相棒の、爪のあかを煎じて飲ませてやりたいくらいだ」
『私たちを虫と同一視するとは、なんたる侮蔑』
「けけっ。教養がないんで、さえた隠喩が浮かばなかったんだよ。キレるなって。天界は宇宙の調和を司っているんだろ。おまえさんがカオスの起点となってどうするね」
ニキは黙して語らない。まなじりを決しているかも。
「ついでに言っとくと、我は魔神になっても暴走したりしない。制御して、天上界に貢献してやるとも。兄も取り戻すと約束しよう。神どもが不承不承でも拍手喝采する様が目に浮かぶよ。そうなったら我を閑職に追いやったでくの坊たちは、どういう心境かな。我としては全裸で逆立ちしながら、天界一周くらいしてもらわないと腹の虫が治まらないが。ビールっ腹には『天下にグロウアップウェポンあり』と印字するのも一興かもしれん」
『あくなき功名心によって魔が差したのですね。たとえあなたが魔神のパワーを御して天魔大戦を終結させても、持ち主を死に至らしめた事実は変わりません。尊い命の犠牲のうえに成り立つ力でもたらされた安寧など、うつろなまやかしにすぎない』
リージュがまばらな拍手をする。
「ご大層な演説だったよ。チップをやれないのが心苦しいな。あと天界の上層部に聞かせてやるといい。耳が痛くて、顔をしかめるかもしれないが」
『たたけばホコリが出まくるあなたと、同じ穴のムジナにしないでいただきたい』
「五十歩百歩だよ。取り柄のハッキングとやらで、トップシークレットを流し見てみろ。汚物だらけで、おまえのより所である信仰心も灰燼に帰すかもしれないぞ」




