第125話 すれ違い哀歌(エレジー)(後編)
次の日から、死神ちゃんはマッコイに謝るべく必死に彼のあとを追いかけた。しかし、彼は死神ちゃんに謝罪する隙を一切与えなかった。そんな状態が数日続き、さすがの死神ちゃんも疲弊が色濃くなってきた。この数日で死神ちゃんが一番堪えたのは、職場で指示を受けた際に〈小花さん〉と呼ばれたことだった。その呼び方に明らかな拒絶を感じた死神ちゃんは愕然とすると、もう二度と許してはもらえないのではと思い、目の前が暗くなった。
「やっぱりもう、無理なんじゃないかな……」
死神ちゃんは住職の上腕二頭筋にしがみつきながら、べそべそと泣き言を垂れた。住職は困ったように笑うと、ただ一言「正攻法が駄目なら、裏をかけば」と言った。
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深夜近く。マッコイはキリの良いところで仕事を終えると、風呂場へと向かった。戻ってきて自室に足を踏み入れた彼は、灯りも付けずにその場で立ち止まった。――部屋の中に、誰か居る。
彼は部屋の中を見渡して顔をしかめると、静かにベッドへと近づいた。そして掛け布団を勢い良く捲ると、彼は布団に視線を落としたままぎょっとして固まった。彼の視線の先では、死神ちゃんがスヤスヤと寝息を立てていた。
マッコイはひどく困惑して、どうしたら良いのか思い悩んだ。しばらくして、彼は死神ちゃんを部屋に運ぶことに決めた。
死神ちゃんはほんの少し体を持ち上げられると、もぞもぞと動き出した。そのまま寝かせておいたほうがよかったか、とマッコイは抱きかかえるのをためらった。だが、死神ちゃんはギュウと抱きつき、そのまま彼の首筋辺りに鼻をくっつけた。
「シャンプー変えた?」
「え、ええ……。新しいのが出ていたから、ちょっと試してみようと思って」
急に耳元で話しかけられ、マッコイは思わず声を上ずらせた。完全に抱きかかえられ、死神ちゃんは満足気にフウと息をつくと、再びそのまま寝息を立て始めた。マッコイは心なしか眉根を寄せて二、三度瞬きをすると、少しだけ死神ちゃんの方に顔を振った。
「薫ちゃん?」
「……はい、何でしょう」
「起きてたの? それとも、起こしちゃったの?」
「今、起きました。でも、寝そうです」
とてつもなく眠いからなのか、何故か死神ちゃんは敬語で受け答えした。マッコイは起こしてしまったことを謝罪すると、眠るようにと促した。しかし死神ちゃんが嫌だと言ってぐずりかけたので、マッコイは死神ちゃんを抱えたままベッドに腰掛けると、少しだけおしゃべりをすることにした。
「ねえ、何で人のベッドに入り込んでいたの?」
「そのくらいしないと、話す機会がないと思いました」
「乙女のベッドに無断で忍び込むって、とても破廉恥だと思うんですけど」
「はい、すみません。……でも、話せたから嬉しい」
マッコイは〈嬉しい〉という言葉を聞いて申し訳無さそうに笑うと、意地悪が過ぎたと謝罪した。死神ちゃんが何か悩みを抱えているのを知っていて、ずっと気に留めていたにもかかわず、売り言葉に買い言葉でひどいことを言ってしまったと。それに対して死神ちゃんが「全部自分が悪い」と言って縮こまると、マッコイは死神ちゃんの背中をポンポンと叩きながら優しい声で言った。
「いいえ、薫ちゃんは悪くないわ。これは全部、上長であるアタシの責任。あなた、クリスの歓迎会にも参加しなかったでしょう? だから無理にでも説明をする時間を確保しなくちゃいけなかったのに、結局後回しにしてしまったから。班長失格ね。職務怠慢もいいところだわ」
「そんなこと、ない……」
「あるのよ。自分が職務怠慢したくせに、いきなりクリスのことを彼氏だとか言われてびっくりしちゃって。薫ちゃんが思ってもないことを言っているのも理解していながら、ついカッとなっちゃって。本当にごめんなさいね。――あと、一応お伝えしておきますけれど、アタシ、別に彼女とはもちろん付き合ってはいないから」
「はい……?」
死神ちゃんはしがみついていたマッコイから身を離すと、表情もなく彼の顔を覗き込んだ。すると、マッコイは拗ねた顔を浮かべた。
「やっぱりね。どんなに遮られても、無理にでも話せばよかった。ていうか、むしろ、誰からも聞いていないの?」
「いや、ちょっと待て。彼女……?」
マッコイは頷くと、そのまま勢いよく捲し立てた。
「そう、彼女。薫ちゃんは元々はおっさんだから本当なら三人称は〈彼〉だけれど、幼女の見た目で〈彼〉っていうのも微妙だし、でも見た目に合わせて〈彼女〉とするのも変だから、一貫して〈死神ちゃん〉で通しているじゃない? でもってアタシの場合は、本当だったら〈彼女〉としたいところですけど、転生前の世界の戸籍上の性別に合わせて不服ながらも〈彼〉としているじゃない。でね、その観点から言うと、クリスは〈彼女〉なのよ。――まあ、だからといって地の文でクリスを指して〈彼女〉と記載すると、読み手が『えっ、彼女? 見た目、男じゃなかった? どちらが正解なの?』って戸惑うと思うから、地の文ではアタシ同様に〈彼〉って記載されるけれど」
「地の文って何だ、地の文って。あと、読み手って誰だ。お前のそのワケの分からない発言、すごく久々だな」
「……とにかく、クリスは〈彼女〉なの」
何でも、クリスのいた世界では〈見た目は男性・中身は女性〉だと女性で、その逆だと男性なのだそうだ。だから、クリスにとってマッコイは〈自分と同じ女性〉であり、幼女姿の死神ちゃんは〈男性〉、そして男性陣は〈オナベさん〉で女性陣は〈オカマさん〉となるらしい。なので真の姿は大人の男性である死神ちゃんを紹介する際、マッコイはこちらの世界に来た直後で不慣れだったクリスに「肉体の性は、本来はあなたと同じである」というのを伝えるために、彼の世界基準に則って死神ちゃんのことを〈彼女〉〈こう見えて大人の女性〉と形容したのだった。
「何て言うか、あべこべだな。ややこしくて、頭がこんがらかりそうなんだが」
「ちなみに、彼女は異性愛者だから、こちらの世界で言うところの〈オナベさん〉が好きなの。――でね、薫ちゃんに失礼な態度をとってしまっていたのは、気になる異性は目で追ってしまう、アレ。気になる異性に意地悪したくなっちゃう、アレね。アレが発動しただけなのよ」
「俺のこの姿は仮初なんだが」
「それはもちろん説明したわよ。でもほら、結果的に、現状は〈オナベさん〉の状態じゃない。で、どうやら脳内再生した〈幼女からそのまま大人化した薫ちゃんの姿〉がタイプらしくて、だから『実際に目にするまでは信じない』って聞かなくて」
苦笑いを浮かべるマッコイに、死神ちゃんは呆れるしかなかった。そしてポツリと「そういう情報はもっと早く教えて欲しかったです」とこぼすと、マッコイはしょんぼりと表情を曇らせた。
「本当にごめんなさいね。……ていうかね、上司としては『ごめんなさい』だけど、友人としてはちょっとだけ『ひどい!』って思っているのよ。何度も説明しようとしたのに、聞こうともしてくれないんだもの」
「はい、ごめんなさい。次からはきちんと、どんなことがあっても、人の話は最後まで聞くようにします」
死神ちゃんはバツが悪そうに頬を掻いた。マッコイがクスクスと笑うのを見て、死神ちゃんはホッと胸を撫で下ろすとともにしょんぼりと肩を落とした。
「少しだけ話を戻すけど、少なくとも、アタシや第三のみんなは薫ちゃんが幼女だろうがおっさんだろうが気にしていないわ。幼女姿のときに抱えている欠点だって、別に何とも思っていないし。だから、そのことで〈きっと迷惑だ〉とか〈情けない〉とか思う必要もないし、そんなに悩んで苦しいなら言ってくれればいいのに。そしたら、いくらでも、何度だって、自信が持てるようになるまで『薫ちゃんは薫ちゃんでしょ?』って言えたのに。――もちろん、薫ちゃんが本来の姿で健やかに過ごせるのが一番幸せなことだというのも理解してるわよ。でも、幼女姿だからって薫ちゃんの価値が下がるなんてことは絶対にないし、不幸せだと思って欲しくはないわ。だって、どんな姿であっても、薫ちゃんは薫ちゃんなんだから」
「はい、すみません……」
「ううん、結局は話す時間さえ確保できなかったアタシも悪いから。だから、おあいこ」
情けない顔でマッコイを見つめると、死神ちゃんはためらいがちに「じゃあ、許してくれる?」と聞いた。すると、彼はきっぱりと「許さない」と答えた。そして、愕然とする死神ちゃんから視線を反らすと、彼は恥ずかしそうに頬を朱に染めた。
「今度のお休み、約束通り一緒に過ごしてくれなきゃ許さない」
死神ちゃんをちらりと一瞥すると、彼は完全にそっぽを向いて俯いた。耳まで真っ赤にした彼を束の間見つめると、死神ちゃんはクスクスと笑い出した。
「とりあえず、俺、衝撃の事実を知って完全に目が覚めちまったからさ。夜食でも摘みながら予定を立てようか」
そう言ってマッコイの膝から降りると、死神ちゃんは「早くキッチンに行こう」と彼を急かしたのだった。
――――どんなに仲の良い友人同士だって、結局は他人だもの、すれ違うことだって時にはある。でも、しっかりとした絆で結ばれているからこそ、過ちが起きても修正していける。許し合えるということは、とても素敵で素晴らしいことなのDEATH。