[ⅩⅤ]そして混沌へ①
アジトの見張りは、一人と一匹だけのようだった。人のほうはお察しの通り盗賊だ。バンダナを頭部に巻き、泥棒ひげを生やしている。
一匹を視野にとらえたとき、エニシは直感的に『番犬』と思った。毛並みから察するに、正確には狼なのだろう。ただし図体がウェルッシュ・コーギーくらいしかないので、獰猛なウルフと似ても似つかない。
「さすがに昼日中から正面突破は、チャレンジャーというより向こう見ずかな」
草いきれに乗じるエニシが傍らに語りかけた。
「裏口がどこにあるか知っておるのか。情報収集もろくすっぽしていなかったと、記憶しているが」
リージュの指摘は正鵠を射ている。エニシは広い町でこつこつ人に話しかけるのをいとい、方角とか鉱山の位置とか大まかな情報しか仕入れていないのだ。
「補足すると、小手先に走るまでもないようだ。動物の嗅覚は欺けなかったらしい」
なんのこっちゃと鉱山の入口を凝視すると、今日のわんこ──もとい、銀の毛並みの子狼がエニシたちのもとへ駆けてくるではないか。においをかぎつけた、ということなのだろう。未成熟な獣と侮るなかれ、だ。
「こうなりゃ乗りこむしかない。いくぞ、リージュ」
「小細工を弄するなど、劣等種のすること。面と向かってしのぎを削るほうが、我の性に合っている」
リージュは舌なめずりして、草むらから狼に踊りかかった。鎌のかいなを一閃させる。
「うげっ、見かけ倒しかよ。あ~あ、闘志がなえるな」
リージュが珍しく弱音を吐いた。
「どうしたんだ。盤石に一撃で仕留めたじゃないか」
子狼が煙のごとく消えたのをエニシは視認している。
「どうやら分身のようで、魂を食えん。くたびれ儲けというやつだ」
「分身? 本体から分裂したってことか」
リージュが地面から一本の毛をつまみ上げる。
「触媒はこれだろう。我は体毛にむしゃぶりつく趣味などないぞ」
「右に同じ」
エニシは吹き出しそうになる。リージュにとっては倒し損だろう。
ただし彼女にはエニシの内心など筒抜けだった。
「笑いを噛み殺してないで、おぬしの番だぞ。グロウアップウェポンを有する者なのだから、よそ見して瀕死とか、生き恥をさらすなよ」
リージュが指で示す方向へ目をやると、盗賊がダガーを振りかぶって直進してきた。
「死ねぇ」
悲しいかな、三下っぽいセリフだった。ドット絵の彼には『死亡フラグ』という観念がないのだろう。
「ライジング──」
技名を叫ぼうとしたところで、リージュが三白眼を向けてくることにエニシは気づいた。分かったよ。それは格下の振る舞い、ってんだろ。
エニシは直線的なダガーの軌跡をかいくぐり、ガントレットに覆われた上腕を見舞った。狙いは首筋。プロレスでいうところの、ラリアットだ。
エニシのカウンターが決まり、「ぐえっ」と盗賊が悲鳴を漏らした。あおむけに倒れて、口から泡を吹く。失神しているのは一目瞭然だ。
「では我の出番か。曲芸じみた余興のはじまりはじまり、だ」
リージュが盗人の傍らにひざをつき、彼の胸元をわしづかみした。盗賊の全身が一度、びくんと跳ね上がる。以降は微動だにしなくなった。
「ふぅ~、パーフェクト。久しぶりだから、しくじるかと思ったがな」
「確認だけど、死んでないよな」
リージュが柳眉を逆立てる。
「我を誰と心得る」
「でも『弘法も筆の誤り』って、あるじゃん。さじ加減を間違えて、生ける屍になってるってことも」
「不審に思うなら、おぬしが目視せい。我が多芸多才だと、いやが応でも知るはずだ」
リージュが促すので、エニシは盗賊の唇に手をかざす。吐息が当たった。少なくとも、呼吸が途絶えてはいない。
「生存している、な」
「魂だって、甘噛みしかしておらん。せいぜい数日の記憶が、すっぽり抜け落ちるくらいだろうよ」
エニシがリージュにした依頼は、「悪人であっても、人間の魂は食わないで欲しい」というものだった。戦闘不能になる程度で吸収をストップという、リージュには実利のない頼みである。けど突拍子もなかったからか諦め混じりに、
「悪党に恩赦や減刑など、百害あって一理なしだぞ。そやつらは心を入れ替えたりしないと、誓ってもいい」
エニシだって改心を望んでないし、性悪説こそが『ことわり』だと思う。しかし彼らも世界によって〝悪を演じさせられている〟だけだ。恐らく倒されることすら、宿命に組みこまれているに違いない。
無頼漢であっても、歯車のままくたばるのは不憫じゃないか。願わくば、死に方や死に場所くらい自分たちで選ばせてやりたい。たとえリージュに魂を奪われるより過酷で無惨なエンディングだったとしても、だ。
「ありがとう、リージュ。おまえには苦労をかけるな」
「ふんっ。よい。我は貸しを作ったまでだ。いずれ取り立てるからな」
口は悪いが、根はいいやつなのだろう。ただ、善人であればあるほど世渡りが困難になる。地球ではそうだった。果たしてイスカンディアはどうか。
「ところで俺の必殺攻撃、技の名称を叫んだほうが魔法っぽくてスタイリッシュじゃないかな」
「自粛しろ。おぬしのネーミングセンスはちゃんちゃらおかしいし、何より端役っぷりが際限なく強調される」
ひでえ。ムチばかりで全然救いがない。ツンデレさんの本領発揮で、最後くらいアメを織りこむのがセオリーじゃないかな。エニシは頬を膨らませた。
甲冑の硬度を上乗せしたラリアット。彼は『ライジングボンバー』と名づけたのだが、リージュが難色を示した結果ご破算になった。エニシとしては会心の命名だったのに。
「ほら、むくれてないで行くぞ。我らの殴りこみは周知の事実になった。指をくわえていれば、わんさか敵が押し寄せてくるかもしれない」
リージュがすたこらさっさと廃鉱の出入口を目指した。
「不用意に進むな。どんな罠があるか、知れないぞ」
「我を足止めできるようなものがあるなら、お目にかかりたいものだ」
リージュの行軍はとどまるところを知らない。『進撃の小人』だ。
やれやれ。わがまま、じゃじゃ馬、ありのままの三拍子そろっているな。
うん。山田くんから座布団一枚進呈されるくらいのユーモアはあったかも。
エニシの『ぼっち笑点』などどこ吹く風で、リージュは大胆不敵に歩む。
「ちょっ、待てよ」
エニシも追随する。一瞬、木村拓哉のモノマネ(低クオリティ)っぽいと思ったものの、こちらの世界では通用しないので口外しないことにした。
¬ ¬ ¬ ¬ ¬
坑道は暗くじめじめしており、快適環境とはほど遠かった。通路は広々としていないし、歩きにくいことこの上ない。車輪を滑らせるとおぼしきレールはあったけど、トロッコがなければお飾りだ。エニシは枕木の上を歩くことにする。
懸念していた罠の洗礼は、まったくと言っていいほどない。波状攻撃じみた敵の襲撃があるくらいだ。
盗賊と子狼がペアになった小集団が、断続的にやってきては倒れ、やってきては返り討ちに遭う。ワンパターンさに、エニシはあくびを禁じ得なかった。
ただ、うんざりなのは彼だけではない。リージュもだ。狼は倒しても食料にならない。盗賊はエニシとの取り決めにより一部しか栄養源にできないので、ストレスもたまり放題だろう。今にも「戦闘を放棄する」と言わんばかりだった。
「さて、どっちかな」
道が二手に分かれた分岐点に差しかかったので、エニシは停止した。
右の道にはレールが続き、左のルートは線路が寸断されている。
王道を敬遠するエニシとしては、〝定め〟のメタファーとも言えるレールから脱却したいところだ。
「どっちでもよい。袋小路にぶち当たったら、逆を行くまでだ」
リージュが楽観的に左の道へと分け入る。
「運頼みすぎるだろ。もっと考慮を重ねてだな」
「おうっ?」
柄にもなくリージュが驚愕の声をあげた。
エニシは即座に理由を察する。
リージュの足元が崩れ、地面にぽっかり空洞が生じたのだ。
「落とし穴か!!」
エニシは全速力で接近し、ヘッドスライディングする。間一髪のところで、リージュの手首をつかむことに成功した。