(5)化石の海からこんにちは
抜けるような青空。
「一、解石師たる者は、率先して人の役に立つべし」
さんさんと地上を照らす太陽。
「二、解石師たる者は、常に研究に勤しむべし」
冷たさが残るさわやかな風。
「三、解石師たる者は、皆に平等に接するべし」
何処までも広がる白い大地。
「――以上の三箇条を心に留めて、日々の生活を送るように」
その大地を進む二つの小さな影。
「おい、ネリア? それは俺へのさりげない嫌がらせか?」
後ろを歩いていたルキが明らかに不機嫌そうな様子で訊ねる。
その台詞を聞いたネリアは、くるりと振り返る。
「なによぉ! 人がせっかくご機嫌に、学院長の有り難いお言葉を暗唱しているところを邪魔しないでくれる?」
「何がご機嫌だ。俺は不機嫌だ」
ここは化石の海と呼ばれる場所。視界の果てまで真っ白な岩石や砂で埋めつくされた高原。かつての生物が石化して作られた土地だ。
「勝手に不機嫌になってなさいよ! ――そんなことよりもさ、学院長って格好いいと思わない? キレイだし、背は高いし、胸もちゃんとあるし、あの若さで学院長の座に着くだなんてスゴすぎだしっ! いーなー、憧れちゃう!」
目をきらきらと輝かせ、両手を頬に当ててとろけるような顔をしながらネリアは言う。
「あれはただの縁故だろ? 理事長の娘なんだし」
そっけない返事にネリアの鋭い視線が向けられるが、ルキは気にせず続ける。
「それに、見た目は若くっても中身は明らかにオバサンだろ。入学式であんなに長い時間喋られたら、こっちは体罰だと思うがな」
「えーっ! かなりいい話だったじゃない。解石師の心構えとか、今活躍している人たちの話とか――ほら、あたしを助けてくれたユートさんの話も出てきたじゃない。現役で、今も各地を駆け回っているって」
「そりゃ、ユートさんは偉大な解石師だもんな。出てこない方が不自然だ」
「で、あたしたちが目指すところもそこなのよっ!」
「俺はそこを目指せない状態なんだがな――って」
そこまで言って、ルキははっと思い出す。すっかりネリアに流されてしまったが、本題はそこではない。
「さりげなく話題を反らすな! 俺が言いたかったのは、お前の課題に俺が付き合わされる必要性はまったくないってことだ!」
ルキはぴたりと歩みを止めて怒鳴った。その小さな反抗に、先行していたネリアが立ち止まる。
「化石の海を見てみたいって言っていたから連れてきてあげたんでしょ。基本、育成科の生徒しか入れないんだからね」
「何を恩着せがましい」
ぷいっと横を向いて一言。ここに至るまでの経緯を思い出し、ルキは顔をしかめる。
「脅迫して連れてきたの間違いだろ? だいたい、お前は育成科、俺は普通科。解石師になるための専門課程にいるのがお前で、それを補佐する勉強をするのが俺なわけ。わかってねぇとは言わせないぞ、特待生サマ」
「だったら問題ないでしょ? あたしの補助役があんたのお仕事なんだから」
当然のように言いながら、ネリアは立ち止まったルキのそばまで戻る。
「だいたい、そんな小さなことにこだわりすぎなのよ」
「ンだとっ!」
文句をつけようとしたルキの唇に、ネリアは自分の人差し指をさっと押し付ける。
「あんたにだって解石師の素質はあると思っているんだからね、あたし。補欠で選外になったってことは、枠の都合で落とされたってことでしょ? あんなに勉強してきたんだもの、育成科に入れなかったっていじけてないで、混じって勉強しちゃえばいいのよ。資格は得られなくても同等の力なら身につけられるわ」
(ネリアの奴……)
意外な励ましの言葉に、ルキはむすっとしたまま黙り込む。
「だから、その勉強の場をあたしが与えてあげる。あんたを育成科に入れなかったことを後悔させてやりましょ! 特待生のあたしが全力で指導するわよ!」
親指をぐっと立てて、ぱちっと片目を瞑る。
(うむ……)
ルキはネリアの好意を素直に喜ぶべきかどうか悩む。
(ま、ここはありがたく感じておくか)
そもそも、ルキが解石師を目指そうとしたのは、万人の役に立ちたいと思ったからではない。世界中を旅して活躍しているユートに憧れているのは確かであるが、それ以上にはっきりとした理由があった。
(どーせアイツはわかっちゃいないだろうし)
幼い頃にネリアの身に起きた出来事、それが今の彼をつき動かしている。この事実を彼女が知ったらどう思うか。
(それに今はまだ知られるわけにはいかないもんな)
「……なぁに? ルキ。顔がにやついているわよ、いやらしい」
「にやついているって? お前は俺の顔を締まりのない顔だと言いたいようだな」
売り言葉に買い言葉。感謝の気持ちとは裏腹にイラついた声が先に出る。
「事実は事実でしょっ! いつまでもイジイジしてると、締まりのない顔の上に不幸顔になるわよ!」
「ふ、不幸顔ってどんなんだよ」
「見るからにかわいそーな感じの顔」
そう答えると屈託なくケラケラと笑う。
(あぁ、もう、誰のせいでこんな目に遭わされていると思ってんだ。付き合いのいいお人好しな自分を恨むぞ)
ルキは特大のため息をつく。アナニプスィ学院に入学してからため息をつかない日はない。
「ほら、そのため息禁止っ! 一日の不幸の始まりは何気ないため息にあるのよ!」
ビシッとルキの鼻先にネリアは人差し指を向ける。
「指で人を指すな」
「指先そらしても話そらすなっ」
言いながら指を払うルキに頬を膨らませたネリアは文句をつける。
「言っておくが、俺は自分の境遇を不幸だと思っちゃいないぞ。勝手に俺を不幸の発信源にすんな」
「だって、ルキ、入学してからずっと落ち込んでるでしょ?」
鋭い指摘に、ルキはドキッとする。
「んなことないって」
ごまかすように素早く返し、ルキは視線をそらす。
「だったら視線をそらさないのっ! ほら、たまには学校以外の場所で気分転換するのもアリでしょ? 真っ白な大地、抜ける青空。ここがあんたの憧れた化石の海って場所なのよ! 簡単にこられる場所じゃないんだから、めいっぱい満喫しなさいっ!」
「そんな理由で俺を引っ張り出したのかよ」
ため息をつきそうになったのをなんとなく我慢して、替わりにぷっと吹き出した。
「な、何よ」
「いや、ため息をつかない替わりってこと」
彼女なりの優しさがやっと伝わってきた。時間差も面倒くさい。
「はぁ? ばっかじゃないの?」
「ま、いーや。とりあえず、感謝しておくよ」
わざとらしく大きな声で言ってやる。どうせ回りに人の目はない。ここは化石の海。死者たちが眠る静かな海なのだから。
「なにそれ。感謝とか、何言ってんだかわっかんないしっ」
プイッと横を向くと、ネリアは歩き出す。




