[ⅩⅢ]天と兄と時代と呪われし兵姫②
翌早朝、リージュはエニシの部屋の扉を開けた。寝ぼけてベッドに潜りこむ、などという出血大サービスをするためではない。彼女の手には花瓶が握られている。
「目には目を、歯には歯を。屈辱には屈辱を、だ」
リージュはよこしまな微笑を浮かべている。少なくともピュアヒロインがする面差しではない。
VIP待遇というだけあって、室内はきらびやかだ。昨日の町長執務室とは雲泥の差である。リージュにとっては内装の充実など、些事であったが。
広々としたベッドで眠りこけるエニシ。死線をくぐった経験などない、平和ボケした寝顔だ。寝相も悪いらしい。木登りのごとく、毛布を四肢で抱きかかえている。
男という生物のご多分に漏れず、甘えん坊なのだろう、とリージュは推測した。こと戦闘においては、笑いごとで済まされないパーソナリティであるけれど。
エニシは命を奪うことに躊躇している。たとえ相手が異形の怪物だったとしても、だ。前いた世界で命のやり取りをしてこなかったことに起因するのだろう。
昨日までの戦闘での、リージュの見立てだ。
ここいらに生息する烏合の衆を倒すくらいならば大過ないが、悪魔直属の強敵とまみえたときには致命的な弱点になる。一瞬でも殺生を逡巡した結果立ち所にのど笛をかき切られるなんて、魔王のおひざ元ではざらなのだから。
運良く生き続けられたとしても、リージュのサポートなしでは、遠からず命を散らせる。それほどに脆弱な存在なのだ。
他方で、敵に情けをかけられるほど心根が優しいとも言えるかもしれない。いつかは定かじゃないが、戦乱は終焉を迎える。そのとき、この甘ちゃんみたいな生き方をできない者は、かえって時代遅れなのかもしれない。
「時代遅れ、か。忌まわしき言葉だ」
リージュは天井を仰いだ。瞳を閉じればまぶたの裏に、在りし日の栄華がまざまざとよみがえる。
グロウアップウェポン十二本が一堂に会した、天帝謁見の間。たとえ魔族の大軍勢が侵攻してきても、負ける気がしなかった。
しかしそれも大昔の話だ。〝不慮の事故〟で【思考兵器プロジェクト】は無期限凍結。グロウアップウェポンは『天上界の汚点』という烙印を押される。無類の強さを誇る兄弟姉妹はちりぢりに離散した。
天界としては、臭いものにフタをしたかったのだろう。自分たちだけが艱難辛苦を味わった、と言わんばかりに。
冗談じゃない。我々がどれほど煮え湯を飲まされたか、知ろうともしないで。
リージュに至ってはほとぼりが冷めたころ、地球からの転生者の景品という閑職に左遷させられている。まごうことなき挫折の日々だった。連綿と続く蛇の生殺し。思い返すたび、無性に胸が締めつけられる。
──どこでボタンをかけ違えたのだろう。
幾度となく反すうした疑念が、リージュの思惟を駆け巡る。
「いかんな。感傷的になっておる」
リージュはかぶりを振った。後ろ向きな感情の発生源は、だいたい見当がつく。
時折、エニシに兄が重なるのだ。一芸に特化したグロウアップウェポンの中でも最強の、あらゆる物体を切断する〝魔剣ナノブレイカー〟の面影が、彼にはある。
「我としては認めたくないがな。しかし焼きが回ったらしい。たった数日で、情にほだされでもしたか」
リージュに他人の身の上をおもんぱかる余裕などない。もう一度、世に知らしめねばならないのだ。
自分たちがいかに有用で、過去の遺物じゃないことを。事実上封印するのが宝の持ち腐れであること、我が身一つで証明する。そのためには不確定な情欲すら、意のままに操らねばならない。
すべては悲願のために。実現できるならば、いかなる犠牲もいとわない。
「よしっ」
リージュは大志を再認識したところで、悪童の表情になる。そして夢見がちな少年の横顔に、花瓶を傾けた。当然の帰結で水がこぼれ落ちる。行き着く先はエニシの顔面だ。
花瓶の中身が半分空になった辺りで、エニシがむせた。
「げほっ、がほっ……なんだ!?」
「おはよう。寝坊助さんの我が使い手よ」
エニシがリージュと視線を交差させる。
「おまえ、リージュ。どうして俺の部屋に」
「だからモーニングコールをしにきてやったんだよ。今日は盗賊との大一番だろ。寝過ごしたら一大事だと思ってね。我の温情、紐解いて欲しいものだ」
「何が温情だ──って俺、びっちょびちょじゃん」
エニシは顔面の水滴を手で拭っている。枕の下に水たまりもできていた。
「その年になってお漏らしとは、やんちゃにもほどがあろう。我なら死にたくなっているところだ」
「こんな澄み切った尿があるか。つーかおまえ、背中に隠した物見せろ。怒らないから」
「我を子供扱いするな。おねしょ魔人め」
リージュは相好を崩しつつ、逃走を図った。
¬ ¬ ¬ ¬ ¬
「リベンジとか、狭量だよな。どこが伝説級の武器だよ。笑止千万だぜ」
海千山千がはびこる廃坑への道すがらで、エニシは憤懣やるかたないらしい。
「おぬしも根に持つタイプだな。男なら、寡黙に進むがよい」
リージュは彼の肩にまたがっている。今ではすっかり定位置になった。この見晴らしにも慣れてきたところだ。
「顔が整っているやつほど、性格が破綻してるって定説、的を射ているのかも」
これで当てつけのつもりなのだろう。いとおしくなるくらいに稚拙だ。リージュは憤ることもなく前方を見据える。
人はなんと不完全な生き物だろうか。「それゆえ美しい」といつぞや聞いた気もするけど、失念した。長らく生きていると、つまらないことには頓着しなくなる。
陳腐だ、とリージュは思う。未完成を愛するなど、自己弁護や傷のなめ合いにほかならない。弱さを甘受したところで強くなれるわけではないはずだ。
リージュの目標はあくまで、極めること。とらえどころなくて些細なことにも揺れ動く人情と決別し、絶対無欠の存在となる。
現状に満足するなんて愚の骨頂だ。上を目指さずして、人生になんの価値があるというのか。
その代償として何かを支払わねばならないとしたら、リージュは命以外捧げる所存だ。何かを得るために代価を差し出す暗黙の摂理は、永劫に等しいときの中で会得した。
ただし頻繁じゃないものの、尋ねてみたくなったことはある。
自分と近い境遇だったら、グロウアップウェポンは我と同じ志を抱いたかどうか、だ。折よくリージュの眼下には兄の代役がいる。
だからこれは弱気になっている、とかではない。純然たる興味本位だ。
「無言の散歩ってのも非建設的だし、世間話の一つもしてやる。昔々あるところに、切羽詰まった美少女がおりました。彼女は無慈悲な歴史に翻弄され、家族と離ればなれとなります。孤立無援で風前のともしび、といっても過言ではありません」
「……そっか。リージュにも家族がいるんだな」
「あ、あくまで架空の人物だ。我のことではない」
とんまなエニシに見透かされ、リージュはどぎまぎした。
「じゃあ、ニキのことか?」
「はぁ? 寝言は寝て言え。男に免疫と見境のない、純粋培養された小娘が薄幸の美少女なものか」
「ほらな。超絶ナルシストのおまえが、他者を美人認定するわけないじゃん。ちなみに俺は、リージュもニキもどっこいどっこいの美貌だと思うけど」
「ふんっ。おぬしに褒めそやされても、我は舞い上がらぬぞ」
ほかでもないエニシにやりこめられたのが、しゃくに障る。
「茶々を入れて悪かったよ。俺もリージュの過去を知りたいから、続けてくれ」
「もうよい。我は強情じゃないからの」
こしゃくにもエニシが唇を手でふさいだ気もするけど、リージュはいちいち重箱の隅をつつかないことにした。
「我は虫の息も同然だが、まだ闇のかなたに葬られておらぬ。しかして、起死回生の策はあるのだ。されど性急にことを進められる反面、邪道での。越えねばならぬ段階と障害が、幾重に立ちはだかっておる。踏破の過程で各方面には災難が波及することだろう」
「ショートカットできるけど、いばらの道ってことね。で、おまえは俺に何かしらヘルプ要請している、って認識でいいのかな」
つかの間、リージュは息をのんだ。
「……いいや。おぬしだったらどうするか聞きたい。仮に我の立場であったら、エニシがどんな決断をするのか、だ」
「曖昧すぎて判断しようがないんだけど。もうちっと具体化することはできないのかよ」
「いずれそのときがくるやもしれんが、今時分ではない」
「開示不能か。ふーむ、弱ったな」
エニシは歩きつつ、長考しだした。
今回ばかりはエニシを責められない。細部の輪郭をぼかしたリージュに落ち度がある。
『実のある返事は望み薄か』と彼女が思い始めた矢先、
「正統なるテンプレ主人公なら微量なヒントからでも、親身っつーかもっともらしいアドバイスするんだろうよ。『君の抱えている苦悩は時間が解決してくれる』、うんぬんかんぬんとかさ」
「我は悩み相談しているわけじゃ」
リージュの反論をエニシが遮る。
「悪いが、俺は二枚目キャラじゃないんでね。泥臭くやらせてもらう。身もフタもないこと言っちまうと、おまえだって俺から的確な忠告なんか引き出そうとしてないだろ。さといリージュのことだ。のっけから結論は出ている。おまえは苦渋の決断に、いまいち踏ん切りがつかないんじゃないか。誰でもいいから、『君は英断を下した』って背中を押して欲しい。たまたま俺が身近にいたってだけの話で」
リージュはエニシのつむじを凝視した。