(21)それぞれの分岐点
これは夢。しかし、かつて現実にあったこと。
「――良かった。何とか間に合ったようだね」
治療の魔術を解き、額の汗を袖で拭う。
「ありがとうございました。ユートおじさん」
穏やかな寝顔で横たわるネリアを隣で見守っていたルキは顔を上げてユートにお礼を言う。
採石場からの帰り、石化症を発症してしまったネリアを救うために駆け込んだユートの家。そこであったことが夢の元になっているらしかった。
(なんでまたこの日の夢なんか……)
ルキは自分が夢を見ていることを自覚し、不愉快なので一度起きてしまおうかと考えるものの、結局面倒くさくてそのまま続行することにした。あの日のことをそのまま追体験するだけならば、何も恐れることはないからだ。
「やだなぁ、その言い方。僕、そんな歳をとっているつもりはないんだけど?」
当時からユートは地元では有名な解石師であったし、ルキにとっては近所の知り合いでもあるためにおじさんと付けるのがふさわしいと思っていた。なので、不思議そうに首を傾げる。何と呼ぶのが適当なのか、思い浮かばない。
「ユートさん、って呼んでくれればいいよ」
言って、ユートはルキの頭をわしわしと撫でる。ルキはくすぐったくて両目を軽く細めた。
「しかし、どうして石化症に?」
ここにはネリアの両親は来ていない。ルキがネリアを背負ったままユートの住む家に直接駆け込んだからで、これから事情を話しに行くつもりだった。
「えっと……」
怒られると思ったルキは、自然とうつむいて黙り込む。
石化症を発症してしまうような場所は立ち入り禁止になっているため、住居地区内で生活する限りは滅多に発症しないものである。さらに、ルキたちの住む町はその中でも比較的安定している土地とされているのだった。
「ルキ君? 僕は君を叱ったりしないよ。石化症を発症したネリアちゃんを見捨てることなく、恐怖におびえることもなく、ただ懸命にここまで運んできた君の勇気は表彰ものだと思うからね。――だから正直に答えて欲しい。一体何があったのかい?」
「あ、あの……」
ルキはぽつりぽつりと話し始める。
ユートの活躍を聞いて、解石師に興味を持ったこと。
石化症を発症して化石になってしまった生物を見てみたいと思ったこと。
二人で採石場に行ってみようと計画したこと。
ちょっと覗くだけなら大丈夫だろうと、親たちの目を盗んで実行したこと。
結局化石を見つけることができなくて、諦めて戻ってきたこと。
その帰り道でネリアの身体に異変が生じたこと。
石化症を発症したと直感して、恐がるネリアを背負ってユートの元を目指したこと。
それらを順に思い出して言葉にするうちにネリアに申し訳なくなってきて、ルキはみっともなく顔をぐちゃぐちゃにして泣きじゃくっていた。
「――そう。確かに採石場に行ってしまったことはとがめるべきかも知れないけど、僕を探しにここを目指したのは賢明な判断だったね。――だけど、僕がもしもここにいなかったらどうするつもりだったんだい?」
問い掛ける口調は優しい。しかしユートの目は責めるような色があった。今回は良かったが無責任だ、そう言っているようにルキには見えた。
「そ、そのときは――」
ルキは喋りだした自分の台詞が震えていることに気付き、そこで一度区切るとごくりと唾を飲み込む。そして真っ直ぐユートの目を見つめ返した。
「そのときはぼくが解石師になって、ネリアを救うつもりでした。必ず、どんな手を使ってでも」
「完全に化石になってしまった人間を元に戻すのは僕でさえ難しいことなんだよ? ルキ君」
はっきりと答えたルキに対し、ユートは説明を始める。
「成功例はほとんどない。奇跡的に身体が動くようになったとしても、記憶を失っていたり、言葉を理解できなくなっていたり、たいていの場合重度の障害が残る。脳を元に戻すのが一番難しいからなんだ」
そしてユートは自分の頭を指でつんつんと差した。
「――そんな状態までしか治癒できないのが現状であるのに、それでも君はネリアちゃんを救えると、そう信じられるのかい?」
ルキを挫けさせようとしているわけではない。解石魔術といえど万能ではないことを理解させる必要がある、そう判断したがゆえの問いであることは幼いルキでもルキなりに感じていた。
だから、ルキははっきりと返した。
「ぼくはネリアに誓ったんです! 決して離れない、共に生きようって。ネリアに障害が残っても、ぼくは責任を持って面倒を看るつもりでいました。ぼくにできることなら何でもするつもりでいたんです! ぼくは、解石魔術が万能であるだなんて幻想は持っていません」
日々進歩していく解石魔術。町に運ばれてくる解石師たちの華々しい活躍、治療法の開拓の噂。
その一方で、立ち入り禁止区域の増加のお知らせや、治療に当たっていた解石師が石化症を発症して命を落としている事実も届いている。ルキは解石師に興味を持ってからは解石魔術の光だけでなく影の部分もしっかり見聞きするように努力していたのだった。
「なるほどね。決意は本物のようだ」
ユートはそう告げると、普段見ることのない冷酷な顔をする。
ぞくっ。
その顔を見てルキは背筋が凍り、決意が揺らぎそうになるがそれでも真っ直ぐにユートを見つめた。必死だった。




