[ⅩⅦ]そして混沌へ③
それでか。エニシは得心いった。
リージュが逃れられないのは、金属製の武器ゆえだ。磁力を帯びた紐を一本一本はがすのは、簡単な作業ではない。同様の理由で人であるエニシには、なんら拘束の用をなさないという寸法か。
「なんでまた、そんな手間暇かかることを」
「こうするためだ、よっと」
ボスが一本釣りする。リージュを閉じこめる網が、盗賊側に手繰り寄せられた。
「リージュ!」
「いきり立つでない。束縛されようと、一矢報いることぐらいできる」
リージュが気丈に答えた。盗賊をしかと見据える。やつが間合いに入ったときが年貢の納め時。一瞬にして意識を刈り取るつもりだろう。
「おまえのもくろみは読めるぜ。うかつに近寄らねぇよ。オレも長生きしたいんでね」
盗賊のボスはハルバードを携え、不動の構えだ。射程圏外では、さしものリージュといえど反撃のしようがない。
「不敗神話の要石を没収しちまえば、てめえなんて恐るるに足らない。今こそ復讐のときだ。よくも仲間を皆殺しにしてくれたな」
「人聞き悪い。死者は一人もいないって。自分の目で確かめてこいよ」
エニシはホールドアップしたまま大空洞の出入口からどいて、通路をあけた。
「てめぇをなぶり殺したあとでな」
ちっ。ウドの大木に見えて、凡ミスはしないか。エニシは別の策を講じるにあたって、釈然としない点に思いをはせる。
あたかもリージュをピンポイント爆撃する仕掛けの数々。敵はエニシたちのパーティーについて、知り尽くしすぎてないだろうか。
「一つ聞きたい。どうやってこちらの情報を入手した?」
「てめぇ、身のほどをわきまえろよ。質問できる立場だと思っているのか?」
盗賊ボスがハルバードの穂先を、リージュの柔肌に寸止めする。下手なマネをしたら串刺し、という警告なのだろう。
「幼子を人質に取るようなマネして、罪悪感が芽生えないのか」
「全く良心は痛まないぜ。だってこいつ、人ですらないんだろ」
ぐっ。図星をつかれて、エニシはぐうの音も出ない。
すると盗賊の頭領が不安げに右方向をうかがう仕草をした。
つられて、エニシも視線を向ける。生つばを飲みこんだ。
暗闇に包まれた岩場に〝何か〟いる。二つの眼球が、エニシを捕捉していた。
物陰に溶けこんでいた何かが、高速移動する。ジャンプしたらしい。着地点は──
「がはっ」
リージュの上だった。背中に覆いかぶさるように四本脚で立つ。マウントポジションを取られて、リージュはカウンターもままならないらしい。
照明の中に姿を現したのは、狼だった。いや、その表現だと語弊があるかもしれない。フォルムは狼だけど、明らかにサイズが違うのだから。
百獣の王ライオンを二回り以上大きくした巨躯に、メタルシルバーの毛皮。鋭い牙と爪に加え、俊敏そうな四肢を兼ね備えている。『シルバーウルフ』と呼ぶにふさわしい猛獣だった。
「子狼の特徴と一致する。合点がいったよ。おまえが分身たちの親玉か」
ヒステリックな盗賊より、はるかに厄介そうだ。とんでもない動物、飼っているな。
そこまで考えて、エニシは奇妙な感覚にとらわれた。この場面は彼にとって、至極ありふれている。
「あぁ、なるほど。誰もドット絵じゃないからか」
エニシは声に出して核心をついた。
そう、彼やリージュだけならまだしも、シルバーウルフも盗賊ボスも誰一人としてドット絵じゃない。逆説的に述べるなら、このシーンは役者もアドリブまみれでシナリオのない即興劇なのだろう。
「すなわち経験則なんて使い物にならない。非常識こそがもてはやされる規格外の宴、と肝に銘じるべきだな」
「てめぇ、頭がおかしくなったのか。何一人でぶつぶつ言ってやがる」
盗賊ボスがわめいた。
「俺の頭脳は、一周回ってクールダウンしたよ。おまえたちからすれば、ネジが外れたように映るかもしれないけど」
盗賊のヘッドが、銀狼をさりげなく視界にとらえる。
「何とち狂ったことを」
「おっさん、一つ教えてくれないか。この作戦はあんた一人で立案したのかい」
「だからてめえ、質問ができるような」
「どちらが有利かは心得ている。俺たちが、圧倒的に劣勢だ」
「偉そうに。それが一杯食わされている側の態度か。オレたちの心変わり一つで、仲間が血祭りにあげられるんだぞ」
「ふむふむ。『オレ〝たち〟』、ね」
エニシがオウム返しすると、ボスは目に見えて動転しだした。脂汗がにじんでいるのも見て取れる。
あと一押し、ってとこかな。エニシはカマかけを続行する。
「おぼろげながら、三文芝居の骨子が見えてきたよ。つまりはシルバーウルフのほうが、黒幕ってことだな」
本来であれば唐突なエニシの発言など、一笑に付すだけで事足りた。しかし盗賊ボスのリアクションは、真実を如実に示している。
彼はフリーズしてしまったのだ。もはや雄弁に物語っているのと大差ない。惜しむらくは、暗躍できるほどの肝っ玉が備わっていなかったことだろう。
「獣にあごで使われる心労、察して余りあるよ。じゃあ本題に入ろうか。狼さん、君は人語を話せるのか? 無理なら、通訳を連れてきて欲しいんだけど」
銀狼が鼻の頭にしわを寄せる。威嚇のつもりかもしれない。
「おっかないなぁ。俺、君の子分にケツをかじられまくって二つに割れたんだぜ。誠心誠意の謝罪をもらいたいくらいだよ。やっぱ犬のほうが断然ラブリーだよな。狼ってのは、非礼の落とし前もつけられない、礼儀知らずな生き物らしいから」
「人間風情が、そんじょそこらの走狗と十把一絡げにしてくれるな。脳しょう、ぶちまけてやろうか」
盗賊の頭領が発したものではない。リージュは組み伏せられて、発声自体おぼつかない有り様だし。無論エニシの自虐ネタでもない。
導き出される答えは一つきり。
「想像してたより、渋い声音じゃん。お名前教えてくれるか、狼さん。ちなみに俺は諏訪エニシという。ご覧の通り、ナイスガイだ」
「ヨークだ、ひ弱な人間」
銀狼ヨークが瞳孔を狭める。エニシに飛びかかる気、満々かもしれない。
「よろしく、ヨーク。鳥頭じゃないなら、俺を『人間』などと呼んでくれるな」
「どこで看破した、人間」
ヨークはあくまでエニシを固有名詞で呼称するつもりがないらしい。
「理由は三つ」エニシが指を三本立てる。「一つ、ザクセンの町長がほのめかしたんだ。盗賊の手口ががらりと変わったって。グループが豹変するのって、トップが交代したときかなとぼんやり思って。二つ、御輿として担ぐリーダーがビビりすぎ。ヨークの顔色ばっかうかがってるんだもん。もう少し度胸のあるやつを影武者に擁立すべきだったな」
「最後の一つは?」
「おまえたちがドット絵じゃないから。そいつが俺なりの決め手だな」
前述の二つと違って最後の回答に、ヨークは首をかしげた。
「分からなくていいよ。感覚的なものだから」
「直感でかぎ取った、と?」
「うん。そういう理解で、ほぼ正解。おたく、頭の回転速いな」
利発な獣なら、ゴロツキよりも交渉のしがいがある。
「なんじに賞賛されても、うれしくないな」
「つれないこと言うなって。俺からの要求は二つだけ。一つ、リージュを解放してくれ。もう一つ、この鉱山から立ちのいて、ザクセンの町を襲わないこと。これを守ってくれるなら、いがみ合う理由はなくなる」
「まるでほかの町なら盗みを働いていい、みたいな論調だが」
「ご明察だ。ザクセン以外の土地で悪さするなら、目をつむろう。金輪際命の強奪だけは堪忍して欲しいが、聞くところによるとあんたたち、人殺しは専門外みたいだしな。殺人が割に合わない商売ってわきまえているだけ、お利口さんだよ」
ヨークが鼻を鳴らす。
「空前絶後にもほどがある。品行方正なはずの勇者が、悪事を黙認するなど」
「行儀悪いのが俺スタイルでね。んで、駆け引きに応じてくれるか」
「自分たちは放浪者。この鉱山に定住するつもりなどない。目的が達成されれば、今日にでも巣の引っ越し準備をしよう」
リージュ解放についてはノータッチか。エニシは相手の出方を静観する。
「あんたの目的とやらは、教えてもらえるのかな」
「傾聴せよ。自分の望みはただ一つ。なんじの死だ」
エニシは返答に窮した。
「幻聴かな。俺の生死がどうとか、耳に入ってきた気がするんだけど」
「空耳ではない。貴様の死亡こそが、我らの大願よ」
エニシは腕組みして思案したものの、堂々巡りだ。ならば尋ねるしかない。
「俺にも理解できるよう噛み砕いて」
エニシが一歩踏み出したところで、ヨークが大口を開けた。そして上あごと下あごの中間に、リージュの頭部を据え置く。まるでスモモを丸飲みするような構図だった。
「誰が動いていいと許可した。こちらに人質がいること、くれぐれも忘れるな」