(10)恋文は不幸を招く
「――えー、石化症の発症は今では病気として扱われていますがぁ、この現象が発見された頃は自然災害と思われていました」
黒板に『石化症』の文字、そしてその右側に『自然災害』の文字が書かれる。
「またぁ、原因不明であったがために、神によって引き起こされた災厄だとも言われ、石化症による混乱から様々な宗教が興ったのもこの時期の特徴です。一番有名なところでは、石化症が知られるところとなった一人の少女を祭ったものでしょうかねぇ」
言って『宗教』の文字が足され、白墨でこんこんっと黒板を叩く。
「今でこそ、その仕組みが解明され、対処法も確立されつつありますがぁ、残念ながらまだまだ不明な点も多いのが現状なのです。解石師は石化症に対しての治療を行うことのできる人をさしますがぁ、万能ではないことをよく覚えて置いてください。――では次のページに進みましょう」
「ふぁぁっ……」
ルキは口元を押さえながらあくびをする。目の端に生まれた涙を制服の袖でそっと拭う。
今は授業中。普通科に所属するルキにとっては平和そのものの時間だ。面倒なネリアの姿を気にすることなく勉学に励むことができる、それだけでも彼にとっては至福のときであった。
(しかし、どうしたもんかな……)
自分のあくびの理由を思い出したルキは、石化症の歴史を丁寧に喋る教師の話を無視して回想にふけることにする。
ネリアはネリアの課題である化石の採取を適当に済ませ、日が暮れるまでになんとか学校に戻ってきたルキたちであったが、カリスを先生たちのいる棟に案内する前に問題発生。育成科の寮で歓迎会が開かれることが急遽決まったらしく、途中で合流した他の育成科の生徒にネリアが連れて行かれてしまったのだ。仕方がないので一人で案内しようとしたルキだったが、「ルキと離れたくない」と頑なに拒否しくっついてくるカリスに押される形で、寮に連れ帰ってしまったのだった。
(せめて、ネリアのところに行ってくれればそれで充分なんだが……)
はぁっと小さくため息。
二人部屋をひとりで使っていることを良いことに、カリスを部屋に入れるのは案外と簡単だった。寮の入り口を抜けるのは苦労したが、部屋に入ってしまえば誰かに見つかることはまずない。
とはいえ、誤算だったのはカリスがぴったりとくっついて離れないことだった。便所や風呂にまで着いてこようとするカリスを説得するのはそれはそれで大変だったが、寝台の中にまで入ってきたのには困りに困った。結局ろくに眠れないまま朝を迎え、寝坊して遅刻することはなかったがこの調子である。
「ふぁぁ」
「おや? ルキ君」
そこで教師の視線がルキに向けられる。
「!」
教師の目が片方だけ細められたのを見て、ルキは咄嗟に背筋を正す。
「まだ一時限目だと言うのに、君はあくびばかりしているね? さぞかし今日の予習をしてきたんだろうね」
(う……まずい)
教師の発言に対し、生徒たちがひそひそと話し始める。
「――あいつ育成科の補欠だったんだろ? 普通科の授業じゃ退屈なんじゃねーの?」
「うわー、何その優等生気取り」
「普通科をなめてるんだ」
それぞれが勝手なことをまわりの席の連中と話し込んでいる。入学式前のネリアの登場により、ルキはクラスメートたちと少々距離を置いていた。
(……つーか、俺がどう思おうと自由だと思うんだがな)
ルキは育成科に入れなかったことを悔しく思っていたし、恨んでもいた。しかしだからといってアナニプスィ学院への入学は捨てられなかった。たとえ解石師としての資格を得られなかったとしても、それに近いだけの知識を得られる普通科で学ぶことにはきっと意味があるはずだと考えていたから。それに、彼の目的は解石師になることがすべてではなかったのだ。
「……」
教師とルキの間だけ静寂が支配する。沈黙したまま真っ直ぐ見つめるルキに、教師は話し掛けた。
「君にはこのページで説明している石化症発症の段階とその治療法についてを――そうだなぁ、教科書を見ないで説明してくれるかな?」
「――教科書を見ないで、ですか?」
これは嫌がらせだ。ルキは直感する。気にくわない生徒を標的にして、授業の進行の妨げとなる問題を起こさせないようにしようとしている。
「あぁ、そうだ。できないなら授業をちゃんと聞くことですな」
「いや、できますよ」
ルキは教科書を閉じると立ち上がる。もとより、教科書なんて初めから見ていなかった。おそらく、周りの生徒が見ていた場所とルキが眺めていた場所は異なる。それなら潔く閉じてしまったほうが格好良い。
(――優等生ではないにしろ、その質問ならユートさんに散々説教を食らったおかげで答えられるし)
入学したらおとなしく日々を送ろうと夢想していたルキであったが、それは入学式早々に破られている。ならば今まで通り、遠慮なく売られたけんかを買うまでだ。
「――石化症というのは、瘴気が生物の体内に蓄積されることによって引き起こされる病気です。瘴気は魔術的には魔力として扱われますが、それは一定以上の量を溜め込んでしまうと身体が耐えることができなくなってしまいます。このとき起こる症状が石化なのです」
教師が流暢に喋るルキを見て目を丸くしているが、彼はそんなことには気にも留めずに続ける。
「石化は身体の末端から起こり、次第に全身へと広がります。急激に瘴気が体内に入ったときにはその進行が早く、徐々に蓄積されたときにはゆっくりと広がってゆくのです。前者を急性石化症、後者を慢性石化症と呼び、どちらも発症次第治療に当たる必要がありますが、重篤になりやすいのは急性の方です。続いて治療法についてですが――」
「こほん」
そこで教師の咳払い。ルキは話を止める。
「もう良い。君が充分に勉強をしてきていることはよくわかった。もう席につきなさい」
「はい」
ルキは表情を変えないようにして椅子に腰を下ろす。笑ってやりたい気持ちだが、これ以上クラスに波風を立てるのはどうかと冷静になったので控えておく。
「――おいおい、今の話本当なのか?」
静かになっていた教室に再び生徒たちのひそひそ声が駆け巡る。
(……ん?)
ルキはまわりの様子が妙なので耳を澄まして聞いてみることにする。
「教科書に書いてないぞ?」
(あっ)
どうやらルキの知識は普通科以上の知識だったようだ。ルキはまわりの反応からそれを察する。
(ま、どうでもいいや。実際に石化症の発症から治療するところまで見ていたから知っているわけだし)
化石の採石場での事故を思い出し――そしてルキは頭を小さく横に振る。思い出したくない過去だ。
「――どうせ婚約者だって言う特待生の女の子に習っているんじゃないの?」
「だったらずるくない?」
「デートのついでに、とかなんとかでさ」
「彼女に手取り足取り教えてもらえるなら幸せだなぁ」
「なんであいつ育成科じゃないのかなぁ。すっげー邪魔なんですけど」
クラスメートたちの視線が賞賛から嫌悪の目に変わる。どうにもルキはこのクラスとは馴染めないらしい。
「はいはい。授業を再開するぞぉ」
教師は教室内を静かにさせるために手を叩く。やがてひそひそ話は収束し、授業は進む。
結果として、以降この教師がルキを指名することはなくなったのであった。




