(8)化石の海からこんにちは
「はぁ、助かったー」
「馬鹿、ネリア。足元には気をつけろって言ったじゃないか」
「ごめんごめん」
再びパタパタと服についたほこりを払い落とす。
「とりあえず無事で安心したが、化石の海では勝手な行動は慎むように」
「……」
ネリアが黙ってしまった。ここは何か台詞を返される場面だと思っていたルキは、訝しげにネリアを見つめ、その彼女が何を見ているのかに気付く。
「ねぇ、ルキ? あの女の子は誰?」
地面を這うかのような重たい声。普段の甲高いそれとはまったく違う声に、ルキは姿勢を正す。
「何をどう説明したら良いのかまったく持って不明だが、ここに埋まってた」
頬を掻きながら正直に説明する。意図せずうっかり胸を揉んでしまったことは伏せておくのを忘れない。
「埋まって……埋まってってことは、あんた、解石したってこと?」
「いや……それがよくわからなくってだな。触れたら、いきなり柔らかく――」
説明しようとして手にその感触が蘇り、ルキは思わす鼻を押さえた。
「柔らかくって――ちょっ! あんた何したのっ!?」
詰め寄り、ネリアはルキの胸ぐらを掴んでさらに引き寄せる。
「何もしてないってっ!」
怒り狂うネリアの目が怖くて、ルキは大声で叫ぶ。
すると、象牙色の肌の少女はルキの隣にゆったりとした歩調で近付き、立ち止まった。ネリアより背の高い少女は小首を傾げ、ルキの台詞に合わせるように静かな口調で告げた。
「大丈夫。胸、揉まれた、だけ」
大丈夫と告げているわりには、どこか恥ずかしがっているような、そんな熱っぽさが声に含まれていた。
(いや、大丈夫じゃないだろっ! 俺的な意味でっ!)
「む、胸を揉んだ、ですとっ!? あたしだって揉まれたことないのにっ!」
「って、突っ込みどころはそこかっ!? そこなのかっ!?」
平手打ちや罵声を浴びせられるのを覚悟していただけに、ありえない方角から来た突っ込みを突っ込みで返す。
「くぅぅっ! あたしという美少女婚約者がいながら、他の女の胸を揉むだなんてっ!」
まさか先を越されるとはっ、と意味不明な台詞を続けて吐いて頭を抱えるネリア。
「お前は俺に胸を揉まれたいのかっ!? おいっ」
怒ると言うよりも悔しがっているようにしか見えないネリアの反応に、ルキは混乱しながら叫ぶ。
「なっ……んなわけないでしょっ!? どこをどう取るとそうなるわけっ!? 痴漢っ! 変態っ!」
ルキの台詞に、ネリアは真っ赤になって自分の胸元を押さえる。
(うん、この反応は正しい)
あらぬ方向に進み始めた話題が落ち着いたのを確認して、ルキは象牙色の肌の少女に目をやった。
ふわふわとした金色の髪が風に揺れる。膝の裏にまで届く長い髪は、着ている衣裳の裾と同じくらいだ。下着のようにも見える衣裳は上半身に密着していて、その大きな胸と細い腰が強調されている。彫刻のような、という表現が正しいのかはわからないが、そんなふうに感じられるほど整った造形をしていた。幼さの残るネリアの可愛らしさとは違う美人だとルキは思う。
「――ネリア。一応彼女もお前を助ける手伝いをしてくれたんだから、礼くらい言っておけよ?」
「む……」
落ち着きを取り戻したらしい。ルキに促され、ネリアは少女に顔を向けた。
「そ、それはどうも。おかげで助かったわ」
「いえ……」
大したことではないと言いたげに少女はつぶやき首を横に振ると、ルキをそっと見上げた。
「そろそろ……時間……」
「え?」
か細い声と意味のわからない台詞にルキは少女に耳を寄せる。
「役に立てて、良かった」
ぴしっ。
何かが軋むような音。
「役に立てて良かったって――!?」
ルキがもう一度少女を見ると、そこには一体の彫像が直立していた。そっと微笑んでいるように見えるその像は、どう見てもさっきの少女なのだった。
「ちょっ……これ、どういうことなの?!」
こんなのは聞いたことがない、そう言いたげにネリアはルキの後ろに隠れるようにして問う。
「さぁな。しかし、放っておくわけにもいかねぇだろ」
立ちっ放しというのも可哀想な気がして、ルキは少女の肩に手を置く。すると――。
「な、なんだ?」
岩に変わっていたはずの肌がみるみるうちに瑞々しさと弾力を取り戻した。長い金糸の髪が風に揺れる。
「き、君は一体……」
「私、カリス」
「あ、俺はルキ」
自己紹介をされて、ルキはつられてきょとんとしたまま自己紹介をする。
そんなルキに、カリスと名乗った少女は身体を寄せた。
「見つけた……私を、救える人」
「ええぇぇぇっぇぇぇぇぇっ!」
白い大地に響き渡る叫び声。その声の主はルキではなく、彼の後ろで様子を窺っていたネリアだった。
「駄目っ! ダメダメ駄目っ! くっつくの禁止っ!」
ネリアが引き剥がしに掛かるが、カリスはルキから離れない。
「それ、困る。離れると、また、石になる」
「あんたが困っても、あたしも困るのよっ! ちょっ! ルキっ! 鼻の下伸ばしてないで、あんたも何とか言いなさいよねっ!」
ごふっ。
ネリアの鋭い拳がルキの腹をえぐる。ふかふかとした胸を押し付けられて思考が固まっていたルキだったが、意識が途切れそうになって、しかし踏みとどまった。
「――とにかく、だ」
ルキが喋りだすと、ネリアの動きが止まり、カリスも不安げに瞳を揺らしながらルキに注目した。
「カリスをこのまま放置するのは問題がある。おそらくカリスは石化症を発症している。しかも特殊な症例のようだ。まずは学校まで連れ帰って、先生たちに一度診てもらったほうが良い」
「そ……そうね。あたしだって……また石に戻るのはいやだもん」
カリスの境遇を自分に重ねたのか、はたまた過去の自分の身に起きたことを思い出したのか。ネリアはむすっとしながらも普段よりも控えめに意見を述べた。
「先生……診る……?」
言っていることが伝わらなかったようだ。ルキは腕にしがみついているカリスに、説明を続ける。
「俺たちは化石症を治療することができる解石師を育成するアナニプスィ学院付属高等学校の生徒なんだ。学校に戻れば、化石症を研究している人間がたくさんいる。君が再び化石に戻るのを防ぐことができるかもしれない。だから、一緒に来ないか?」
「……わかった。ルキが、いるなら」
こくっと小さく頷いて、カリスはぎゅっとしがみついていたところを離れて、手を繋ぎ直した。
「でも、ルキに、触れてないと、嫌」
「な・ん・で・す・とっ!?」
ぞわっ。
ルキは近くにある不穏な感情の渦巻く場所にゆっくりと顔を向ける。
化け物のごとく顔を歪めたネリアがカリスを睨んでいた。
「ネリア、ちょい、ネリア落ち着け。美少女が美少女じゃなくなってんぞっ!」
「ルキっ! ルキはこういう女が好みなわけっ! あたしと言う婚約者がいながら、そういう態度ってどうなのよっ!」
「好みがどうとか関係ないだろっ! 人命救助だろ、これはっ!」
「むきーっ!」
「とにかく、ここで言い争っていてはお前の課題は終わらないし、カリスを連れて学校にも戻れんだろうが。日が暮れる前に帰らねぇと、俺たちのこの装備じゃ危険だろ?」
「くっ……覚えてなさいよっ!」
(なんだよその下っ端の悪役の捨て台詞みたいなのは)
ルキは小さくため息をつく。
(しかしこの穴、断面がきれいすぎる気がするんだが……)
ネリアが落下した穴を見やる。縁のあたりはギザギザしているものの、ネリアがいた場所の側面はなめらかに見える。まるで人為的に作られたものであるかのように。
(考えすぎか)
化石は雨で溶かされる。そんな雨水の通り道が地表に近いと、落とし穴の要領で落ちてしまう――学院ではそう教えられていた。
「それじゃ、戻るぞ」
使った縄をてきぱきと片付け、背嚢に押し込む。また穴に落ちるかもしれないと考えると、このまま放置しておくわけにはいかない。
「はーい」
とても不満げなネリアの返事。再びため息をつくルキを先頭に、一同は自分たちが生活する寮に引き返すように歩き出した。




