(20)解石師への道
育成科女子寮。
普通科男子寮との違いは外壁の明るい色と真新しさ、そして清潔感。手入れが行き届いているのが、周囲に植えられた樹木や花壇からよくわかる。
「さすがに入れるわけにはいかないから、ちょっと待っててね。――ちゃんと待っているのよ?」
「へいへい」
念を押すネリアをルキは面倒くさそうに見送る。文句を言おうとしたのか口を少し開けた彼女は、むすっとしたまま結局何も言わずに小走りで玄関の中に消えていった。
(そういえば、男子寮もこの近くだったか)
普通科男子寮と校舎までの半分の位置にこの寮はある。これならば、朝の予鈴が鳴ってからでもギリギリ間に合うかもしれない。
(格差だよな。将来を期待されている奴らはやっぱり待遇が良いわな)
そんなことをぼんやり考えていたときだった。
「いやぁぁっ!」
かん高い悲鳴が響き渡る。それはルキがよく知る女の子の声。
「ネリアっ!?」
頭よりもまず身体が反応していた。ルキは玄関へとすぐさま向かい、音源に向かって駆け出す。
三階の角部屋。特待生に与えられる特別室の前で、ネリアはペタンと座り込んでいた。
「どうした? ネリア」
駆け寄り、ルキは声を掛ける。開け放たれた扉が揺れている。
「……部屋が」
ネリアは震える手で扉を指す。
「ん?」
その指が示す先にルキは目をやる。半開きの扉、揺れに合わせて光が増減している。その影が不自然に動いていた。
(――まさか)
ルキはネリアを支えていた手をどけると、身体を部屋に向ける。
「ネリア、ちょっと待ってろ」
その台詞に一度は首を横に振ったネリアだったが、ルキが力強く頷くのを見てコクリとあごを引いた。
ルキは部屋の扉を開け、中に踏み出す。
(ひどいな……)
開け放たれた窓。紗幕が風に吹かれて揺れている。
視線を手前に移せば、足の踏み場もないくらいに物が散らばっていた。もちろん、片付けが行き届いていないからではない。荒らされたのだ。
ルキは部屋に誰もいないことをざっくり確認するとネリアの元に戻る。
「――心当たりはないのか?」
ルキの問いにネリアはゆっくりと頷く。
(くっそ……なんでネリアばかり……)
ネリアはまだ動けないようだ。その隣にルキは腰を下ろす。
「……なんで」
「ん?」
「……なんであたしがこんな目に遭わなきゃならないわけ?」
声が震えている。それは怒りからくるものではなく、悲しみからくるものだ。
「さぁな。――だが、裏庭の件といい、今回の件といい、単なる嫌がらせじゃないと思う。落ち着いたら、盗まれたものがないか確認しないとな」
努めて淡々とルキは提案する。
「――どうしてルキはそんなに冷静でいられるのよ?」
ネリアの濡れた瞳がルキを覗く。
「それは……」
(何故だ?)
問われて、ルキは自問する。
これには様々な理由が考えられたが、一番言いたくないことを避けるには一つ一つ例をまじえてごまかすしかない。
ルキはわざとおちゃらけた態度で続ける。
「……そりゃ、二人しておろおろしたりぴーぎゃー騒いだところで何の解決も得られないからだ。お前が動けないなら、俺がその分も動かなきゃいけないだろ?」
採石場で自分自身に誓ったことは今でも忘れちゃいない。
――ありがとうって言葉は、石化症が治ってから言えよ! それに、例えお前が石になろうとも、俺は決して離れるものか。元に戻すまで、ずっと傍にいてやる。絶対にな。
あのとき、どうしてそんな台詞が出たのか、ルキにはよくわからない。死へと向かうネリアを勇気づけようと必死につむいだ言葉がそれだった――そういうことだ。
(――しかしまぁ、よくもあんなこっぱずかしいことを言えたもんだな)
視線を合わせないように正面に顔を向けたまま、ネリアの様子を伺う。
「……うん」
ルキの台詞に納得したらしい。ネリアは弱々しく頷く。
「やられっぱなしは嫌なんだろ? 気を強く持て」
「うん……」
なかなか明るさを取り戻さないネリアをルキは励ますが、彼女はただ静かに頷くのみ。ルキが昔から知っている、彼女本来の姿があった。
(……あぁ、そっか)
裏庭で襲われたとき、「らしくないよね」と言って震えていたネリア。
部屋を荒らされていたことに恐怖を覚えて怯えるネリア。
そして、進行する石化症の症状を目の当たりにして、感謝の言葉を述べながらもルキの背中に必死にしがみついていたネリア。
(ネリアは変わってしまったんじゃない。無理してでも自分を変えようと必死だっただけなんだ。中身は、変わっちゃいなかった……)
ルキは自分の中でわだかまっていた疑問に答えを出す。そして、自然と次にすべきことがわかった。
「……だが」
言って、ルキはネリアの頭を自分に引き寄せる。
「普段お前が強がっているだけだってことぐらいわかるさ。二人きりのときぐらい素直になれよ」
照れ臭さはあるが仕方がない。おとなしくて臆病者のネリアが彼女本来のものであるとルキは知っているが、こんな状態が続くと調子が狂ってしまう。過剰な演技だとしても、自信家でワガママなネリアでいてくれたほうがやりやすい。
(――あとで殴られるかもしれないが、甘んじて受けるとしよう)
ドキドキしながら、ルキは反応を待つ。視線はさらに遠くへ。体勢的に背を向けることはできないので、顔をネリアのいる場所とは逆側に向ける。
「……あたしは」
「ん?」
ルキの耳に届く小さな声。
「……とっても素直に生きているわよ?」
ネリアの声には戸惑いが含まれている。
「それならそれでいい」
不意に出た言葉は普段よりも優しい。
「――あと、気安く触らないで」
恥じらいにも似たネリアらしくない口調。
「嫌なら突き飛ばしてでも離れりゃいいだろ?」
いつもなら険のある言い方であるはずなのにどことなく柔らかい。
「むう……」
そのネリアの台詞に、文句が返ってくるか手が出るのが先かと少々身構えたルキだったが、彼女は手をそっと退けると静かに立ち上がった。
「……ありがと」
言うべき相手に背を向けたままでつむがれる感謝の言葉。ルキからは彼女の赤くなった耳たぶが見えていた。
(――ったく……)
聞こえないからもう一度――そう言ってやりたい気持ちだったが、ルキはやめておくことにした。これはこれで悪くない。
「――さてと」
ルキも立ち上がり、ネリアの隣に立つ。
「まずは部屋の片付けだな。手伝ったほうがいいか?」
「……! あ、いや、ちょっと待って」
遠慮がちにルキが言った理由に、冷静になりはじめたネリアの思考が反応した。
「良いって言うまで開けないでよっ?」
顔を真っ赤にして、ネリアはルキを睨むと部屋の中に入る。扉をきちんと閉めなかったのは、慌てていたからなのか、それとも恐怖が残っていたからか。
(――ネリアの場合は両方、もしくはその他だな)
中を覗くのは無粋なことだからと、ルキはおとなしく通路側を眺めて待つ。
ネリアが一緒に中に入ることを許可しなかった理由は一つ。部屋には服が、より詳細をいうなら、下着が散乱していたからだ。ルキは部屋の様子をふと思い出す。
転がっていた色とりどりの洋服。それに紛れ込む見慣れない下着。
(そうそう。極彩色であるうえにフリフリヒラヒラという、なんとも趣味を疑いたくなるようなのがあったな)
ちらりとしか見ていなかったはずなのに、ルキの記憶に鮮明に残っている。それくらい目立っていた。
(……しかし、なんで女性の下着ってのは、誰かに見せるわけでもないのに、ああも派手なんだろう)
想像しようとしたわけでもないのに、ネリアがそれを身につけている後ろ姿が思考をよぎる。細身であっても痩せてはいない四肢、くびれた腰。引き締まった尻は小さな赤い布がわずかに隠す。
(ま……まてまて俺っ!)
さらにゆっくりと彼女は振り返る。ふっくらした胸を、たっぷりとついたフリルがより大きく見せる。白い肌は上気してほんのりと赤く、下着の色にほどよくなじむ。彼女は頬を赤く染め、少々潤んだ瞳でやや上目遣いに微笑み――。
そしてそれを待っていたかのように扉が開いた。
「さっ、良いわよ? ――って、なんで鼻血出してんのよ」
「う……すまん、ネリアっ!」
ネリアのジト目が胸に刺さる。ルキはハンカチを取り出して鼻を押さえると頭を下げた。
「いや……つっこまれる前に謝るのは反則だと思うけど」
ルキがどうして謝ってきたのかわからなかったらしいネリアは、からかう機会を逃して目をパチパチさせる。
(――いきなり謝るのは確かに変だな)
鼻血が止まったのを確認すると顔を上げる。ネリアが不思議そうな顔で見下ろしていた。
「と……とりあえず、だ。なくなったものがないかさっさと調べよう」
「あ、うん。それが済んだら、先生に報告しないと。あぁっもうっ気が乗らないなぁ……。カリスはそのあとでも良い?」
「そ、そうだな。ここに寄った用事を忘れるところだったぜ」
動揺を悟られないようにルキは必死にごまかす。ネリアは胡散臭そうな顔でルキを見ていたが、それ以上詮索はしてこなかった。




