(26)告白
「ルキは……行くの?」
窓を閉めたルキの背に、ネリアの静かな問いがぶつかる。
「あぁ。このまま逃げていては、何の解決にもならんからな」
背を向けたまま、ルキは淡々と答える。不安な気持ちを抑えて。
「ねぇ……さっきのは何?」
続くネリアの問い。ルキはすぐには言えなくて、しばし黙る。
「眼鏡、消えたけど……あれは何なの? 『ゾイドロ』がどうのって……」
ネリアの声が震えている。困惑しているのがよくわかる口調。さっきまで敵に押さえつけられていたのだ。恐怖が残っているのはわからないでもない。
(でも……恐怖しているのは、俺のこと、か……)
彼女が今どんな顔をして自分を見つめているのだろうかとルキは思った。
恐れているのだろうか、嫌悪しているだろうか、遠ざけたいと逃げ出したいと、本当は思っているんじゃないだろうか。
そんな想像しかできなくて、振り向くことも返事をすることもできない。
「ねぇ、なんか言ってよっ! 黙っていたらわかんないでしょっ! いつもみたいに、悪態つきながらでも返しなさいよっ!」
(――何と答えたら……良い?)
自分に問い掛けるが、何の返事もない。ルキは外に視線を向けたまま黙り込む。
(この力のことを説明するのか? 解石魔術とはまったく逆に作用するこの力のことを――)
この力の使い方を知ったのは偶然だった。
ユートに解石師としての基礎を学んでいた頃、思いつきで試してみたのだ。体内に蓄積された瘴気を吸い出すか蓄積できる最大容量を増やすかして治療するのが解石師の使う魔術であるなら、その逆も可能なのではないかと。
その使い方は実際には何の役にも立たない。でも試してみたくなったのだ。そして、切花で試し――非常にあっさりと成功した。
自分の考えがいとも簡単に実現して、それがあまりにも嬉しかった。だからユートに見せに行ってしまったのだ、それ以上のことは考えずに。
意気揚々とユートに報告し、彼が激怒したのを見てルキはやっとことの重大性に気付いた。この行為は他の命を弄ぶことと同義なのだと、そこで初めて気付いた。もう二度と使わないことを約束させられ、ルキも誓った。この力は封印する、と。
(――だのに、俺は……)
「ルキ……黙っているだなんてずるいよ」
ネリアの声が涙でかすれる。
「あたしのこと、信用できないの!? あたしは、昔も今も、ルキのことをこんなに心配してるってのにっ」
ルキの背中に伝わる熱。
(!? ネリア?)
ネリアが抱きついてきたのだ。ルキの肩にネリアの額がくっつく。
「あたし……ルキのために解石師になろうって決めたんだよ? あのとき命がけであたしを救ってくれたから、あたしを見捨てずに助けてくれたから――今度はルキを助ける番なんだ、必要なときに役に立てるようにしなくちゃって。そのための知識と技術が必要だったから、今までにないくらい勉強してあたしは解石師を目指したのっ」
「そ……それとこれとは関係ないだろ!」
わめくようにどんどんと言葉を紡ぎぶつけてくるネリアに対し、返せる言葉はたったそれだけ。
「関係なくないわよ!」
「なくないとか、分けわかんないこと言うな!」
「関係大有りだって言ってんのよ! 馬鹿ルキ!」
抱きついていた手を移動させて強引にルキを引っ張ると、ネリアは窓との間に割り込んでルキの襟首を掴む。そしてぐっと引き寄せた。鼻息も届きそうな近距離で、ネリアは続ける。
「うだうだ言ってるんじゃないわよっ! だんまりも禁止っ! あたしは――あたしはねっ、あたしのせいで石化症発症して死なれたくないし、あたしの知らないところで勝手に死んで欲しくないのよっ!」
長い睫毛に乗っている涙が月影に照らされる。
「あたしの命を助けたんだから、その責任をちゃんと取ってもらうまでは死んでもらっちゃ困るのよ! あたしの幸せは、あんたが生きていてくれなくちゃ意味がないの!」
「おまっ……」
ルキはそこでやっと気付く。
――あたしが結婚する相手はあとにも先にもルキだけなんですー。きっちり責任とってもらうまではそうなんですー。
いつの日だったか、軽い口調で返された台詞。
――なぁ、前から気になっていたんだが、俺が責任を取らなきゃいけない原因ってなんなんだ?
――それがわかっていない時点で、ルキは減点対象ね。
(……責任って……俺がネリアの命を助けたことに対してだったのか!)
「馬鹿ルキっ! なんか言ったらどうなのよ! あたしばっかりじゃ馬鹿みたいじゃない!」
大粒の涙がぽろぽろこぼれる。
「あたしを守るためとか何とか言っちゃって、そんで死ぬとか、格好悪いんだから止めてよねっ……そんなの嬉しくなんて全然ないんだからっ……」
(俺は一体何をやっているんだか)
「……はぁ」
ルキは握る力が弱まった手を自分の首元から外させる。
「な……なんでルキがため息つくのよぉっ!」
手の甲で目を擦りながら、ネリアはなおも大声で叫ぶ。
「つきたくもなるさ――俺が不甲斐無いばかりに、泣かせたくない相手の涙を拭わなきゃならんのだから」
言いながら、ルキはネリアの涙を優しく拭ってやる。
と。
――べちん。
「うおあっ!?」
「気安く触らないでよ! ルキのくせにっ!」
軽くはじかれた。
ネリアは真っ赤な顔のまま、精一杯あかんべえをする。
「まだまだ解石師としても男としても半人前のくせに、なに一丁前のこと言ってんのよ! 恥ずかしすぎてこっちが赤面するわ。あたしの足元にも及ばないひよっこのくせに!」
「おまっ……あんときのしおらしさはどこに行ったんだよっ! 夕方のあれは幻だったのかっ? ここはそういう場面なのかよ、おい? ちっとは空気読んで流されておけよっ!」
じんじんと痛む手をさすりながらルキは叫ぶ。軽く、ではなく、かなり勢いよく叩かれたらしい。
「あの時は気が動転していたのよっ! 魔がさしていたのっ! あれはあたしじゃないもん!」
「気恥ずかしいからって、そういう言い方するかよ? あれはあたしじゃないって、じゃああそこにいたのはネリアじゃなかったなら誰なんだ?」
ぱんぱんぱん。
手を叩く音がする。ルキとネリアは互いを見やり、そして音源である扉に二人そろって顔を向けた。




