5話 不思議な力と初美容室
風呂場には湯気が立ちこめ、シャーっと温かいものが体をつたう。
朝風呂なんて、いつ以来だろう。
ん……朝シャワーか。
泡立てた頭、体を順番に洗い流してゆく。
綺麗になった体で風呂場から出ると、洗濯機の上に、入る時にはなかったものが置いてある。
昨日、結と一緒に行って買った服。
バスタオルで体を拭きながら、リビングにいるであろう結に聞こえる様に、ちょっと大きな声で言う。
「これ着ればいいの?」
すると、洗面所まで聞こえる大きな声が返ってくる。
「うん! 可愛いの選んだよ!」
まず、服の上にのっている上下白の下着を着用。
やはりブラジャーは時間がかかる。
大丈夫かな俺……こんなんで時間かかって……。
まあ、世の中初めから出来るやつなんていないだろうしな。
……てか、こんな事で悩んでる俺って、
いわゆる女装オジサンみたいな者と同じだろうか。
テレビで見た事がある、いわゆる女装をして街を歩くオジサン。
……まあ、性癖なんてものは、人それぞれだしな。
第一、俺は女装をしている訳ではない。
精神は男だが、体は女の子。
つまりあれだ。
女装ではなく、着飾っているのだ。
うん、そうだ。
……だけど虚しくなるのは何故だろう……。
次に服。
たたまれている服を手に取り広げてみると、
水色のTシャツに白のロングフレアスカート。
服を着てリビングに戻ると、結は両手を胸の前で合掌させて、
「やっぱり可愛い! すごく可愛いよっ」
「えっ、あっ、その……ありがと……」
「こっち来て。ここに座って」
椅子を引きだし、ここに座る様に言う結。
気にする事なく言われた通り座ると、後ろに回ってブォ―っと暖かい風。
俺がシャワーを浴びてる間に、2階に上がって俺の部屋からドライヤーを持ってきていた様だ。
人に髪を乾かしてもらうなんて、今まで床屋くらいしか経験がない。
床屋……女子はなんて言うんだっけ。
美容院? 美容室?
あっ、くすぐったい……。
「ちょっと優、動かないで」
「って言ってもさ、耳元が…」
「男だったでしょ! つべこべ言わない」
あなた散々女の子っぽくしろって言ってましたよね……。
まあ、俺は寛大だから許してあげよう。
時にはあなたも許してね。
怒っちゃ嫌よ。
「もうちょっと我慢して。もうすぐで乾くから」
「うん……」
乾かしながらも、結は器用な手つきで髪を整えてゆく。
ドライヤーを切ると、目の前にハサミが!
「ええ!」
怒った‼
ジャック〇〇ッパ―?
解体されちゃうの? 俺。
「ちょっと動かないで。前髪長すぎるから」
「……って素人だろ」
「大丈夫。あたしたまに自分の前髪切ってるから。後で調整しやすいようにしないとね。今のままじゃどう見てもおかしいし」
調整? 何の事だ?
考えてる間に、胸よりも下にあった前髪を鼻の辺りまでにパチンと切られる。
今度は眉をカミソリのような物でササっと撫でたかと思うと、細い毛抜きでつままれる感触。
「いてっ」
「動かないでって言ってるでしょ。……でも優って眉整ってるからいいね。あまりいじらなくて大丈夫」
今度は自分のポーチから何か取り出し、開けて手に塗り込むようにして擦ると、髪を取って馴染ませる様に手を動かす。
さすが女子。
手慣れた手つきだ。
「人のやるのって、よく分かんないな~」
「えっ!」
「ん? どうしたの?」
「あっ いや なんでもない」
これで分かんないレベルなのか……。
女子の外見作りレベルは高い……。
はるか遠くに感じる。
俺、やってけんのかな……。
「出来た! 鏡の前に立ってみて」
「あ、うん。ありがと」
立ち上がって鏡の前に立つと、俺は自分の目を疑った。
そこには信じられないくらい可愛い女の子が写っていたからである。
前髪を切ったことにより、キラキラと照明が反射して光る大きく見開いた瞳。
反転すると、綺麗に流れるストレートの長い後ろ髪。
その顔立ちと可愛い服を着た姿に、目を奪われてしまった。
「どう? 可愛いでしょ」
ボ~……。
「ん? どうしたの? 優」
「え! そ、そうだな。可愛いかな……」
「……まさか見とれてた~?」
「えっ! そんなことないし。見とれてないし」
すると、結は小鞄を手に取って肩にかけ、俺の手を取り、
「じゃあ行こっか」
少し恥ずかしい気持ちを抑えながらリビングを出て玄関を開けると、太陽の光に温められた風がふわっと体に吹きかかる。
もうすぐ夏だな。
いや初夏か……ん?
初夏か?
わからん。
玄関から出て少し歩くと、結が立ち止まってこちらへ振り向いた。
「どこいく?」
「ん。どこいこっか」
「あたしは昨日行った方角がいいんだけど……」
「じゃあそれでいいよ」
* * * * * *
道路を走り去る車。
休日なので、交通量は多い。
穏やかな上り坂を上がって交差点を右に曲がり、そのまままっすぐ道を進むと鉄道の駅がある。
駅の名前は南山駅。
その駅の横に立っている建物が、この街で一番大きな建物。
この街は都心より少し離れていて駅も小さい。
集合店舗施設と言っても都心のそれとは比べようもないが、この小さな街では南山下学園と共にシンボル的な建物でもある。
建物の中心は1階から5階まで大きく開けていて、天井は青空が見えるガラス張りになっている。
店も歯抜けなく入っていて、利用客も多い。
そしてその集合店舗施設に向かう途中で、それは起こった。
些細な、いや。
些細な事ではない。
これから始まる奇妙な現実を証明するような事。
駅へつづく道路脇の歩道を歩いていると、突然大きな怒鳴り声。
「あぶない!」
強い風が、体の周りを吹き抜けた。
「え……?」
声のほうに体を向けると、建物の間に立て掛けてあった鉄の筒棒の束。
それが俺の頭上めがけて倒れかかってきたのだ。
突然の事に、体は言う事を聞かない。
避けれない!
―・―・―・―・―・―
すると奇妙な感覚。
「あれ? ポール…」
「優、こっち」
腕を引かれて立ち止まる。
数秒経った後、3歩ほど前の歩道に今にも倒れかかる筒棒の束が見える。
何だ……。
「あぶない!」
え!
さっき聞いたのとまったく同じ怒鳴り声にびっくりして後ろに仰け反った。
ガシャン! カラカラ……。
鉄の筒棒の束は地面に倒れ込んだ後、反動で跳ねて転がりながらバラバラになっている。
建物の隙間に壁のひび割れ工事の為、鉄の筒棒で足場を作っていたのだ。
その建物に立て掛けていた筒棒の余りが、建物の強い隙間風に吹かれて倒れてしまった様だ。
危なかった……が。
いや、たしかに俺の頭上に倒れ込んできた。
けど妙な感覚がして、まだポールは倒れてなくて……。
俺は結に腕を引かれて、倒れてくる場所までいかなかった?
理解できない事が、また起こった。
結の顔を見ると、目を逸らされる。
いや……まさかな。
「だ、大丈夫でしたか!」
「あ、はい、大丈夫なんで」
「うん♪ だね」
周囲の人に頭を下げながら謝っている業者を軽く会釈でかわし、駅に向かってまた歩き出す。
変な疑問は尽きないが、俺が女になってる時点でもう現実的では無いんだ。
と、適当な言い訳めいた考えで自分を騙し、目の前の事実から目を逸らす。
「ねえ、モール行く前に行くとこあるでしょ」
「……ん? あっ、ごめん。聞いてなかった」
「ほら、あたしの制服。クリーニング!」
「あっ、そっか」
何も無かったような言い方の結。
それに便乗するような俺。
今感じた事を、言葉にする事を躊躇っていた。
それを言ってしまうと、今日は何も出来ないと思う自分がいた。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「こっち来て」
結に手を引かれ、駅の近くにあるクリーニング店に入る。
クリーニングなんて今まで一度も出したことがない。
「あの……これクリーニングしてください」
「はいお客様。メンバーズカードはお持ちでしょうか?」
メンバーズカード?
そんなの持っていない。
「あっ、はい。あたしが持ってます」
「はい。ありがとうございます。学生服ですね。上下2点で650円になります」
結がカードを出して、お金は俺が出す。
クリーニングね……。
思ってたより安い。
「ありがとうございました」
クリーニング店を出てまた結に手を引かれて歩く。
今度は……『クレア』何ここ……。
店の看板を見るかぎり、何の店か分からない。
「彩夏に教えてもらってさ、それからずっと通ってるの」
彩夏というのは、同じ学園の結の友達で噂好きな女の子。
男だった時は、ほんとにうざいくらい俺と結に付きまとっていた。
「んで……なんの店?」
「え? 見てわかんないの? 美容室だよ」
「んお?」
美容室?
これが美容室なのか。
どこからどう見ても綺麗過ぎて、通っていた床屋とは大違い。
なんか緊張する……ん?
「ちょっと待って。入るのか?」
「そうだよ。優の髪、自分でセットしやすいように上手くしてくれるから」
「そうか……」
ガチガチに固まった体で中に入る。
てか店の中綺麗すぎ!
「いらっしゃいませ~あっ、矢島様ですね」
「あの、今日はこの子の髪をお願いしたくって……」
「ああ、可愛い方ですね。お名前伺ってもよろしいでしょうか」
「あ、たかな……じゃなかった。桐嶋です」
「桐嶋様ですね。今空いてますのでこちらへどうぞ」
30歳前後くらいの男前な店員に誘導され、見た事も無いおしゃれでシャープな椅子に座る。
「今日はどのような感じで」
どのようなって……どうすればいいの?
「あの……とっ、整えやすいようにしてもらえれば……」
「かしこまりました」
んあ!
今ので分かったの?
首元に、これまたおしゃれなビニールと布で織られた髪避けを付けられ。
なんか場違いなところへ来たみたいだ……。
「では失礼します」
言われた後、店員は見事な手さばきで前髪、そして後ろ髪をあまり切る事なく整えてゆく。
「シャンプーはどうされますか?」
「あ……朝シャワー浴びてきたので……」
「はい」
みるみる内にカットが終わり、今度は熱くないドライヤーで髪を軽く撫でるように吹くと。
「桐嶋様。メイクはどのようにしますか」
メイク?
メイクって化粧の事?
てかもう俺の名前覚えてる。
あ、高梨だった。あっ、けど今は桐嶋か。
んぁっ、なんか混乱してきた!
「メ、メイクはいいです……ほんと」
「失礼しました」
あ……いや、謝らなくても。
「では髪のセットをしてまいります。どのような感じで?」
またか……分からん。
「あっ、あの、似合う感じかな……」
「かしこまりました」
うは!
やっぱり分かっちゃったのね……てかすげーな。
サクサクと進むヘアセット。
30分ほどですべてが終わり、椅子から立ち上がって後ろに座って雑誌をみている結に声をかける。
「えっと、終わったけど」
「ん。おお! すごい可愛いじゃん!」
「そ、そうか」
その場で立ち止まって辺りを見回す。
店に入った時も思ったが……レジってどこにあるの?
「桐嶋様。今日はカットとヘアセットのみですので、2800円になります」
あら……意外と高い。
床屋だとシャンプー付きの値段だ。
てかここで払うの?
男の時から使っている財布を出すと、背中に隠していたのか薄い黒いプラスチックの板が目の前に。
差し出す様に出された板の上に、なんとなく千円札3枚のせる。
「少々お待ちください」
さっと速足で店の奥へ消える店員。
すぐに出てきて100円玉を2枚手に渡される。
「では桐嶋様。初めていらしたという事なので、こちらを」
渡された物は、財布に入るほどの小さな紙のメンバーズカード。
そこにカットしてくれた店員のハンコらしきものが押してある。
「桐嶋様。今度はいつほどのご来店で」
今度? そんなの知らん。
「あ! たぶん半月ほどだと思います」
半月?
何いってんの結。短すぎだろ。
「あの、半月っていうか……」
「優! 優は黙ってて」
「かしこまりました。ではご予約お待ちしております」
深々と頭を下げる店員。その礼儀正しさに少し感銘をうけた。
うむ。苦しゅうない。
我は満足じゃ。
美容室から出て少し歩くと、ちょっとだけ前を歩いていた結が振り向いて言った。
「優、女の子はね、月に2回くらい美容室に行ったほうがいいんだよ」
「え? 月に2回⁉ 多すぎないか……」
「あ~まあ月1って子もいるけど、2回は行きたいよね」
「……でも行ってない子もいるだろ」
「ん~けどダメ。優は行ったほうがいいの」
何そのガキ大将みたいな意見。
月2回って……月1回でも多くないか?
俺、今まで2,3か月に1回だったが……。
苦しゅうないって思ったのは取り消させてもらうか。
女のサガを逆手に取った悪どい商売。
俺は騙されんぞ。
……なんてのは嘘。
女ってのは金がかかりそうだ。
そしてやっとの買い物。
元々買い物だけのつもりだったので、何故かとても体が重い。
まさか緊張して疲れるとか……今まで無い経験だ。
土曜日の集合店舗施設の中は休日とあって人が多い。
結に連れられ、また可愛い洋服店ばかりを回る。
ある店舗に入って服を眺めていると、
「あっ! 結!」
この声……!
「風邪はもう大丈夫なの?」
「あっ、彩夏! 風邪?」
「ん? 昨日風邪で休んだでしょ? 1組の子から聞いたけど」
「あ! そ、そうなんだよね。ちょっと熱でちゃってさ」
「ふ~ん……で、そこの可愛い子は結の友達?」
「ああ、うん。桐嶋優さん。家が近くでさ。あっ、転校生なの」
「転校生? うちの学園? マジで!」
コクコクと首を振る結の奥から猛烈な視線を感じる。
俺はこの今井彩夏がちょっと苦手だ。
今井はいつもポニーテールで、髪は黒の女の子。
肌の色は結より少し小麦色感が強く、初めて会う人は活発な印象を受けるだろう。
とにかく噂好きなうえ、可愛い女の子を追いかけるちょっと変わっている同級生。
「あたし今井彩夏。よろしくね優ちゃん」
う……なんか視線が怖い。
「じゃ、じゃあごめんね彩夏。あたし達もう行くから」
「え~つれないじゃん。一緒に買い物しようよ。服みてたんでしょ?」
「うん。でももうほしいの買っちゃったから、ごめんね」
ナイスだ結。
なんか今は今井に近づきたくない!
目が怖い!
「ん~そっか。じゃあ学園でね優ちゃん♪」
おうふっ。
なんか背中に悪寒が……。
「は、はい……よろしくお願いします……」
「じゃ、じゃあね彩夏。学園でね」
「うん。またね~」
後ろで手を振る今井から逃げるように、その場を後にする。
まさかこんな所で同級生に遭うとは……しかも今井。
変な噂を広げられたらどうしようか……。
「そ、そろそろ帰るか。なんか疲れちゃったし」
「そうだね。まさか彩夏に会うなんてね」
はぁ……なんか学園での生活が想像できるな……。
と、心の中で、溜息がもれる。
集合店舗施設を出て駅の通りを歩いていると、よく食べに来ていたファミレスが。
「あっ、結。夕飯食べていかないか?なんか今日家で作るのもな~って。疲れちゃってさ」
「お! いいよ。食べてこ」
自動ドアを抜け中に入って店員に誘導されて椅子に座る。
そのまま注文。俺はいつものハンバーグ。
「結は? 何食べる?」
「うん。あたしもハンバーグ食べよっかな」
「じゃあハンバーグ定食2つとドリンクバー2つで」
「はい。ドリンクバーはあちらでございます。では少々お待ちください」
注文が終わると2人で飲み物を取りにいく。
俺はコーラ。結はオレンジジュース。
テーブルに戻ってしばらくすると、注文したハンバーグ定食を持って店員が歩いてきた。
いい匂い……。
テーブルにそっと置かれたハンバーグを見て、「おっきい!」と結が驚く。
そう、ここのファミレスのハンバーグはとてもでかいのだ。
一口箸で切って口へ運ぶ。美味! ここのハンバーグは本当に美味い。
結も一口食べて、なんとも美味しそうな顔をしている。
「どう? ここのハンバーグ美味くないか?」
「うん! ほんと美味しい」
「だろ。ほかのメニューも結構美味いよ」
「そうなんだ。あたしここ入るの初めてだったから…」
「そっか。まあ多いもんな、こんな店。ん… そういやなんでハンバーグ? 結の好きなドリアとかスパゲティもあるのに」
「んっ、なんかほら。優の食べてるの食べてみたくて…」
「ん?」
「あっ、なんでもないっ。なんでもないから」
「ん~?」
首を傾げ、なんとなく窓を見ると……。
「んん⁉」
「ん? どうしたの? ええっ、彩夏!」
俺につられて窓を見た結も、窓の外からうらめしそうに見ている今井に気付いた。
「……どうしよっか」
「……なんか変な噂立てられると嫌だし……とりあえず誘うか……」
結が手首をくいくいっとさせて窓の外の今井にゼスチャーで誘う。
すると、笑顔になった今井は嬉しそうに中に入ってきた。
何もトラブルがありませんように……。