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俺と私と世界の理 ―交換日記と黒髪の少女―  作者: 巻大 
そして… ここからすべてが始まった
5/33

4話 現れた絵と文字

 次の日の朝。

 起きた俺は、リビングで珈琲(コーヒー)を飲んでいる。

 あんなに心地よかった一人暮らしが、今は本当に怖く感じる。


 カササ……。


「いっ!」


「ニャー……」


 ………なんだ野良猫。


 庭に入って来た猫の影さえ、恐怖の対象になってしまっている。

 リビングから庭を見通せる大きな窓に近づくと。


 ピーンポーン


「わっ!」


 誰……いや、俺の家に訪ねてくるのは……。


 恐る恐る玄関に近づき……ガチャっ。


「おはよっ!」


 結が家に来てくれた。

 心に安堵の響きが伝わってゆく。


 青いTシャツに白のハーフパンツ。

 肩には小さな小鞄(ポーチ)を掛けている。


「今日は土曜日だから、気兼ねなく優の家に来たよ! あっ、今日は泊まっていくからね♪ っていうか、あたしが貸してあげた学生服着たまま寝ちゃったの?」


 いつもよりテンションが高い。

 俺を元気付けようとしてくれているのは、すぐに分かった。

 だが、気持ちは落ち込んだまま……。


「お前の父さんと母さんは?」


「ちゃんと話してきたから大丈夫♪」


 結が泊まる。

 その言葉に救われる気がした。


 日記帳の事を話さないと……。

 あと昨日聞けなかった、何故あのとき俺だとすぐに分かったのかを……。


 玄関に立っている結を目の前にして、なかなか言葉が出てこない。

 息を吸って、呼吸を整える。

 すると何も言えないで佇んでいるだけの俺に、

 結は急に落ち着いた顔になり、半歩前に出て囁く様に、


「あのさ……聞きたい事あるでしょ」


「え……? うん」


「とりあえず……上がっていい?」


「ああ、ごめん」


 結は丁寧に靴を脱いで廊下に足をつけると、俯いて下を向きながら少し悲しそうな顔。


「2階に行こう」


「うん」



 先に階段を上がっていくと、後ろからゆっくりとついてくる。


 部屋に入ると本棚はまだ完全に整理できていなくて、新しい本棚には半分ほどしか収納されていない。


 女の子になってからまったくの手つかずで、床に放置していた。


「ちょっとだけまってて」


 無造作に散らばっている本を手で避けて座れるスペースを作り初めると、結は床に散らばっている本を手に取り本棚にしまいだした。


「すぐ片付くじゃん。やっちゃお」


「……そうだな」


 二人で散らばっている部屋を綺麗にしていく。

 辞書や世界地図、英単語禄などの本が、そこらかしこに散らばっている。


 一年生の時、学力テストであまり良い結果が出なかったので、勉強する為に買った本ばかりだ。

 今でもお世話になっている。

 でも今も学園の成績は中の中で、頑張ってもなかなか上達しない。

 そんな事を考えて、現実逃避しようとしている。


 なんなんだ俺は!

 こんな弱虫(ヘタレ)だったのか!

 今知らなきゃいけない事があるだろ!


 本を全部本棚に入れ終ると、結の顔を見つめた。


「ちょっと待ってて」


 部屋の取手(ドアノブ)に手をかける。


 部屋を出て階段を下り、台所へきて洋食器(コーヒーカップ)を手に取る。

 ヤカンに水を注ぎ、コンロに火を入れる。


 クツクツとヤカンの中の水がお湯になるまでの時間が安らぎに感じた。

 トレーに珈琲(コーヒー)をのせて階段を上がって部屋に入ると、

 結はベッドに腰かけ俯いていた。


「これ……コーヒー」


「ありがと……あたしコーヒーは甘くないと飲めないんだけど……」


「昨日自分で言ってただろ? ちゃんと砂糖2杯入れた」


「あっ、そうだったね。ごめんね、なんか緊張しちゃって……」


 床にトレーを置いて、結へ珈琲(コーヒー)を手渡す。

 自分もコーヒーを持って結の隣へ座ると、一口吸うように飲んで黙る。


 カチカチと時計の音だけが響く部屋の中。

 静寂が怖い。


「あの……」


「うん……」


「その……えっと……」


「うん……」


 少し話してまた黙る。


 隣に座っている結の顔を直視する事が出来ず、手に持つ珈琲(コーヒー)を見つめる。


 下を向いたまま、時間だけが過ぎてゆく。


 あまりにも無駄な時間。

 否、無駄なという表現は正しくない。

 怖いのだ。

 怖い時間。

 何かを知ってしまうのが怖い。

 そんな時間が流れていた。


 だが、いつまでもそんな事をしていても埒が明かない。


 分刻みで動く時計の針が半分近くまで回った頃、少し冷めてきた珈琲(コーヒー)を一気に飲み干し決心した。


「あの……あのさ」


「うん……ゆっくりでいいよ」


「あの……あの時……」


「うん……」


 怖い…。

 けど……。


「あの時、何で俺だってすぐに分かったんだ」


 声は大きくないが、渾身の力を振り絞って言葉を発した。

 何かを疑っている様な感情が言葉に詰まっている様な気がして、結の顔をまともに見ることができない。


 あのあといろいろ助けてくれたのに。

 服だって一緒に買いに行ってくれた……。

 言葉や仕草でも俺を安心させてくれた……。

 けど……結は俺の何を知ってるんだ。


 感情が混ざり合って、頭の中はぐちゃぐちゃだ。


「……それね、上手く言えないんだけど……直感的に分かったっていうか……一瞬で教えられたっていうか……」


 その後、二人ともに少し黙ってしまった。

 数分。

 数分経った。

 黙ったまま数分。

 そしてそれを打ち破るように結が動いた。


 何かを思い立った様に結は、体を支える為にベッドについていた俺の手を上から優しく握って真剣な顔で、


「優に上手く伝えられなくて……でも、あたしはこれからもずっと優の味方だから」


 優しく小声で言う結の目には、涙がうっすらと滲んでいる。


「ゆい……」


 意識はしていなかったが、俺は結の事を疑っていたのかもしれない。

 いや、半分疑っていた。

 なんの根拠も無いのに。

 その事を結は感じ取っていたのか……。


「ごめん。ありがと」


「ううん……」


 結の気持ちを聞けた気がして不安が消えた。

 結は嘘をついていない。

 そう、嘘などついていなかったのだ。

 元々、いや、始から分かっていた事じゃないか。


 幼馴染だからこそ分かる事実。

 こんな事で悩んでいたなんて、バカみたいだとさえ思えた。

 けど、もう一つ。

 奇妙な謎がある。


「結、ちょっと見てほしいものがあるんだ」


「うん」


 立ち上がって、机の上にある日記帳に手をのばす。

 手に取ってベッドに座り直すと、パラパラと捲って昨日見た問題のページを開いた。


「これ……あの日こんなのあった?」


「これって……」


 結の顔が、一瞬強張るのを感じた。


 何か分かったのか?


「これ、偶然かな? こんな事描いてるなんて」


「……ううん。偶然じゃないよ。だってこの日記帳を見つけた日、あたし全部のページ見たもん。こんなの書いてなかった」


「……」


 一瞬背筋が凍ったが……。

 だがその後、妙に安心した。


 原因は分かった。

 この日記帳だ。

 これを結が見つけた時に感じた、恐怖にも似た感傷は間違いじゃなかった。


 原因が分かって落ち着いたが、恐ろしく怖い事には変わりない。

 現実に起こらない事が起こってしまっている。

 日記帳を見た結も、少し脅えた顔をしている。


「でも、考えて分かる事じゃないから……それに女になったけど死んだ訳じゃないし」


 脅えた顔をみせる結を勇気づけたくて、ちょっと頑張って強がってみる。

 男なら当然の事だ。

 今は女だけど……。


「……うん。そうだね」


「だろ」


 (うなず)く結の顔を見てほっとする。

 だが、拭い去れない疑問はもう一つあった。



 俺の体はどこへいってしまったんだろうか。



 あの時出て来た女の子と体が入れ替わった?

 ……いや、でも俺の体はどこにも無かった。

 霧のように一瞬で消えてしまった。

 薄くなって消えたとか、闇に吸い込まれて消えたとかではない。

 瞬きするほどの僅かな時間で、綺麗さっぱり消えてしまったのだ。


 考えても分からない疑問は何も生み出さない。

 俺の体がどこにあるかなんて、考えても分かるものじゃない。

 どうせ母親も帰ってこないんだし、今はまだ分からなくても大丈夫。

 そんな自己中心的な考えを自分に言い聞かせて、別の話を切り出した。


「あのさ、結」


「うん」


「学園にいた俺の……つまり男の俺は今いない訳だろ?」


「うん…」


「その……学園には、そのなんて言えばいいのか……」


 自分でも恥ずかしくなるくらい他人行儀で変な言葉だ。

 うまく伝えられない。


 もともと俺は、この程度の男だったのか?


 言い方も、結を頼った感じで気に入らない。


「うん……一緒に考えなくちゃね」


 幼馴染の結に何かを感じ取られてしまったようで、自分が嫌になる。

 まるで男じゃないみたいだ。

 男じゃない。……女。


「ちょっと顔洗ってくる!」


 立ち上がって部屋を出て、階段を駆け下り洗面所へ。


 泣きそうな顔を結に見せたくなかった。


 情けない……。


 女になってしまった事を不幸な事だと、自分で決めつけている。

 自分で不幸だなんて思うやつは、弱いやつが考える事だ!


 そうだ……弱いやつが……。俺は……弱い……。


 洗面台で顔をじゃぶじゃぶと洗い、鏡に映った女の子を見つめる。


 何泣きそうな顔してるんだ……。


 タオルで顔を拭いて、もう一度鏡を見てにっこり笑ってみせた。

 はにかんだ笑顔の女の子は、自分と似ても似つかない顔。

 だけど、今はそれが自分なのだ。



 部屋に戻ると、結から優しい笑顔と優しい声。


「おかえり」


「ただいま」


 俺も結の笑顔を見て笑った。

 作り笑いだけど、うじうじしているよりは100倍マシだ。

 実際、結の笑顔も作って笑っているとそう感じた。

 俺の為に笑っていてくれている。そう思った。




 * * * * * * *




「ここはこうやるんだよ」


「ん~難しい……」


「慣れれば簡単だよ。ほら、やってみて」


「こうか?」


「あ~なんか違うけど。けどだいぶ良くなってるよ」


 前髪の作り方の指導を受けているが、なかなか上手く出来ない。

 悪戦苦闘。

 この一言に尽きる。

 女の子って苦労してるんだなと、ひしひしと思う。



 次は言葉の授業。

 正面に結が座って、結先生の『女言葉』指導が始まる。


「女の子なんだから自分の事、俺って言うのは絶対ダメ! 私って言って」


「言えるのは言えるけど……けどふとした瞬間に出るよ絶対」


「でも、それでも頑張って。いつも私って言ってれば、自然に身につくと思うから」


 人差し指を立てて家庭教師のような結。

 何の家庭教師かって?

 それはムフフな事以外だよ、当然ながら。


「身につくかな~。ん……わたし。わたし。私…」


「優、ここ誰の部屋?」


「ん? 俺の部屋だけど?」


「ダメじゃん! わたしでしょ!」


「あっ……ん~。難しい」


 腕を組んで悩む俺に、結はちょっと笑いながら、


「まあ、すぐには無理か」


「あ~でもそのうち変わってくると思うけど」


「そうだよね……あっ! 思うんだけどさ、たぶん学園行ったら雪比良が騒ぐと思うよ」


「雪比良? なんで」


「自覚ないの? 優めちゃくちゃ可愛いよ。絶対雪比良がほっとかないよ」


「はぁ? そ、それは嫌だな…」


 反抗しつつも、可愛いと言われると何故か嬉しい。

 全然嫌な気がしない。


 このままでいいのか俺の心は……。 

 まさかほんとに女になりつつあるのか。


「と、とりあえず俺は雪比良に近づかない様にする」


「俺じゃなくて私でしょ! わ た し」


「あっ、はい……」


 人差し指を立てて、結は完全に家庭教師からの先生モード。

 あまりキツイ事はしないでください。

 ロープとかは無しでね♪

 ローソクは……。

 と、違った。


 言っておくが、俺は変態ではない。

 まっとうな、それはまっとうな高校生である。

 決して変態ではない。


 その後も、結の言葉の授業はまだまだ続く。


「じゃあ次は、私の事好き?」


「え?」


「どうしたの?」


「いや、なんて返せばいいか……」


「ん? あっ、違う違う! 私の事好きって言って!」


 ん? あっ! 指導だったのね……。

 ちょっと顔を下に向けてしまった俺がバカみたいではないか。

 いや、そんなアレをこうする事を望んでいた訳ではない。

 アレって何かって?

 それはアレだよ。

 甘い蜜的な物だよ。

 甘味なアレだよ。

 決して変態的な表現ではないぞ。


「あ~私の事好き? こんな感じか?」


「……なんか感情こもってない」


「感情って……」


「まあいっか。面白かったし」


「面白いってなんだよ……」


 こんなくだらない事を話していると、啓太の事を思い出す。


 そういえば、こんな話で啓太と笑ったな……。


 男の優は今いない。

 学園の屋上へも会いにいけない。

 特待生扱(とくたいせいあつか)いの啓太と話すのは、あの屋上だけだった。


 親友のあいつには嘘をつきたくないけど、さすがに女になりましたとか言えないよな……。


 屋上で会えない寂しさと、「もう会えない」と言えない苦しさ。

 心が痛い。

 はぁ……。



 時計の針が午前11時を示した頃、昼食の準備に取りかかる。

 昼食を作るのは俺。

 結は料理が苦手っていうのは知っている。

 一人暮らしで慣らしらた腕は伊達(だて)ではなくて、意外となんでも作れてしまう。


 野菜や肉をみじん切りにしてフライパンで炒めて白飯(ごはん)投入。


 今日は俺特製オムライスだ。


 ケチャップをブチュっと入れて、フライパンを振って回してかき混ぜる。

 炒めて淡い赤ピンクに染まったご飯を皿に移して、一度フライパンを洗い火にかけている間、ボールに卵を割って箸でかき混ぜる。


 温まったフライパンに流し込んで、傾けながら全体に火が通ると、ふわっと赤いご飯の上にのせて上からケチャップをかける。


 ん~上出来上出来。


「今度作り方教えてやろうか?」


「えっ……うん。教えてもらえるなら教えてほしい……」


 結は俺の手さばきを見ながら驚いた様子で小さく頷いた。


 料理をする姿を見せるのは初めてだったので、あっけにとられて見る結を見て思った。


 勝ったな……。


「あ! 今ちょっとバカにしたでしょ!」


「えっ! ば、ばかになんてしてない。ちょっとあっちで座ってまってて」


「う~」


 なんとなく勝ったと思ってしまったことが、顔に出ていた様だ。


 まあ、勝ったといっても料理だけか……。

 全体的には完全に負けている。あ、学園の成績では勝ってるか……。



 テーブルの椅子に座ってふくれっ面で、テレビを見ている結。


 別に怒らなくても……女ってのはほんとに……。


 こんな時は申し訳ないが、面倒くさく思ってしまう。

 テーブルに、作ったオムライスとガラスのコップを並べ、冷蔵庫から麦茶を取り出して同じ様に置いた。


「悪いけど、麦茶コップに注いで冷蔵庫になおしてもらっていい?」


「ん……わかった」


 一応、言ってみた事は不機嫌でもやってくれる。

 それも幼馴染だからこそ分かる事実。




 * * * * * * *




 昼食を食べ終わると、結が思い出したかのように立ち上がって、テーブルに手をつきながら言った。


「食器片付け終わったらさ、買い物行こ!」


「昨日行ったじゃんか」


 食べ終わった食器を台所へと運ぶ俺に、さらに追い打ちをかけるように前に回って、


「まだ足りない物、いっぱいあると思うんだよね♪ ほら、優のおきにのニーハイも一足しかないし」


「毎日同じの履くからいい」


「はぁ? バカなの? そんなのいつまでも続く訳ないでしょ! 靴だって昨日一足しか買ってないし、学園に登校する為の学生革靴(ローファー)とかさ」


「あ~はいはい」


 女ってのは、ほんとに買い物好きだな……と、改めて確信する。


「それと優。シャワー浴びて。後ろ髪くしゃくしゃだし、汗臭いよ」


「ん……別によくない?」


「ダメ! 女の子なんだから!」


「うっ……」


 ……女の子なんだから……か。


 現実は厳しい。

 大雑把な俺に女の子が務まるのだろうか。


 男に戻りたい……。


「あたしが食器洗うから、優はシャワー浴びてきて。それと学生服! 今日中にクリーニング出したら明日にはできるはずだから。脱いでたたんだら、この紙袋に入れて」


 母親かこいつ……。

 もし、ここに俺の母がいたらなんて言ったのか。

 まあ、女になった時点で、発狂物かもしれないが……。


「はい! 分かったら行動して」


「はいはい」


 結から紙袋を受け取ると、リビングから出て廊下の先にある洗面台へ移動。

 着ていた結の学生服を脱いで綺麗にたたむと、言われた通りに紙袋へと入れた。

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