第六話『発見』
昨日のエコの取り乱し方を見て、タークは自己嫌悪に陥っていた。
いつも飄々としているエコに対して芯が強くブレない人間だというイメージを持っていたタークは、自らの心無い一言のせいでエコが取り乱したのを見て、大きなショックを受けていた。
だが、よくよく考えてみれば、師匠はエコにとって唯一の家族であり、それを失うことは二親を同時に亡くすに等しい出来事なのだ。造物主と被造者の関係。タークはこの間読んだばかりの、『魔法生物概論』の一節を思い出した。
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魔法生物と造物主の間には、契約が結ばれる。魔法生物は造物主を慕い仕え、造物主は魔法生物を庇護し、面倒を見るという契約だ。この契約の起源は定かではないが、出来た理由は言うまでもないだろう。
この関係は、ふつう魔法生物が死ぬか、造物主が死ぬかするまで続く。あまりないパターンだが、双方合意の元、別れの儀式を行って契約を解消することもある。また最近増えてきているのが、魔法生物が造物主を殺害してしまう事件である。この場合、全責任は造物主にあり、被害者は魔法生物である。
こういった事件で生まれた野良魔法生物は基本的に“魔物”と呼ばれ、行政魔導士に処分される道しか残されていない。ある程度の個体数が居ると、逃げてそのまま何処か未開の地に居つき、やがて種として確立して人権を獲得するもの(ハーピィがその代表例)や、野生種として定着するもの(ギブジ・アントやスカーレットなど)が現れることもある。
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もう昼前だというのに、エコは一向に起きてこない。タークは、エコのために少しでも何かしてやろうと思い、台所に立った。
しかし、火起こしの魔法が使えないタークは、料理どころか薪に火を点ける事もままならない。物音を立てながら夢中になってあれこれと試していると、漸く火種が点いた。だが、それと同じタイミングでエコが扉を開けて入ってきた。
「あれ、ターク……。なにやってんの?」
赤く腫らした目でタークを見、エコが聞く。
「すまん、うるさかったか。食事を作ろうと思って、いま火を点けたところだ」
タークが火種を焚きつけに移しながら、エコに言う。
「ううん……。ごめんね、ごはん作れなくって。今作るからね」
「いや、いいんだ。……昨日は本当にごめんな。エコの気持ちを考えていなかった」
タークが謝る。エコはゆっくりと首を横に振った。
「いーの。……時節計、やっぱり灰色のままだね。そこどいて、わたし作るから」
「たまには俺がやろう。座っていてくれ」
「ううん、タークのごはん美味しくないからいい」
「え!??」
タークの身体に電撃が走った。確かに以前タークが食事を作った時、エコは終始、味について一言も言及しようとしなかった。だが、ターク自身はわりとおいしく出来たと思っていたので、衝撃が大きかったのだ。うすうすエコは味が不満を持っているのは分かっていたものの、やはり直接言われると厳しいものがある。
「ふふふ、ごめんごめん、でも本当にいいよ。ご飯作るのはいい気分転換になるし」
タークはエコの冗談めかした言い方を聞いてほっとしたが、エコは別に冗談を言ったわけではなかった。そうしてさり気なくタークから竈を奪うと、朝食作りにかかった。
出来たのは昨日焼いた黒パンと、野菜のスープ、それと夏野菜のサラダ。「もう夏の野菜は食べ納めかもね」とエコ。
野菜スープはうさぎの出汁ベースで、塩と胡椒で調味してあるだけだったが、ローリエやクローブなどの香辛料で香りづけがされており、飲むと体が芯から温まる。
昨日焼いた黒パンは、焼きたてよりも締まった食感が強く、噛みしめるとほのかに甘みがある。焼きたてのパンは中身が柔らかく、噛むと熱い蒸気が出てきて少し酸っぱいような香りがするが、タークはどちらかというと噛みしめるほど甘みを増す、一日置いたパンの方が好きだった。
サラダにはマスタードを使ったドレッシングがかかっていて、しつこすぎず薄すぎず、採れたての野菜の味を引き立てている。
こんな美味い料理が悲しみに沈んだ心で作れるものではない。エコは元気になったようだ。いや、スープの中の刻んだ野菜が所々繋がっているところを見ると、まだ少し本調子でないところがあるかもしれない。
タークはそんなことを考えながら、ふと目の前の窓の外を眺めた。そしてそれを見た。タークの体毛が逆立ち、鼓動が早鐘を打つ――――唐突に、3ヶ月間忘れかけていた感覚を思い出した。
それは追われる者の息の詰まるような切迫感――――。
窓の外に見えたのは、たしかに三人の追手だった。
――
その三人の追手は、タークを見失って3か月経っても、いまだに辺りを探し続けていた。周辺の町へ張り込み、手がかりを探し続けた。が、タークの手がかりは、3か月前のある日――タークがエコと暮らし始めた日――からぷっつりと絶えてしまった。いくら探しても見つからないので、一時はタークが死んだかもしれないとまで、彼らは考えた。それにしても、なんの痕跡も残さず死ぬことは簡単ではない。死んだのなら死んだなりに目撃情報があってもいいはずだ。
――死んだとしても遺体の切れ端くらいは持って帰らなけりゃ、姐さんは納得しねえよ――三人のうち、こう言ったのは誰だっただろうか。しかし、言うまでもなく全員がそう思っていた。ともかく、タークが生きているにしろ死んでいるにしろ、痕跡は探さなくてはならない。だが探せど探せど、タークらしき人物の情報は全く見つからない。――――昨日、クリノッケという行商人に出会うまでは。
やっと見つけた。今度こそ逃がすわけにはいかない。長身の男、フィズンはそう思っていた。フィズンは『姐さん』に惚れていた。ともにタークを追うベッチョとクイスも、それぞれに『姐さん』を慕っていたが、フィズンの気持ちは焦げ付くような恋だった。それだけに、タークを恨む気持ちは三人のうちで最も強い。
「あんな所でのうのうと暮らしてたんだな……!!」フィズンが言った。
「しかも女と一緒だって言う話だね、馬鹿にしやがって」鷲鼻の男クイスが言った。
「この3か月、必死に探しても見つかんねえと思ったらよ……! こんなところに家があったとはな。趣味のわりい野郎だ。フィズン、家ごとやっちまおうぜ」体格のいい、ベッチョが言った。ホクロの多い男だ。
「おう……!! 爆撃の呪文、フルパワーだ!!」言うや否や、フィズンは呪文の詠唱を始めた。その呪文は口汚い怒りの文句で、考えうる限りのタークに対する罵倒の言葉だった。
「バ」、「ボ」といった激しい破裂音が繰り返されるそれは、周囲の人間に言い知れぬ不快感を与える。ベッチョもクイスも、毎度のこととはいえこの呪文を聞いているだけで嫌な気持ちになり、腹が立ってくる。しかし、詠唱中完全に無防備になるフィズンを近くで守っていなければならないため、フィズンから離れるわけにはいかなかった。そのかわり、この魔法の威力は折り紙付きだ。それは過去の体験で良く知っている。
やがて詠唱が終わると、赤い切妻屋根に白い漆喰を塗った壁が眩しい小さな家は、大きな音とともに爆炎を上げて砕け散った。